捜査編(Cパート)

 翌日。

 早朝からつばめとさくらは全楽園ホールの管理事務所に足を運んでいた。目的はもちろん、ホールの出入り口に設置されている監視カメラの映像だ。

「ホールの監視カメラは裏口と正面入口、エレベーターと階段にしかありません。何分歴史ある会場なもので」

 管理会社の職員はモニタを指差しながら解説する。さくらは証拠を見逃さないつもりなのか、食い入るように観察している。おおまかなところは任せるとして、つばめが注目したのは、裏口のモニタだ。

「この体つきの良さは、レスラーの皆さんね」

 昨日午後一時をすぎると、縦に横に大きい屈強な男たちが、スタッフに混じりながら裏口から続々と入場し始める。数人が『ゴッドプロレス』のロゴマーク入りのTシャツやバッグを持っているのが確認できた。つまりこの中の誰かが被害者かやまだということになる。

「見てください、キャップ! ビッゲスト井手尾さんが入場しています。さすがに体が大きい……扉が小さくて大変そうですね!」

 さくらが当たり前のことを言うのを後目に、つばめは曖昧に返事をしながらも映像の確認を進めていく。三時になり、四時になり──正面口から神野がファンにもみくちゃになりながら会場入りする。

「変ねえ」

「キャップ、何かありましたか!?」

「鹿山さんが入場してないわ。……ごめんなさい、少し映像を戻してくださる?」

 巻き戻し、再生を開始。四時頃に、覆面マスク姿でストールを巻いた男が裏口を通り過ぎる。同日には何名か覆面姿の人間が通り過ぎているが、いずれも衣服から覗く肌の色や身長などの人相着衣ニンチャクが被害者とは異なっていた。

 しかしこの男だけは別だ。身長や体格がかなり鹿山に似ている。口元はストールや角度から分かりづらいので断言はできない。さくらに確認しようとする前に、彼女は興奮気味に口を開いていた。

「おおっ、キャップ! この人がローン・ウルフですよ! 神野さんとも近々マッチするとも言われていて……」

「……まさかこの人が鹿山さんじゃないでしょうね? 人相着衣は確かに似てるけど、顔が隠れてるから断言できないんじゃないの?」

「むむ……消去法でいうとそうかもしれませんが、プロレスにおいて覆面レスラーの正体に言及するのはご法度ですよ!」

 四時半過ぎに、再び同じ覆面をつけた男が裏口から外へと出ていった。そして、正面から四時四十分に神野が姿を現す。さくらがそこで映像を止めると、映像に指をさした。

「キャップ! この映像から見ると、仮に! ローン・ウルフが鹿山さんだとすれば、の話ですが……この足で西新宿の道場に向かったことになりますね!」

 さくらの言うとおり、時間的にもここから道場にすぐ戻ったことになる。そしてトレーニングをしている最中に殺された。

 理屈は通る。しかし違和感は拭えない。

「あのう……お話し途中で申し訳ないんですが、いいですか」

 二人の後ろでおずおずと声をかけてきたのは、このモニタールームに案内してくれた全楽園ホールの管理職員だ。

「どうぞ」

「ローン・ウルフ選手ですけど、彼すごい外車を持ってて。普通、プロレス団体は同じバスで移動することがほとんどなんですが、都内の会場ならいつもそれで移動していました。でも、昨日から車が駐車場に置きっぱなしなんですよ」

「……それは変ねえ。私達ここからタクシーで事務所に行ったけど、車で二十分はかかるわよ」

 歩きで一時間かかる距離をわざわざ戻って、試合前にトレーニングをするのは不自然極まりない。つばめは唇に触れながら、違和感を整理する。

「タクシーを拾ったのかもしれませんね!」

「自家用車があるのに? だいたい、試合前にどうしてトレーニングする必要があったのかしら?」

 さすがのさくらも首を傾げて唸ったが、答えは出てこなかった。つばめも同じだ。それに、プロレスラーにはプロレスラーの常識というものがあるのかもしれない。関係者への聞き込みが必要になりそうだ。

「さくらちゃん。ゴッドプロレスの本社はどこにあるのかしら?」

「ええと……六本木ですね! 古川さんも、何か用があればそちらにと仰っていました」

「わかったわ。さくらちゃん、聞き込みお願い。レスラーの皆さんに、被害者が何か恨みを買ってなかったか……あとそうね、ちくわについて聞いて頂戴」

 そう聞いて、さくらはおお、と感嘆の声をあげ、手元の手帳の空白ページを確認し始める。ミーハーで素直すぎる性格ゆえに刑事としての資質に欠け、失敗を重ねてしまい、こうして変わり者のつばめとコンビを組んでいる彼女だが、素直がゆえに見合った仕事を任せるとキチンと仕上げてくる。言いにくいことも悪気なく聞いてしまうので、聞き込みは得意中の得意だ。

「わかりました! キャップはどうされますか?」

「私はもちろん、神野さんに当たってみるわ」





 真新しい社長室は、新鮮だった。全てが新品の応接セット。弟子たちと混じってトレーニングをしなくてもいいように、神野専用のトレーニングセットまで据え付けた。

 長かった。

 思えば、客がほとんど入らないような地方ドサ回りから始めて、今や国内一の団体まで成長した。このビルを建てるまでに時間も金もかかっている。喜びもひとしお──何より鹿山というたんこぶも消えた。神野にとっては万々歳というわけだ。

