第20話 母のこと

「え、えぇっと、それはどういう?」

「……だから、家族が好きなのかって訊いてんだ」


 バディが眉をひそめながら、池の方へ向き直った。

 不機嫌な声音でされるには、あまりにも予想外過ぎる質問だ。理解の出来ない現状に、アウルが戸惑い始めたその時、ふとバディの唇がすぼめられている事に気づいた。


 それは先刻、アウルがバディの言葉にムッとした態度を取った時にも見た光景に、どこか似ていた。


(もしかしてバディさん。私が落ち込んでしまったから、他のお話に変えようとしてくれてる?)


 そう気づいた瞬間、アウルの中にこれまでのバディの言動が甦ってきた。


 先刻の宿屋での一件しかり、血まみれのジュードがアウルの手を掴んで来ようとした時しかり。

 思えば、これまでアウルが困ったり落ち込んだりした時、彼は必ず、なんらかの助けを差し伸べてくれていた。ロビーでの蜘蛛の一件だってそうだ。急に「動くな」と言われた時は何事かと思ったが、今ならあれが、彼なりの配慮であった事は容易に想像がつく。


 それにジュードによれば、アウルが林の中で大鴉達に襲われていた時、真っ先に助けに向かおうと動いたのはバディの方、という話だった筈だ。


(口がきついだけで、実は結構優しい人なのかも)


 そんな考えが、ふいにアウルの頭の中に浮かんだ。


「……はい。大好きです。母は私にとって唯一の……、家族なんです」


 バディの質問に、アウルはソッと視線を池の方へ戻しながら答えた。

 バディは無言だった。が、アウルの話に耳を傾けてくれているのは、なんとなくでわかった。だから、アウルは、そのまま言葉を続けていくことにした。


「ずっとこの林の中で、母と共に過ごしてきました。ここは、本当にこの林以外に何もない場所ですから、何かを教わるのも、誰かと遊ぶのも、全部母と一緒にするしかありません。ここでの暮らし方や仕事の事はもちろん、この世界の事やケイオスの扉の伝承の事なんかも、全部全部、母から教えられて育ってきました」

「そういえば、母親と2人暮らしだと言ってたな。父親はいないのか」

「いません。ずっと母と2人だけでした」


 アウル達の目の前で、新たな蓮の花が池に流れ着く。

 スゥー……、と静かに水面をなぞり、自分と同じ種の花々が集うそこへと混ざっていく。そうして、そうあるべきだというようにぴったりと、他の花に寄り添う形で動きを止める。


 まるで自分と同じ姿形の仲間を見つけた事を喜び嬉しがっているみたいだ、とアウルは頭の隅でそんな事を考えた。


 そして、そんな事を思ってしまったからだろうか。


 アウルの口から、さらりと、その言葉が出てしまったのは。


「実を言うと、私と母って、本当の親子じゃないんです」


「何」とバディが驚いたように声をあげた。

 が、あげてから失言だったと気づいたらしい。「悪ぃ」と顔を顰めながら、言葉を続けた。


「……本当の親子じゃないって事は、血が繋がってないって事か」

「はい。捨て子だったんです。本当の親がどこに居るのかは知りません」


『捨て子』とアウルが言った瞬間、バディの眉間のしわが濃くなった。


 険しく寄せられるしわに、改めてバディの人の良さが見えたような気がして、アウルは苦笑した。

 そうして、気の優しい宝探し屋がこれ以上気を止まないように、「大丈夫ですよ」と言葉を続ける。


「実際のところ、捨て子であった事はそんなに気にしていませんから。嘘でもなんでもなく、本当に。だってそうでしょう? 私は実の両親が別に居る事は知っているけれど、実際にその姿を見た事があるわけじゃないんです。そんなの、殆ど知らない相手同然じゃないですか。いくら本当の両親がどこかに居ると言われても、顔も声も覚えていない相手じゃ、心の拠り所にすらなりませんよ」


 ふぅ、と小さな息がアウルの口からこぼれ落ちる。

 ため息なのか、それとも一気に喋った事による疲労からのものかは、アウルにもわからなかった。


 そんなアウルの様子を、バディの方は、今度は黙って見守っている。


「でも、母は違います。確かに血は繋がっていないかもしれませんが、でもあの人は、私をここまで育ててくれました。私にこの世界での生き方を教えてくれたのも、遊び相手が居なくて暇を持て余していた幼い私と遊んでくれたのも、夜の林の気配が怖くてなかなか寝付けない私に、ケイオスの扉の伝承や色々な寝物語を話してくれたのも、全部全部、今の母です。本当の親子ではないかもしれないけど、私にとっては、ここまで育ててくれた母こそが、本当の母なんです」


 ふと、言葉を続けるアウルの脳裏に、寂しくないのか、というジュードの問いかけが思い浮かんだ。


 あの時、アウルは、そんな事考えた事もなかったと思った。

 だが、今こうして改めて自身の置かれている環境を振り返ってみると、その考え方はように思う。


(多分、考えた事なんてなかったんじゃない。考える必要がなかったんだルビを入力…


 なぜなら、アウルにとって母と2人で暮らす、この生活以上に満ち足りたものなど、何もないのだから。


 だから――、


「――あの人だけが、唯一無二の私の家族なんです」

「……」


 アウルが話を終えた事を察したのか、バディが何かを言おうとするように口を開いた。


 が、思いつく言葉がなかったのだろう。すぐに口が閉じられ、述べる言葉を熟考するかのように黙り込んでしまった。


 そんなバディの反応に、アウルは我に返った。


 まずい、思いの外、重たいお話になってしまった――。慌てて、「す、すいません」とバディに向かって頭を下げた。


「重かったですよね。こんなお話するつもりじゃ……。本当、ごめんなさい」


 全く、自分は何度失態を晒せば気が済むのだろうか。はぁ、と今度はしっかりとため息とわかる深いそれが、アウルの口から吐き出される。


 バディが「いや」と口を開いた。

 が、すぐに口を閉じたかと思うと、再び熟考するかのように顎に手を当て始める。


 そうして、しばしの間を明けた後、「お前は、」と先刻も述べた言葉を口にした。


「母親が大好きなんだな」

「!」


 先刻と似た、けれども確かに異なる意味を持った言葉。

 短く不格好で、不器用さの塊のような言葉だが、しかしだからこそ、それがバディなりの嘘偽りのない想いを述べた言葉である事が、アウルには伝わってきた。


(宝探し屋さんって変な人だけど――、でも、悪い人ではないのかも)


「はい」とアウルは頷き返した。バディに言われた言葉を、頭の中で反芻させる。


 ――『お前は、母親が大好きなんだな』


「大好きです。母は、私にとっての全てなんです」


 滝から流れ着いた新たな蓮の花達が、仲間のもとへ向かって水面を静かに滑っていった。

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異界混沌宝浪記=蜘蛛の㤅(いと)= 勝哉 道花 @1354chika

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