|なし 〇なし 脈はあり?

kgin

第1話



「ありがとうございましたー! 行ってらっしゃい!」


 会計が終わった家族連れのお客さんは「また来るよ」と言ってにっこりしてくれた。お母さんに抱かれた坊やに「バイバイ」と手を振ると、ぎこちなくも手を振り替えしてくれる。本当、可愛いなあ。鼻歌を歌いながらバックヤードに戻ると、香ばしいたれの香り。店長は襟足から汗をしたたらせながら焼き鳥を忙しなく返している。


「いちご、マルさんにビールとこれ出して」

「はーい、了解です」


 手渡されたねぎまの皿とジョッキを持って鼻歌混じりでカウンターへ。常連のマルさんはお通しをつつきながら煙草を吹かしていた。


「はい、マルさん。生とねぎまです」

「お、いちごちゃん機嫌いいな。彼氏でもできたか」

「それができてないんですよぉ」

「いちごちゃん、今年28だろ。このままじゃ30までに結婚できんよ」


 マルさんはいつものように人のいい笑いを浮かべてからかってくる。飲み終わったジョッキを下げながら、ワタシも負けじといつものように答えてやる。


「ホントですよ! マルさん、誰か紹介してくださいよぉ。このままじゃ、我が子で野球チーム作るって夢が叶わない」


 ふざけて言ったけど、あながち冗談ではない。友達もどんどん結婚していくし、早い子は子どもも何人かいる。焦ってないと言えば嘘になる。かと言って、適当な人と結婚したくはない。そこそこ面食いだし、子煩悩な人じゃなきゃ嫌だし。あぁ、運命の人が颯爽と現われないものかな。

そのとき入り口の引き戸が音を立てて、お客さんが入って来た。マルさんの相手もそこそこに「いらっしゃいませ!」と声をかけようとした。


「……!」


 ちょっと待って待って。ど、どタイプなんですけど。運命ってこんなに唐突に訪れるもの? 目の前のサラリーマン風の人はくたびれてはいるけれどワタシのタイプどストライクだ。年は少し上だろうか。眠そうな二重の大きな目。滑らかな肌。中性的な童顔。ゴリゴリの雄々しい男が苦手なワタシにとっては理想的な見た目の人が、そこには立っていた。


「……、いらっしゃいませ! お一人様ですか」

「はい」

「では、カウンターへどうぞ」


 ドキドキしながらそのお客さんをカウンターへ案内する。少し猫背でちょこちょことした特徴的な歩き方なのがかわいらしい。席に着くと渡した冷たいおしぼりで気持ちよさそうに顔を拭いていた。左手薬指、指輪ナシ!

 生ビールを何ともおいしそうに飲む横顔をちら見する。彼はスマホを弄るでもなく店員と話すでもなく、純粋に焼き鳥を楽しんでいるように見えた。そして、手持ち無沙汰になったときは何か物思いに耽るように端正な顔を呆けさせていた。次、また来るともわからないのに、どこかミステリアスな雰囲気で結局ろくに話しかけることができなかった。

 1時間ばかりサクッと飲み食いした彼はスマートに会計を済ませた。


「ありがとうございました。行ってらっしゃい!」


 いつもの決まり文句で送り出すと、とっつきにくい表情をしていた彼は一瞬きょとんとした。そして、その後ふんわり微笑んだ。それを見て、この人が運命の人なんだって直感した。ドキドキしたままバックヤードに戻って相変わらず忙しそうな店長に話しかける。


「ねえねえ店長! さっきのお客さん、すごく格好よくなかったですかぁ」

「何、いちご。ああいう人がタイプなの?」

「もう、どストライク! あぁ、連絡先聞けばよかった」


 一人はしゃぐワタシを余所に、店長は珍しく苦々しい顔をした。あまりに声高だったせいだろうか、カウンターの方からマルさんが口を挟んできた。


「いちごちゃん、悪いことは言わんけどあの人はやめたほうがいい」

「なんでですかぁ! 格好いいし、それに悪い人じゃなさそうだったでしょ」

「……あの人、猫背で変な歩き方してただろう? 髭もないし声だって高かった」

「だから何なんですか」

「宮刑、知ってるだろ?宮刑になった奴はみんなそんな感じなんだよ」


 確かに、聞いたことはある。「宮刑」というのは男の人を去勢する刑罰のこと、だったと思う。


「性犯罪の加害者を去勢する法律ができてからかなり経つからな。俺だってそんな奴の一人や二人見たことあるよ。店長、どう思う?」

「私もマルさんと同意見かな。大人しそうな人だったとしても、前科持ちってこともありえるし。中には女性官僚の秘書とかになるために自分で去勢する人もいるって聞くけど……」

