聖女はこの世界に未練がない

菜花

私が聖女! って、あれ……?

『この国を救って……伝説の聖女よ』


 今まで聞いた事も無いような美しいその声。

 その声の主が誰か確かめる暇もなく、学校帰りの倉川理穂は異世界に飛ばされてしまった。



 次に気がつくと、町を見渡せる小高い丘のような場所にいた。見下ろせば昔のヨーロッパみたいな街並み。見上げれば地球より遙かに大きな月。見回せば地球では見たことも無いような植生がそこらじゅうにあった。チューリップのような花と菊のような花が同時に咲くなんて日本ではまずない。

 ちょうどそんなネット小説を読んだばかりということもあって、理穂は興奮を抑えられないまま自分をここに呼んだ女神に話しかける。


「こ、これって異世界召喚ってやつだよね。もしもし神様! 私なにをすればいいんですか?」


 だが待てども待てども返事は来ない。ついに辺りは真っ暗になってしまった。そうなってからようやく理穂は冷静になる。

 もしこれが神による召喚とかじゃなくて何かの手違いだったら? 街に降りても言葉が通じなかったら? 食べる物は? 住む場所は? 着る物は?

 不安と心細さで泣き出した理穂だが、幸運にもその声を聞きつけて一人の少女が手を差し伸べてくれた。



「私はアデリナ。あなたの名前は?」

「り、理穂です」

「リホっていうんだ? 変わった名前ね。それにしてもあんな低い山で迷子だなんてびっくりしたけど、親御さん達に置いていかれたなんて。酷い親もいたもんだね」

「う、うん……」


 同い年くらいに見えるアデリナは、縮こまって泣いているリホを不憫に思って自宅まで連れてきてくれた。理穂はその際に何も言わなかったが、アデリナが良いように解釈してくれたようで、それを利用している。そうでもしないと、この世界でどう動いていいか分からない。家に入るなりご家族にご挨拶しないとと言う理穂に「去年火事でみんないなくなっちゃったから必要ないよ」 と言われてしまい、理穂は言葉に詰まった。

「まあ、親なんて最終的には子供を置いていくものだから、あんまり気にしちゃだめだよ? 私も家に帰ったら話し相手がいたらなって思ってたからさ、ここを自分の家みたいに思ってくれたら嬉しいな。狭くて汚いけどね」

 頼る者がいない理穂はアデリナの好意に甘えることにした。

 床に直接横になって薄い毛布を二人で被る。その時になって理穂はやっと異世界召喚について振り返れた。

 いきなり連れてこられた異世界。でも言葉は通じるのが幸いだった。一人ぼっちでどうなるかと思ったけど、アデリナみたいな親切な人に拾われて本当に良かった。これからどうすればいいのか……ともかくアデリナの仕事を手伝ってお金の稼ぎ方を覚えなきゃ。



 翌日、アデリナと一緒に山菜採りをしながらこの世界についてそれとなく聞いた。

「変わったこと? そういえば昨日から息苦しくないのよね」

「え、アデリナって喘息アレルギーがあったの? あ、中世っぽいからまさか大気汚染?」

「あれるぎい? 中世? よく分からないけど、この国の土地が汚染持ちっていうのは有名な話でしょ?」


 それからアデリナが話したこの国の事情は理穂を驚かせた。

 いわく、この国は瘴気の湧き出る土地にわざわざ建国したのだという。何でも現王の祖が異民族に追われてここにしか住む場所が無かったのだとか。瘴気さえ何とかなれば、と嘆く祖は近隣の女神に祈った。女神は哀れに思ったのだろう、祖に知恵と助けを与えた。

『この土地にまず五芒星の形に神殿を築きなさい。守りの力を高めるでしょう。そして私は異世界から瘴気を浄化できる人間を召喚します。その者に順々に神殿を礼拝させるのです。そうすれば守りの力は百年続き、瘴気はその間は出ることはない。そして召喚した人間は……帰りたいといえば働きのぶんのお礼をしたうえで帰せばいいし、この世界に留まることを望むなら相応の地位を与えて留まらせればいい』


