最終回 大団円?!踊る大聖堂
窓辺で脚を抱えたままロゼールはぼんやりと屋敷の中庭を眺めていた。どこを見ている訳でなく何かを待っている訳でもない。ただひとりきり、思い切り惚けていた。
体調が回復して後、謹慎を自宅に移されてからロゼールは正真正銘の引き篭もりになった。三食間食寝放題で誰も責める者がいない。きっとこれが楽園なのだ。
今のロゼールには過度な食欲も浮ついた身体の火照りもない。ベッドの脇に放り出した菓子の大皿も減りが遅い。食い意地の張った小さな自分がいないのも一因だ。
純潔の誓約はまだ身体の内にあるもののハルタがいなければ声も聞こえず外にも出られない。もっとも今となってはそれもどこまでが邪神のせいだったかは不明だ。
神を見失った影響は大きくロゼールの回復が予想以上に時間を要したのもそのせいだった。神閥で加算される恩寵は治癒も然りだ。それは神の正邪に拘りがない。
ロゼールの場合、酷使した身体に回復が追い付かなかった。邪神の強化は死なないことを前提に死ぬほどの負担を掛ける。不死でなければ当たり前に死ぬ仕様なのだ。
ロゼールはしばらくは寝たきりで指一本を動かすにもいちいち悲鳴を上げていた。
だが、ましになればなったで後遺症も酷かった。うら若き乙女には実に厄介な衝動を残して行ったのだ。
できればロゼールもそのときのことはあまり思い出したくない。
日がな一日昼夜を問わず悶々としたものが治まらないのである。ロゼールは延々と続く身体の火照りに転げ回り、転げ回るたび身体が痛くて嬌声と悲鳴を上げていた。
その頃のロゼールは自分でも分かるほどおかしくなっていて、捕まろうと討たれようとハルタの牢に忍び込むべく真剣に画策していたのである。危ういところだった。
ただ、そんな状況でもゼナイド師匠の尋問は容赦なく続いていた。同席したクロエによれば野獣の調教の如くとか。何故か羨ましそうに言うクロエに少し腹が立った。
結局面会は叶わなかったがハルタはあれからずっと城の奥底に監禁されている。それなりに快適な様子でいるという話だ。なぜかガチョウと一緒に牢にいるらしい。
ロゼールはそんなハルタと外界の状況をクロエとリリアーテの面会の際に逐一聞かされていた。
ただ、どちらかといえば二人の膨らんだ妄想が主だ。師匠がハルタの首を取らないのは口に出せない拷問で棄教を迫るためだとか、首輪を付けて飼うつもりでいるのだ、などと真顔で囁くのである。確かにあの師匠ならやりかねないのだけれど。
クロエとリリアーテは救国の立役者として逸早く表舞台に復帰していた。もちろん裏ではロゼールと同様、師匠の尋問を受けていたのだが。ロゼールも自身の居ぬ間に名誉回復が叶い、リリアーテの推しもあって世間では英雄に祭り上げられている。
ロゼールはベッドに飛び込んでじたじたと暴れ回った。しばらく惚けてむくりと起き上がる。衣装室の扉を開け放ち、口を尖らせ立ち尽くす。外に着て行く服がない。
明日、一応の復旧を見た大聖堂で国家、教会の重鎮による再誕式が執り行われる。その式典への参列を以てロゼールの謹慎も解かれる予定だった。実に三ヶ月ぶりだ。
うわべの告示だけでなく再誕式には霊的な意味がある。国王を始め棄教を強いられた重鎮を一同に集め、
それは国家の清浄化を内外に示すと同時に混乱を招いた背信への断罪でもあった。
市民には原則非公開だが列席は全て明かされており、彼らが後に同情を得るか厚顔無恥の誹りを受けるかは今後の行動に委ねられる。破門された者に魂の行き場はないが聖騎士の断罪を望まなかった者に対する贖罪は容赦ない恥辱に満ちていた。
女王とゼナイド副司教の指揮のもと粛清の嵐は今も止まない。国家、教会の重鎮は軒並み地位を落としたが、それは国が傾くほどの大処分だった。中でも国王をいち人足として大聖堂の修復に従事させた前代未聞の贖罪は列強各国を萎縮させた。
奇策だが教皇領の断罪要求に対しては効果的だったらしい。教会の地位を貶めた今回の事件は神代から続く王国の存在を首の皮一枚残しただけの危機だったのである。
ちなみに今や最も事件の元凶に近い大司教は未だ自分の下の世話もできない状態だった。それを式典に列席させよというのだから女王と副司教の処遇も徹底している。