「マルさんも店長も考えすぎだって! たまたま中性的なだけの男の人だって可能性もあるでしょ」

「いや、あれは十中八九竿なしだな。俺にはわかる。ま、とにかく痛い目見たくなかったら、やめとくこった」

「そうよ、いちご。もし普通の男だったとしても、あんな見た目なんだから、一緒にいるアンタも周りに何か言われるよ」


 そう言って店長は溜め息を一つ、それっきりワタシの話には取り合わなかった。ワタシは釈然としなくて、店のTシャツの裾をぎゅっと握りしめていた。






 金曜日の夜9時。どうやらウチの店が気に入ったようで、彼は毎週のようにやって来た。来るのは決まって一人で、焼き鳥を食べながらぼーっと過ごしているのが常だった。彼のことが気になりつつもさすがに最初は少し警戒してた。それでも、自分の直感には逆らえないもので。


「えー! カヲルさん42なんですかぁ? 見えないですよぉ」

「そうかな」

 

 数ヶ月経つと自然と話すようになっていた。カヲルさん(という名前を聞き出すのにもかなり苦労した)は大人しい人なので交わす会話というのは断片的なものだったけど、それでもカヲルさんの人柄はわかってきた。もちろん見た目は好みだったけど、物腰が柔らかくて知的なカヲルさんとは性格的にも馬が合った。ただ、マルさんたちの言ってたことが頭をよぎらなかったわけではない。子どもがほしいワタシと、カヲルさんが本当に去勢されていたらどうしよう、前科があるかもしれないと冷静に考えるワタシがいた。それでも次第にカヲルさんと仲良くなってくのは止められなかった。




 そんなある日だった。




 梅雨の明けきらない、雨の残る夜だった。珍しく10時を回って現われたカヲルさんのクールビズのスーツ姿は、いつも以上に疲れて見えた。そのままカヲルさんはいつになくハイピッチでジョッキを空けた。空きっ腹のはずなのに、グビグビとビールを入れていく。隈の濃くなった目元、無茶な飲み方はきっと何かあったんだろう。


「ちょっと、もうやめときなよ」


 終いには店長まで止めに入る始末。真っ赤になったカヲルさんは子どものように素直にそれに従ってた。水を飲ませたりワイシャツのボタンを外したり、あれやこれやと世話を焼いているうちにカヲルさんは眠ってしまった。閉店時間が近づいても全く起きそうにない。


「珍しいね、ここまでずぶずぶに酔うなんて」

「ホントですねぇ」

「困ったね」

「店長……ワタシ、連れて帰りますよ」


 思わず口をついて出た言葉。店長は驚いた顔してこっちを見た。


「いちご、アンタ大丈夫? 危なくない?」

「大丈夫ですよぉ! 店長もカヲルさんの人柄、見てきたでしょ。危ない人じゃないですって」

「まあ、そうだけど……」

「ワタシだって子どもじゃないんですから。それに、どっちにせよこのままじゃ店、閉めれないじゃないですかぁ」


 笑いながらカヲルさんを連れ帰ることを決めると、店長はしぶしぶ首を縦に振った。幸いカヲルさんは細身だったから、店長と二人がかりで何とかワタシの車に乗せることができた。おかげでみんな汗と雨とでびしょびしょだった。店から車で10分ほどのアパートの2階。エレベーターを降りて引きずるように209号室の扉を開けた。玄関にカヲルさんを座らせて、急いで部屋からバスタオルを持って来る。わしゃわしゃと髪を拭くのを、カヲルさんは大人しく犬のように受け入れていた。


「カヲルさん、靴、脱いでください」


 むにゃむにゃと意味のわからないことを呟きながらも、カヲルさんは素直に靴を脱いだ。ようやくまともに歩けるようになってきたので、手を引いてリビングのソファに座らせる。冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを手渡すと、ゴクゴクと気持ちいい飲みっぷり。動く喉仏が色っぽい。