 女神に言われて講じた手段は大成功だった。


 瘴気は消え、今まで瘴気の霧によって見えなかった場所には金鉱が眠っていたことが発覚。瘴気が生み出しているものなのか、その金鉱は尽きることがなかった。それゆえにこの国は史上稀に見る大帝国へと発展した。百年に一度の聖女召喚さえ行えばこの帝国の栄華は永遠に続くのだ。そう、聖女を召喚し、その聖女が仕事をしっかりと行うのなら……。


「……アデリナ、その、今は聖女様って来てるの?」

「ちょうど百年目だしね。一応来てるらしいよ。今順々に神殿礼拝中なんだっていうけど……皆言ってるよ、聖女を呼び間違えたんじゃないかって。だって今までは一つの神殿の礼拝が終われば、その神殿の周囲はたちまち浄化されたっていうのに、今回は全然ダメっていうんだもの。大きな声じゃいえないけど、今の聖女はとある公爵の落とし種で、名誉目的で聖女を騙ってるんじゃないかって噂よ。私もそう感じてる。だって瘴気は増える一方だもの。……でも昨日からそうでもないのよね? どういことだろう」



 理穂はアデリナの話を聞いてから考えていた。自意識過剰かもしれないけど、もしかして聖女って自分では? だって異世界から来るっていうし……。でもそれならどうして女神は何の反応もしないし、神殿の人達も迎えに来ないんだろう? あんまり考えたくないけど、やっぱりその偽者っていわれてる聖女のせい? けれど自分が本物だって証拠はない。神殿礼拝は行われてるっていうし、それが終わってから判断しても遅くないんじゃ……。

 悶々とした日々を過ごしていたところ、アデリナの家族が火事で亡くなったあとに世話をしてくれていたというアデリナの恩人が瘴気中毒で倒れたと聞いた。

「おばさん! おばさん! うう、どうして……聖女が来れば瘴気は浄化されるんじゃなかったの」

 理穂はもう黙ってはいられなかった。やらない偽善よりやる偽善だ。例え偽物が自分だったとしても、アデリナの不幸を見過ごせない。おばさんが診療所に入院したのを見送ったあと、アデリナに身の上を話した。

「アデリナ聞いて。実は私……異世界から来たの」



 アデリナは意外にもあっさり信じてくれた。「リホってこの世界のこと全然知らないし、浮世離れしてるんだもの。もしかしてって思ってた」

 そしてアデリナの案内で、理穂達は自己流で神殿礼拝をすることになった。もしかしたら正しい手順とかあるのかもしれないけれど、王家や神殿が聖女関連の事業を牛耳ってる以上、一般市民には神殿へ行く順番くらいしか分からない。

 最初の神殿には女神に祈りを捧げに来た信者という建前で、昔女神が授けたという巨大な宝石を拝んだ。

「……」

 理穂は心の中で必死に祈った。

 女神様。いらっしゃるのならどうか答えて。そして私が本物の聖女だというのなら、瘴気が消えますように。


 これで何も無かったらどうしよう、と思う理穂の不安は一瞬で払拭された。

 突如宝石が眩く光り、『私のいとし子、私の聖女』 という女神の声をその場に居た者達が全員聞いた。そして次の瞬間、辺り一帯の瘴気が全て消えていった。信者の祈りを聞いていた神官の一人が慌てて理穂に言った。

「こ、これは……まさか、お前が聖女なのか!?」

「リホ、逃げるよ!」


 アデリナが理穂の手を引いて混乱する現場から逃げ出した。本物だと証明されたようなものだが、公爵令嬢の聖女とかいう人間がいる以上は表に出るのはまずい。そのまま権力で消されるかもしれないという不安があった。何せ今の理穂達は一般人同然で、身を守る術がない。走って逃げている間「聖女様がいるのか! 聖女様が浄化してくれたのか!? 聞こえますか聖女様、ありがとうございます!」 と名も無い人達が叫んでいるのが聞こえた。やってよかった、理穂は心からそう感じた。


