第一章-1
――二〇一七年、アリゾナ州フェニックス。
ジャクリーン・〝ジャック〟・ゴールドはひとり、昼下がりの大通りを歩いていた。サングラスをずらし、サファイアのような瞳でまぶしそうに太陽を見上げる。
ジャックは身長百九十センチ以上もある、男装の麗人だ。波打つような金髪に、透き通るような白い肌。身に着けたグレーのスリーピースが、女性として成熟したカラダつきをむしろ強調している。
これらの要素だけで人目を引くには十分だが、さらに奇怪なコトに、ジャックは大きな棺桶を背負っていた。長身の彼女が余裕で納まれるサイズの棺桶を。
ジャックが目についた喫茶店へ入店すると、店のマスターはあからさまに不快感を示した。「おいアンタ、そんなもん店内に持ち込まないでくれ」
「安心しろ。死体は入ってない」
「いや、そういう問題じゃない。ごらんのとおり、うちは狭いんだ。頼むから外に置いといてくれ。さすがにソイツを盗むバカはいないだろ。それから、女だったら身だしなみにも注意すべきだぞ」
サングラスを外してみて、ジャックはようやくカラダじゅう砂ぼこりだらけだと気がつき、「おっと、こいつは失礼。なにせアリゾナ砂漠をずっと歩いてきたもんでな」
ジャックは言われたとおり外へ出て棺桶を下ろし、ほこりを手で払った。薄汚れていた金髪が輝きを取り戻す。「こんなもんでいいか?」
「ああ、悪いな。あと店内は禁煙だ」
「泣けるぜ……。世知辛い時代だ」
そう嘆くやいなや、ジャックが火の点いた葉巻を素手でもみ消したので、灰皿を差し出そうとしていたマスターはギョッとした。
「すごいなアンタ。熱くないのか?」
「こう見えて、手の皮が分厚いからな。ところで、いいかげん注文してもいいだろ。ホットチョコレートをくれ」
「砂漠を歩いた直後でよくもまァ」
「熱々じゃなくていい。血液みたいに生ぬるいヤツで」
「また気味の悪い例えを。いまいちピンとこないんだが」
「じゃあケツの穴に指突っ込んでみろ。だいたいそのくらいの温度だ」
「オーケー、だいたいわかった。うちのカミさんに感謝してくれよ」
出されたホットチョコレートを、ジャックは威勢よくひと息に飲み干した。
「イイ飲みっぷりだ」
「言ったろ。ノドが渇いてたんだ」
「ああ。しかし、なんだってまた砂漠に?」
「乗ってた小型ジェットが墜落したんだ。上空一万メートルで機長が急死してな。アタシ以外の乗客はみんな死んだ」
「へえ、そりゃアお気の毒に」どうやらマスターは真に受けていない様子だ。ジャックの言葉に真剣みが欠けているからだろう。「にしても、よく無事だったもんだ」
「アタシは
「ナルホド、ジョン・マクレーン顔負けってワケだ。ただし髪はフサフサだが」
「そうハゲ呼ばわりするもんじゃアない。シリーズ三作目までは生えてたんだぜ?」
「まァ、ブルース・ウィリスの髪の毛なんかどうでもいい。それよりもアンタだ。砂漠に墜落したってのはいいとして、街へたどり着くまで、車の一台も通りかからなかったのか?」
「もちろん何台も通ったさ。だが、誰も棺桶を載せたがらなくてな。〝王国をくれてやるから馬をよこせ!〟とまで言ったのに」
「そりゃそうだろ。そんなにあの棺桶が大事か?」
「ベッドが変わると、安眠できないタチでね」
「ジョークにしてはおもしろくない」
「当然だ。アタシがコメディアンに見えるか? エイハブ船長はベッドを棺桶と言ったが、逆もまたしかり。なにせ、死者が最後の審判まで熟睡するためのものだからな」
本心からそう言っているのだと、マスターは悟った。ジャックが棺桶で、死体のように横たわるさまを想像してしまう。すると目の前の美女が不気味に思えて、背筋におぞけが走った。
ふと、店内に設置されたテレビを見ると、全壊した小型ジェットが映し出されていた。場所はアリゾナ砂漠らしい。
『今朝早く、墜落した小型ジェット機の残骸が発見されました。州警察の発表によりますと、乗員乗客の遺体には、頭と胸に銃撃を受けた形跡があり――』
マスターは思わずジャックを振り向いてしまった。よくよく見れば、ジャケットの左脇が膨らんでいる気が――額に冷や汗が浮かぶ。
「どうした? 顔色が悪いぜ。今日はもう、店じまいにしたほうがいいんじゃないか?」
「……いや、気にしないでくれ……もともと血色がよくない。……ところでコメディアンじゃないなら、職業は何を?」
「連邦政府で働いてる」
「FBI?」
「違う。財務省だ」
「へえ、そりゃ意外だ。アンタみたいなタフな女が、デスクに座ってカネ勘定するのは似合わない」
「そうでもないさ。シークレットサービスが財務省の所管だったのを知らないのか? 今じゃア大統領の警護で有名だが、もともとは偽札摘発のために創設された。それから、アンタッチャブルの酒類取締局も財務省だった。どっちもFBIより歴史が古いんだぜ。アメリカの捜査機関は、財務省から始まったと言っても過言じゃアない」
「するってえと、アンタはアル・カポネとやり合うのが仕事ってわけか」
「そんなところだ。まァカネ勘定も好きだがね」
