人魚と人間は恋をする

歩く屍

第1話 人魚と人間

 儂は海部平蔵あまべへいぞう、写真を撮るのが好きなただの爺だ。


 特に海の写真を撮るのが好きでな、海の見える景色や泳いでいる魚を、亡くなった妻とよく撮っていたものだ。


 今日も鹿が見られる島の浜辺へ、景色をたくさん撮ろうと重い腰を上げてやってきた。


 ここはフェリーで来ることができる小さい島だが、ここでは飼育している鹿も見られる。


 おまけに浜辺があり、海で泳ぐこともできる。


 キャンプすることもできるため、ここへテントを持ってきて寝泊まりする人もいるそうだ。


「海を見ていると、あいつの笑顔を思い出すよ。なぁ、波恵なみえ……」


 海部波恵、儂の妻の名前だ。


 波恵は、儂とは違いアウトドアでな、若い時はよく休日に旅行に行ったかの〜。


 記憶に残っとるのは、水族館や海へ行ったときか。


「今思えば、あいつのおかげで泳げもしない海を好きになったんだったな」


 水中の中を活き活きと泳ぐ魚を見て、目を輝かせとったな〜。


 海の景色を見るときも、太陽の光に当たって青白く輝く海にはしゃいどったわ。


「まだ生きとったら、何て言うたかの……」


 波恵は旅行中の船の上から落ちて亡くなった。


 落ちたところを見た人が言うには、カメラで景色や泳いでいる魚を撮ろうとし、身を乗り出して落ちてしまったらしい。


 捜索はしてくれたが探しても見つからず、泣きながら断念したことを今でも覚えている。


「海で魚と今でも泳いどるんかいの」


 歳を取ると涙脆く、目元に涙が溜まる。


 手で涙を拭い、気を取り直してカメラを景色へと向ける。


 太陽に照らされる砂浜はキラキラと輝き、海は波を作り静かな音をたてて流れる。


 暑い季節になったせいか、汗が滴り落ちる。


 汗を拭い、一眼レフのカメラを海に向ける。


「はて、あれは……」


 目を擦ってから、もう一度カメラで海に映る何かに目を向ける。


 最初は魚かと思ったが、一瞬だけ見えた尾鰭の大きさで違和感を覚えた。


 あまりにも美しく、通常の魚であれば絶対にないほどの大きな尾鰭。


 カメラに捉えれなかったのが悔しく、もう一度粘ってチャンスを伺う。


 海水が当たるか当たらないかぐらい接近し、暑さに耐えながらもレンズ越しに広い海の中からさっき見た謎の生物を探す。


 持ってきていたタオルで汗を拭う。


 どれくらい探しただろうか、それともあれは幻だったのだろうか。


 なかなか姿を見せない。


「写真を撮りたいだけなんだがの、綺麗じゃったな〜」


 あの綺麗な尾鰭に儂は魅了された。


 まだか、まだかと諦めがつかないほどに美しかった。


「撮れたら波恵のお墓へ持っていって見せようかの。きっと大はしゃぎじゃ」


 しかし、途中で目がくらみ、倒れた。


 水分を取るのも忘れ、没頭していたせいか、暑さにやられたらしい。


 視界が暑さで揺らぐ。


 島には、鹿の世話をする人やフェリーを操縦して案内する人ぐらいしかほとんど人がいない。


 ここに来た時は一人で、平日のためか人を見かけなかった。


 だんだん意識が遠のいていく。


 そんな時じゃった、誰かが儂に水を……。


「って、しょっぺ!」


 海の水を直で口に注がれ、飛び起きる。


 すると、次は顔面に海水を浴びせられた。


 立て続けに起きる出来事に困惑しながら、こんなことをする人物を確認する。


 しかし、それは人ではなかった。


 それは百聞は一見にしかず、海面からこちらを伺い見るのは確かに人の姿だったが、人間にはないあるものも見えた。


「その尾鰭は……。まさか……!」


 そう、あのカメラで目にしたあの尾鰭と同じ。


 誰もが一度は耳にしたことのある伝説の生き物の姿だった。


「人魚とは、たまげた……」


 艶のある尾鰭に大きな鱗、上半身は人間とほぼ変わらなんだ。


 聞きたいことはいくつもあるけんど、まずはお礼を言った。


「やり方はどうあれ、助かったわい。ありがとうのう」

「今日は暑いけんね、水分とり〜よ〜」


 儂は、開いた口が塞がらなかった。


 同じように、しかも日本語で話してくるとは想像もできなかったからだ。


 人魚はそのまま一言残して、すぐ海の中へ消えていく。


「あの顔は……。いや、よそう。まだ暑さにあてられとるな」


 頭を横に振り、考えを払いのける。


 倒れた際に落ちたカメラを拾って、壊れてないか確認する。


 どうやら故障してなかったようで、一先ず安心する。


 しかし、動作確認していると、どうやら誤作動で動画が撮れていた。


 動画を見てみると、あの人魚の姿がはっきりと写っていた。


「卑しか女ばい」


 儂は人魚を見たとき、確かに驚いたが別のことでも驚かされた。


「胸には貝じゃないのかの?」


 物語に出てくる人魚は、よく胸に貝をつけているはずじゃった。


 しかし、どう見ても今回出会った人魚は抜けておる。


「クラゲなんて付けて痛かないんかの?」


 両の胸には、胸を隠すためにクラゲを付けていた。


 イメージが削がれたが、問題は今そこではないと我に返る。


「……この写真見せてもの〜」


 妻に見せてやろうと頑張ったがゆえの一枚じゃったが、大人しくここは削除した。


 それからというもの、何度かここに来て写真を撮るようになると、ほぼ毎回あの時出会った人魚の姿が見える。


「今日は儂一人かの〜」


 毎回来ても人は少ないが、鹿が目当ての人が多い。


「これこれ、儂は一人じゃないぞ。寂しくないぞ」


 砂浜に来てカメラを取り出そうとすると、一頭の鹿が一人の儂に近づいてすり寄ってくる。