「待て!」


 そこへ一人だけ馬で追ってくる男がいた。赤毛の美青年だったが、理穂を親の仇のごとく睨みつけてくる。

「聖女であるカタリナ様は仰っていた。何か得体の知れないものに自分の力を奪われている気がする。そのせいで聖女の力を使えないと。お前が犯人なのか!?」

 ここで理穂は初めて偽聖女の名前を知った。カタリナというのか。聖女を騙るだけあって本物が現れた時の対策もしていたらしい。しかし聖女の力を行使したところを実際に見てもこの言われようとは……。

 聖女としてタダ働き同然にここまで来たのに、感謝どころか因縁をつけられて反論する気も起きない程、理穂は気落ちした。だが隣のアデリナは優秀だった。怯えて座り込む振りをして砂を赤毛の男に投げつけて目くらましをし、その隙に理穂をつれて雑踏に逃げた。


「カタリナとかいう女、相当なくせ者だね。本物が出てもいいようにあらかじめ偽者かもしれないって疑いの種をまいておくなんて……。リホ、ショックだったのは分かるけど、貴方はもうこのまま神殿礼拝をやり通して自分こそが本物だって証明するしかないよ。……この国のためにも……」


 一瞬理穂は、自分がこの国のためにここまで尽くす必要があるのだろうか? と考えた。……考えたが、すぐやめた。

 どちらにせよ、瘴気を浄化しなければ、いつかは現在唯一の友人であるアデリナまで倒れてしまう。彼女が倒れたら理穂は未知の異世界で生きていくすべが無くなる。既に赤毛の男は敵に回っている。何もしないで居たら捕まるだけかもしれないが、聖女だと証明すれば味方になってくれるかもしれない。何より、もとに世界に帰ろうと思ったら瘴気を浄化し尽くすしか女神に会う手段が無い。神殿に行って祈って、やっと一言もらえただけの女神。……直接会うにはきっと全ての礼拝をこなす必要があるのだろう。頼れるのは同い年の身寄りのない友人だけという心もとない身。既に偽者と言う人もいる。勝手に召喚されたすえのあまりの理不尽さに理穂は唇を噛んで耐えた。どうせ祈るだけだもの。絶対終わらせて、元の世界に帰るのよ。



 次の神殿で、理穂達は自分達の見通しが甘かったことを思い知らされた。

 あの赤毛の男が銀髪の美青年を連れて神殿入口に立っていたのだ。用心深くもフードを目深に被って。

 気づいて逃げようとする理穂をアデリナを二人はあっという間にとらえた。


「ディアス、この二人でいいのですね?」

「ああコスタ、こいつらだ」

 赤い髪の男――ディアスが銀髪の男をコスタと呼んでいた。

「ディアスがカタリナ様の力を奪っているなどというから来たのですが、いまいち信じられませんね。貴方達はただの少女にしか見えない」

 それを聞いてこの人は自分達のことを信じてくれるかもと期待を抱いた理穂だが、次の言葉に打ちのめされた。

「勘違いしないでください。純真無垢な少女に見えるという意味ではなくて、大層な力を持った少女には見えないって意味ですよ。他人の力を奪うにしても自分がそれなりの魔力を持たないとできないことなのですが、二人とも平凡な魔力に見えます」

「コスタは俺の言うことを疑うのか? なら今すぐその黒い髪の女に神殿礼拝の儀をさせて、一帯を浄化するところを見てみろよ」

「一理ありますね。ではそこの黒い少女、ご友人らしき方を苦しめたくなければ、お分かりですね?」

 アデリナを人質に取られた理穂に選択肢は無かった。


 ここでも理穂が宝石に祈ると、たちまち辺り一帯が瘴気から解放された。神殿の中にも外の人間の歓喜の声が聞こえる。続いて感謝の言葉も。だが頭に血がのぼっているディアスの耳には入らない。


