虹の景色

小此木センウ

虹の景色(一話完結)

 街中で、通り雨にあってしまった。


 すぐにやみそうだが、雨脚は強い。どこか店にでも入ってやり過ごそうと見回すと、すぐ近くの画廊に目が行った。

 表通りに面した壁はガラス張りで、外から奥の方まで見通せる。入り口は広く開け放たれており、私と同様に雨宿りらしき客もいる。

 入りやすい雰囲気だ。私は思い切って扉をくぐった。


 小さな展示スペースの中には、十数点の絵が掛けられている。個展のようだ。どれも風景画だった。

 一見して夏の、空の絵が多い。夏とわかるのは、湿度が高く水蒸気でけぶったような景色に、白っぽい、明るい日差しが差しこんでいるからだ。似たようなテーマ、構図の絵ばかりだから人によっては退屈かもしれないが、私の好みには合って、一点ごとに見入った。


 いつの間にか展示されているほとんどを見つくして、最後まで来たところで、奇妙な絵に出くわした。

 他と同じ夏空の絵には違いない。高台から眺め下ろした、どこかの地方都市。建物の壁が白く光っているのは、絵の視点の後方から太陽が照らしているのだろう。不思議なのは、街の向こうの空に、半円形の、鮮やかに輝く橋のようなものがかかっていることだ。


「お気に召していただけましたか」

 しげしげと眺める私に、後ろから声がかかった。振り返ると、落ち着いた雰囲気の、初老の紳士が微笑んでいる。わずかにテレピン油の匂いがしたので、画家ではないかと見当がついた。

「もしかすると、こちらの絵の――」

「はい、私が描いたものです」

「そうですか――」

 まさか作者と話すとは思わなかったので美辞麗句の用意はなかったが、私は少ない語彙をしぼって好印象を伝え、そして最後に付け加えた。

「ところでここに描かれている、光の輪のようなものは何でしょうか」

「ご存じないでしょうね」

 画家は、私から視線をそらしながら答えた。

「これは、『虹』というものです」

 初めて聞く言葉だった。

「にじ、ですか。不勉強で恐縮ですが、そういう自然現象があるのですか」

 私がたずねると、画家は、ふふふ、と声に出して笑った。

「少なくとも今までは、ありませんね」

 そうして、自分の絵を見つめる。

「この絵にも、元々虹はなかったのです」

「と、おっしゃいますと、後で描き足したということですか」

「描き足したというよりは、勝手に入ってきたんですな」

「勝手に――」

 芸術家のことはよくわからないが、考えるより先にインスピレーションが浮かんだ、とでもいう意味だろうか。理解できないままに、だが幻想的な風景としてはとても良いと思い、私は続けて言った。

「本当に、空にこんなものが見えたら、綺麗でしょうね」

「そうかもしれません。ただ」

 そこで画家は下を向き、ため息をついた。

「私も知らないところでどんどん増えてくるんですよ、これは。今日も虹のない絵を選んだつもりだったのに」

「え?」

「確かに虹は美しい。そう言って買ってくれるお客さんも多い。ですが、それは偽物なんですよ」

「に、偽物ですか?」

 だんだん私はついていけなくなってきた。気がつくと、画家はこぶしを握りしめている。

「はい。虹は私の描いたものではない。だからこの絵も、私の創作した世界ではない、何かに作り替えられた偽物です」

 何と答えて良いかわからず私がうろたえていると、画家ははっとしたように顔を上げた。

「これは、初対面の方にわけのわからない話をしてしまいました。申し訳ない」

「いえ、興味深いお話でした」

 芸術家というのは、やはり少々エキセントリックなものだ。おそらくこの画家は、その時の感性に従って虹を描いたが、後で気に入らなくなったのだろう。

 ただ、「偽物」という言葉はなんとなく引っかかった。もし私がこの絵の中の住人で、知らない間に虹を書き足されていたら、世界を偽物だと感じるのだろうか。


 外は雨も上がっている。私は画家に礼を述べ、画廊を後にした。

 外に出てから、もう一度振り返る。画家の意には沿わないかもしれないが、私は虹がある方が好きだ。どの絵に描かれた虹も、それぞれ美しい。どの絵のも――


 雨上がりの通りを歩き始めたところで、私は驚いた。

 空には、鮮やかな虹の橋がかかっている。

 虹の絵の後で本物の虹を見るとは、偶然もあったものだ。感心してから、不意に、なんだか全てが偽物のような気がした。

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