追憶の博物館

@ayunko09

プロローグ


声が聞こえる




川のせせらぎのような透き通った声が




「君は優しいな」




女性の声だ。しばらくすると違った声が聞こえる。




「お前は優しいよ」




男の声だ。そしてまたしばらくすると違った声が聞こえる。




「あなたは優しい子ね」




女性の声だ。少しノイズが乗っている。




そして次の声を待った。するとしばらくして壊れたラジカセのように「優しい」という言葉が鮮やかでない淡々とした声で繰り返されるようになった。








耳障りだ。














消えて欲しい……………そう思った。




……………




………




……







見知らぬ天井だ。やたらと白く、普遍的な照明がポツンと一つだけある。つまらない、そう感じた気がして体を起こし周りを見回した。




「眩しい」




つい声が出た。窓の外からの日差しに反応した自分の声は酷くしわがれている。違和感を覚え、首をひねる。




ガラガラガラ、ドアを開ける音がする。




「湧水さん、おはようございます。体調はどうですか?」




そう言って白い服を着た女性が声をかけてきた。……思い出した。私は湧水登だ。今はガンにかかってしまい、かなり進行していたため入院している。家族は息子だけだ。家内は先にいなくなってしまった。


そうやって自分のことを頭の中を整理するかのように思い起こしていると、看護師は違和感を覚えたのだろう。もう一度声をかけてきた。




「湧水さん?大丈夫ですか?」




はっとして返事をした。




「大丈夫です。少し窓から差す日差しに当てられてぼーっとしておりました。」




私の声を聞くと看護師は安心したように声を発した。




「そうですか。眩しいのならカーテンを閉めますがどうします?」




少し悩む。確かに窓から差す日差しは眩しい。だが、太陽の光を浴びているのは気持ちがいい。体を大きく動かすのが難しい今、外の景色に触れることができるのは窓からだけなのだ。どうしよう…そうやって悩んでいると看護師が微笑んだ。




「ふふ、湧水さんが悩ましそうなので開けておきますね。」




そう言って看護師は私にいつも通りの検診を始めた。その間私は時々看護師が聞いてくる質問に答えながら窓の外を見ていた。外からは無邪気な子供たちの声が聞こえてくる。この病院の隣は学校なのだ。その楽しそうな声に耳を傾けていると検診が終わったようで看護師が私に軽く声をかける。




「今のところ異変はないですね。何か体に違和感があったらナースコールしてくださいね。すぐ来ますので。」




そう言って看護師は出ていった。私は再び外を見つめる。空は雲一つなく太陽が我が物顔で空を支配している。そのような捉え方をしてしまうのは私がひねくれているからだろう。




3年前の65歳のとき、私はベッドから離れることができなくなってしまった。病気とは怖いもので気づかぬままに進行していた。体に違和感を覚え病院に行くころには緊急手術をしなければいけないほどであった。そして3年間私は病床に縛られている。もともと体がひ弱なこともあり良くなることはなく、ずっと症状の波に踊らされている。


もちろん余命宣告もされている。私が窓から空を見つめることができるのもあと2日がいいところだろう。死が身近になっていることを日々感じる。




そんなことを考えていると突然周りの景色が変わる。




「な、なんだ?」




驚き、つい声が出る。ベッドの周りを囲んでいた真っ白い壁も、唯一外と繋がっていた愛しの窓もそこにはなかった。周りには額縁に飾られた写真のようなものが壁に多数かけられていた。他には何もなく殺風景であった。博物館のようなものだろうか?そう何故か冷静な頭で思考していると、背後から声がした。


「いらっしゃいませ。お客様。」




そんな突然の訪問者に驚き、声が出る。




「だ、誰ですか?」




後ろを振り返ると、背が高く体が細い顔の整った青年が立っていた。




「申し遅れました。僕はここで館長をしているものです。」




ここはどこなんだ、そんな疑問が私の頭を巡る。すると目の前の青年はそれを見透かしたかのように続ける。




「ここは欠片の博物館。現実と夢の狭間にある博物館です。現実に息苦しさを感じ、過去にすがり付きたい。そう思った方が訪れる場所です。ここでは訪れた方の過去の記憶が展示されます。貴方がすがり付きたいと思った記憶から触れたくないと拒絶する記憶まで。全てが展示されます。その記憶を貴方は辿る義務があります。この場に来るということはそういうことです。」