「ほら見ろ! やっぱりこいつがカタリナ様の力を奪う偽者……」

 血気盛んなディアスと違い、コスタはまだ冷静だった。

「この黒い少女がなんらかの異分子なのは分かりました」

「だろ? 早く王都に連れて行って裁判に……」

「ですが、こうも考えられませんか? 瘴気を浄化できたのは、彼女が本物だからだ、と」

「! ま、まさか……ありえないだろ」

「ですよね。大体、聖女が一般人の住むエリアに落とされるなんて聞いたことがない。王宮の星の間の召喚陣に現れるのが普通です。……まあどんな手段でカタリナ様の力を奪ったのかは知りませんが、その力があるなら使ってもらおうじゃありませんか。黒い女。各神殿にはカタリナ様が聖女の力を扱えないことで暴動が起きないようにと、カタリナ様専属の騎士達が待機しています。ワープ魔法を使って騎士達のところに飛ばしますので、聖女の仕事だけしてください。貴方を聖女とは認めませんが、聖女になりたかったのなら聖女の仕事が出来るだけでも嬉しいでしょう? ああ安心してください。保険にこの御友人もご一緒させますので」



 一方的に色々と決められたあと、理穂はアデリナと一緒にワープ魔法が使えるようになるまで地下の独房で待機となった。

「アデリナ、ごめんね、巻き込んじゃって」

 恩人まで巻き込むくらいならやらない偽善で良かっただろうかと思った理穂だったが、アデリナから強く否定された。

「リホが謝ることないよ! 大体なんなのあいつら! リホのことはなから疑ってかかって! 浄化したのリホなんだからリホが聖女に決まってるじゃない! 何がカタリナ様の専属騎士よ、それって本当なら聖女の騎士ってことじゃない! 本物の聖女を馬鹿にするなんて! 頭からカタリナのこと信じてるけど、浄化魔法は異世界人しか使えないって知ってるのかしら。公爵家関係者って噂が耳に入らないくらいカタリナって人に惚れこんでるんだったら厄介ね。……もう、愚か者しかいないっていうの、今代は……。こんなみっともない事態、後世の人が聞いたら絶対笑うわよ。同じこの国の人間として恥ずかしいったらないわ」

 理穂はそれを聞いてクスリと笑って、少し泣いた。アデリナが信じてくれたことで、疑われてばかりだった理穂の心は救われたのだ。悲しくて泣いているのかとアデリナは慌てていたけれど、これはうれし涙だ。


 ワープ魔法でついた次の神殿にもカタリナの騎士とやらはいた。もしかしたら次の人こそ信じてくれるかも、と思った理穂の期待はことごとく裏切られる。

「ふん、見た目通りの貧相な女だな。見た目同様、頭も貧相だからカタリナ様から力を奪うようなことが出来たのだろう」

「だろう? バシリオ。俺達もカタリナが可哀想で仕方ないぜ。こんなちんちくりんに力を奪われるなんてさ」


 その時、理穂の中で何かが凍り付いた。本来なら味方だった人達が三人いて、三人とも信じてくれなかったことで、悪の感情――とはいかないまでも、この人たちに何も期待することはない、向こうが利用しようというのならこちらも利用してやろうと冷えた頭で考えた。

「はい、偽者の聖女です。今から浄化させていただきます」

 男達はやっと偽者だと認めたのかと呆れたが、アデリナだけが理穂を心配そうな表情で見ていた。



 偽者と認めない偽者だったら意固地にもなるが、偽者だと認めた偽者なら気が楽になるのだろう。それまで理穂を敵視していた騎士達の雰囲気はずいぶん和らぎ、理穂にカタリナのことを相談するまでになった。

「初めて見た時、なんて美しい方なのだろうと思った。平民出身の俺まで気にかけてくださって……。だからこそ、力が存分に振るえないと知った時は自分のことのように悩んだよ」

 ディアスが理穂の見張りの最中にそう零した時、理穂はディアスの心に寄り添うような言葉を与えた。

「お優しいのですね。ディアスさんもカタリナ様も」

「や、優しい? カタリナ様はともかく俺が? そんなこと初めて言われたぜ。いつも周りの連中にはお前は気が短いって言われてさ」

「それだけ情に篤いってことでしょう? 冷たい人は何にも興味を持ちませんよ」

「そ、そうか……」


 コスタも理穂の見張りの日に愚痴をこぼすことがあった。

「貴方は気楽でいいですねえ。本物の聖女様はあの美貌ですし、私も自慢ではありませんが女性受けがいい容姿なので、周りの人間のご機嫌取りが大変でしたよ。人は好みの容姿の人間に理想を押しつける。そして理想通りの振る舞いをしないと裏切られたとなじる。得もしたけれどいらぬ苦労もさせられたと思います。貴方はそんな苦労も無かったから良い人生だったでしょう?」

