老人の一歩~1~

2、

「登!起きなさい!」


聞き覚えのある女性の声がする。だが、異様に来る睡魔のせいだろうか。私は反射的に言葉を発した。


「う~ん…あと五分だけ…」

「バカなこと言ってるんじゃありません!あなた、もう学校にいかないといけない時間でしょ!」


女性の怒号が響き渡る。またもや反射的に言葉が出る。


「え、ほんと?!すぐ準備します!!」


私は飛び起きた。そして、怒号の発生源が何かと声がしたほうに目を向ける。

……母であった。母であったのだ。ずっと、ずっと前にいなくなってしまった母であったのだ!驚いた。落ち着いていられなかった。母に声を掛けよう、そう思った。

しかし体が言うことを聞かない。小学生である私の体は学校に行くための準備をし続ける。ランドセルを準備し、教科書を入れ、今日は体育があるのだろう。体操服まで…止まれ!私の体!今は…今だけは!私に母と話させてくれ!たくさん、本当にたくさん言いたいことがあるのだ!頼む!お願いだ!!!


………そう願う気持ちとは裏腹に体を準備を終え、玄関までたどり着いた。


「いってきます。」


そう私の体は口にする。絶望だった。早くに死んでしまった母とやっと再開できたと言うのに。私の体は望むことを叶えてくれなかった。私の体は玄関のドアを開ける。


「登…?」


母が私に声をかけてきた。まさか、まさか私に!


「傘忘れてるわよ」


涙が流れた。目からは何も流れてない。けれど、間違いなく泣いている。悔しかった。病室で動くこともほとんどできない現在の私と重なって。とてつもない無力感が私を襲った。

しかし、体はそんなことお構い無しに傘を母から受け取り、家を出る。




…………しばらく歩いた。学校までは私の当時の家からだとかなりの距離がある。

時間が立つことで私も少し落ち着くことができた。どうやらここは私が小学生三年生だった時代らしい。ただ体の自由は効かず、ひたすらに決まった道筋を進んでいるようだ。


あの青年、いや館長と言うべきか。館長の言うとおりだ。あくまで私は過去・・辿らなければ・・・・・・いけない・・・・ようだ。そこに私の自由意思は存在してはいけない。私は決まった事実を辿ることしかできない。

そして、絵の中にいる間はこれから起こる出来事を思い出すことができないようだ。私は今記憶に靄がかかったようになっている。自我が崩壊するほどはならないものの、大切な記憶であったはずのものは思い出せない。


こうやって思考の波に飲まれている間にも体は動いている。私はいつの間にか学校に着いていた。


「はあ…今日も学校か」


私の体は言葉を発した後、大きなため息を吐く。そしてどこか声が重い。このときの私は学校を嫌がっている…?何を嫌がっているのだろうか。

私が疑問に思っていると、体は門をくぐり教室に向かう。教室につくと席に座る。教室のなかは賑やかで、教室の所々にグループであろう円ができていて時々笑い声が聞こえてくる。

私はそんな中に入れないようで机に突っ伏して寝始める。


少し思い出した。私は一人だったのだ。

この頃、人の輪に加わることが苦手だった私は小学校で友達を作ることができなかった。特にいじめられていたわけではなかったのだが、一人で誰とも喋らずに家に帰る日々は辛かった。


机に突っ伏した私に誰かが声を掛けることはないまま、授業は始まる。

私は不真面目な生徒ではなかった。先生の言葉に耳を傾け、ちゃんと授業を受けている。

だが、休憩時間はあいもかわらず机に突っ伏している。

そんなことを繰り返しいつの間にか学校が終わる。

私はランドセルを背負い、帰る準備をしている。教室には私以外に人はいない。どの子も友達と遊ぶために帰る準備も適当にさっさと出ていったのだ。

寂しい。そんな感情が伝わってくる。

当時の私は友人を作る努力が出来ていなかったし、わかってもいなかった。そのためこんな感情を持つこともある意味自分勝手と言える。けれど、存外人とコミュニケーションを取ることは難しいものである。そして時々そのハードルを越えることのできない子供もいるのだ。

ただ、私の起点としては弱くないだろうか。そう思った瞬間だった。


「ねえ、湧水くんだよね?」


驚いた。誰もいないと思っていた教室で声をかけられることにもだが、なにより私に声をかけることに驚いた。驚愕から声が出なかった。しばらく沈黙が続く。すると、その沈黙を突き破るかのように彼はまた声をかけてくる。


「えっと、間違えてるかな?」


この頃の私もさすがに返事をしないのは不味いと思ったのだろう。なんとか声を絞り出し、返事をする。


「あ、えと、は、はい。僕が湧水です」

「よかったぁ~。間違えていたらただの恥ずかしいやつになるからさ」


彼はそう言って笑う。

懐かしい。何も思い出せないものの彼のことを眺めているとそう思った。


「あ、あの僕に何か用ですか?」

「あぁ~えっと、特に用事があるわけではないんだけどさ。一緒に遊びたいなって思って。」


なかなかに変人である。少なくとも教室で一人ポツンと立っている話したことすらない人間に遊びたいなんて思わないであろう。


「な、なんで僕と…」

「う~ん………」


彼は考え込む。そしてしばらくすると思い付いたようで大声で言う。


「なんとなく!」


間違いない。変人だ。


「な、なんとなく、ですか」

「うん!なんとなく。授業が終わって帰ろうとこの教室の前を通りすぎたときに君が見えてさ。ピンと来たんだ。あ、この子と遊ぶと楽しそうだ!って」


子供の行動力とは恐ろしいものである。普通そう思ったとしてもここまで突然距離を詰めることはできないものだ。まあ彼の性格がこの行動の主な原因だろうが。


「さ、行くよ!家でゲームでも一緒にしよう」

「え、え、え?ちょ、ちょっと待って。引っ張らないで~」


普通知らない人が突然こんなことをしてくれば距離を空けるだろう。しかし、この頃の私は友人に飢えていた。私にとってこれは救いであった。

そうだ。救いであったのだ。

思い出した。彼は、彼は!

世界が揺らぎ始める。

元のところに戻ってしまう。そう本能的に理解した私は必死に手を伸ばす。何故かそのときだけは体が言うことを聞いた。


「湧水くん?どうしたの?」


そんな声が聞こえた瞬間世界は反転した。そして、私は気を失った。


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追憶の博物館 @ayunko09

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