捜査編(Dパート)

 さくらからの報告を受けたつばめは、仕方なくゴッドプロレス本社から出ると、一足先にその場をあとにしていた彼女と合流し、情報を纏めるためにいつもの喫茶店──都内最安値の格安チェーン店──へと向かった。

「で、どうだった? 聞き込み」

 ホットコーヒーにミルクだけ入れて、つばめは一口運ぶ。カフェインは頭脳労働には欠かせない。

「鹿山さんは、あまり評判が良くなかったようですね! 大変にショックでした! しかし仕事ですので色々聞いて来ました。彼はなんでも元極道の父親がいて、そのセンかどうかは分かりませんが、半グレ団体に所属していたようです!」

「あら。現役だったってこと?」

 さくらは運ばれてきたイタリアンプリンを目で追いながら、まずは話を終わらせようと、誘惑を断ち切った。

「そうなります! 神野さんは隠してらしたようですが、古川さんや一部のレスラーの皆さんは分かってらしたようです! どこの世界も、そうしたスキャンダルには弱いですからね! 古川さんが仰ることには……」

 さくらにしては慎重な様子で、手を添えて小声で話を続けた。

「神野さんは、ポケットマネーでお小遣いを渡していたようです。鹿山さん、ことあるごとに自分が半グレだと言いふらそうとしていたらしいですね! つまり……」

「口封じってこと、ね」

 二重の意味であった。鹿山はおそらく、ミイラ取りがミイラになったのだ。あまり擁護も共感もできないが、どんな悪党だろうと、殺される謂われはない。日本は法治国家であり、つばめはその法を守り国民を守る護民官だからだ。

「ちくわの件はどう?」

「それについては……申し訳ありません! 有益な情報はほとんどありませんでした。キャップが仰ってたように、トレーニング前後にそんなものを食べる者はいないということくらいで……」

 トレーニング中に食べる者は、いない──確かに神野が言うとおり、体には良いはずだ。だが運動前後に食うには相性が悪い。なぜそんなものを被害者は気にしていたのか?

 どうでもいい情報だが、何かが引っかかる。つばめは唇をとんとん指で叩きながら、思考を巡らせていた。

 その時であった。さくらのスマホがぶるぶると震え、喫茶店内にもかかわらず彼女はそれを即取ったのだ。

「はい、菊池です! ……古川さん! はい、ありがとうございます! 先程お伝えしたお店でお待ちしています! はい! では!」

「さくらちゃん。駄目じゃない店の中で携帯使っちゃ」

「あっ! も、申し訳ありません!! ……キャップ、実はこれから葉山さんがこちらに来てくださるんです」

 意外な名前だった。第一発見者の葉山は、昨日から話をまだ聞いていない。直接話もしたかったところだし、渡りに船だ。

「本社には居なかったの?」

「たまたま不在にしてらしたのです! 練習生は当番制で買い物したり食事を作ったりするのが習わしだそうで! 古川さんが時間を作るとこちらに寄越してくれることに──」

 遠くで入店を知らせるチャイムが鳴る。つばめが振り向くと、ゴッドプロレスのロゴ入りの青いジャージ、坊主頭の大きな体の青年が立っていた。

 さくらが手を振って、こちらへ来るように促すと、彼はウス、と小さく気合を入れて、二人の間に椅子を引き込んで座った。

「葉山さん、わざわざ来てくださってありがとう。ほんとはこっちのさくらちゃんにお願いしようとしてたんだけど、せっかくだからいろいろ聞かせて頂戴」

「ウス、もちろんです。なんでも聞かはってください」

「確か、亡くなった鹿山さんからメッセージが来たから、道場にいるかもしれないって思ったのよね。それが来たのは何時頃?」

「二時半ですわ。で、自分が探しに行ったのが五時半。その一時間前には自分が点呼しているのを確認しました」

「わたし、それがわからないのよね……鹿山さんって、ローン・ウルフとしてマスクをしてらっしゃるでしょ? 本当に彼だったかなんて断言できるの?」

「……それを言われると、まあ……後ろ姿で声も聞いてませんし、タトゥーも見てないし……」

「タトゥー?」

「ローン・ウルフ選手は、首にチェーン型のタトゥーを入れているんです!」

「そういえば、監視カメラに映ってたマスクマンも首に何か巻いてたわね……じゃあ、もしかすると同じマスクをしてた別人の可能性もあるってこと?」

「……ローン・ウルフのマスクは何枚かありますからね。聞いたかもしれまへんけど、鹿山さん、試合前にどっか行ってまうこともあって。つなぎに自分が代わりに被ったこともありました。ああ、社長も昨日被ってましたわ」

 被害者のマスクを複数の人物が被っている事実は、つばめの推理をさらに進展させた──が同時に新たな謎も生む。

 あのマスクを被っていたのは少なくとも、鹿山ではない。では誰なのか?