 暗に普通以下の容姿で良かったなと言っているのだが、理穂は笑顔で答えた。

「ええ。何の不安もありませんでした。でも私、コスタ様のお顔をじっくり見たことなかったんですよ?」

「そうでしたか? ああでも、最初の出会いから物騒でしたしね。では、私は今どう見えていますか?」

「それほどでもないです」

「え」

「あはは、嘘です」

「! ははっ一本取られましたね」

 容姿で苦労した人にあえて容姿を気にしていないように言う。根がちょろい男だったのかコスタの警戒心は瞬く間に溶けた。偽聖女だと思い込んだままではあったが。今はそれでいい。



 バシリオもまた古風……というより古すぎる男としてコンプレックスを抱えていた。

「全くディアスは夜遊びが激しいし、コスタは家にこもりっぱなしでなってない。騎士は騎士らしく、早寝早起きであるべきだ。そもそも夜遅い時間まで開いている店があるのもけしからん。男は女を守るために強く在り、女は家を守り貞淑であるべきだ。君もそう思うだろう?」

「はい。バシリオ様は今時珍しいくらい真面目な方なんですね」

「ああ……。まあ、他のやつらには一緒にいて息が詰まるって言われるがな」

「私はむしろ落ち着きますけど。ルールを守ってる人が一番安心できます」

「そ、そうか。君は……多分貧しさに耐えかねてカタリナの力を奪ったんだろうけれど、根は良い子なんだな」


 神殿に行く度に新しい騎士に会った。その度に理穂は心にもない優しい言葉をかけてやった。変に疑われるよりは仲良くなったほうがいいという現実的な判断と、あと一つの理由で。


「リホ……」

 アデリナだけが理穂が何かをたくらんでいると薄々感づいていた。

「アデリナ。もし、私が王都で聖女って証明されなかったら、私、アデリナは巻き込んだだけっていうから」

「そんな、私が聖女なら浄化できるって神殿に連れて行ったんだよ!」

「アデリナ聞いて。それで、もし私が聖女って証明されたら、その時は……」



 神殿礼拝は最後に五芒星の中心、王都の神殿を礼拝して完成される。

 聖女カタリナは先についていたが、一般人はもとより神殿関係者も王族にもひそひそとされていた。彼女が通った直後は浄化など全くされてなかったのに、偽者が現れてその偽者が通ったあとになると浄化されていると。

 真偽をはっきりさせるために偽者の到着を待つことになった。

 カタリナは落ち着いていた。

 大丈夫。だって私は公爵令嬢だもの。父が侍女に手を付けて生まれた娘。遠い祖先にこの世界に残った聖女がいる家系だったからだろうか、カタリナには普通の人間より強い魔力と美しい美貌という武器があった。半端にちやほやされて育った女の子が実は貴族の娘であると分かり、自分は特別な人間だと思い込むのも無理はなかった。だが貴族の家に引き取られてから、自分の代には聖女という特別な存在がいると知らされ、どうあがいても二番手の女にしかならないと分かった。プライドが無駄に高いカタリナはその事実が許せなかった。

 まず自分の娘を聖女にしたくはないかと父に持ちかけた。これまた娘に似て野心家の父親は多額の金を神殿に払って抱き込んだ。そして悪いことに第一王子がカタリナに一目惚れをしてしまった。息子が可愛い王は神殿の不正に見て見ぬふりをした。万が一カタリナが本物の聖女になれたら、正直どこの馬の骨とも分からぬ異世界人を優遇するなんて面倒くさいことを自分の代で廃止できる。瘴気を浄化とかいうけれど、もう千年近く瘴気関係で大変なことになった事態なんて出てないし、そもそも瘴気なんて本当にあるの? という考えしか王には無かった。歴代の聖女達が真面目に仕事をこなした結果なのだが。

