この恋はバグですか?

井田いづ

NPCの恋心

 NPCの胸に芽生えてしまったこの感情は、果たして欠陥バグと呼ばれるものなのだろうか。

 ああ、言われなくてもわかる。きっとそうなのだろう。その人のことを考えるだけで幸せになって、それでいて苦しくなるこの想いはきっと、世間一般に欠陥こいと呼ばれるものなのだろう。頭ではいけないと分かっている、それでも気がついてしまったものは無かったことにはできないのだ。


 完全に一目惚れだった。


 初めて主人公そのひとを見た瞬間、世界が止まるような気がして、ようやく動き出した次の瞬間には世界中の何もかもが鮮やかになって、思わず言葉が溢れそうになったのを、よく覚えている。

 希望と使命感に燃える瞳、迷いのない足取り。ふとした笑顔は眩くて、そのなにもかもが新鮮で、輝いて見えた。同じ動きを繰り返すべき毎日──そんな日々の始まりに、村の入り口で見かけた主人公そのひとはあまりに魅力的だった。いけないと分かっていても、たちまち恋に落ちてしまったのだ。


「ようこそ、デグレー村へ! 旅のお方、ゆっくり休んでくださいね」


 震えながらも、きちんと台詞を言えた自分はとても偉いと思う。自分に許された台詞はその一つだけだった。右に二十歩、左に十五歩、前後は立ち止まって振り向くだけ──たったその範囲が私の許された世界だった。

 だから、彼の名前を知る為の数多あまたの言葉はひとつたりとも口にできないまま、笑顔で「ようこそ」を繰り返して主人公あの人の背中をただ見送る他なかったのである。

 ああ、己がNPCであることをここまで呪ったことはない! あの人が何処の誰で、どんな人かを尋ねることすら許されないなんて! 後を追いかけて、何処に行くのかを見ることすら叶わないなんて! これを悲劇と言わずしてなんと言うべきだろうか。手を伸ばしたり、手を振ったり、そんなことすら許されない己の身をどれだけ恨んでも恨みきれない。


 NPC──そう呼ばれる我々に与えられたのは、主人公プレイヤーが来た時に同じ言葉を吐いて、同じ動きを繰り返すだけの、極めて簡単なお仕事だった。

 同じ動きしか許されないとは言うものの、基本的に主人公プレイヤーのいない時間帯にはそれなりの自由を許されていた。しかし、いつ来るかも知れない主人公プレイヤーが村に入った瞬間から、イレギュラーな行動は一切許されないものとなる。

 たとえば台詞の間違えは御法度ごはっとだし、指定した場所にいないことも許されない。指示から外れた動きを見せることも、役割以外の感情を見せることも、全てが禁じられている。あくまで私たちは舞台装置であり──与えられた役割を忠実にこなすことが求められているのである。

 無論、指定外の行動をとる人はどうしてもいる。出て来てしまう。そういう人はただ一人の例外もなく欠陥バグとして拘束されて、夜のうちにされるのだ。

 から戻って来た人は皆、別人のようになってしまうのが常だった。隣の家のおじさんなんて自由な時間にも同じ言葉しか話さなくなってしまったし、村外れの小屋に住む少年は朝から晩まで畑を駆け回るだけになってしまったし、なんなら存在そのものを消されてしまったような人もいて──とにかく、余計なことをするとロクなことにならないのだということはよくよくわかっていた。


 だからこそこの恋は胸にしまっておかなくてはならないのだ。


 ああ、けれど、せめて名前は知りたい。

 欲を言うならばあの人は何をしている人で、何処を目指しているのか、好きなものは何なのか、好きな人はいるのか、どんな人がタイプなのか、そんなことを根掘り葉掘り聞いてみたい。

 そのどれもが許されない行為だけれど、なにせ自分は好きな人について、何一つ知らないのだ。どんな人なのかをほんの少し聞くだけ──そんな夢のひとつやふたつ、見るだけなら罪には問われまい。

 しかし夢を見るのと実際に行動に移すのとでは話が違う。それをした瞬間に自分という存在は死んでしまうのは確定している。だからこそ、一目でもその顔を見れるだけで満足しなければいけない。挨拶できるだけで幸せだと、そう思い込めるように、想いを抑えて抑えて日々を過ごすしかなかったのである。

 幸か不幸か、主人公プレイヤーは、度々この村に戻って来ていた。服装はどんどん立派なものになっていく。表情には益々凛々しい雰囲気を漂わせていく。それでも変わらない優しい横顔を見るたびに「好き」が募ってしまうのだ。

 見るだけで好きが暴れ出しそうになって大変困るのだが、それでいて、

「また会えた」

「無事に戻って来てくれたんだ」

「この人に会えるなら、もうどうなってもいいかもしれない」

などと、毎度毎度幸せな心地にもなってしまうのだから、我ながら始末に負えないものである。

 NPCとしての矜持を守りながら、己の想いも守っていく──そのなんと難しいことか。必死に笑顔の仮面に想いも葛藤も閉じ込めて、今日も己の責務を果たすしか許されないのだ。


 此処はロクな装備品も売ってない、ただの物語の序盤に出てくるだけの村だ。いにしえの装備が隠された洞窟があるだとか、近隣に不穏な噂がささやかれているだとか、実はラスボスがいるだとか、そのようなことはひとつも聞かないような平和な村。主人公あのひとが何の目的があってここに戻ってくるかは知らない。知ることはできない。NPCに出来ることはたったひとつ。


「ようこそ、デグレー村へ! 旅のお方、ゆっくり休んでくださいね」


 村の入り口を右往左往して、主人公が隣に来たタイミングで立ち止まり、いつも通りの台詞を口にした。その横を会釈して通り過ぎるあの人の横顔を見て満足したフリをする──いつもならここで終わりだった。

 しかし──

「うん、ただいま」

耳心地の良い声が聞こえた。主人公プレイヤーが真っ直ぐにこちらを見ていたのである。優しい眼差し、風に揺れる髪、見惚れてしまって何も返せずに──NPCとしてはそれで正解なのだが──固まってしまった。

「懐かしくなって、また戻って来ちゃった。……君に言っても困るだけかもしれないけど……」

 今日、この瞬間。

 主人公そのひとはこちらに向けて微笑んだのである。いつも同じ言葉だったとしても、君に迎えられたら安心するね、などと美しく微笑むのである。照れて笑ったその顔!


 ああ、その微笑みはいけない!


 溢れそうな想いを必死で抑える。世界が止まるような気がした。時間が止まるような気がした。けれど鼓動だけはどんどん加速して止まらない。思考も鼓動に合わせて走り始める。誤魔化すように右往左往を再開する。

──ああ、このままだといけない。

微笑まれたからといってなんなのだ、要は何も言わなければそれで良いのだ。何も言わなければ、何も起こらな。そうしたら、この人は満足して去るはずなのだから。

──早く行って。

──行かないで。

我慢して、我慢して、どんどん鼓動は早まって、誤魔化すように続けていた、立ち止まった。「えっ」と小さく驚くような声がする──きっとこの人も、村の入り口にいるNPCが、「ようこそ」連呼以外の反応を示すとは思っていなかったのだろう。

 主人公と視線が交わる。見たことのない色がその瞳に浮かんだのが分かった。きっと自分の瞳にも似た色があるに違いない──そんな気がした。

 ああ、名も知らない素敵な人。きっと貴方は知ることはないでしょう──貴方のその微笑みが今、一人のNPCを殺すのだと。溢れる言葉おもいはもう止められない。

「……好きです」

「えっ」

──ほら、言っちゃった。

 世界が止まる音がした。

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この恋はバグですか? 井田いづ @Idacksoy

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