第78話 理佳が部屋に入れてくれない。意味がわからない(side虎徹)

 保健室を飛び出した虎徹こてつは人混みをかきわけて学校を出ると、降りしきる雨も気にせず理佳ただよしの家へと向かった。いつも通り、自分の家のように鍵を開けて中を覗き込む。まだ夕方で両親は帰ってきていないらしい。


 家の中は静まり返っていて、理佳がいるのかすぐには判断がつかなかった。


「理佳、いるか?」


 小さな声で問いかけるが、見える範囲にいない理佳には届くはずもない。当然答えは返ってこない。


「寝てるのか?」


 本当に体調を崩していたらうるさくするのも気が引けて、虎徹は足音を立てないように注意しながら理佳の部屋へと向かった。


「理佳、いるか?」


 頭の回らない虎徹は同じ言葉をドア越しに繰り返す。答えは返ってこない。部屋のドアには鍵がかかっている。薄い木製の板でできたドアは、虎徹なら拳一つで簡単に壊せるほど脆い。だが、だからといって押し入るわけにもいかない。


「寝てるのか?」


 悪いと思いつつ、スマホに電話をかけてみる。やはり反応はない。と思ったら、すぐにショートメールが届いた。


『今日は会えない』


 短い文章には理由がなくてどこかもやもやする。体調が悪いのか、会いたくない理由があるのかもわからない。ほんの数メートル先にいるはずなのに何も伝えられないことが悔しかった。


『明日また来る』


 同じくらい短いメールを返して、虎徹は理佳の部屋の前から引き返す。今までならどんなことがあっても理佳は虎徹にはすべて話してくれていた。だから、理佳のことはなんとなくわかっているつもりだった。それなのに、今は理佳の気持ちがわからなくなってきている。


 理佳の家の玄関の鍵をきちんと閉めて、雨の降る空を見上げる。まだ雨は止みそうにない。


「恋愛って面倒なんだな」


 まともに話せる友人さえ片手に収まってしまう虎徹にとって、恋愛なんてものは創作の中の話だと思っていた。理佳と付き合うことになった時も、思い悩みながらも最も仲の良い幼馴染からステージが一つ上がったくらいにしか感じていなかったのかもしれない。


 だが、理佳の方は違った。

 虎徹の幼馴染ならずっと一緒にいることもできたのに、関係が壊れるリスクを背負って付き合うことを決めたのだ。


 なんとなく傘をさす気にもなれない。目と鼻の先にある自分の家まで、虎徹はわざとらしくゆっくり歩いて、冷たい雨を浴びながら帰った。


 翌朝、理佳は学校には来なかった。朝にも理佳の家に行ってみたが、相変わらず部屋から出てくる様子はなかった。


 以前はTSすると人目を避けるようにして部屋にこもることは何度もあったが、その時でも虎徹は部屋に入れてくれていたのに、今回は返事すらしてくれない。


 神妙な顔つきで教室の自分の席に座っていると、不安そうな顔で信乃しのが虎徹の顔を覗き込んだ。


「りっちゃん、本当に病気だったの?」

「わからん。ここまで何も言ってくれないのは初めてかもしれないな」

「りっちゃんがこてっちゃんに隠したがることかぁ」


 信乃はどこかアテがあるようなないような読み切れない表情で天井を見上げる。それが虎徹にはやけに悔しかった。お互いになんでも知っている幼馴染から、少し離れた立ち位置に変わってしまったことを何度も自覚させられる。


「何か心当たりでもあるのか?」

「そんなにはっきりしたことじゃないけど。りっちゃんがこてっちゃんに隠し事をするとしたら、恋愛関係だけだから」


「よけいに訳が分からんな」

「こてっちゃんがそれを理解してたらこんなことになってないでしょ」


 呆れた溜息交じりに信乃が首を振る。この数ヶ月で一番変わったのはもしかすると信乃なのかもしれない。二年生にあがったときも髪型から何から真逆になっていて驚かされた。


 信乃は周囲の環境に合わせていつも前に進んでいく。それに比べると自分はずっと過去の関係を維持したいと思いながら立ち止まっているような気がしてならなかった。


「フラれたのは俺の方のはずだったんだがなぁ」

「こてっちゃんが悪いわけじゃないことくらいわかってるんでしょ。りっちゃんがこてっちゃんのこと嫌いになるわけないんだから」


「そんな自信満々に言われると困るんだが」

「いいじゃない。私だけ困ってるのもなんか嫌になってきたし」


 信乃は少し笑顔を見せて虎徹を見る。すっかり理佳のになったんだな、と少し寂しく思いながら、虎徹はわからない理佳の気持ちを考えるしかなかった。

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