 カタリナを聖女にするため、王の権力、神殿の威勢を使い、本物の聖女たる理穂が召喚される場を一般人が住む地区にセットした。

 そしてカタリナにとっては邪魔な女神をカタリナの魔力、神殿の呪具を使ってその意識を封じ込めた。これにより女神は理穂を召喚直後まったく動けなくなってしまった。一部の神官は瘴気がー瘴気がーって見たこともないものにいつもうるさい女神が鬱陶しかったからちょうどよかった。あんなの不安を煽るだけの魔物っていったほうがしっくりくるとまで暴言を吐いた。

 召喚された聖女にはお付きの騎士――特に見目麗しい男達が好きなだけ与えられる。偉い人間というだけで殺意を持つ人間はどうやっても生まれる。なので身を守ってくれる人間が必要だった。だが護衛という意味だけではなく、異世界のために頑張ってくれる聖女へのご褒美としての側面もあった。過去には旅をする中で護衛騎士とのロマンスを育んだ聖女もいたという。最初の頃は知らない世界に突然来て何も手につかなくなる聖女もいたが、身近に美貌の青年を配置させればたちまちやる気になったという。全員が全員そうではないが、とにかくそれ以来の慣習だった。カタリナはもちろん特に容姿に優れた面々を指名して自分の騎士にした。性格なんてどうでもよかった。そして騎士達も予想以上に美しい聖女に選ばれたことを喜んだ。最初に見た聖女がカタリナだったから、聖女は美しくて当然なのだと思い込んだ。あからさまな容姿至上主義のルッキズムぶりに何かおかしい、最初から男漁りに来たようだと思う騎士もいたが、そういう敏い人間は口にした影響を考えて言葉にはしない。カタリナが少しでも容姿以外のことを考えて選んでいたら、聖女の騎士が本物の聖女を侮蔑するなどという悲劇は避けられたかもしれない。

 そんな自分のことしか考えない人間が一堂に会した代だった。つまるところ理穂は不運だったのだ。


 しかし理穂が現れ、最後の神殿礼拝を終わらせるとその力で女神は復活。今まで自分を苦しめた人間達には火、水、雷、地震、暴風と多様な手段で罰を与えた。一撃で次々人が亡くなっていく様は女神の怒りの強さを現していた。

 特に一番女神を苦しめたカタリナは最後まで悪あがきをして逃げ惑っていたが、女神が許すはずもない。

「な、なんでよ、普通におかしいじゃない。貴方の世界の人間より異世界人を優遇するなんて!」

『何がおかしい? そんなことを言い出せば結婚は近親者とだけすればいいとなるだろう。外の力が浄化には必要だった。それを無理を言って手伝ってもらうのだから優遇するのは当然だ。なのにお前達は……!』

 カタリナの処遇は理穂に任された。理穂は冷静だった。

「……本物だって証明された直後に大勢の人が亡くなるのはちょっと」

 理穂の恩赦により、罰を受けて亡くなった人間も蘇り、王はその日のうちにカタリナに懐疑的だった第二王子に譲位、神殿も神官が総入れ替え、カタリナは独房行きに。そして名実ともに理穂が聖女であったと内外に広く知らしめた。


