金木犀
さくらだ
第1話
十年間住んでいた家を離れることになった。
父の職場での異動によって、他県に引っ越すとのことだった。
私の家の前には公園があり、いろいろな木が植えてあった。
毎年母の誕生日ごろになると、金木犀が咲きとてもいい匂いを放っていた。
母は金木犀の匂いが大好きだった。
毎年毎年とても喜んでいたのを覚えている。
金木犀の匂いの香水を買っては、
「この匂いは金木犀じゃない…」
と落胆していた。
そんな母を見て、家の前の金木犀で香水のようなものを作ろうとしたこともあった。
まあ、当然失敗に終わったわけだが。
そんな思い出とも、あと数ヶ月でさよなら。
引っ越しの予定日は金木犀が咲く時期より一ヶ月ほど早かった。
母は寂しそうに
「間に合わないね。もう見れないんだね。」
と金木犀の木を眺めながら言った。
それを聞いて私は何とも言えない気持ちになった。
この季節が来るのを母は毎年楽しみにしていた。
何十年も過ごしてきたこの家、この地域、そして金木犀の木と離れなくてはならない。
そんな不安や悲しみの中、引っ越しの日はとうとう明日に迫った。
家の中には手で持てるだけの荷物しかない。
がらんとして殺風景な白い壁。
いつもより何倍も広く感じた。
気分転換に母と散歩に出かけようと外に出た。
ふと、風に乗って覚えのある匂いがした。
まだ一ヶ月は嗅ぐことのなかったであろう匂いだ。
母は家の前の木に駆け寄った。
咲いていたのだ。
見事な金木犀がびっしりと咲いていた。
今までにないほどの優しい香り。
一年たった今でも忘れられない。
今まで嗅いだどの花よりもいい匂いだった。
単なる偶然かもしれない、しかし、何かを感じた。
言葉では言い表せないような、不思議な何かを。
まるで私たちを笑顔で送り出すような。
元気でなとでもいうかのような優しい匂い。
母は鼻を啜りながら
「ありがとね、またね。」
と、木に向かって笑顔で言った。
風が吹き、金木犀の花がパラパラと舞った。
金木犀 さくらだ @sakurada_27
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