「葉山さん。ローン・ウルフ選手のマスクは何枚あるのかしら?」

「三枚ですわ。鹿山さん、マスクマンなのにマスクが苦手で、普段用と試合用を持っとったんですけど、あんまり普段用をつけへんかったんです。で、予備用に保管してあるマスク……こっちは試合用と同じデザインで。……アレ? でも変やなあ」

「なにがおかしいのでしょうか!?」

「予備用のマスク、一週間前の試合で汚れてもうて、俺が家で洗濯しとるんです。刑事さん、鹿山さん、マスクして出てきはったって言うとりましたよね?」

 そうだ。微かに覚えていた違和感。マスクをして出てきたはずの鹿山は、素顔のまま殺されていた。

 そしてそのマスクは神野が持っている。

「そ、それじゃあ神野さんが鹿山さんを殺したように……!」

「さくらちゃん。声が大きい。……それなら話が早いわね。大体わかったわ。でも、本当に神野さんが殺したとするなら、まだ足りないわ」

「それは、一体……?」

「ちくわよ。言ってみれば鹿山さんの残したダイイングメッセージなわけじゃない? 気にならない?」

 葉山はぽかんとあっけにとられたような表情で、こちらを見つめていた。確かにしょうもないことで悩んでいるとは思うが、つばめはそれが引っかかってしまってしょうがない。

 そして、案外それが重要なことが多かったりするのだ。

「あの……それ、そんな重要ですの?」

「重要よお。なんでちくわなのか。食べたのか……それはいつなのか……もしかしたら殺された時間がわかるかもしれないし」

 彼が言いづらそうにしているのが、つばめにもわかった。彼はなにか知っているのだ。そしてそれが、彼の所属するゴッドプロレスにトドメを刺すことになると直感しているのかもしれなかった。

「じ、実は──」

 葉山はこわごわと口を開いた。




 新宿駅前に、ステーキハウス『ジャイアン』という店がある。神野が食えなかった時代から胃袋を支えてもらっていた恩人がやっている店で、毎月必ず一人でこの店を訪れることにしていた。

「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

 神野が注文し終えて数分経った頃、店の入口の人影にホール担当の店員が声をかけた。ひょろりと長いシルエットは、どことなく挙動不審にしている。

「あ〜……いや一人といえば一人なのだけど。こちらに神野さんがいらっしゃると聞いていてえ」

 聞き覚えのある声にうんざりしながら、神野は目線を入り口に向ける。案の定、そこにはつばめが立っていた。

「刑事さん。どしたい。ステーキを食いに来たのかィ」

「あら神野さん。古川さんに聞いて来たのだけど。あのう……よろしければお食事ご一緒して構わないかしら? 実は今日お昼もまだで」

「そうかィ。まあこっち来て座んなよ」

 一番安いハンバーグステーキセットを頼むと、つばめは神野の目の前に座り、微笑んだ。

「で? なんか用かい。俺はステーキを楽しみに来たんだがねェ。あんまり血なまぐさい話は聞きたかねえが」

「あ〜……なんていうかその。色々分かったのだけれど、それはそれでわからないことがあるというか……要は行き詰まっちゃったのよ」

 行き詰まりもするだろう。そもそも外部犯に殺された鹿山を、身内に殺されたと言い張っているのだから。神野は自らの犯行を反芻しながら、なんども想定問答を繰り返した。新しい技を相手に仕掛けるタイミングを図るように。

