無用の長物
七
遠野さんは実に満足げに顔を緩めていた。一方の俺は、問題が片付いて、ほっと胸を撫で下ろしている。はじめから遠野さんの
がらがらと前の扉が開かれた。現れたのは体格の良い男性教師だった。精悍な顔つきをしており、ワイシャツの上から学校指定のジャージを羽織っている。
「おはようございます。担任の
上道先生は黒板の座席表を消し、代わりに白いチョークで大きく自分の名前を書いた。豪快そうな外見とは裏腹に、教科書体のように
「早速ですが『入学式の流れ』は確認しましたか。もしプリントがなければご申告ください」
声量の大きさと
「先生、プリントが二枚あります」
手を上げたのは遠野さんだった。プリントを一枚持って、教卓に立つ上道先生へと手渡す。
上道先生はニヤリとして、
「ゴールおめでとう」
と言った。
遠野さんは
上道先生が返却されたプリントを何気なく裏返す。そして、顔をしかめ、遠野さんとプリントとを見比べる。違和感を抱いた様子だったけれど、特に遠野さんへと言及することはなく、
「入学式の流れを確認します」
と続けた。
ねえ、遠野さん。それ、俺のプリントじゃない?
俺は『入学式の流れ』の裏面に座席表を描き、それを遠野さんへと手渡した。そして、あろうことか遠野さんはそれを余剰分だとして上道先生に返却した。間が抜けているどころの話ではない。遠野さん、それは嫌がらせだよ。
遠野さんに気付いてもらおう。俺はちらりと遠野さんを見やり、机を指で叩く。トントントンツーツーツートントントン、とSOSを意識してみる。伝われ、俺の気持ち。
遠野さんはニヤリとて机を叩いた。トントントンツーツーツートントントン。どうして。
「手洗いに行きたい方は、今のうちに済ませておいてください」
話を終え、先生がクラス中へと呼びかける。クラスメートの一人が席を立つと、また一人、もう一人と皆が教室を後にする。
先生の視線が俺に突き刺さる。俺が入学早々プリントの裏面に落書きし、しかもそれを突き返したことが知られたのだろうか。いや、落書きしたかったわけではなし、突き返してもいない。どちらも遠野さんの仕業だ。
「行かなくて大丈夫ですか」
先生が俺の目を見て、不思議そうに眉根を寄せる。
「越渡君、我慢しないで行ってきなよ」
背後から遠野さんが声をかけてくる。振り返ると爽やかな笑顔を向けてきた。その顔は好青年そのものだ。
「引き留めちまってすまなかったな」
どうやら二人とも俺のSOSを額面どおり受け取ったようだ。伝わったけれど伝わっていない。コミュニケーションは難しいものだと俺は改めて実感した。
結局、俺は上道先生のもとへ赴きプリントを返してもらった。
「どんな
と言われた。
俺は『入学式の流れ』を裏返す。描かれた四十二個の正方形。原因はこれだろう。何か問題を抱えていると勘違いされてしまったようだ。不本意だ。
「
不意に声をかけられ、俺はびくっと肩を跳ね上がらせる。振り返った先には見知らぬ女子クラスメートの顔があった。
何をどう説明したところで俺が落書きをしたという事実は消せない。しかも、今は長々と説明する時間がない。
「座席表を描いてみました。記憶力のテストですよ」
と答えるのが精一杯だった。そして、案の定その女子は、
「へえ、そうなんだ。頭いいんだね」
と言って去っていった。
まだ友人もできていないうちから、自ら変人というレッテルを貼ってしまった。とは言え、取り返しがつかないほどではない。どちらかと言えば、遠野さんとの関係性のほうが問題だ。
何気ない仕草を装い、遠野さんを視界に入れる。既に須田さんと友好を深めたようで、出身中学の話題に声を弾ませていた。小学生の頃から、コミュニケーション能力に長けた遠野さんの周りには、いつだって人がたくさんいた。けれど、それを羨ましいと思ったことはただの一度もない。
人付き合いは、広く、浅く、ほどほどに。平穏無事な生活を送るための合言葉だ。深過ぎる縁は、いずれ無用の長物と化す。しかし、俺の信条に反するように、今回の一件で遠野さんとの縁がまた深くなってしまった。
『急がば回れ』 了
急がば回れ 万倉シュウ @wood_and_makura
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