シカク
五
俺が『入学式の流れ』なるA4用紙の裏面に描いたものは、掲示板に貼られた座席表の模写だった。上が教卓側、下が後ろ側。掲示板との差異は氏名の有無のみ。つまり、俺は掲示板と同様に座席表へと天地の目印をつけなかったのだ。七✕六=四十二個の正方形を描き、その中の一つ、遠野さんの座席だけを斜線で黒く
遠野さんは俺と須田さんへ向け、ひらひらと即席の座席表を振る。
「教室に入った向きと座席表の向きが逆だったんだな」
前の入り口から見て教卓側は後ろ側だ。けれど、遠野さんが記憶したという座席表は教卓側が天、つまり前だ。するとどうだろう、遠野さんは天地をひっくり返した座席表の自席へと向かうことになる。
「座席表を上下逆さまにすると、出席番号二十五番はその隣、須田さんが座る十八番の席になります」
教室内の座席は七席✕六列。遠野さんの座席は廊下側から四列目、教卓側から四番目の位置なので、上下を逆にすると廊下側から三列目、教卓側から四番目の位置になる。遠野さんの記憶にある座席表のイメージと、視界に映る座席の天地が逆転していたのだ。
「前から入ったのが原因だったんだな」
遠野さんが教卓を
「原因は走って登校してきたことですよ」
遠野さんはぽかんとする。須田さんも状況を呑み込めていないようだ。俺は順序立てて説明する。
「座席を間違えたのは、前の入り口から入ってしまったからです。それなら何故、遠野さんは前の入り口から入ってきたのでしょうか。遠野さんが入ってきた時、誰もが先生だと思い、入り口に注意を向けました。何故なら、足音が聞こえなかったからです」
「足音?」
「親切なことに、一般棟には一年生の教室が四階にあると注意書きが貼られています。その指示に従って東階段を上り、廊下を歩いてくれば、自然と後ろの扉から入るようになるんです。それに、足音も聞こえてきます。なのに、遠野さんの足音は聞こえてきませんでした」
「足音を立てないように気をつけたからな」
「ええ、そうでしょう。しかし、それは自発的な行為ではありません。現に、先ほど遠野さんが確認のため後ろの入り口から入ってきた時、足音をしっかりと立てていました。遠野さんは『階段は静かに』という注意書きに従っていたのでしょう。そして、教室付近でそれに従うということは、東階段ではなく、すぐそこの西階段を上ってきたということです」
東階段に注意書きがあるのなら、西階段にも当然あるだろう。
遠野さんは、
「ああ」
と短く
「西階段を使い、遠野さんはこの教室まで来ました。ならば何故、西階段を使ったのでしょうか。東昇降口から入れば、まず使うことのない西階段。昇降口に入って右か左か、どちらが一般棟かわからなくとも、前の生徒について行けば間違えようがありません。それなら、可能性は一つ、西昇降口から入ってきたということでしょう」
俺は一呼吸置いて、
「遠野さん、裏門から入ってきましたか」
と問いかけた。
遠野さんは苦笑した。それが答えだった。
六
遠野さんは腕組みをし、武勇伝を語るようにしみじみと回想する。
「今日は入学式だろう? だから、気合を入れてジョギングすることにしたんだが、どうせ走るならそのまま学校に行っちまえば一石二鳥だと思ったんだ。ところがどっこい、チャリ通の邪魔になると思い始めてな、途中から裏道を通るようにしたのさ」
登校中に遠野さんを見かけなかったのは、通学路が違ったからだったようだ。
「そうしたら裏門に着いたんだ。柵はあったが、チャリじゃないから通り抜けられたよ」
俺が裏門を通りかかるということは、同じ方面から登校してきた遠野さんも当然通る。
「まだ八時だってのに昇降口はガラガラでな。もうみんな、とっくに教室にいるんだろうと思ったんだ。出遅れちまったこともそうだが、汗だくになるわ帰りも走らなきゃならんということに気付くわで、正直憂鬱な気分だったよ」
全く一石二鳥ではない。
「西昇降口にもクラス分けが貼ってあったが、今にして思えば、俺みたいな入る場所を間違えた生徒のためだったんだな。だが、クラス分けが貼られていたからこそ、俺はそこが正しい入り口だと思い込んじまった。だから、校内見取り図の記憶を頼りに昇降口を入って右、つまり特別棟の方に入っちまったんだ」
校内見取り図には天地の記載がなければ、方角の記載もなかった。簡素な図に『一般棟』『特別棟』と記載され、一年生の教室が四階であることが書き込まれているだけだ。昇降口にも東と西の記載はなく、正門から入ってくることが前提の案内図だった。
「一階から四階まで
遠野さんが照れくさそうに笑う。大人びた印象が薄らいで見えた。
「教えてもらったとおり一階の渡り廊下を渡って、西階段を上って、あとはご存じのとおり、そこの入り口から入ってきて座席を間違えたわけさ」
遠野さんは肩を
「こうして、
と話を締めくくった。
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