ところがそんな二人もハルタの処遇には苦慮しているらしい。教会は断じて邪神の存在を明かすことができない。それは六柱三神閥を覆し神の定めた魂の循環から保証を奪うからだ。フロルケイン・ハルタは事態を余計に複雑にしてしまったのだ。
副司教がその場でハルタの首を刎ねなかったのは、つくづく失敗だった。
もちろんそこは闇に葬るのも国家、教会の常道なのだが、どこでハルタを見染めたか某財界人から身元引受けの申し出が来たらしい。黙殺するには地位が高く、このまま行方不明も難しい。どうやら老アルフレッドは思いのほか有力者だったようだ。
かくしてハルタには罪の口実が設けられ、棄教させられた体で再誕式の参列を強いられることになった。確かに本来の意味で神閥に属していないのだが、その建前なら科刑も公式に叶う。
ただ事前にハルタに
ロゼールはひとり大仰な溜息を吐いて衣装室の奥に踏み込んだ。
明日は否応なく外に出なければならない。その服を選ぶのが億劫だったのだ。純潔騎士団の地位も聖騎士の称号もまだ保留で隊服も儀仗鎧も使えないからだ。そうなると結局一着しかない。
再誕式でロゼールの破門は解かれる。望めは
*****
大聖堂の前庭は市民で埋め尽くされていた。建物自体は一応の修復を施されていたが一般への開放は明日からだ。集まった皆は奇跡の後の清浄化宣言を待っている。
いま大聖堂の中にいるのは裁く者と裁かれる者、そしてそれらを赦すものだけだ。
身廊はがらんとしているが、祭壇の手前、ちょうど飾り窓の修復が間に合わず完成後の図案が展示されている大円蓋の真下には、大勢の参列者が並んでいた。国王陛下を筆頭にルクスアンデルを左右するに足る国家、教会の名だたる要人たちだ。
この全員が小間使いに信心を奪われたのだと思うと変な笑いさえ込み上げて来る。
年代物の大聖堂は修繕の跡も生々しいが陛下自らが修繕した拙い個所などは早くも新たな見学コースとして案内板が付けられていた。どうやら転んでも只では起きないらしい。
もちろん大聖堂の機能として修復を最優先された祭壇は立派に体を成している。神官兵の一斉掃射で砕かれた石碑も威厳のある年代物を見繕って取り換えられていた。
やはりその石碑も第三詩篇の代わりに飾った傷痕が刻まれている。だが、それがそこにあるべきだと思うこと自体まだロゼールから邪神の毒が抜け切っていない証左なのだろう。
参列者を分かつ黒い絨毯の上をロゼールが歩むと、どよめきが起きた。祭壇の前に佇むゼナイド副司教は、ロゼールの姿を見るなり「あとで殺す」と唇で囁いた。呆れたように笑う王女の横でクロエとリリアーテは顔を見合わせてこっそり親指を突き上げて見せた。
ロゼールは黒と白の短いエプロンドレスに緋色のケープを羽織っていた。磨き上げられた膝上ブーツと肘まであるグローブは艶のある黒のエナメルレザーだ。列の最前で立ち止まるとロゼールは頭巾を払って祭壇の四柱を見上げ、つんと胸を張った。
最後の罪人たちに一同が息を呑む。溜息でどこにいるかが分かるほどだ。車椅子で押されているのは変わり果てた「元」大司教六代神官サロモン・ジスカール。その横をふわふわと歩くのは銀の鋲と黒革の帯であちこちを接いだ灰色の神官服の少年。
目が醒めるような緋色のマフラーを口許まで巻いたフロルケイン・ハルタは、神造の鎖で幾重にも巻かれた聖杖を重石のように担いでいる。その杖は何故か再び接ぎ布で修繕されていた。通路を挟んでロゼールの隣に立つと懐かしい目許で微笑んだ。
ロゼールはハルタを一瞥し、堪え切れずにふいと目を逸らした。頬がちりちりと焼けるように熱い。
国家転覆に加担した大司教と結果的にそれを阻止した邪神教の代理神官が並んでいるのは皮肉にも程がある光景だ。ふと隣を見上げた大司教はハルタの視線にあうあうと声を上げ、みるみる股間に染みを拡げた。女王と副司教は見て見ぬ振りをした。
そうして再誕式は粛々と始まった。
王女が「我が罪の宣言」を滔々と語り、ゼナイド代理大司教が赦しの請願を神々に告げると、
この罪深き者に贖罪の機会と新たなる誓いを与え給え
碑に刻まれたる神々を隔たりなく讃え
御名に縋りて再び無垢なる心を取り戻さん
我ら塵の一片を余さず全ての信心を捧ぐ
居並ぶ罪人の唱和が続いた。