『すまなかった。まさかこんな事態が起きるとは……。聖女、貴方には特別に三つまで願いを叶えてあげよう』

 歴代の聖女が女神からのご褒美で叶えて貰えるのは一つだけだった。破格の対応といっていい。理穂はそれを何の不正もないように皆が見ているまえで叶えさせてくれと頼んだ。

「一つ目は、正しい手順で行われなかった浄化だけど、どうか今回も百年瘴気が出ませんように」

『叶えよう』

「二つ目は、私を最初から最後まで信じてくれたアデリナを一生不自由無い暮らしをさせて」

『そんな少女がいたのか。殊勝な子だ。もちろん叶えよう』

「三つめは……」

 理穂は振り返ってカタリナの元護衛騎士達を見て、にっこりと笑った。何人かは勘違いをしただろう。

「私を元の世界に戻してください」

『……それでいいのか? 貴方が望めばこの世界で王以上の暮らしも……』

「元の世界の両親を見捨ててまでしたくありません」

『それもそうだな。分かった』


 光が溢れ、理穂は元の世界に戻っていった。

 一般市民は聖女の帰還を手を合わせて拝んでいたが、置いていかれた騎士達はただただ茫然とするだけだった。



 残された騎士達は一斉にアデリナに詰め寄った。理穂は自分に気があったのではなかったのかと。アデリナはにっこり笑って騎士達の勘違いを打ち砕いた。

「あら、それなら今代の聖女様のお名前を知っている方は?」

 誰も答えられずにすごすごと帰っていった。

 アデリナは理穂から頼まれたことをこれで果たしたと胸を撫で下ろした。



「私が聖女だって証明されたら、その後は……元の世界に帰るって願うつもりなの」

「え!? リホは歴代聖女の中で一番苦労したのに! なんでそんなもったいない! 取れるものは取っちゃいなよ、奴隷に甘んじることないよ! なんならあいつら全員旦那にして一妻多夫してもリホの境遇だったら許されるでしょ!」

「ごめん。性格悪いって思うかもしれないけど、私がここまで来れたのは怒りの感情のおかげなの。最後にはあいつらをぎゃふんと言わせてやりたいって一心だったの。従順な女に見せかけて最後にざまあみろってやってやりたいだけなの」

 アデリナは何も言えなかった。正当な立場でありながら上の連中に散々いい様に扱われたリホ。何より本物だったらこの瘴気を何とかできるはずって神殿に連れて行かせたのは自分だ。リホが病んだからといってそれは倫理的にいけないなんて言えない。

「私のことでアデリナに何か言ってきたら、私の名前を知ってるかって聞いてやって。絶対誰も答えられないから。一度も聞かれなかったし」

「……分かった。でも、そこまで興味無いなら帰ったあとリホのことについて聞いてくるかな」

「興味無くても、民衆から色々言われるでしょ。どこで浄化しても、一般人の人々だけは私に直接感謝してくれたもの。今代の聖女の名前は? ってどこかで必ず聞かれる」


 リホの先見の明は流石だった。護衛騎士達は偽聖女を信じていたことでちくちく言われたあとは本物の聖女は誰だったんだと言われて返答に窮していた。そうして初めて自分は疑われながらも聖女を勤めあげた少女の名前も知らないと分かってアデリナを頼ったが、アデリナが教えるはずもない。意気消沈して帰っていく騎士達をみてアデリナもスカッとするものがあった。

 全員リホに惚れている……というより都合の良い女に甘えきっていたから居なくなった喪失感に耐えられない、というようにも見える。

 謝ろうにも手の届かないところにいるのだし、そもそもリホからすれば顔も見たくないというのが本音だろう。今代の件は後世に駄目な聖女召喚の例として残ってほしいものだ。

 アデリナは女神の力で貴族であり有数の富豪となった。騎士達を追い返すことは出来るが、リホともども偽者扱いされた恨みがある。しばらくはあのみっともない姿をあざ笑っていても罰は当たらないだろう。何と言っても女神公認だし。アデリナは高級茶葉で一息入れて、不遇な聖女を自分だけが信じてお供したのだということを誇りに思った。


 が、騎士達はその後もしつこくアデリナを訪ねてきた。理穂の面影を求めて。何年も何年も。美青年達に推し掛けられて羨ましいと侍女達は無責任に言うが、一番困っている時に彼らがどんな対応をしてきたか知っているアデリナには、度を越した訪れなどもはや疫病神だ。最初に追い出さずに玄関先で立ち話をするくらいの許可を与えていたのがまずかったか。後になってもう来るなとは言いづらい。何せ自分もリホを求めてやってくる騎士達を嘲笑ってた訳だから。