少し今の状況を理解した。実際ベッドの中で動けない現実には嫌気がさしていた。そして私は過去に戻りたいと思っていた。ここに来ることも合点がいくほどに。ただまだ少し現実味のない話に困惑はしている。




「冷静になるまでお待ちしておりますのでご安心ください。」




困惑はしているのだが、なぜかここに来てから冷静ではいるのだ。




「私は大丈夫です。多少困惑はしていますが状況を理解することはできました。」




そう私は声に出す。すると自分の声に違和感を覚える。先ほどまでは自分がいる場所に気を取られていて気付かなかったが、病室でいた時のようなしわがれた声ではなくなっているのだ。窓の外から聞こえていた小学生の声のようになっている。




「鏡を見ますか?」




青年はそう言ってどこからともなく全身が見えるほどに大きい鏡を出してきた。私は鏡がどこから出てきたのかと困惑しながらも鏡を覗き込んだ。


私は小学生に戻っていた。顔も体も60年ほど前の私そのままだった。ここは現実と夢の狭間だと言っていた。だからありえないことはないのだろうが、何故小学生なのだろうか。




「私はなぜ姿が変わっているのでしょうか?それになぜ小学生に?」


「それはあなたが忘れられないと思っている記憶の数々の一番最初が小学生の記憶だからでしょう。改めて言いましょう。あなたは過去を辿る義務がある。辿るために適した姿にあなたはこれから変化を繰り返すはずです。」


「義務、ですか。」


「そう。義務です。過去にすぎりついた人間は全てを思い起こす必要があります。理由を僕から説明することはできませんがしなければならないのです。」




過去を思い起こす。それは多くの人にとって苦しいことだ。何故なら今を生きる自分より過去を生きる自分は未熟なのだから。今の自分に過去の自分を変えることはできない。どれほど後悔しても過去の失敗はあくまでもう終わったものなのだ。


湧水はどこか遠くを見つめている。その表情はどこか儚く憂いに満ちていた。今にも崩れそうで、しかしながらその崩壊を年季の波で押さえつけている。そんな様子だった。




「……私が思い出すことに何か意味があるのですね?」


「はい。そうです。」


「それは義務以外の意味なわけですね」


「はい。あなたにとって、これは義務であるだけではありません。」




会話が途切れ沈黙が広がる。




パン!




そんな音が沈黙を破る。湧水が自分の頬を叩いた音だ。




「私は怯えています。さながら子供の頃のように不安定で……そして未知が溢れている。今の私は多くの年を経て成熟し、心のざわつきを平静に落ち着けることができる大人からは程遠い。…でも、だからこそ私は怯えるだけじゃない。ワクワクしている。老い先短いと決まっていた私に大きいチャレンジが訪れたのだから。」


「きっと、これは苦しいことですよ?」


「それでもです。」


「そうですか。なら共に参りましょう。」


「はい!」


「では、………雋エ譁ケ縺ョ縺薙l縺九i縺ォ蟷ク縺帙′貅「繧後k繧医≧縺ォ」




青年は何か呪文のようなものを口にする。すると、博物館であった場所は歪み始め湧水の足元を中心にパスルを組み立てるかのように世界が出来ていく。完成した世界は薄暗くただ一本道が続くだけの殺風景なところであった。左右の壁には何かが飾られた額縁とそれを照らす照明だけがついている。




「ここは…?」




私は驚いた。青年が意味不明な言葉を紡いだ瞬間、世界が変わったのだ。そして、先程までの明るい場所から一変し、ここはほとんど明かりがついていない。




「ここは貴方の記憶の回路。貴方が出来ていく順路。これから貴方はこの一本道を進み全てを辿っていくのです。」


「この一本道で辿る…ですか。私はどうすればいいのでしょう?」


「まずは一番近くの額縁のなかのものを触ってみてください。それが貴方の導きの始めです。」


「わかりました。」




私は青年が言ったとおりに額縁に触れようと近づく。すると、額縁の中の絵がはっきりとしていき見覚えのある写真になった。その写真に私は無意識に引き寄せらていく。そして、私の手が写真に触れた瞬間、世界が反転した。そして私は気を失った。

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