第189話 最終話 君の幸せは、俺の幸せ

「クロノは私と結婚したら幸せになれそう?」

「俺?」


 俺は戸惑い、しかし自分のことだからこれは少しだけ自信を持って答えられた。

「俺は、それは、俺はなれるよ。もちろんだよ、君は素敵だ。もし君と一緒になれたら俺は嬉しいし、最高に幸せだよ。でも」

 サリーさんの瞳が悪戯っぽくきらきらしている。


「それなら、問題ないわ。私はあなたが幸せでいてくれたら幸せだもの。あとは、あなたを長生きさせるだけよ。任せて、魔女の精力剤は効くんだから!」

 そ、その薬は違うのでは。困惑する俺に、サリーさんが飛び込んできた。

「うわ!」


「クロノ!早く言って!」

 サリーさんが耳に唇をくっつけそうにして催促する。目の前も皮膚も音も、感覚が全部サリーさんでいっぱいだ。

「約束したでしょ、無事に帰ったら私をお嫁さんにしてくれるって!」

 まわりのみんなが騒然とし、王様が何だと、とまた立ち上がった。


「でも、でも、俺が君にふさわしい男になったら、って」

 俺は王様とサリーさんの髪とどちらを見ていいのかわからなくなりながら、何とか約束を正しく言い直した。

「もうなってるでしょ。あなたはだって、何も持たないでここに来たのに、お父様も認めてくださるくらいの人になったじゃない」


 サリーさんが俺の首に腕を回したまま、目の前で、溢れるほどの笑顔で言った。

「もっと素敵になりたいなら、結婚してからにして。あなたが納得するまで待ってたら、私、お婆ちゃんになっちゃう!」


 本当にいいのだろうか。俺を、君は選んでくれるのか。一生を共に生きる伴侶として、君は俺を望んでくれるのか。

 堰を切ったように涙が流れ出した。


 俺はそれでもまだ呆然として、涙がぽたぽた音を立て始めてからようやく感情が追いついてきた。

 俺は号泣しながらサリーさんに掴みかかった。

「さ、サリーさん、俺で、俺でいいんですか。俺のお嫁さんになってくれるんですか。サリーさん」

 ぎょっとしたような顔で固まるサリーさんを気遣う余裕もなく、俺は嗚咽しながらも必死に問いかけた。


「サリーさん、本当に俺と結婚してくれるんですか。嘘じゃないんですか。サリーさん、あなたは本物のサリーさんですか」

「え、ええ、ちょっとクロノ、怖いわ」

「クロノ、落ち着きなさい」

 俺があまりにサリーさんに迫るので、ヨスコさんに引き剥がされた。その痛みが、これを現実と言っている。でも、まだ信じられない。もっと痛くしてほしい。

「ヨスコさん、みなさん、これ本当ですか。ヨスコさん、もっと乱暴にしてください。陛下、どうか俺を殴ってください」

 泣きながら訴えていると、ヨスコさんも気味悪そうに後退り、俺のまわりには誰もいなくなった。


「クロノ、あのね、少し落ち着いて」

 サリーさんだけが非常に警戒しながらも少しだけ戻ってきてくれた。俺の涙腺がさらに崩壊する。

「落ち着けません、夢でもこんなに夢みたいな夢は恐れ多くて見たことがありません。もったいなくて、口が裂けても言っちゃいけないと思っていたのに」

 俺は大泣きしながら再びサリーさんの肩を掴んだ。確かに掴んでいるのに、感覚はあるのに、細いサリーさんの肩はそれでも手の中で消えてしまいそうで怖い。


「サリーさん、好きです。好きです」

 手のひらだけでは不安で、俺はサリーさんを引き寄せた。

「クロノ」

 腕の中でサリーさんが戸惑ったように俺を呼ぶ。

 俺はサリーさんを力の限り抱きしめ、しゃくりあげながら懸命に叫んだ。


「サリーさん、好きです。大好きです。俺と結婚してください」

「はい」

 

