第7話 もはや詐欺

 いつの間に来たのか。振り返るとそこには満面の笑みを浮かべている人物が立っていた。


「ど、どなた?」


 こういうのをオーラと呼ぶのだろうか。見ているだけで威圧される。そして、顔は笑っているけれど、間違いなく不機嫌だということが分かる。


「っつーか、頭が高ぇんだよ」


「へぶっ⁉」


 その人物がそう言った次の瞬間、自分の体は床に叩きつけられ、死んだ蛙がごとく、床に這いつくばる形となる。


「だいたい、誰の許可を得て口を開いてやがる? この産業廃棄物が」


 そして後頭部をぐりぐりと踏みつけられた。


 正直一体何が起こったのかわからないが、これも『魔法と似た何か』なのだろうか。そういった趣味嗜好がある人にとってはご褒美だろうが、自分にその気はない。不幸中の幸いなのは、一連の仕打ちに痛みを感じなかったことか。


「おい、そっちのお前」 


「はい」


 『そっち』と呼ばれたが瑠依様が答える。


「これの飼い主はお前か?」


「左様でございます」


 これまでの瑠依様からは全く想像できないほどの低姿勢だった。


「躾がなっていないようだな?」


「申し訳ございません」


「……今ここでお前たちの魂をすりつぶしてもいいんだぞ?」


 その言葉の切れ味にゾクリとした。亡者になってから寒さや暑さを意識したことはなかったが、世界の温度がマイナスになったような気さえした。『魂をすりつぶす』という言葉が意味することは分からなかったが、これは脅しではなく、対応次第で即座に実行されるということはわかった。


「……神意みこころのままに」


 瑠依様は短くそう答えた。相手の反応が返ってくるまでの数秒が、何十時間にも感じられた。


「……次はないぞ」


 その言葉とともに踏みつけられたままだった自分の頭は解放された。


「御慈悲に感謝申し上げます」


「……目障りだ。去れ」


「はい」


「!?」


 瑠依様は返事をするなり自分の首根っこをつかむと、目にも留まらぬ速さで上空へと離脱した。


 グングンと遠ざかる家、町、陸地。


「はぁ〜……」


 そして再び日本列島の形が分かるほどの上空までやってくると、瑠依様は盛大にため息を吐いた。


「大丈夫か? 新入り」


「……」


 はっきり言って全然大丈夫ではない。


「……運が悪かったな」


 それは自分に対して言ったようでも独り言のようでもあった。


「……あの方は、何者ですか?」


 気持ちが落ち着いてきたところで、瑠依様にそっと尋ねる。


「ある意味同僚……だが、我々と同じ亡者ではない」


「でしょうね」


 むしろそうだったら告訴レベルだ。冥界に裁判所があるのかは分からないが。


「彼らは遥か昔から現世の管理を生業としている、神が手ずから創造したとされる存在」


「神……」


「我々はこう呼んでいる。『あくまで天使』」


「……え?」


 冗談かと思ったが、瑠依様はシリアスモードを解除していない。


「えーっと、なるほど」


 そこに含有する意味に心当たりはあったが、それを口に出すほど自分は愚かではなかった。


「『あくまで天使』は己の価値基準を絶対としており、自らを人間の上位存在として位置づけている。対処法はただ一つ。かしずき、頭を垂れ、意にそぐわぬことはしない、だ」


 なんとも理不尽な話だが、事実味わった恐怖は本物だった。


「ちなみに、魂をすりつぶすって、具体的にはどうなるんですか?」


 そう言えば自分をこの仕事に引っ張り込んだタナカさんもそんなことを言っていたような。


「……輪廻転生の輪からの追放。魂の死。完全なる終わり。存在の消滅」


 答えはめちゃくちゃ物騒な単語の羅列だった。


「……つまり、全てがパーってことですね」


 瑠依様は深く頷いた。


「先ほど新入りは床に叩きつけられていただろう? 霊体にも関わらず」


「あ」


 またまた忘れていたが、確かに壁をすり抜けられる自分が床に叩きつけられるはずがない。


「彼らは我々にはない特権をいくつも持っている。すべてを把握しているわけではないが、個人の裁量で我々に罰を下せることも特権の一つのようだ」


 自分は自嘲気味に笑った。


「そしてその罰の中に処刑すら含まれている、と」


 瑠依様は重々しく頷いた。


「まあ、流石に勝手にそこまですると、ペナルティがあるようだが……」


「ペナルティ?」


「一ヶ月休みになるそうだ」


「ご褒美じゃねーか!」


 あまりの理不尽さに思わず突っ込みを入れてしまった。


「どうだろうな。何度もいうが、彼らの価値基準は我々のそれとは大きく異なる。多分、とても不名誉なことなのではないか?」


 その時、自分の灰色の脳細胞がピーンとひらめいた。


「あの、まさかとは思いますが、冥界が人手不足なのって……」


 そこで瑠依様が力なく苦笑いしたことで、全てを理解した。


「マジかよ……」


 自分はとても絶望的な気持ちになり、頭を抱えた。


「あ〜……うん。まあ、なんだ。とはいえ全員が全員ああいうタイプというわけでもないからな。そもそも現世で遭遇すること自体珍しい。今回はたまたま運が悪かっただけだ」


 瑠依様がフォローっぽいことを言うが、全然そうは思えなかった。


 そもそもこの仕事の勧誘を受けたとき、やれ研修が充実してるだの働きやすいだの言われたが、蓋をあけてみれば、いきなり現世に突き落とされ、わけも分からぬまま人を撃たされ、理不尽の塊みたいなやつに存在を消されかけた。


 もはや詐欺と言っていいレベルではなかろうか。この分だと報酬も本当に貰えるのか疑わしい。


「ちなみに、瑠依様はなんで働き続けてるんですか?」


 この理不尽な環境に十年間耐えている理由。それが知りたかった。


「……それは」

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死んでから始まる亡者ライフは一筋縄では逝きません!? 神原依麻 @ema_kanbaru

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