ディアスの独り言。あるいは聖女の逆ハーレム
偽者聖女のカタリナに仕えた騎士、赤毛のディアスは貧乏農家の次男だった。
自分達だけでも食べるのが精いっぱいなのだから、長男ではないお前は早くに出て行ってくれと両親に言われて騎士団に入隊した。
幸いにも武芸の素質は有り、また母親譲りの美貌も持っていたために周辺に住む婦女子達にはチヤホヤされていた。さらに魔物の討伐回数で新記録を打ち立て、早々に副団長にまで上り詰めた。なのでむしろ生家にいるよりは騎士団で暮らしているほうがずっと楽だった。
楽ではあったが、才能が有る者をやっかむ人間はどこにでもいる。
定期的に隠される私物。稽古で使おうと思っていた木刀が折れた物しかない。料理に悪くなりかけのものを混ぜられる。嫌がらせは度々あった。
だがディアスはそれを誰にも言うことは出来なかった。中途半端に後ろ盾がないまま出世した立場である。
苛めにあってますなんて言おうものなら、上の者から騎士団の副団長が情けないと一蹴され、下の者からは上の立場の人間の醜態を喜ばれ、同格の者からは自分が一歩リード出来るチャンスだと不幸を嘲笑われるのがオチだ。ディアスが平民であると侮られてのことだった。
最後は実力がものをいう世界だ。出世して最上位に上り詰めればこんな嫌がらせも無くなる。そう思っていたディアスだが、寒い冬の夜には言い換えれば出世するまで延々と嫌がらせされ続けるのかと軽く鬱になる時もあった。
そこへ現れたのが聖女カタリナだった。神殿の神官と王家に仕える側近を引き連れて現れた姿は今でも目に浮かぶ。
いかつい男達に囲まれた美少女という構図がカタリナの薔薇のような美貌をこれでもかと引き立てていた。
「あの方がいいわ。そこの赤毛の方。副団長をしてらっしゃるのね。私の護衛騎士になりなさい」
たちまち苛めはやみ、ディアスは騎士団の希望だと嫌がらせをしていた人間達も手の平を返した。何せ聖女の騎士を勤めあげれば未来の団長になることは確実で、不慮の事故で団長を早めに辞しても一生食うに困らないと言われているのだ。聖女の騎士ともなれば政財界とも強いつながりを持つことになる。全ての人間が手の平を返すのも無理はなかった。
だがもちろんディアスは苛めが無くなったから何もかもチャラね、と言うような甘い人間ではない。
聖女カタリナの巡礼の旅に着いて行く際には、私物が何度も無くなっていたこと、騎士団の備品を破壊する人間がいたこと、食事に異物混入をする人間がいたこと、などを事実ではあるが大げさに書類に書いて上に報告していた。帰った時が楽しみである。
こんな経緯があったから、ディアスはカタリナを信奉していた。第一の信者であったといってもよかった。他の護衛騎士仲間も多かれ少なかれ同じ思いだろう。
自分を底なし沼から引き揚げてくれた女神であると信じていた。――偽者だと発覚するまでは。
その兆候は以前から感じてはいた。
聖女のはずなのに巡礼を行っても一向に瘴気が払われないこと。これについてはカタリナが涙目で「何者かが私の力を奪い取っている」 と言うものだから、その泣き顔に見惚れながらカタリナが言うならそうなのだろうと疑わなかった。
聖女は異世界の少女であるという大前提があるのに、カタリナは公爵家の脇腹の娘らしいという噂が絶えなかったこと。貴族コンプレックスがあったディアスは異世界人とかいう胡散臭い人間より、同じ世界の公爵令嬢のほうがよっぽど信頼できると無理矢理自分を納得させていた。
こんなに頑張っているのに悪く言われるカタリナが不憫だ、俺が守らなくては、と思っていたディアスだったが、そのカタリナから「もし私の力を奪っている偽者が現れたら、しっかり懲らしめてほしいの」 と言われて最初の神殿で待機するように言われてしまった。
そこで現れたのが本物の聖女理穂と、その友人のアデリナだった。
事前にカタリナからそそのかされていたものだから、ディアスは二人を散々に罵った。偽者だ、カタリナの力を奪う敵だと。
最初は反抗的だった理穂だが、ある時から自分を偽者であると認めて柔和な態度を取るようになった。
ディアスは安心した。本当のところ、聖女の力を自由自在に行使する理穂が恐ろしかった。まるで本物の聖女みたいだったから。だが、それならカタリナは? 彼女を聖女と信じて行動してきた自分は? 理穂を認めたら今までの自分が否定されてしまう。それが恐ろしかった。