ならば安心してもよさそうだ。捜査官が銃を携帯しているのはおかしくない。マスターは安堵すると同時に、妙な疑いをかけてしまった罪悪感を――いや、待て。あやうく納得しかけたが、だったら墜落事故の件は――そのとき、一発の銃声が平和の街に響きわたった。
マスターはおびえて身をすくめる。一瞬ジャックが撃ったのかと思いかけたが、彼女の手にはホットチョコレートしかない。そもそも銃声が聞こえたのは外からだ。おそらくここからかなり近い。
「やっぱり顔色が悪いなマスター。もう休んだほうがいい」
ふいにジャックが間近に顔を寄せてきて、マスターは息を詰まらせた。そのサファイアの瞳で見つめられると、まるでヘビににらまれたカエル、いやメデューサに石像へと変えられてしまったかのような錯覚がした。そこへ吐息が吹きかけられる。
意外にも、鼻が曲がりそうなほどひどい悪臭だった。あまりに血なまぐさい臭いで、気絶してしまいそうなほど――いや実際、意識が遠のいて――マスターはカウンターに突っ伏した。
「美味かったぜ」
ジャックは多めに代金を残して、喫茶店をあとにすると、銃声の聞こえたほうへ向かって歩き出した。
現場はすぐそこの銀行だった。正面からなかへ足を踏み入れると、ポンプアクションのショットガンを持った三人組の強盗がいた。一人は窓口係の女に銃口を突きつけ、ほかの二人は客と従業員を壁際に追いやっている。
撃たれたのは警備員だ。腹から血を流し、床に這いつくばってうめいている。まだ死んではいないようだ。今すぐ救急搬送すれば助かるかもしれない。
ジャックの存在に気がついて、強盗の一人がショットガンを向けてくる。「今日はもう店じまいだぜネエちゃん。預金ならまだ受けつけてるが」
「運のねえアマだ。ホラ、命が惜しかったら、ほかの連中といっしょに壁際へ並べ。つーかデケえなオイ」
しかし、銃を突きつけられているというのに、ジャックはまったく動じた様子もなく、「銃を捨てて降参しろ。命が惜しかったらな」
三人の強盗は告げられた言葉の意味を理解すると、爆笑した。
「聞いたかオイ? このアマ、ナニ寝ぼけたコト抜かしてやがる」
「この状況がわかってねえのか?」
「それとも、まさか俺たちの持ってるのがオモチャだとでも? そこで転がってるマヌケが見えねえのか」
「見えてるさ」ジャックは一番近い強盗に歩み寄り、突きつけられたショットガンの銃身をつかむと、針金のようにねじ曲げてしまった。「ガキには過ぎたオモチャだ」
何をされたか理解できず呆けている強盗に、ジャックはアッパーカットをくらわせる。すると彼のカラダは天井を突き破って、宙づりになった。とても女の細腕とは思えない腕力。
「て、てめえッ!」残された二人は激昂し、即座にショットガンを発砲した。しかし――
「ちゃんと心臓を狙え。そうすりゃア殺せる」
外した? いや、この至近距離で散弾が外れるわけがない。目隠しでも当たる。だがジャックは無傷のまま、平然と立ったままだ。
強盗たちは続けざまに撃った。けれども、ジャックはまるで意に介さない。薄ら笑いを浮かべながら、ゆっくりと二人へ歩み寄って来る。「心臓だ。心臓を狙え」
「うぎゃ!」一人が太ももから血を流して倒れた。どうやら運悪く跳弾が当たったらしいが、不可解だ。この場に弾丸が跳ね返りそうな物体などない。
そのうち最後の一人も弾切れに。あきらめ悪くポンプアクションを何度もしごくが、出ないものは出ない。「クソ! クソ! クソッタレ! チキショウ!」
目の前まで近づかれて、強盗はようやく気がつく。ジャックが身に着けている服は、あちこちズタズタに引き裂かれていた。やはり散弾は命中していたのだ。にもかかわらず、彼女には傷ひとつない。血の一滴さえ流れてはいなかった。
「ジークフリートは竜の血を浴びて、甲羅のように硬い肌を手に入れた。だったら、その血を直接受け継ぐ
そう告げるジャックの口からは、異様に発達した犬歯が垣間見えていた。
「なッ、なにワケわからねえコトを――」
「まァようするに、豆鉄砲じゃア役立たずってこった。せめてこのくらいじゃねえと」
ジャックはふところのホルスターから、異様に大きなリボルバーピストルを抜いた。グリップに
「コイツはファイファーツェリスカって言って、大口径のライフル弾が撃てる世界最強のピストルだ。おまえさんのドタマも一発で吹っ飛ぶぜ。ラクにあの世まで行けるんだ。運が良ければな。試してみるか?」
強盗は顔じゅう脂汗まみれになって、歯の根をガタガタ鳴らし、無用の長物となったショットガンを放り捨てた。両手を頭の上に挙げる。「た、助けてくれ。命だけはッ」
「賢明な判断だ」ジャックは銃口を下ろし、代わりに拳をみぞおちへたたき込んだ。強盗は悶絶して崩れ落ちる。
ジャックは気絶した強盗たちを手際よく拘束すると、地元警察が到着する前に退散した。
【試し読み】呪われた黄金の飢餓 木下森人 @al4ou
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