第188話 俺は、何であるのか
「貴様は、何だ。言ってみろ!」
王様の声の圧に押され、目を白黒させながら俺は答えた。
「え、え、殿下の侍従です」
「他に!」
「え、ええと、ヨスコさんの弟子……」
殴られた。
「あ、あの、カズミンにも習いました」
泣きたくなりながら答えると、また殴られた。ヴィオさんとヨスコさんが小声で、いや結構な声で「伯爵!伯爵!」と叫んでいる。ああ、そうだった。
「は、は、伯爵になりました」
やっぱり殴られた。
「貴様がリストアップした男どもの条件は何だ!」
「え、あの、あの、伯爵以上で、二十歳くらいで、借金のなさそうな独身の」
「年は無視しろ!」
「は、はい」
「抜けてるだろう!」
「は、え?」
「貴様は自分の名前も忘れたのか!いくら阿呆な飼い犬でも名前くらい覚えておくものだ、バカ者!」
「え?え?」
王様は俺から取り上げたファイルで俺をばんばん滅多打ちにしながら怒鳴った。
「貴様の名前が抜けていると言っているんだ!」
「俺の名前」
俺はぼんやり復唱した。
「……えっ、陛下、それは、あの」
ようやく俺は言われたことを理解し、呆然とした。そこをさらに殴りながら、王様は宣言した。
「俺は今の貴様になら、セーラレインを嫁にくれてやる!」
ファイルが側頭部にクリーンヒットし、耳元でぱーんと小気味良い音が炸裂して、俺は床に倒れた。
側頭部を殴られた勢いのまま、横になった世界を茫然と目に映るに任せ、俺は自問自答した。
「……俺?まさか俺が?まさか、俺……まさか」
「クロノ、何ぶつぶつ言ってるの?大丈夫、どこか打った?」
サリーさんが慌てて助け起こしてくれる。
俺はサリーさんを見つめた。
「俺はダメです。若くないし、カッコよくないし、頭も良くないし、意気地なしだし、伯爵の地位も領地も全部もらったもので、預かってるみたいなもので、俺のじゃない」
俺が突然そんなことを言い出したのでサリーさんは面食らったような顔をしたが、ふわりと微笑んだ。
「あなたは素敵よ。あなたがダメだと言ったところ、私はちっともそう思わない。あなたのいいところなんていくらでも、私がたくさん教えてあげる」
俺はうつむき、首を振った。その顔をのぞき込むようにしてサリーさんが続ける。
「そんなに若くなりたいなら私、本当に
ヨスコさんとヴィオさんがダメ、本当に危ない!と体中で訴えているが、潤んだような瞳のサリーさんには聞こえていないようだった。
「地位や領地なんてなぁそういうものだ。
王様がファイルを投げ出し、俺が拾って持っていた杖を奪って椅子に戻る。
俺はしっかり見ているのに、聞いているのに、どこか他人事のように感じながらぼんやりとサリーさんを見た。
ああ、きれいな人だ。淡い色の瞳を、なんて真摯に俺に向けてくれるのだろう。
「クロノ、お願い。約束、したよね」
サリーさんが小さく囁く。
約束。うん、たくさんしている。サリーさんとの約束は、俺の拠り所、いつも迷った俺の道標で。
「クロノ、帰ったら、私を」
答えない俺に、サリーさんが答えを誘うように短い言葉を重ねる。
君はそうやって、いつも必死に生きている気がする。だからとても輝いて見える。喜んで、笑って、泣いて、怒って、我慢して、悲しんで、祈って。
「……励ますために言ってくれただけなの?」
くるくると変わる表情が、押し殺した悲しさに染まっていく。そんな顔もきれいだ。けれど、そんな風に見つめられると、俺まで悲しくなる。
「そう……そうよね。急にうんって言ってくれたから、おかしいと思った」
サリーさんが微笑む。何でもない風に笑っているが、悲しみに震える唇だけが今の本当の君だ。
わかるよ。俺にも、君のことは、君のことだから、わかる。でも。
君には幸せになってほしい。だから、俺は。だから、俺じゃ。
「俺は、君にふさわしい男じゃない。……俺は、きっと死んでるんだ」
呆然として、口をつくままに話す。
サリーさんの大きな目がもっと丸くなり、まわりから息を飲む音がした。
俺は思い出した。
ここに来るきっかけになったこと。
俺はあの時、車にはねられて死んだのだ。抗いようもなく、体を超えて意識が沈んでいく感覚を覚えている。魔女の祝福を受ける時に思い出していた。わかったのだ。これはあり得ないはずの2度目だと。
だから、今生きているように見えても、自分でもそう思っていても、きっと俺は死んでいる。何らかの力で生かされていたなら、それはいつ失われるかわからない。
サリーさん。俺は君に会って、失いたくないものを知った。君を守るためなら、何だって投げ出せた。自分の安全なんかもちろん、時には人の、たくさんの人の命だって天秤にかけられるくらいに。
君がもし俺に同じ思いを持ったのなら、いや、持ちそうになっているのなら、俺は君の元にいるべきではない。君は人の命を釣り合わない天秤にかけてはいけない。既に死んでいる、そうでなかったらこれからいつ死ぬかわからない俺に、そんな思いを持つべきではない。
失ったら、つら過ぎる。君にそんな思いをさせたくない。
「だから、ずっと君を大切にしてくれる、若くて優しい人を」
「私だって、明日死ぬかもしれないわ」
サリーさんがぽつりと言った。
「命がいつまであるかなんて、誰にもわからない。私も、あなたも同じよ。それなら、大切な人と少しでも長く一緒にいたい」
サリーさんは投げ出された俺の手にそっとその手を重ねた。
「私、どうしてあなたが急に私の前に現れたのか、ずっと考えていたの。あなたはあなたの言うように、他の世界で死んでしまって、偶然迷い込んできたのかもしれない。でもね」
サリーさんが重ねた手に力を入れて、きゅっと握る。
「私は、私にあなたが必要だから、私のところに来てくれたんだと思う。きっと私は、あなたのご家族より、もしかしたらあなたのお母様よりずっと、あなたのことが必要なの。だから神様が連れてきてくれたのよ」
サリーさんの大きな目が真っ直ぐに俺を見つめる。
「私のところに来てくれてありがとう。だからどうか、私を選んで。私と一緒に生きて。お願い」
俺は、しかしその手を握り返せなかった。
「……無理だよ。俺じゃ君を幸せにできない。俺は、そんな立派な人間じゃない。できないよ」
サリーさんはうつむいたが、ふと顔をあげた。
「クロノは私と結婚したら幸せになれそう?」
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