 俺は思わず体を離してサリーさんを見た。

「……嘘」

「嘘じゃないわ。もう、クロノったら、落ち着いて」

 サリーさんが俺のぐしゃぐしゃの顔を拭いてくれながら微笑んだ。


「俺と、結婚してくれるの」

「はい」

「一生、俺と、一緒にいてくれるの」

「ええ」


「俺、王様みたいなの、嫌だよ。他にも夫や恋人を持つなんてしない?」

「ええと、お父様にも事情がおありだと思うけど、その、そうね」

「俺だけの君になってくれるの」

「うん」


 サリーさんが微笑む。この笑顔が、俺の。

 また涙が出てきた。

「サリーさん、サリーさん、ううう」

「わかったわ、クロノ、わかったから」

 俺は泣きながらしがみついた。サリーさんの手が優しく俺の背中をさする。


「サリー、もういいかしら」

「陛下方もお忙しいんだ、話がまとまったなら」

 ヴィオさんとヨスコさんが声をかけ、もがく俺をサリーさんから引き離す。

「あああ、サリーさん、嫌だ」

「クロノ、あとでね」

 すがりつこうとする俺に、サリーさんが苦笑して答える。それでもなお手を伸ばすと、ヨスコさんが俺の腕を容赦なく捻りあげた。ようやく俺はおとなしくなった。


「……セーラレイン、は本当に大丈夫なのか」

 王様が呆れたように椅子にだらしなくそっくり返って、杖で俺を指し示した。王様の前に控えたサリーさんが答える。

「ここまで思ってくれていたとは、知りませんでした。幸せです」

 王様がさらに呆れたように上を見て、はああ、とため息をついた。


「くだらねえ。何でこんなことに俺たちが付き合ってやってるんだ。阿呆らしい。帰るぞ」

 王様が立ち上がった。

「さっさと片付いて、エーデルラトライヒでもどこへでも行ったらいい。式はできるだけ早めろ。またそいつがぐずぐず言い出す前に、終わらせてしまえ」

「はい」

 サリーさんが嬉しそうな声で答える横を、王様がずんずん通り過ぎていく。


 その足が、ヨスコさんに押さえつけられている俺の前で止まった。

「おい犬。いや、クロノ」

「は、はい」

 名前で呼ばれて、俺は驚いて返事をした。

「サリーを頼む。……順番だけは守れよ。一応姫なんだからな」

 挨拶や結納の段取りのことだろうか。王族はさぞ約束事がたくさんあって大変なのだろう。しっかりがんばらないと。

 俺が考えているうちに、王様はさっさと通り過ぎていった。


「クロ君、なかなか面白かったわ」

「これからもよろしくね!」

「あなたの毒殺が失敗して本当に良かったわ」

 笑顔のお妃様方もそれに続く。え、誰か何か言っていったぞ。


「若さは心配しなくても大丈夫だよ。この前交渉の供で隣国に行ってきたけど、シーラ殿がすごくほめていたよ」

 お兄さん方だ。え、シーラさんが?

