第19話 欲望とは
ここに出てくる玉というのは、無論、世門盡玉の事である。
『混沌の渦』――、つまりは混沌世界・カタスヨの園のどこかに存在する世門盡玉を見つけ出し、見事扉を開ける事ができれば、叡智の民ことケイオスの民が、その者の願いを一つ、叶えてくれるというのである。
課せられる試練というものが、どういった物であるかは不明だ。
そもそも、それを課してくるという世門盡玉がどこにあるのかが不明なのだ。試練の内容がわからなくても致し方ないと言える。誰が言い出したか、玉毎に異なる試練を課してくるという説も存在するが、それが本当かどうかはやはり不明である。
だがその程度の不明瞭具合は、やはり、このカクリヨの園では珍しくない。
むしろ、これだけ明瞭に情報が伝え残されている方が、珍しいといえる。
かつて、とある世界の哲学者は「『欲望』とは人間の本質そのものである」という言葉を世に遺した。また同じく、そのある世界の宗教では「欲は、概ね人間の生理的・本能的なものである」と人々に教え賜っている。
どちらも人間にのみ着目したものではあるが、しかし食欲や睡眠欲、性欲といった『欲』は、人間以外の生物にも存在する。
それはすなわち、どんな生物にも何かを望み、渇望し、求み、願い心がある、という事になるのではないだろうか。
人間にこだわらず、様々な生物、生命を持つと思われるなにがしかの『もの』達が、蔓延るカタスヨの園において、それが当てはまらない理由がないわけがない。
願いを叶えてくれる異界の民と通じる扉。
この俗物的な伝承こそが、カタスヨの園の民が、ケイオスの扉の伝承を一寸の狂いも誤りもなく、覚えられている理由である事は明白である。
「お前が母親から聞いたっつー話をそのままそっくり信じるのなら、可能性として考えられるのは、ケイオスの扉を開いた誰かが、このような現象を起こすように願った、という事だ。だが、それだと『ケイオスの民からの贈り物・褒美』というお前の話とは矛盾する事になる」
バディが言葉を続ける。
その整合性が取れている内容に、思わずアウルの方も「確かに……」と納得し、頷いた。
「それに、こんなところにケイオスの扉なんざあったら、その情報が組合の方に回されない筈がない。伝説の異界へ続く扉なんて、これ以上無いほどの宝だぞ。あれを探してる宝探し屋はごまんといる」
「ごまんと……。あの、という事はもしかして、バディさん達も探していたり……」
「当然だ」
アウルの問いに被せるようにして、バディがきっぱりと返答した。
まさかそんなに食い気味に返されるとは思ってもいなかったので、少しばかり驚きからアウルの目が丸くなる。
が、なんとか平常を取り繕うと、「そうなんですね」と相づちを打ち返した。
バディの方は、そんなアウルの様子に気づいていないらしく、言葉を続けていく。
「お前の母親が、どこからその伝承を聞いたのかはわからないが、間違った伝承である可能性の方が高いな」
「そうです、か……」
「いや、待てよ。もしかしたら、回されていないんじゃなくって、回されなかった、という可能性もあるな。伝承の真偽はさておき、地元民が知ってる程の伝承を、調査員の奴らが見過ごすわけがねぇんだ。この伝承を外に漏らしたくない何者かが、調査員を消していると考えれば、この場所で奴らが消えてる事に理由ができる」
「だがそうだとしたら、伝承を外に漏らしたくない誰かっつーのが、誰だって話に……」ぶつくさと言葉を続けながら、バディが顎に手を当てる。どうやら、彼が調査してる事件に関わる何かをひらめいたようだ。
そんなバディの姿を、仕事熱心だなぁ、と心の中で呟きながら、アウルは眺めた。
そうして、頭の中で、ふとバディに言われた言葉を反芻した。
――『お前の母親が、どこからその伝承を聞いたのかはわからないが、間違った伝承である可能性の方が高いな』
「……そっか。お母さんから聞いたお話は、間違ってたんだ」
ぽつりと、アウルの口から小さな呟きがこぼれた。
実のところ、ずっと本当の事だと信じ続けていた話だっただけに、真っ向から間違っている、と言われてしまった事実は、少しばかり――いや、それなりに、かなり、アウルにとってはショックな話だった。
だが、相手は宝の専門家である人物だ。
そのような相手に間違ってると言われてしまえば、アウルの方に反論できる術はない。
実際、バディの話はきちんと筋が通っていた。伝説の民からの贈り物、だなんてふわっとした話よりも、しっかりとした説得力が伴っている。納得する以外他にない。
しょんぼりとアウルは背中を丸めた。と、流石にバディの方もアウルの様子のおかしさに気づいたらしい。
途端、ぶつくさと呟いていたそれを止めたかと思うと、アウルの方にちらりと顔を向け、眉をひそめた。
そして、少しばかりの間を開けた後、「お前は、」と口を開いた。
「――母親が、好きなのか」
「え」
突然の問いに、驚いてアウルは顔をあげた。
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