第79話 理佳のことを応援したくなる。意味がわかる(side信乃)

 虎徹こてつの反応を窺いながら、信乃しのは素直に理佳ただよしの体を心配していた。虎徹には恋愛関係だと断言したが、虎徹に見せたくないような体調の変化が起きたのかもしれない。


 最近は元気になったとはいえ、理佳は未知の病を持っている。あずさは何事もなく完治したこともあったが、理佳も同じとは限らない。


 もしも虎徹に言いたくないことがあるのなら、それを聞いてあげられるのは自分しかいない。


 最初は虎徹に近付きたくて、その流れで一緒にいることが多くなっただけだった。ただ今は恋のライバルになることで、以前よりももっと理佳に近づけたような気がする。


「たまには私もいいところ見せておかないとね」


 今日の放課後の予定は決まった。信乃はできればただの恋煩こいわずらいであることを願いながら、ぼんやりと授業を聞いていた。昼休みにメッセージを送ってみる。


『今日、遊びに行っていい?』

『虎徹は来ない?』

『うん。私だけ』


 理佳の反応は早かった。重病というわけではなさそうで安心する。虎徹がいる教室ではあまり深くは聞かずに直接話した方がよさそうだ。


 信乃は授業が終わるとすぐに理佳の家に向かった。虎徹に言うとついてくると言いだすことはわかっていたから、わざわざ遠回りして虎徹と鉢合わせしないようにしたくらいだった。


 虎徹の家がすぐ先に見えるほど近い理佳の家の玄関前まで息を殺しながら辿りつく。なんでこんなスパイ映画みたいなことをしなきゃいけないのかと思いながら、呼び鈴を鳴らすと、思っていたより顔色のいい理佳が半分だけ顔を出した。


「ほんとにしーちゃんだけ?」

「本当だって。こてっちゃんは先に帰ってるからもう家にはいるかもしれないけど」

「じゃあ早く入って。今日もまた来るかもしれないから」


 この反応を見れば、普通ならケンカして謝りにくいと思っているくらいにしか感じられない。理佳と虎徹がケンカする。それもどちらからも謝れないなんて想像がつかない。たぶん虎徹はすぐに折れると思ってしまうから。


「文化祭の日からやっぱり調子よくないの?」

「うーん、よくないのかな? むしろよくなったからよくないって言うか」


 歯切れの悪い答え。それでも部屋に向かって階段を上がる姿は元気そうに見える。


 理佳の部屋は久しぶりだった。以前はほとんど理佳の部屋に入れてもらえなかった。理佳にとって自分の部屋は最後に逃げ込む場所だと虎徹に教えてもらってからは無理に入ろうとはしなかった。


 何度か虎徹と一緒に来たことはあったが、そういえば一人で入るのは初めてかもしれない。


 部屋の中は制服がかろうじてハンガーにかかっているくらいで、荒れ放題だった。床にはゲームやマンガが散らばっていて、ベッドの足元にはぬいぐるみが守護者のように並んでいる。


 テーブルの上はノートパソコンと写真立てに虎徹と撮ったプリントシールが台紙のまま飾られている。


「やっぱりというか、なんかイメージと違うわ」

「え、なんで? ちょっと片付けサボっちゃってるけどさ」


「こんな部屋じゃ本当に体悪くしちゃうんじゃない? 片付け手伝おうか?」

「大丈夫! たぶん週末にはお掃除するから!」


 信用できない答えを返しながら、理佳は床に散らばったマンガをせっせと隅に寄せて、ようやく二人分のスペースを確保する。その姿を見ながら信乃は自分の中の違和感の正体に気付いた。


「そんなに急いで大丈夫? この間も演劇の途中でTSしたんだし」


 信乃の声に理佳の手が止まる。怖がるように首を震わせながら理佳がゆっくりと振り向いた。ホラー映画もワンシーンみたいで、信乃は一歩後ずさる。


「しなくなったんだ、TS。走ってもびっくりしても」

「それって治ったってっこと⁉︎ おめで……」


 反射的にお祝いを言おうとして言い留まった。今の理佳はどう見ても男の子だった。それがTSしないとなると結果は一つしかない。


 理佳の性別が男と決まったということだ。それは本人が望んでいる結果とは違うということも信乃には痛いほど伝わってくる。


「本当に治ったの? 最近元気だからちょっと運動したくらいじゃ変わらないとか」

「ううん。汗びしょびしょになるくらいランニングもしてみたよ。でもダメだった」


 肩を落としたまま理佳は首を振る。理佳なら今までどんなタイミングで体が変化したか知っている。それを全部試してもダメだったんだろう。


「それじゃあ、これからはずっと男の子なの?」

「たぶん。まだ怖くて病院には行ってないけど」


  理佳が男の子になったら、どんな気持ちだろう。信乃は何度も考えたことがあった。恋の最大のライバル。それがいなくなったらどう思うだろうか。


 それが現実になったとき、信乃の胸中にあったのは、喜びよりも悔しさの方が大きかった。


 うつむく理佳の手をとる。


「じゃあさ、こんなところでじっとしてる場合じゃないじゃん。こてっちゃんに会いに行かないと」

「だって、もうどうしようもないから。こんなことになるなら病気が治るまで待っていればよかったのに」


「だから、病気とか関係ないんだって! りっちゃんがどう思っているかの方が何倍も大事じゃない!」

「僕が、どう思ってるかって、そんなの決まってるよ」


「じゃあ言わなきゃ。私は、こてっちゃんと約束したの。告白の答えはりっちゃんの病気が治るまで待つって。だからりっちゃんとこてっちゃんがちゃんと決めてくれなきゃ私が困るんだから。りっちゃんはりっちゃんでしょ。早く、こてっちゃんのところ行っておいでよ!」


 どうして理佳を応援しているんだろう、とは少しも思わなかった。こんな結末なんて許されない。そう思っている信乃がいた。


 立ち上がって理佳の体を引き上げる。乱れた髪を手で整えてあげる。着ているのはよれよれのティーシャツとスウェットだったけど、この方が虎徹と理佳の関係にはちょうどいいのかもしれない。


「ほら、行こ。大丈夫、私は邪魔しないから」

「ううん。一緒に来て。しーちゃんだって虎徹に言わなきゃいけないことがあるでしょ?」


 理佳の目は元の輝きが戻ってきているように見える。自分もこんな目をしているのかと鏡を見たくなる。


 もう一度手を繋ぐ。伝えたい想いも欲しい答えも同じ。でも選ばれるのは一人だけ。


 それなのに信乃は、理佳と一緒に虎徹のところに行きたい。心からそう願っていた。

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