「行き詰まりねえ。どう行き詰まってんだい」

「社長さんにもお伝えしたわね。ちくわ。アレがどうしてもわからなくって。あと、もう一つ謎が増えちゃったの」

「謎? どんな謎だィ」

「実は、鑑識の方から検視結果が回ってきて。胃の内容物にちくわは見つからなかったのよ。つまり彼、ちくわ食べてないの」

 押し黙るのはまずいだろう、と神野は直感していた。リングの上で棒立ちになるようなものだ。動き続けねば、事態は打開できない。

「そりゃ……食わなかったんじゃねえのか」

「ちくわについて葉山さんの方に連絡があったのは二時半よ? 試合まで時間は充分あるはずですわ。社長さん仰ってたじゃない。ちくわが食べたくって怒ってたこともあったって……」

「じゃ、こう考えたらどうだい。やつはちくわが食いたかったが切らしてた。だが試合前に変なものを口にしたら差し支えるから控えた。……もしくは食おうとしたができなかった。殺されたせいでな。……なあ、刑事さんよ。そんなにちくわとやらが大事か? 俺にはとうていそうは思えないぜ」

 じゅうじゅうと耳に美味しい肉の焼ける音が、神野をさらに苛立たせた。サーロインステーキセットが運ばれてきたのだ。こんなどうでもいい話をするくらいなら、さっさと肉にかぶりついてしまいたい。

「じゃ、神野さんはあくまで『鹿山さんは切らして怒るくらいちくわが食べたかったけれど、食べなかった』と思うわけね?」

「そうだよ。俺は今ステーキが食えなくて怒りそうになってるがな。聞きたいことはこれで全部か?」

 神野は返事を待たずに、ステーキにナイフを入れた。なにがちくわだ。俺はとにかくこのジャイアンのステーキが食いたいんだ。鹿山なんぞのために、いちいち時間を割いていられない。

 そんな態度を汲んでか知らずか、つばめは指で唇に触れ、にっこり微笑み──何故か指を鳴らした。

「大変よくわかりましたわ、社長さん。質問は以上です。お食事邪魔してごめんなさいねえ。……あの、ハンバーグステーキセットって包んでもらえる? 私、鉄板の上でお肉食べるの、油が跳ねるから苦手で──」

 店員が快く持ち帰りの準備をしている中、神野は少し不機嫌そうに切り分けたおおぶりの肉を口へ運ぶ。脂がとろけそうだ。じわじわと脳に多幸感が注入される。

 機嫌が良くなった神野は、帰りしなのつばめに嫌味でも言ってやろうと、口をナプキンで拭って、脂を生ビールで流し込んだ。

「……刑事さんよ。レスラーの矜持ってもんを教えてやる」

「大変興味深いわね? 教えていただけるかしら」

「俺たちは逃げねえ。どんな相手だろうと、百パーセントの力を引き出してそれ以上の力で仕留める。それでファンは喜ぶ。ファンの声は俺たちの力になって──何度カウントを取られようが、三秒に近づこうが立ち上がれる。……俺をどうしても逮捕フォールしたいってんなら、もっと確実な証拠フェイバリット・ホールドを持ってきな」

 つばめはハンバーグステーキが包まれた弁当を手に下げながら微笑み、頭を下げた。

「大変よくわかりましたわ。では、また──」




 事件後、警視庁捜査一課執務室にて。

「と、三条警部補はハンバーグステーキセットを持ち帰り……ってダメでしょ、さくらちゃん」

「ダメでしょうか!?」

「ダメっていうか……勤務中に堂々買食いしてるのを捜査報告書に書いたら私怒られちゃうわ。ここは書かなくていいから、表現削って」

 非番は潰れて週休が待ち遠しいつばめにとって、さくらの書類仕事の面倒を見るのは辛かった。捜査はともかく、こうした内勤書類仕事は嫌いなのだ。

 赤ペンだらけになった捜査報告書の原稿を持ち帰るさくらの背中を見ながら、彼女に声をかける。

「さくらちゃん、とにかく今やってるところ完璧にして頂戴。後は私が引き受けるから」

「わかりましたーっ!」

 さくらの元気な返事を聞きつつ、デスクにおいてあるマグカップに手を伸ばし、コーヒーを啜った。

 そして、椅子をくるりと回転させると、つばめは『こちら側』に目線を合わせた。

「さて……今回の犯人はストロングスタイル。多少のアラがあろうとも、力押しで犯行をねじ込んだわ。でもねじ込んだゆえに完璧な犯行にはならなかった。犯人はもちろん神野さん。アリバイを崩すヒントは『私達警察もよく使っているけど、神野さんは気づかなかったもの』。みなさんもどうか考えてみて頂戴。三条つばめでした」

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