 コーヒーを淹れて飲んでいると、扉の外から古川の声が聞こえてきた。

「なんだい」

「社長、三条さんがお越しです。お通ししてよろしいですか」

「へえんな」

 扉が開くと同時に、笑みを浮かべたつばめの顔が現れる。厄介事の最後の一つ。いわば人生という名のベルトの防衛戦だ。生憎、挑戦するより防衛戦の方が得意だ。この刑事には悪いが、早々にお帰りいただこう。

「おう、刑事さん。どうだい調子は」

「どーもお。お忙しいところごめんなさいねえ。社長、今お時間よろしいかしら?」

「あんまり構ってもいられねえが、鹿山の仇をとってくださる刑事さんだ。無下にもできねえな」

「ご協力感謝しますわ。それで、色々わかりましてえ……あ、こちら座ってよろしいかしら?」

 つばめは返事を待たずに応接セットのソファに座ると、机に無造作に置いてあったトロフィーを指さした。

「あらまあ。コレ、チャンピオンになったら貰えるの?」

「そいつはテレビに出た時にもらったやつだ。トークがウケたとかでな。プロレス関係は壁際に飾ってある方だ」

「まあ、そうなの? 社長、そういえばよくテレビで拝見しますわね? 私、テレビ大好きなの。あの……なんていうのかしら。エピソードトーク? ああいうのって、ちゃんと練ってから出演されてるのかしら? みなさんいつもお話しが上手なのねって、私とっても感心しきりで……」

「んなこたあどうでもいいよ。で? 俺に聞きたいことがあるんだろ?」

 神野は思わず苛立ったように、そう話を切り出した。あまり時間もかけたくないし、なによりどうでもいい話に付き合っている義理もない。

「ああ、そうなんですの! 私ったらいつも話しすぎちゃって……それで、鹿山さんのことなんですけど、車に乗って事務所から会場へ向かったそうなんです」

「ああ、あの派手な車な……」

「それで、その車が会場に残っている……これって、私変だと思うのよね。会場と事務所は車で二十分、歩くと一時間は離れている……開場直前に鹿山さんと思われるマスクマンが出ていく映像は確認できたから、そんなギリギリに出ていくのなら車を置いていくのは変じゃないかと」

「確かに変といやあ変だな。まあ、あいつもよくわからんところがあったし、開場前にフラフラ出ていくのも一度や二度じゃねえ。あいつのマスクを他の連中に被らせて急場を凌ぐなんてのもしょっちゅうよ」

 苦しい言い訳、というわけでもなかった。事実鹿山はかなり気まぐれで、試合開始に遅れることすらあった。それを利用して『ローン・ウルフが弱いと思ったら中身が偽物、後から本物が登場する』というギミックの試合すら組んだことがあるのだ。

「じゃあ試合に間に合わないかもしれないのに、徒歩で事務所に帰ったのも?」

「ありうる話だろ。それにやつの試合は後半だし、帰りはタクシーに乗りゃあチャラだ。何考えてたなんて、いまとなっちゃわからんがな」

「なるほど……考えてみればそうよねえ。なんだかごめんなさいねえ、社長さん。私、もしかしたらと思って先走っちゃって……」

「全くだ。あと俺に聞く必要あったのかィ?」

「おおありですわ、社長」

 つばめはそう言って微笑むと、出入り口へと足を向け、ドアノブへ手をかけた。

「あ、そうそう。ひとつだけ伺い忘れたことが……」

「なんでェ、終わったんじゃねェのかい」

 神野は思わず笑ってしまったが、内心穏やかではない。何かこいつは隠し玉を持っている。油断はできない。

「ごめんなさいねえ、私ったらうっかりしてしまって……それで聞きたいことなんですけど……鹿山さんって、ちくわお好きだったのかしら?」

「……知らねえよ。ないっつって怒るくらいだ。よほど食いたかったんじゃねえのか?」

「いえね、私思うのだけど……ちくわって結構こう……モソモソしてるじゃない? 運動前に食べるのはなんだか変な感じするし、運動した後だと喉に引っかかりそうだと思うの。仮にもアスリートである鹿山さんがそんなことするかしらって」

 つばめは妙なところで引っかかっているようだった。神野はそれがどうにも居心地が悪い。わざわざそんなことを自分に聞くのは何故だ?

 決まりきっている。牽制だ。

 だが俺には決定的なアリバイがある。そんなどうでもいい情報を集めても、全楽園から出た鹿山が俺だと証明できなければ意味がない。

 フィニッシュホールドが返せなければ、カウントは止まらないのだ。

「じゃあ、こういうふうに考えたらどうだ? 鹿山はちくわが食いたくてしょうがねえから食った。無くて怒ってたくらいだ。相当食いたかったんだろう。で、あんたが言うとおり、食った前後にトレーニングはできねえ。で、開場前になってトレーニングがしたくなったから道場へ行った」

「開場前にトレーニングをするのはどうしてなのかしら? 社長もおやりになるの?」

「もちろんだ。プロレスはきちんと体を仕上げねえと怪我するからな。まあ準備運動みてえなもんだ。会場の中でやりゃあいいものを、わざわざ道場に戻ってやるのがヤツらしいといえばそうだが……」

「なるほど……たいへんよくわかりましたわ。確かに筋は通ってる」

 つばめは納得した様子で笑い、今度こそ扉の外へと体を向けた。

「何か分かったら、また伺いますわ。それでは……」

 防衛戦は成功した──はずたった。それでも神野の中には何か違和感──ズレのようなものがある。

 そんなはずはない。

 神野はこれまた真新しい椅子にどっかと身を沈める。苦しげな音が自分の混乱を物語っているような気がして、さらにうんざりする。

 カウントは2.99。まだ勝負の余地はある。つまり、相手にとってもまだ逆転の目は残されているのだ。 


続く

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