「そうそう、一人じゃないよ。私もいるよ」

「……当然のようにおるの〜」


 確かに一人じゃない。


 一人の人間に、一匹の鹿に、一体の人魚。


 お伽話の登場人物よりも濃い面子で、今日は何しに来たのか人魚に尋ねる。


「今日はね〜、魚を見せに来たんよ〜」

「ほぉ〜、人魚は魚見るの飽きん変え?」

「何言ってますの? お魚めっちゃ可愛いわ〜」


 話していると、妻の波恵の姿が浮かぶ。


 気のせいじゃろうが、若い時の波恵にすごく似ておる。


 話し方もまるで本人と話しているようで、どこか懐かしく感じる。


「そういやお前さん、名前はあるんかいね?」

「あら? 言ってなかったかね?」


 改めて互いに名前を知らずに話していたことに気づき、改めて自己紹介した。


「儂は海部平蔵じゃ、よろしくな綺麗な人魚さん」

「ええ、私は……」


 人魚は元気に答えた。


 しかし、その名前に儂は驚きを隠せず腰を抜かす。


「す、すまんな……。もう一度、言ってもらえんか?」

「え、うん。ナミエっていうんよ」


 顔が瓜二つで話し方もよく似てて、名前まで殆どが妻と繋がっていく。


 儂は頭がおかしくなりそうだった。


「どうしたん? お魚見いひんの?」

「あ、ああ……。そう、じゃったな」


 きっと気のせい、きっとと目の前の繋がりから目を背ける。


「この赤くてでかいのとか〜、黒くてでかいのとか〜、い〜ぱいあるんよ〜!」

「いや、全部タイじゃ」


 海の中にこんなにタイがいたのかというほどたくさんのタイを見せに来た。


 これを見て、やはり似ている所があるだけじゃとそう思った。


 魚を見て楽しんだ後は、魚を海へ逃してから帰る。


 しかし、帰ろうとするとき、ナミエは奇妙なことを言う。


「ねぇへいちゃん、もしかしてどこかで会うてたりする?」

「会うてない」

「なんかね、平ちゃん見てると落ち着くんよ〜。まるでな、ずっと一緒に元々いたような……」


 この人魚の言葉が、淡い期待を抱かせる。


 そんな思わせぶりな言葉を聞いてからも、何度もあの妻と同じ名前のナミエという人魚に出合い会話した。


 妻のいない日々は孤独で、寂しい一日を過ごすだけだったが、次第に寂しさはナミエと話ているうちに薄れていった。


 それは、波恵の代わりとして見ている自分がいるからかもしれなかったが、儂はナミエに救われているのを感じていた。


 しかし、儂にはもう時間がなかった。


 日に日に体が衰えていった儂は、肺の活動も衰えてきて呼吸困難により病院へ運ばれた。


 お見舞いに来た娘や息子は、つまらないことで喧嘩をしていたあの頃とは違い、優しい顔でお見舞いに来てくれていた。


 孫の成長も早く、思いやりのある子に育ち儂に絵をプレゼントしてくれた。


 だが時は残酷なもので、もうすぐ死ぬと直感でわかる。


 最後に、娘と息子に最後の頼みをした。


 それは、よく行っていたあの島の近くの海へ沈めてほしいと。


 あの波恵が好きだった、魚が泳ぐ広大な海へ……。


 呼吸は少しずつしづらくなり、どんどん静かになっていく。


 あの時の波恵もこんな感じだったのかと思いながら、儂は息を引き取った。




 ● ● ● ● ●



 平ちゃんは途中からあの場所へ来なくなった。


 あんなに楽しかったのはなぜだろう、なんで今はこんなに会いたくなるんだろう。


 そんな胸のモヤモヤが晴れないでいた。


 深海でずっと待った、大好きな魚と一緒に待ち続けた。


 そして、ふと思った。


 私はいつから魚が好きなんだろうと。


 いつも平ちゃんが教えてくれた、夢というものを見る。


 そこには、今よりピチピチな平ちゃんがいて、私は……人間の姿だった。


 考え込んでいると、何か大きなものが落ちてくるのを音で感じた。


 音の方向へ行くと、どんどんバラバラに乱雑に底へと落ちていく。


 そこには、平ちゃんの姿があった。


「平ちゃん! 平ちゃん!」


 何度読んでも返事がない。


 私は、ここでは平ちゃんが息できないことを思い出し、上へ上へと持ち上げた。


 空気のあるところまで来たけれど、起きない。


 また呼んでも起きない。


 私は、彼の胸へと耳を傾ける。


 鼓動も何もない。


 ただ寝ている平ちゃんの姿がそこにはあった。


 私は、雨で涙を隠しながら、あることを思い出す。


 それは、私の血の力。


 何度も何度も、この血で怪我をしている魚を助けてきた。


(私はもう、こんな悲しみは嫌だ。一人でいたくない! 平ちゃんのいる世界がいい!)


 強く平ちゃんのことを想った瞬間、私は一瞬だけ全てを思い出した気がした。


 しかし、今はただ平ちゃんのことを想いながら、平ちゃんに血を与え深い底へと落ちていく。


 これは悲しみと愛、奇跡が絡み合う物語。


 人間を愛した人魚と人間が愛した人魚の禁断の恋物語だ。










































































































































































































































 












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