 お兄さんが声をひそめ、俺だけに聞こえるように囁く。

「決闘を前にして、男なら大概縮こまるのに大変にお元気で、あの度胸は素晴らしい、だってさ。まだまだ若いよ」

 そ、それはあの時、部屋を飛び出した時か。見られていたのか。うわあああ。

 俺は今更恥ずかしくなって真っ赤になった。何もかも手遅れだが。


「弟から聞いたよ。シーラ殿に褒められるなら本物だ。セーラレインも安心だな」

「親父が言ったように、順番は守れよ」

「俺たちの一番年上の義弟か!」

「親父と婆様が1度ずつしか歌わせられなかった剣を歌わせたそうだな。今度聞かせてくれよ」

「そのうち俺たちともバーベキューしようぜ」

 誰が誰だかわからないうちにお兄さんたちも去っていく。


 魔女の塔はまた静かになった。

 俺はようやくヨスコさんに拘束を解かれた。


「……何だったんだろう、今の……」

 俺は呆然と呟いた。ヨスコさんが肩をすくめる。

「まあ、おめでとう。クロノらしいプロポーズだったよ」

「本当に、何をするにしても大騒ぎするのね。おめでとう。ああ、疲れた」

 ヴィオさんが呆れたように言い、大きく伸びた。


 そしてヴィオさんは腰に手を当て、微笑んだ。

「本当はね、私、ちょっとクロノのこといいなって思った時があったのよ」

「私も、少しだけクロノのことが好きだった」

 ヨスコさんも笑った。

 俺はぽかんとして2人を交互に見た。そ、そうだったの?全然気がつかなかった。俺にもモテ期はあったのか。


「クロノ、浮気したらダメだからね」

 サリーさんが俺をにらみ、笑う。俺は慌てて首を振った。

「し、しないよ」

「その度胸があったらね!」

「なかったからこうなったんだ。それもいいよ」

 ヴィオさんとヨスコさんが、サリーさんを両側から抱きしめ、3人は楽しそうに笑った。


「さて、式の準備が始まるのか。花嫁も花婿も世話しなきゃいけないのね。こりゃ忙しくなるぞ、っと」

「できるだけ急がないといけないな、この意気地なしが考えごとをする暇もないくらいに」

 ふたりが笑う。その顔を見ていると、何も変わったことなどなかったみたいだ。


 俺は自分の頬をつねってみた。

「痛、いっ、たぁ!」

 この前縫った方だった。ものすごく痛かった。

「クロノ、何してるの。また傷が開いちゃうよ」

 サリーさんが慌てて駆け寄ってきて、俺の頬を見る。

「またやっとくっついてるんだから、無理したら……わっ」

 大きな瞳が近い。俺はたまらずサリーさんを抱きしめた。


「サリーさん、本当に俺のお嫁さんになってくれるんだよね」

「ええ。そう言ってるじゃない」

「じゃ、今は練習じゃない恋人?」

 変な格好で俺に抱きすくめられたサリーさんは、腕の中でもこもこ動いて体勢を直した後、改めて俺を抱きしめて言った。

「練習は決闘が終わるまでって、そう約束してたじゃない。私はあれからずっと、あなたの本当の恋人のつもりでキスしていたわ」


 ヴィオさんとヨスコさんが呆れているが、かまわない。心の中がじわりとあたたかくなって、そのあたたかいものが体中に広がっていく。

 幸せは、あたたかいのか。俺はサリーさんを抱きしめながら思った。


「俺も、本当の恋人のキス、したい」

「ここで?」

「今」

 サリーさんが戸惑うのを遮って、俺は唇を重ねようとした。


「おめでとう!あら、気が早かったかしら?」

「ほっほっ。ちいと、野暮じゃったかの」

 俺とサリーさんははっとして入り口を見た。

「カズミン!トマ師!」

 王様、開けっぱなしで帰ったのか!


「団長、気にしないで続けてください!いつキシに載せます!」

「団長、おめでとうございます!」

「団長!」

 魔女の塔に続く廊下に人が溢れている。


「陛下が大声でふれ回ってるわよ。今日だけは無礼講だって。まだまだ来るわよ」

 カズミンが俺とサリーさんをまとめて抱きしめながら教えてくれた。トマ師はさっさと壁際のいい場所を確保して、皺くちゃの顔をますます皺くちゃにしている。


「私たちは忙しいから、帰るわ。じゃあとはクロノ、よろしく」

「サリーをしっかり守るんだぞ!」

「え、ちょっと、ヴィオさん!ヨスコさん!」

 俺は人の波からサリーさんをかばいながら叫んだ。2人はさっさと退散し、鍵を閉めた。あああ。


「はいはい、姫魔女はここよ。並んで、敬意を忘れないでね。挨拶した者から帰って、狭いから長居はダメよ。これが婚約者よ、そっちは丈夫だから何とでもしなさい」

「カズミン、そんな!」

 サリーさんを椅子に座らせ、カズミンが場を取り仕切る。俺は愛しいサリーさんから引き離され、モスグリーンに囲まれて揉みくちゃになった。


「団長、やりましたね!」

「おめでとう!」

「おめでとう!」

「や、や、やめてくれ!サリーさぁぁん!」

 俺は訳のわからないうちに胴上げされて、宙を何度も飛びながら悲鳴をあげた。





 王都から遠く離れた町の、美しい湖のほとりに、小さな記念館がある。

 昔この町を治めていた魔女の記念館で、そこには在りし日の魔女の写真や、ゆかりの品物などが展示されている。愛用していた簪や指輪、ドレスや普段着ていたワンピースなどが人気だ。


 魔女の記念館なので展示物には奇妙な物も多くあるが、見学者が気にもとめないくらい隅の方にひっそりと、その一際奇妙な短剣は飾ってあった。

 何度も修理した跡のある古いメガネの隣に展示してある少し安っぽい短剣。それはおそらくもともと短剣として作られたのではないだろう。短剣としてはバランスが歪で、しかし奇妙なのはそこではない。

 短剣は鞘に銃弾を食い込ませていて、おそらくもう抜けないようになっている。

 解説には次のようにあった。


 これは生涯を魔女に寄り添った黒の騎士が、約束を違えたら魔女を斬ると誓った刃である。


 持ち主の名前までは伝わっていない。

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異世界に転生したら、婚約破棄されたわがまま姫魔女の従者になってしまいました。でも何だか俺の前でだけ、えらく可愛いんだが。 澁澤 初飴 @azbora

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