 その日も騎士達はアデリナにしつこく言い寄ってきた。

「名前くらい教えてくれたっていいだろう!」

「聖女にせめて謝罪したいと思ってももう出来ないんだ!」

「どんなにもう一度会えたらと思っているか、女のお前には分からないのか!」

 じゃあいつまでも至高の女性だった聖女を求める男のお前達は性欲しかないのか。そう思って思わずアデリナは声を荒げた。

「もう鬱陶しいわね! そんなに聖女に会いたいなら自力で会いに行けばいいじゃない! 女神の力無しで次元を越えたらリホだって見直すでしょうよ! いつまでも他人をあてにしてるんじゃないわよ!」

 言ってからちょっとまずかったかとアデリナは思った。人が神の力無しで次元移動したらそれはもう人ではなくて神や魔物だ。しかしそれを言ってからというもの、騎士達の訪れはぱたりと無くなり、アデリナもようやく落ち着いた暮らしが出来るようになったので、アデリナはあれで良かったのだと思うことにした。


 騎士達が来なくなったある日、侍女達がある噂を話してくれた。

「そういえばアデリナ様、お聞きになりました? 以前までよく来ていた騎士様方。黒魔術に手を出しているとかで付近の住民から通報されたそうですよ」

 黒魔術。それはこの世界では禁忌の魔法だ。動物を苦しめたすえに殺した呪術で憎い相手を呪ったり、命と引き換えに地位や名誉、金を手に入れたりできるが長続きはしなかったりと代償が大きすぎて誰も使わない。そんなものを使おうだなんて……まさか、自分が言ったことが原因だろうか?

「な、何で黒魔術なんて使おうとしたのかしらね?」

「さあ、理由までは……。でもそうまでしないと叶えられない願いがあるってことですよね」

 近くにいたらリホに注意出来た。けれどもうアデリナにはどうすることも出来ない。リホは異世界だし、黒魔術を使用したという疑いをかけられただけでもこの世界では重罪となるのだから。自分がけしかけたからなんて知られたら……。あれ? そういえば黒魔術は最低でも相手の名前を知っていないと使えないはずなのに……。そういえば、私、あの時……。そこまで思ってアデリナは勢いよく首を振った。

 もう昔みたいに狭く汚い部屋で味の無いスープをすすって寒くても薄い布団一枚で寝るなんて嫌だ。アデリナは自分のせいじゃないと心の中で何度も唱えて忘れることにした。





 気がつけば理穂は、元の世界、元の通学路にいた。急いでスマホを確認するが、召喚される前から数分も経っていないようだった。女神が時間軸をここに合わせてくれたのか、そもそも時間の流れが違うのか。

 理穂はクスリと笑った。

 聖女の仕事はちゃんとやった。誰にもとやかく言われる筋合いはない。美貌の女一人に騙されるような顔だけの残念な男達を弄んだかもしれないけど、されたことを思えば因果応報だ。そもそも彼らは自分のことなど何とも思ってないかもしれないし。さあ、家に帰ろう。

「ただいまー!」

「おかえり、理穂」

 母親の懐かしい声に理穂の胸がいっぱいになった。あの世界で女王様みたいに生きる選択もあったけど、優しい母親の声を聞いてやっぱりそんな選択しなくて良かったと実感する。この世界で普通に生きて、育ててもらった両親に恩返しをするのが自分の人生だ。

 夕食まで自分の部屋でゆっくりしよう。懐かしい部屋は綺麗に片付いていて、ピンクを基調とした自分好みの部屋に帰ってきたんだと実感する。

「ふふっ。私は夢のような暮らしよりここの暮らしを選んだのよね。偉くない? うふふ」

 ひらひらと制服のスカートを翻しながらくるくる部屋を回る。その時、ピシリと空間の割れる音がしたが、浮かれていた理穂は気づかなかった。


 次元の裂け目がどんどん大きくなっていく。

 最初、理穂は光の加減か飛蚊症かと思ったが「それ」 は明確に空間に穴をあけていた。

「え……」

『みつけた』

 ほんの一言だったのに、理穂にはそれが人間じゃないと分かった。分かってしまった。人間であった時の声とはあまりに違っていたから。

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