だが偽者だと本人がそう言った。それなら何も心配することはない。――実際のところ、何も解決していないのだが、カタリナ命となっていたディアスはそれで良しとした。
柔和な態度を取るようになった理穂は、正直ディアスの好みだった。騎士団に居た時は自分というより騎士様という偶像を目当てにチヤホヤされているようにしか見えなかったし、実際街の少女とデートする時は規則で出来ないと言っているのに、友達や家族に自慢したいから騎士姿で街まで来て遊んでくれと言う女性が後を絶たなかった。
控えめで穏やか、ありのままの自分を見てくれる理穂といると、カタリナが自分を選ばなかったら理穂を彼女にしてもいいくらいには思えてきた。
それが酷い思い上がりと気づいたのは、最後の巡礼で女神が復活した時だった。
特にカタリナに近く、偽者を本気で聖女にしようとしていた面々は女神の怒りによって次々に亡くなっていた。次は自分かと震えているところを理穂が「本物だって証明された直後に大勢の人が亡くなるのはちょっと」 と言って罪は許された。女神の力で死んだ人間も生き返った。
本物の聖女……。ディアスがそうポーッとなっている時、理穂は女神に三つの願いを叶えてもらっていた。
一つ目はこの世界の瘴気が百年鎮まるようにと。これにはディアスのみならず他のカタリナの護衛騎士達も感動した。本物の聖女はなんと優しいのだろう、貴重な願いを縁もゆかりもない世界、まして散々偽者扱いしてきた人間達がいる世界のために使ってくれるなんて、と。
二つ目はこの世界に落ちてからずっとそばにいた友人のアデリナに良くしてほしいとのことだった。通常だったら聖女が一人の人間を依怙贔屓、と叩かれそうなものだが、今回の召喚は状況が状況だった。むしろ恩人のために願いを使うなんて何と義理堅いとこれも感動の種となった。
三つ目。願いを言う前にディアスたちのほうを振り向いて笑うものだから、全員が勘違いをした。「あの人と一緒に居たい」 と願ってくれるのだろうと。
「私を元の世界に戻してください」
そう言った理穂は光に包まれて消えた。ディアスも他の偽聖女カタリナの護衛騎士も茫然としてた。
自分に気があったのでは無かったのか……? 容姿で選ばれた護衛騎士達は揃ってそう思っていた。しかし痛い勘違い男と言われたくないので口をつぐんでひとまずその場を去った。
去ったディアス達を待ち受けていたのは、主に庶民からの軽蔑のまなざしだった。
「本物の聖女様を信じなかった聖女の護衛騎士がいたんですって」
「普通瘴気が浄化された段階で気づくよね」
「何でそんな人間が騎士なんてやれてたんだろう。聖女様に余計な苦労させた人間が今も普通に生きてるとか反吐が出そう」
「そういえば偽者の……カタリナとかいう女はどうしたんだ?」
「厳しい北部の修道院行きだってよ。俺達の税金で養うみたいで不愉快だからさっさと処刑でも良かったのに」
「それなら偽者の護衛騎士やってた男達はどうしたんだ? ついていったのか?」
「そんな話は一つも聞かないよ。護衛野郎達が偽者を心から愛してるっていうなら不快だが理解は出来たんだがな。そんな人間は一人もいなかったとさ」
「何から何まで中途半端な奴らだな……聖女もそりゃあ見捨てるわ」
そんな評判のなか地元の騎士団に戻ったディアスだが、「王都での話は聞いている。お前が残した書類だが……聖女を信じなかった人間の言うことに果たしてどれだけ信憑性があるだろうな」 ともみ消されていた。まあ、上司からすれば無かったことにしたほうが面倒が少ないのだろう。それとこれとは別問題だろうと訴える気力はもうディアスに無かった。
ただただ失われた信頼を取り戻したくて、聖女の唯一の友人、聖女の残り香、アデリナのもとへ足繁く通った。
「そんなに言うならあんたら、聖女様の名前を言ってみなさいよ」
……この時は彼女の名前が理穂だとは知らなかった。ぐうの音も出ない彼女への冷遇の確たる証拠。名前も知らない少女を偽者としていびっていた事実。
それでもディアス達は諦められなかった。意地になっていたと言ってもいい。偽者聖女カタリナのせいで捻じ曲げられた運命は本物によって正されると希望を持っていた。思い込んでいただけともいえるが。
