後半
燈子さんは注文していたコーヒーとホットサンドを私のテーブルへ持ってくると、早速頬張りながら話しはじめた。
「それ、メニューに並んでないよねー?新作?それともあなただけの特別メニュー?」
「あ、えっと……秋の新メニューで味見を頼まれまして…」
「へぇ〜……同じ常連組なのに、千敏さん、私には味見させてくれないんだなぁ……」
胸の中にどす黒い何かが広がっていくのがわかる。
小金さんのことを親しげに『千敏さん』と呼ぶ彼女は、常連以上の関係なんじゃないか。
大きな嫌な感情が頭の中にいっぱいになる。
私が欲しいと思っているその関係を持っているあなたが、私と小金さんとの数少ない大事な繋がりに、どかどかと土足で踏み込んでこないでほしい。
そう伝えられればいいのに、声に出せない。
小金さんが作ってくれたホットケーキが、甘いはずのソイミルクコーヒーが、急に苦くなり舌へ絡みつく。
思わず涙が出そうになり、食事に集中するふりをして慌てて顔を下にむける。
さっさと食べて、お店を出よう。
そう思い黙々と食べていると、同じく黙々とホットサンドを食べていた燈子さんから、ふっと笑う気配がした。
顔をあげてみると、燈子さんは少し困ったような顔をして私のことをみていた。
「……ごめんね、ちょっといじわるしたくなっちゃった。ただの八つ当たり。……はぁ〜……マジでかっこ悪いな、私」
そう謝る燈子さんの目は潤んでいて、目尻に涙が溜まっている。
いつもは感情とともに目まぐるしく動く瞳が、今はじっと私をうつしている。
いつもの明るく元気な燈子さんとは思えない小さな声で、いじわるしてきた理由をぽつりぽつりと話してくれる。
「千敏さんに特別扱いしてもらえるあなたが羨ましくてしょうがなかった。この喫茶店はブラックコーヒーばっかりで、カフェオレとかミルクが入るものは邪道だ!……って言ってた千敏さんが急にミルクたっぷりのコーヒーの研究とかしだしたから、何か変だと思ってた」
「そ、それは多分、私がブラックが飲めない子ども舌だから気をつかってくれたんだと思います」
さっきまでのどす黒い感情をよそに、泣きそうな燈子さんにフォローをいれる。
燈子さんはますます目に涙をためて、怒っているような泣きそうな複雑な顔でキッと睨んでくる。
「知ってるわよ!だから特別扱いだって言ってるのよぅ!……今までブラックが飲めないお客さんにそんな対応したことないのよ。『ウチはブラックしか扱わないんで』って突っぱねてたの知らないでしょ?」
知らなかった。
確かにミルクコーヒーを取り扱ってくれるようになったのは私がここへ通うようになってからだ。
「しかも、急に豆乳も常備するようになるし。新メニューの試食をお客さんに頼むなんてこともなかった。あなたにばっかり頼んで、私なんてお願いされたこともない……」
とうとう話している燈子さんの目から大きな雫がこぼれた。
多分、スイーツは遠慮なく感想を伝えていたから改良するのにちょうど良かったんじゃないかな?と思う。
「カウンターにいて、千敏さんと話していればわかる。千敏さんは話しながら常に窓際を気にしてた」
「あぁ、窓からお客さんがくるかどうか見えますもんね」
「……そういうことじゃなくて…………なんで、こんな鈍い小娘に負けたんだ……」
燈子さんはがっくりと項垂れてつぶやいた。
いくらお店への貢献度が高くても、小金さんの特別な相手になれる燈子さんのほうがずっと羨ましい。
「……私は、いつもカウンターでマスターと仲良さそうにしている燈子さんが羨ましいです」
『小金さん』と燈子さんの前で言えなくてついマスター呼びをしてしまう。
私の言葉を聞いて、項垂れていた燈子さんが恨みがましく睨んできた。
「あんなの、私が一方的にしゃべってるだけよ。……私は、千敏さんにフラれたんだから……」
燈子さんが小金さんにフラれてるってどうしてだろう?
だって、小金さんはあんなに燈子さんを愛おしそうに見つめていたのに。何か二人の間に行き違いがあるんじゃないかな。
本当は実って欲しくないのに、小金さんの悲しむ顔を想像すると胸がどうしようもなく痛くなる。
私の恋は実らなくても、小金さんは好きな人と結ばれて欲しい。
そのために今、勇気をだそう。
私の中のちっぽけな勇気を奮い立たせるため、小さく息を吸い握りこぶしを作った両手にぐっと力をこめる。
「あの。差し出がましいようですが、マスターは燈子さんのことを愛おしそうに見つめています。何かお二人の間には行き違いがあるのではないでしょうか?」
燈子さんは大きなため息をつくと、残っていたホットサンドをコーヒーで流し込んだ。
「行き違いがあるのは私と千敏さんじゃなくて、あなたと千敏さんだわね」
燈子さんの声が、いつもの明るいハリのある声に少しだけ戻った。
瞳からこぼれていた涙も今はおさまったようだ。
「悲しいけど、私は千敏さんにフラれたの。他に気になる子がいるって言われてね。その子はいつも窓際の席に座って本を読んでるって言ってたわ」
なぜか心臓がバクバクと早くなりはじめた。
喫茶店は朝から開いていて、私は学校が終わった放課後にしかここには来られない。
昼間にこの窓際に座って本を読むお客さんなんてごまんといるはず。
私みたいな子供、小金さんのような大人が相手にするはずもない。
そんなはずないのに、どこかで期待してしまいたくなる。
「あなた、結構鈍感ちゃん?もうひとつだけ教えてあげるわ。あなたの言う、千敏さんが愛おしそうに見ていたのは本当に私?その視線の先に他に誰もいなかった?」
「え、他には誰も……」
言いかけて、思い当たる。
小金さんの視線の先にいるもう一人。目が合っていた。
「……あとは気になるようなら、自分の口から本人に聞きなさい」
燈子さんは優しく言うと私のと二人分の伝票を持ってレジに向かう。
表情は見えないけど、足取りは元気がよく、背筋を伸ばししっかり前を向いている。
一方で、ひとつの可能性を見つけた私は茹でタコみたいに顔が真っ赤になって、心臓がうるさいくらい早鐘をうつ。
驚きと嬉しさと色んな感情が混ざり合い、席から動けずにいる。
レジで小金さんと燈子さんが何か話している。
心なしか小金さんの顔が赤い気がする。
自分を落ち着かせるために、はちみつの入ったミルクコーヒーをぐいっと一気に飲み干す。
誰にも言えずに内に秘めていた恋だけど、今なら打ち明けられるかもしれない。
そのための一歩を、私は小金さんのいるレジカウンターへと踏み出そうとしていた。
ミルクコーヒーが甘いのは たい焼き。 @natsu8u
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます