第5話 聖子

 いじめられている三谷という少年を、大吾が固唾を飲んで見守っていた時。

 ふと横にいたジャッカルの顔を見ると、青ざめて、手で口を押さえていた。


「だ、大丈夫?」

「うっ……吐きそう」

「おいおい、ここじゃ駄目だよ! ちょっと我慢して!」


 大吾は小柄なジャッカルを『お姫様抱っこ』で持ち上げ、近くにあった男子トイレへ走った。こんなところでゲロをぶちまけたら、流石に怪しまれてしまう。

 ジャッカルは和式便器へ盛大に吐いた。大吾は背中をさすってやった。嘔吐する者の看病は、職人同士の飲み会で潰れた若い衆を介護する時の経験で慣れていた。

 吐き終わって、水道で口をゆすぐと、ジャッカルはやっと落ち着いた。しかし、まだ呼吸が荒く、とても不穏な目をしていた。


「ジャッカル君……もしかして、君は」

「そうなんす。俺もあんな風にいじめられてたんす」


 いじめ。

 もちろん大吾も、それが何なのかは知っている。しかし瓜谷中の場合、上島たちのグループが怖すぎて、いじめという形の校内暴力はあまり聞かなかった。上島たちから身を守るために一致団結していた感があった。

 大吾の記憶している限り、自身がいじめに加担したことも、いじめられたこともなかった。かつては上島に歯向かおうとしてボコられた訳だが、あれはいじめというより不良たちの制裁だと記憶している。実際、一度やられただけで、その後上島たちがさらに大吾へ攻撃してくる事はなかった。

 斎川中には不良がいないと思ったら、全く別の闇をかかえていた訳で。かつての大吾は知るよしもないことだった。

 

「俺、特に気に入らんことした記憶ないんすけど、当時今よりもっと背が低くて、声変わりもしてなくて、それでいじめられてたんす」

「それだけでいじめられるの?」

「理由なんて何でもいいんす。さっきのヤツも、歯がちょっと出てるヤツなんかいじめるヤツにもいるのに、あいつだけが狙われてたじゃないすか。この学校、いじめはあれだけじゃないんす……この斎川中では、一クラスに一人か二人は、いじめられている生徒がいるんす。男子も、女子も同じっす。普段誰もいないこの校舎はよくああやっていじめに使われるんす。

誰か、ここのトイレで首吊り自殺したっていう伝説まであるんすよ」


 言われて見れば、大吾が駆け込んだトイレはとても綺麗で、使われている感じがなかった。斎川中の生徒にとっては入りにくい場所なのかもしれない。


「そうだんだ……それで東岸連合のみんな、斎川中のことを地獄絵図って呼んでたんだね」

「はい。東岸連合のみんなは、イカついし喧嘩っ早いけど、あんな風に弱いヤツを囲んで、理由もなく、一方的に暴力ふるうことはないんす。そう考えたら、斎川中より東岸の方がずっとマシなんす。俺、転校して正解だったっすわ」

「全然知らなかった。斎川中の人たちはみんな頭よくて、東岸の中学生よりいい人ばっかりだと思ってたよ」

「頭良くても心がねじ曲がってたら意味ないんす。ガイアさんもそう言ってました」

「それは、本当にそうだね……さっきの古川って人も、裏ではあんな風にいじめ、やってるのかな」

「俺二年なんで、三年の古川先輩のことはよう知らないんす。東岸と違って、あんまり上下での関わりってないんで……でもこの学校では、いじめるか、いじめられるか、見てるだけの三パターンしかないんす。先生も気づいているけど見てみぬふりです」

「そっか……今日は辛かったね。もう帰ろう」


 大吾とジャッカルの二人が、男子トイレから出た瞬間。

 隣の女子トイレに、誰かが入ろうとしていた。


「あっ……」


 ジャッカルがその女子の顔を見て固まった。潜入がバレてしまったからか、と大吾は思った。

 大吾は、別の意味で固まってしまった。

 その女子はめちゃくちゃ可愛かった。

 中学生だというのに、大吾が(大人の時代も含めて)見てきた女性の中で、一番美人だと思った。

 小顔で、ぱっちりとした目。さらさらのショートヘア。

 身長は大きすぎず小さすぎず、ウェストはきゅっと締まり、何より胸が、大きかった。中学生にあるまじきサイズだった。

 ちょうどこの当時流行りだした、四十八人いるアイドルグループのセンターに立つような、完璧な美人だった。

 中身が大人といえども女性経験ゼロの大吾は、直感的に自分が話していいような人物ではない、と感じてしまい、何も言えなかった。


「あれ、一個下の荒巻くん?」


 その女子は、あまり驚いた顔をせず、ジャッカルを見てそう言った。


「は、はいっ! 以前はお世話になりました!」

「お世話、って。元気そうでよかったよ。その人は誰?」

「東岸連合の新しい四番隊隊長、稲垣大吾さんです!」

「東岸連合の……」


 大吾は美人に見つめられ、「は、は、はい」とキョドった返事しかできない。


「あなたが荒巻君を守ってくれてるの?」

「い、いや、僕が守ってるというか、斎川中を案内してもらってまして」

「ふうん……こんなところに来ても、東岸連合の人たちが楽しめるようなことは何もないよ?」

「そ、そうですよね、はは、来たことないからわかんなくて」

「ここ、昼休み明けから授業で使うから、早く帰った方がいいよ」

「そ、そうします! 失礼しました!」


 大吾とジャッカルは、言われたとおりに斎川中を脱出した。自転車で来た道を爆走しながら、二人でさっきの女子について話す。


「いやー、すいません、まさかあの人に会うなんて! 俺がいじめられてた時、斎川東中と東岸連合を紹介してくれた、命の恩人なんすよ」

「あの人、一体何者なの? 斎川中なのに東岸連合の事知ってたみたいだし」

「あれ、ダイゴロンさん知らないんすか?」

 

 若干息を切らしながら、ジャッカルが大声で言う。


「あの人、亡くなったガイアさんの彼女の、清川聖子さんですよ!」

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労災で死んだので異世界チート無双できると思っていたら、絶対に戻りたくない暗黒の中学時代にタイムリープしてしまった 瀬々良木 清 @seseragipure

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