第81話 変わったことと変わらないことがある。意味がわかる(side虎徹)

「今から病院に行こう」

「なんでだよ。やっぱり体調悪いのか?」

「悪くはないけど、確認しなきゃいけないことがあるの」


信乃しのも来るか?」

「私はいいや。もうお腹いっぱいって感じだし」


 そう言う信乃の言葉の意味は虎徹こてつにはわからない。だが、その答えはすぐに見つかることになった。


 理佳ただよしに手を握られて、虎徹はいつもの五倍木ふしのきの病院へと向かった。診察はいつもより長く、それが虎徹をやたらと不安にさせる。


 三〇分くらい経っただろうか。ようやく診察室のドアが開く。理佳が顔を半分だけドアの影から出して手招きしている。入って来いという意味らしい。


 カーテンを払って診察室の中に入ると、五倍木がいつもと違って難しそうな顔でカルテや心電図を見つめていた。


「何か悪いんですか⁉︎」

「いや、心配いらないよ。ちょっと珍しい話でね」


 いきなり大股で歩み寄った虎徹に少し体を反らせながらも、五倍木はすぐに微笑みを返した。


「珍しい?」

「うん。どうやら完治したように見えるんだ。一年も早くというのはあまり聞いたことがないね。過去のデータを見てみないことにはわからないが」

「そういえばTS病は十八歳から二十歳くらいに治るんだっけか」


 梓も高校三年の秋に治ったが、それでも早い方だった。謎が多い病気であることはわかっていたが、理佳に原因不明の体調不良が起こらなくてよかったとほっとする。


「そういえば、TS病は治る前に安定期ってのがあるんじゃなかったか? それもなかったのか?」


 虎徹は梓から聞いた話を思い出す。確かTS病には治る前兆というものがある。


「よく知ってるね。その通りだよ。普通は治る前に数日から一週間程度TSしなくなる時期があるんだ」


「ちょっと待って! 僕そんな話聞いてないんだけど!?」

「そういえば理佳くんにはあまり詳しいことは伝えないようにしていたからねぇ」

「驚くってことは、安定期はあったんだな」


 虎徹がじとりと理佳を見ると、理佳は慌てて視線を逸らす。何も言わなくても肯定しているのと同じだ。


「そんなことより、なんで虎徹は知ってるの? 教えてくれてもよかったのに」

「前に梓が治ったときに聞いたんだよ。理佳なら知ってると思ってたんだよ」

「全然知らなかったよ!」


 理佳は急に立ち上がると、虎徹の体に抱きついた。怒っているのか寂しいのかも虎徹にはよくわからない。とりあえず何か不安だったことがすべて解決したことだけは理解できた。虎徹は理佳の体を優しく抱きしめると、理佳の腕にこもる力が少しだけ強くなった気がした。


 五倍木から経過観察をしたいから少しの間は通院を続けるようにしてほしい、と伝えられて今日は帰ることになった。住宅街をまっすぐ抜ければそれほど遠くない帰り道なのに、二人は何も言わずに自然と遠回りをして川沿いの散歩道を歩いていた。


 虎徹はまだ治ったといっても急すぎて信じられない。何度も見た女の子の理佳。これからずっとこのままだと思うと、安心したようなまだ慣れないような居心地の悪さがある。


「これからは理佳りかになるのか?」

「うーん。どうなんだろ。梓さんはどっちの性別でもおかしくない名前だからなぁ」


「確か戸籍とかの書き換えの手続きがあるんだろ」

「そっかぁ。これから僕は女の子になるんだ」


 どこか他人事のように理佳は沈んでいく夕日を眺めながらつぶやいた。赤い夕日が理佳の栗色の髪をより輝かせる。背中まで伸びた長い髪が少し寒く感じる風で揺れている。理佳はこんなにはかなげな表情が似合うようなタイプだっただろうか。


 この一年足らずで今まで知らなかった理佳をたくさん知った。虎徹にも知らない理佳がたくさんあることを知った。それは虎徹が思っていたよりも複雑だ。ただ間違いなくわかっていることもある。


「なぁ、さっきの話の続きは?」

「さっきの、って何のこと?」


「俺のことが、ずっと好きだって話」

「それはもういいの! いや、よくはないんだけど状況が変わったっていうか」

「わかってるよ。安定期で男からTSしなくなったんだろ。それで気持ちの整理をするためにあんなこと言ったんだろ。信乃まで連れてきて」


「なんでそこまでわかるのかなぁ」

「理佳のことだからだろ」


 言わなくてもわかる。いろいろなことが変わっても虎徹が理佳のことをたくさん知っているのは変わらない。どうして部屋から出てこなくなったかも急にあんなことを言いだしたかも、今ならわかってしまう。


「じゃあさ、答えを教えてよ」

「俺はフラれた側で、答えるも何も変わってないんだが」

「それでも聞きたいの」


 理佳は虎徹の左腕に絡みつくように腕を回す。そうして体を寄せると、いつもと同じだという安心感が虎徹の腕から伝わってくる。


「もう一回、俺の恋人になってくれるか?」

「彼女じゃなくて?」

「TS病が治る前も含めて理佳だと思ってるからな」


 自分で言っていて恥ずかしくなる。虎徹は赤くなった顔を理佳から隠すように上を向いた。それでも理佳にはきっとバレている。隠したところで意味がないことは虎徹が一番わかっている。


 虎徹が理佳のことなら何でもわかるのと同じように、理佳も虎徹のことなら何でもわかってしまうのだ。左腕に抱きついた理佳の力が強くなっていることがなによりの証拠だった。


「何か言えよ」

「えぇ~、今は何も言うことないよ」


「うちに来たときはいろいろ言いたそうだったくせに」

「それはそれ。今はこのままがいいの」


 虎徹と理佳は夕日が映る川の流れのようにゆっくりと、短い帰路が少しでも長く続くように歩いていく。

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心拍数が上がると女体化する幼馴染が最近俺の顔を見るだけでTSする。意味が分からない 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka

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