レイニー!〜それでも毎日をやめられない私たちへ〜

東江間カリマ

第1話 春雨と少女

鳩尾の裏を掴まれたような焦りを感じてレミは飛び起きた。枕元の時計を見るとその短針は既に真っ直ぐ左を指していた。窓の外には灰色の空と濡れてくすんだお隣の屋根が見えた。


やばいやばい、いつもはこんなことなんてないのに、


アラームはかけてたはずなのだがいつの間にか止めてしまっていたようだ。雨の日になかなか起きられないのは人間の本能だと言っていたのは中学の英語の先生だったか。吊ってある制服を乱暴に外して袖を通し、ライオンのように爆発した髪をヘアゴムで適当に留めて家を飛び出した。



道が飲み込みきれなかった水をローファーで叩いて飛沫を浴びながら走った。駅についたころには傘の意味などなく体の前面とさっきまで頑として重力に逆らっていた髪もぐっしょりと濡れてしおらしく俯いている。

不必要なほどの音量でゲートを閉められはじめて定期が切れていたことに気づいた。粘着質な舌打ちをしてチャージ機に1000円札をねじ込み、いつもよりずっと空いている電車に飛び乗った。


乗ってしまえばもう急ぎようもないのでいつも通り単語帳を開いたが、目線はページの上っ面を滑るばかりで何も頭に入ってこない。


しんどい、苦しい。毎日毎日起きて学校行って勉強して、どれも嫌いじゃないけどなんかもう全てがめんどくさくて。周りはいつも楽しそうで、それがなんだか残酷に思えて。それでも今までサボろうとしたことも休んだことも遅刻したこともなく、真面目さだけがとりえなのに。


あーあ。自分何やっちゃってるんだろう。


手すりに掛けたビニール傘が汚れた床に水溜まりを作っていた。



ホームに下りると風が濡れた靴下を冷やして脚がぞわっと震えた。低血糖のせいか視界もぼやけてきた。


「あれ?レミちゃんじゃん、珍しいね。」


後ろから声をかけられ見ると去年クラスが一緒だった遅刻常習犯、サナが立っていた。


「どうしたの?体調悪かったとか?」

「普通に寝坊しちゃっただけ…。」

「え、それは本当に珍しいね。」



雨の音で声が少し聞き取りにくい。遅刻しているというのに急ぐ気配のないサナの歩調に若干苛立ちながら歩いているとサナが急に立ち止まって言った。


「ところで何か朝食べた?」

「なんも食べてない。」

「私今からコンビニで食べてくけどレミちゃんもどう?」

「…急がないの?もう3時間目だよ?」

「どうせ遅刻してるんだからゆっくり行けばいいじゃん。それに食べないと頭働かないよ?」

「じゃあ私も…行こうかな。」



ぼろぼろ水滴を落とす傘を畳んで自動ドアに近づくと変に明るい音楽と蛍光灯がレミの頭をつついた。


「このおにぎりとー、焼き鳥も買っちゃおう♪」


子どものように喋りながらレジに向かうサナを尻目にレミはホットココアを手に取った。



湿気ったアスファルトを車が次々と轢いていく。ガラスにはりつけた背中が冷たかった。


「本当にそれだけでよかったの?」

「うん、あんまりお腹空いてないの。」

「そっか、レミちゃんやっぱ疲れてるんだね。」

「そうかな、」

「疲れてなかったら歩きながら泣いたりしないよ。」

「え?」


深く瞬きをすると視界の靄が消えて雨よりも温かい水滴が頬を伝った。誤魔化すように口に含んだココアの甘さが舌に留まって温度だけが腹の奥まで沈んだ。


「私いつから泣いてた?」

「ホームで会ったとき既にうるうるしてたよ。ちょっとびっくりしちゃった。」


そんなに前から気づいていなかったのか。無自覚にこの顔を晒していたことに恥ずかしさが込み上げる。


「毎日ちゃんと起きて学校行くのはもちろん偉いと思う。でも疲れてる時、弱ってる時に起きられないからって偉くないわけじゃないとも思うの。あれ?今雨降ってなくない?今のうちに行っちゃおうよ!」


傘立てから2本の傘を取って寄越すサナの姿がぼやけては流れてを繰り返す視界に入り込んだ。

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レイニー!〜それでも毎日をやめられない私たちへ〜 東江間カリマ @1704mm

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