「もしよかったら……シャワー浴びます? びしょ濡れだし」


 言い方に、違和感なかっただろうか。いやらしくなかった? ドキドキしながらカヲルさんを見ると、期待に反して寝ぼけたままで、船を漕いでいるともうなずいているともわからない動きをしている。


「よしっ」


 再びカヲルさんの手を引いてバスルームへ。新しいバスタオルを出して押しつける。「服、脱げますよね」と念押しして、そそくさと脱衣所を出た。まだドキドキしてる。足早に寝室へ。クローゼットを漁ると1年前に別れた元カレのTシャツとハーフパンツが紙袋に入って置き去りになっていた。ずっと見て見ぬ振りしてきたそれらを取り出す。とりあえず、コレ、着てもらおうかな。バスルームへ引き返すとシャワーの音が静かに響いている。そっと脱衣所のドアを開けると、着替えを脱衣かごの隣に置いて、また脱衣所を出ようとした。そのとき。


「あ……」

「あ……!」


 バスルームの扉がガチャッと開いて慣れ親しんだシャンプーの匂いがしたかと思うと、全裸のカヲルさんと鉢合わせしてしまった……! 一瞬、時が止まったのがわかった。止まった時の中で唯一動ける視線だけが遠慮なしにカヲルさんの体を這ってしまう。白い肌に肉付きの薄い体、そしておへその下……あそこの毛の下にはあるはずのものが、なかった。


「やっぱり……ないんですね」

「ははははは!」


 ワタシの表情があまりに滑稽だったのだろうか。カヲルさんは突然爆笑しだした。


「そんな顔で、そんなハッキリ言われたの初めてだよ」

「いや、あの、すみません! ……早く服着てください」

「ああ、ごめんごめん」


 カヲルさんは、いつものとっつきにくい雰囲気はどこへやら、何ともフランクな様子で服を身につけた。シャワーを浴びて酔いはやや醒めたらしい。


「迷惑かけちゃったね、いつもはこんなに飲まないんだけど……ちょっと仕事でやらかしちゃって」

「カヲルさん、お仕事何してるんでしたっけ」

「言ってなかったっけ」


 鞄から取り出された名刺を手渡される。肩書きには「デジタル省大臣秘書官」の文字。超エリートじゃん。……そういえば、今のデジタル大臣、女の人だったっけ。


「それじゃ、その、それって……」

「ああ、これ?」


 カヲルさんは股間に手を当てて苦笑いした。


「取ったんだ。自分で決めて。出世したかったから……女性官僚の秘書は去勢必須だからね」

「そっか……よかった、カヲルさんに前科あったらどうしようかと思った」

「そんなこと心配してたの?」

「あ、いや、なんか気分悪くさせたらスミマセン」

「いいよ、よくあることだから」


 カヲルさんは笑い飛ばしたけど、なんだか申し訳ない気持ちになる。今まで見た目のせいで嫌な思い、してきたんだろうな。勘違いされたり決めつけられたり。「あ……」そこでワタシは自分もカヲルさんを「去勢しているかいないか」で見ていたことに気づいた。見た目で人を判断して、ある一面だけで人を決めつけて。カヲルさん自身はこんなにいい人なのに。

 口ごもっていると、カヲルさんはポンポンとワタシの頭を撫でてくれた。


「いちごさんがそんな顔しなくていいんだよ」

「でも、」

「僕は、笑って冗談言ってるいちごさんが好きだよ」


 ワタシは、思わずカヲルさんの胸に抱きついた。Tシャツの胸元に濡れた染みが広がっていく。一瞬ビクッとしたカヲルさんは、おずおずとワタシの背中に腕を回した。そして不器用に優しく抱きしめてくれた。






 その夜、ワタシたちは年甲斐もなく一晩中しゃべり通した。生い立ちとか価値観とか仕事のグチとか。思えば今までカヲルさんとツッコんだ話なんて、したことなかった。フワフワとした声で語られるボソボソとした言葉の色々は、素朴で和やかで心地良かった。ワタシの中で葛藤が消えたわけではなかったけど、「この人を素直に好きになっていいんじゃないか」と夜明け前の微睡みの中で思った。


「ごめんね、朝まで付き合ってもらって」

「いいんです。話せてよかった」

「そう言ってもらえてよかった」

「今日も仕事?」

「ちょっとね」

「寝てないのに大丈夫?」

「割と元気だよ」

「大丈夫そうだね」

「じゃあ……」


「ありがとうございました。行ってらっしゃい!」







<了>

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