エピローグ

96 Step into the future

 ……このへんは、故郷よりも桜の時期が遅いようだ。陽佑ようすけは花を見上げ、「履修の手引き」をそばへ放り出した。3年次の時間割はだいたいでき上がった。スマホで専用アプリを使えば、24時間対応で履修登録ができる。今夜のうちには完了できるだろう。


 中学校を卒業し、桑谷くわたに陽佑は、連城れんじょう文也ふみやと一緒に北高へ進学した。残念ながら同じクラスになる機会は一度もなかったが、廊下などで会えばよく雑談した。時間が合えば一緒に下校することもあった。たとえば村松とか、すっかり顔なじみになった仲間もいたし、高校で増えた友人も当然いる。たまに、ほかの高校に進学した樋口ひぐちたちと会うこともある。

 陽佑と文也は、北高に入った直後から自然に、互いに「ヨウ」「ブン」と呼び合うようになっていた。そのため、一部の生徒から「養分ヨウブンコンビ」とおかしな命名をされ、その都度抗議しなくてはならなかったものだ。

 陽佑は、少しだけ積極的になってみることにした。まだ知らない自分に、もっと会ってみたいと思った。自分に何ができるのか、もっと試したいと思った。今度は、自分の意志と力で。

 体を動かそうと思って、運動部の入部を検討した。サッカーやバスケなど、中学時代から続けている部員が多そうなものはさすがに無理だろうと思い、ダンス部を選んだ。公立校で、強豪どころか弱小といってもよかったが、その分初心者からでもついていけそうだった。実際、その年の新入部員はひとりを除いて全員が未経験者だった。気負わず、楽しんでやってみた。どうやら、運動神経が悪いからといって踊れないとは限らないということを、身をもって証明することになれそうだった。また、体育祭の学年応援団長に立候補した。1学期後半から設立される学祭実行委員会に参加したこともある。こうして自分の生活にメリハリをつけてみたのが効いたのか、1年生の最後の期末試験では、はじめて20位以内に食い込んだ。ダンス部は最終的に副部長を務めた。大会では残念ながら結果を残せず、悔しい思いもしたが、やれるだけのことはやったはずだ。


「ヨウって、なんか雰囲気変わったな」

 学校帰り、ジェイバーガーの店内で、ハンバーガー片手の文也にしみじみ言われ、陽佑は言い返した。

「ブンだって、ずいぶん変わってきてるぞ」

「そーか?」


 文也は手芸部に入部した。体育祭の応援合戦の衣装コンペに、3年連続で応募した。1年目は落選したが、2年目の応募作は最終審査まで残った。3年生での案は8割採用され、衣装監督に就任した。手芸部部長にもなった。全国規模の手芸コンクールでは優良賞を獲得している。陽佑が、自分には荷が重いと考えて関わらなかった生徒会に、文也は文化部委員長として参画した。指名を受けた文也の「おれ!?」という声と表情を、陽佑はよく覚えていて、一週間ほどそのモノマネで、仲間内でウケをとっていた。


 体育祭や学祭の時期になると、よく土田から電話がかかってきた。土田は西高でもあいかわらず、クラスやら何やらでリーダーの立場を引き受けることが多く、今だけでいいからウチに転校してきてくれと、冗談か本気かわからないことを陽佑に言うのだった。

「頼む、おれとお前が組めば、最強のチームが作れる」

「無茶言うなよ、ウチだって学祭だ」

 陽佑は苦笑しながら、土田と近況を話し合うのがいつものパターンだった。


 双川ふたがわのことは、高校在学中に、人づてに聞いた。彼は市内の、偏差値低めの高校を受験して合格したのだが、結局入学しないまま、春のうちに遠い他県に去ってしまったらしい。それ以上詳しい事情を知っている者は誰もいない。もはや誰にも、どうにもできないことだった。せめて元気にしていてくれるといい、と願うしかない。

「……おれが将来本当に店開いたら、ヤンキー衣装を注文してくれるのかな」

 その話を聞いたとき、文也は妙に寂しそうに、つぶやいていた。


 陽佑はその後、都市部の大学を受験し、第一志望の理工学部に無事合格を果たした。文也はぎりぎりまで悩んだ末に、服飾関係の専門学校への殴り込みを選び、見事勝利をおさめた。それぞれの生活に一生懸命で、今では連絡もあまりとっていない。その代わり、たまに連絡するとひどく盛り上がる。


 大学へ行くために、地元を離れてひとり暮らしをすることになった陽佑が、転居に向けて部屋で荷物をまとめていたら、机の引き出しから小さなチャック付きのビニール袋が出てきた。中には一口チョコの包装フィルムだけが入れられている。陽佑は少し笑うと、その袋をもう一度だけ拝んでから、そっとごみ箱に捨てた。


 文也は、専門学校に入った直後は「キビシー」と目が回るようなメッセージを送ってきていたが、翌年の初夏に、初めて彼女ができたと大はしゃぎで連絡してきた。写真を見せてもらったけれど、なかなかきれいな女性だった。もっとも、ひと月後に「ふられた」と告げてきたが。陽佑はその夜、リモート飲みにつき合った。


 陽佑はあの春以来、何度か恋をして、そのうちの何度かは「おつきあい」にたどり着いた――無論、悲しい結果に終わった経験はもっと多いけれど。たまに中学生当時のことを思い出して、あの頃は若かったというより子どもだったなと、苦笑する。いや、今はちゃんと大人になれたのかというと、はっきり断言できかねるところも多々あるが。男として恥ずかしくない心構えが今は多少身についたんじゃないか、と思いたい。


 就職先については、まだ絞り切れてはいないけれど、方向性はおおよそ固まっている。あとはもっと企業の情報を集めなくてはならないが、慌てる必要もまだない。


 あいつは、……元気にしているだろう、たぶん。いい子だから、周りの男が放っておかないだろうな。陽佑が迷って、戸惑っているとき、そっと背中を押してくれた女の子……。当時に戻りたいとは思わないけれど、頭の中でアルバムのページをめくってみたくなることもある。きっと、忘れることはないだろう。もう恋じゃなくて、大切な思い出として。彼女とあの時期に出会えたことが、ほんの少しの自信と、不確実な将来に一歩踏み出す勇気を、もたらしてくれたから。おそらくこれからも、失敗したり挫折したり落ち込むことが、たくさん出てくる。でも、ここに確かな足場がある限り、何度でもまた、羽ばたけるだろう。飛び上がることを、あきらめはしないだろう。



 ……気配を感じて、陽佑は視線を移した。予想通り、ひとりの女性がそこにたたずんでいる。陽佑はふっと笑うと、数冊の本とペンケースをかかえて立ち上がり、女性と並んで桜の下を歩き出した。

 ずっと続いてほしい時間を、謳歌するために。




(了)

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お茶漬け恋模様 三奈木真沙緒 @mtblue

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