諦めきれず何年も通ううちにアデリナはボロを出した。
「もう鬱陶しいわね! そんなに聖女に会いたいなら自力で会いに行けばいいじゃない! 女神の力無しで次元を越えたらリホだって見直すでしょうよ! いつまでも他人をあてにしてるんじゃないわよ!」
そうか、リホというのか。本物の聖女の名は。
それからは簡単だった。
元々この世界には女神の持つ聖の力と相反する闇の力が存在している。この地に元々ある瘴気も闇の力によるものだ。闇の力を行使するにはそれなりの魔力や負の感情が必要だが、ディアス以外にもあの時カタリナの護衛騎士だった人間は全員黒魔術に参加している。彼らもまた地元にはいられなくなった人間だ。
数人分の魔力と感情、そして対象者の真名。次元を越えるには充分な条件だ。
◇
「ふふっ。私は夢のような暮らしよりここの暮らしを選んだのよね。偉くない? うふふ」
理穂が自室で浮かれてくるくると回っている。その後ろでピシリと空間が音を立てた。
気づいた時には遅かった。
なんで、ここにあいつらがいるの。理穂が悲鳴をあげようとしたところを、ディアスが手で口を塞いだ。暴れようとする理穂を押さえつけるために床に組み敷く。数人がかりなら簡単だった。この光景を見て記憶の中よりも小さくてか弱いな、とディアスは思う。
「理穂? いるの?」
その時、扉の向こうから理穂の母親らしき人間の声がした。理穂が必死に扉に手を延ばすが、届くはずもない。
「お母さん、買い忘れたものがあるからちょっと出かけるわ。留守番しててね」
ディアスは迷った。これで返事しないのは不自然だ。だが、母親は都合よく解釈してくれた。
「あら、寝てるの? ……なんだか今日は酷く疲れたみたいな顔してたし、何年も会ってなかったみたいな反応するし……。学校で何かあったのかしら。起こすのも可哀想ね」
そう言って母親は階段を下りていく。気がつくとディアスの手が理穂の涙で濡れていた。
母親の気配が完全に消えてから、口元の手をどかす。理穂はディアス達を睨みつけて「今更なに?」 と強気だ。こういう反応も新鮮ですごく良いと思う自分はきっと理穂に魂まで奪われているのだろう。
「迎えに来たよ」
ディアス達の目的は薄々感づいていたのだろう。それでいて不都合だったらしく、理穂は露骨に嫌な顔をした。
「――私はもう聖女じゃない。ただの女の子に戻ったの。貴方達が見ていた聖女も全部幻想。……今なら無かったことに出来るから、早く帰って」
恋心にあえて冷や水を浴びせるようなことを言う理穂だが、相手はもう人外と化した生き物達だ。
「そうほうが都合がいいですね」
そう言ったのはコスタだ。
「どうせ聖女だったところで我々には敵わないでしょう。それに、もう聖女だの女神だのにこだわる必要はない。我々は既に神と同等の力がある」
聖女だった名残なのか、理穂には彼らが神と同等という割には神々しさが全く感じられなかった。むしろ、禍々しい力を感じている。……悪魔とか、悪鬼といった類では?
「どうしてそんな力……いやそれより、その力で何をするつもりなの?」
「帰るのですよ」
そう言ったのはバシリオだった。
「貴方は我々の世界で生きるはずだった。歴代の聖女もそうだったのだから。けれど不幸な行き違いで貴方は戻ってしまった。正しい姿に戻さなければ。我々の世界の、あの国で……」
それを聞いて吹き出したのは、理穂にとってはもうろくに顔も覚えていない四人目の護衛騎士のフィデルだ。可愛らしい顔の子供で、カタリナの本命だったとも聞いていたが。
「バシリオってやっぱり頭が固いなあ。もう国にこだわる必要なんてないじゃん。僕らで国を作ればいいんだよ。リホのための国を! 土地ならいくらでもあるし、その力だってもうあるでしょ?」
それに賛同したのは最後の護衛騎士だったルシオか。
「その通りです。もう人間のちっぽけな枠に収まらなくていい。だから行きましょう。我らの聖女、リホ」
嫌だ、お父さん、お母さん。そう言った理穂の声は、もう次元の闇に溶けて誰にも届かなかった。
この人達と行く場所が、のちに瘴気にまみれた土地になるんだろうか、と理穂は沈んでいく意識の中でぼんやりと思った。
聖女はこの世界に未練がない 菜花 @rikuto
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