「全ての信心を捧ぐ」
だが
唐突に杖頭が砕け散る。
ロゼールもかつて見たことがないようなゼナイド師匠の驚愕の顔がそこにあった。悲鳴を上げる者、身を伏せるようとする者、茫然と立ち竦む者、全てがその瞬間に凍りついた。
世界が色を失くして静止していた。飛び散る神器の破片さえ、そのまま宙に留まっている。
それはロゼールがいつか見た風景だった。
緋色の影が揺らいだ。ハルタが悠然と祭壇に向かって歩いて行く。杖を縛っていたはずの神造の鎖はあっさりと床に落ち、頭を欠いた蛇のように蜷局を巻いていた。
王笏の柄を握り締めたままぽかんと顎を落としたゼナイド師匠の傍を通り過ぎ、ハルタは間際に頬を撫でた。祭壇の石碑を間近に見おろすと聖杖の先でこつんと叩く。
削られた痕が消え失せて第三詩篇が現れた。あれはロゼールが地下で見た石碑だ。
遠い雷鳴のような神の怒号が木霊した。名を喪いし原初の神がこの世界に露わになった瞬間だった。
ここに混沌の種は蒔かれ、今この時から神の在り方は変容するのだ。
ハルタがロゼールを振り返った。妖しい目許が笑っている。ロゼールは口許をへの字に曲げてそれに応えた。いつの間に石碑をすり替えたのかは知らないが、今のロゼールに邪神はいない。
そう邪神の残滓もないはずなのに、心臓が破裂しそうに鳴っている。
不意にロゼールの腕が抑え込まれた。クロエとリリアーテが両脇から抱えている。
「何、どうして」
二人には色が付いていた。この静止した世界の中でハルタやロゼールと同じく何故か当たり前のように動いている。
「転宗しちゃった」
リリアーテがぺろりと舌を出す。こくりこくりとクロエが頷いた。
いやいやいやいや。
「しちゃった、じゃない」
ロゼールが悲鳴を上げた。
「でもロゼールだってさー」
リリアーテがロゼールのケープを捲って
ハルタが目の前に現れた。緋色のマフラーに指を掛けロゼールに口許を見せる。
「さあ、お帰りなさいなロゼール」
近い近い近い。ロゼールは思わず声にならない悲鳴を上げた。ハルタが間近にいる影響かロゼールの胸元から身を捩じり出すように純潔の誓約が飛び出した。怒り狂ってハルタとの間に小さな身体を捩じ込み、ロゼールの顔の前に立ち塞がる。
其は名を喪いし真なる神
汝、魂の逸脱を以て洗礼を授く
凍りついた世界に祝詞が流れた。それはハルタの囁きではなく、まるで自身がその現身の如く何処からともなく聞こえて来る。
ロゼールが注意を奪われた一瞬にハルタは純潔の誓約の小さな身体に顔を埋めた。ロゼールの鼻先に悲鳴とも嬌声ともつかない自身の声が響く。
純潔の誓約が泡を吹いて失神した。
それが胸元に吸い込まれるやロゼールの唇が奪われた。この役立たず。涙目で叫んだロゼールの声がんんんんとくぐもった音になる。
「うわあ」
間近のクロエとリリアーテが両脇で茹で上げられたみたいに真っ赤になった。腰の砕けたロゼールが二人の手からずり落ち、床にぺたりと座り込む。頭の中は真っ白だ。
「お帰りなさい、ようこそ再び我が御許に」
以前にも増して自分は強くなっている。
それはハルタに解き放たれたのか、それとも縛り付けられたのか。ロゼールにもよく分からない。たぶんきっとその両方なのだろう。
「とりあえず今のうちにここからずらかろうぜ」
凍りついた大聖堂を見渡し、リリアーテが頬を扇ぎながらにやりと笑った。
「馬車は裏だ」
クロエが告げる。なんだか羨ましそうな顔でもじもじとしている。
「おっと貴女の馬はここにおりますよ」
ハルタの杖からぬっと魔神の馬が首を突き出したが、三人に睨まれすごすごと引っ込んだ。ハルタは投獄の凝りでも取るように聖杖で肩を叩きながら座り込んだロゼールを覗き込む。にっこりと微笑んで手を差し出した。
「じゃあ、行きましょうか。晴れて世界公認の一柱だもの堂々とね」
「最初から、こんな」
ロゼールの言葉を遮って、ハルタは耳元まで口が裂けたような笑顔を向けた。ひ・み・つと小さく囁く。ロゼールはむうと口を尖らせた。上目遣いにその笑顔を睨むと、黙ってハルタの手を取った。
笑う邪神官 marvin @marvin
★で称える
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