第80話 虎徹の笑顔を見るとTSする。意味がわからない(side理佳)

 子供の頃は、虎徹こてつとよく手を繋いでいた。

 自分の体質のせいでいじめられていたとき、どんな相手にも虎徹は一歩も退かなかった。同級生は当然、年上相手でも動物相手でも変わらなかった。


 虎徹の体に刻まれた傷の半分は理佳ただよしのせいだと思っている。だが、虎徹はそれを恩着せがましく言ったことも恨んだこともない。


 そして今度は信乃しのに手を引かれて部屋の中から連れ出してもらった。しっかりと繋いだ信乃の手は虎徹と違って柔らかく力も強くない。それでも頼りになる安心感は同じだった。


「なんで一緒に来てくれるの?」

「言ったじゃない。このままじゃよくないって私が思ってるの。りっちゃんを見届ける権利があるんだから」


 そう言う信乃の手は少し震えていた。そうまでしてどうして自分のことを助けてくれるんだろう。その気持ちが理佳にはわかるようなわからないような不思議な感覚だった。


 もし自分が男として生きることになったら。そう考えたことは少なくない。虎徹と恋人にはなれない、と思っていた。そのとき、虎徹に恋人ができるとしたら信乃だったらいいのに、と理佳はぼんやりと思ってた。


 信乃が虎徹に告白したとき、自分以外にも虎徹のことをわかってくれる人がいるということに不安と同時に嬉しさもあった。


 震える信乃の手を握り返す。今の理佳の手は男の骨ばった手。その分少しだけ頼りがいがあるように感じてもらえたら嬉しいと思う。


「じゃあ、僕もちゃんと聞くよ。しーちゃんの告白。僕にもしーちゃんのこと見届ける権利があるよね」

「私は答えを聞くだけでいいじゃん。もう告白したんだから」


「そういえば、前に付き合うことになった時は虎徹から告白してもらったんだっけ」

「それズルいなぁ。私はこんなに苦労してるのに」


 数軒先にある虎徹の家まで理佳と信乃はわざとらしくゆっくりと歩いた。告白するのが怖いのか、二人でいる時間が心地いいのかもよくわからない。ただ手を繋いだまま虎徹の家の玄関に辿りつくまで逃げ出したいとは思わなかった。


 虎徹の家は団地に立ち並んだ一戸建てで理佳の家と大差はない。しかし、虎徹が住んでいるというだけで理佳には特別に思えた。


「じゃあ押すよ? 準備はいい?」

「どっちかって言うとりっちゃんの準備の方が大事じゃない?」


 呼び鈴に指を伸ばして押す直前で理佳は手を止めた。男になったと言ったら虎徹はどんな顔をするだろうか。その事実を伝えたうえで、告白なんてしていいんだろうか。


「いまさらビビってもしょうがないよ。今の僕は男なんだから。男は度胸!」

「その気合の入れ方もどうかと思うけど」

「何でもいいんだよ。気合が入れば」


 理佳は勢いに任せて呼び鈴を鳴らす。返ってきた音に少しだけびっくりした。信乃には気付かれただろうか。足音が扉の向こうから聞こえてくる。自分の家でも大きな音をたてないように気にしている虎徹がそんなことをするのは珍しかった。


「理佳か!?」


 扉が開かれると同時に虎徹が顔を出す。普通の人ならこれだけで失神してしまうくらい恐ろしいらしい。理佳にとっては見るだけでこんなに安心する顔をしているというのに。


「や、やぁ、虎徹。元気?」

「元気か聞きたいのはこっちの方だ。体は何ともないのか?」

「うん。えっと、元気だよ」


 その元気が問題なのだが、理佳はまだはっきりと言い出せないまま目を隣の信乃に逃がした。信乃は力強い目で逃げるな、と応援してくれている。


「とりあえずあがれよ」

「ううん、大丈夫。すぐに終わらせるから」


 このままいつもみたいに虎徹の家に入ったら、雰囲気に流されて何も言えないまま終わってしまう気がする。信乃と繋いでいた手を離す。勇気をもらうのはここまで。ここから先は自分の力で伝えなきゃならない。


「あのね、ずっと虎徹に言わなきゃって思ってたんだけど、言えなかったことがあって」

「なんだよ、急に」


 虎徹が警戒したように眉根を寄せる。どんなことにも動じない虎徹が、理佳が体調を崩すだけで大慌てするのはそれだけ理佳を意識しているからだ。


「僕は今までもこれからも、ずっと虎徹のことが好きだよ」


 同じことを思っている。そう思えるだけで言葉はすっと口からこぼれ落ちてきた。どうして今までこんな簡単なことが言えなかったんだろうと思うくらいにはあっけない感覚だった。


 それなのに、聞いた側の虎徹はいつもの鋭い三白眼を大きく見開いて理佳の顔をまじまじと見ている。隣にいる信乃は少し気まずそうに事の成り行きを見守っていた。


「だけど……僕はもう」


 虎徹が微笑む。この優しそうな笑顔をクラスで見せられたら怖がられることなんてなくなるのに。そう思うと同時に、自分にだけ見せていてほしいとも思ってしまう。


「そんなことずっと知ってるよ」


 虎徹の大きな手が理佳の頭を優しく撫でる。それと同時に理佳の胸の奥の方からキラキラと輝くような熱が全身に広がっていくのを感じた。


「おぉ、どうしたんだよ、急に!」


 もう二度と変わらないと思っていた自分の体が女の子に変わっていく。理佳はそれが嬉しくてしかたない。驚いている虎徹の顔に今度は理佳が微笑みを返す番だった。


 虎徹が頭を撫でていた手を止める。その手に理佳は両手をゆっくりと重ねて離さない。


 こんなにドキドキと心臓が鳴っているのは生まれて初めてかもしれない。少し熱っぽくなった頬に細く涙がつたう。


「これからもずっと大好きだから。絶対に忘れないでね」

「あぁ。忘れない」


 虎徹の答えは夏に聞いた時から何も変わってなんていない。あの時から理佳の気持ちも少しも変わりはない。


 理佳の背中に信乃が覆いかぶさるように抱きつく。


「おめでとう」


 短い一言に信乃の気持ちのすべてが詰まっているような気がした。

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