第6話 よくある案件

「次のターゲットはあれだ」


 瑠依様が指さしたのは、恐らくは帰宅途中であろう学生だ。艶やかな黒髪に、制服を一切着崩す事もなく身につけている、大人しくて真面目そうな人物だった。


「このターゲットも自分の恋心に苦しんでる系なんですか?」


 上空からターゲットの様子を伺いながら瑠依様に尋ねる。


「いや、このターゲットはそっちじゃない」


 瑠依様はきっぱりと否定した。


「『そっちじゃない』? じゃあどっち何です?」


「それは……うん、まずは自分で考えてみろ」


 瑠依様は簡単には教えてくれなかった。


「う~ん。別に本人は苦しんでいないけど、周りが邪魔に思っているとか」


「……当たらずも遠からずだな」


「マジすか」


 いきなりニアピンを出してしまった。


「もしかしてさっきの逆で、略奪愛的な感じだったりします? ターゲット自身は恋人が好きだけど、恋人の方は冷めてて他に乗り換えたいと思っているとか!」


 それはそれで面白そうだ。自然と口角が上がるのを感じた。


「……新入りは想像力が豊かなんだな」


 すると褒められているのか貶されているのか判断に迷う返事をされた。まあ、この場合後者だと思うが。


「ってことは違うんですね」


「最初の回答より遠ざかったのは間違いないな」


「さいですか。う~ん……。じゃあ、むしろストレートに迷惑な横恋慕って感じですかね? って、やばい!」


 話に夢中になっていたが、気づけばターゲットは自宅と思しき一軒家に入ろうとするところだった。慌てて追いかけようとすると、瑠依様に肩を掴まれる。


「待て待て。何をそんなに慌てている?」


「いやだって家に入られたら――」


「僕たちは幽霊何だぞ? 壁くらいいくらでもすり抜けられる」


「あ」


 言われてみればその通りなのだが、どうにも生きていた頃の感覚が抜けていなかった。


「ま、気持ちはわかるがな……」


 すると瑠依様はポツリとそう言った。その言葉には、どこか寂し気な色が含まれていた。


「え……っと、あの……」


 そんな瑠依様になんと声をかけていいのか分からず、自分は固まってしまう。


「……いいから行って来い」


「……はい」


 しかし、結局何のフォローも出来なかった。


 とはいえ、そもそも自分はただのモブキャラ。誰かの心に寄り添ったりあまつさえ救ったりなんてできるわけがない。自分に期待することほど愚かなことはない。


 そう言いきかせて、ターゲットの家の前まで飛んでいく。そうして誰が見ているわけでもないのに、なんとなく周囲をキョロキョロと確認し、意を決してターゲットの自宅に侵入した。


「マジで扉とかすり抜けられるんだ……」


 それはあまりにも呆気なくて、未知の体験に対する興奮とともに、物寂しさを自分にもたらした。


「瑠依様は、もうこんなことくらいではいちいち驚いたり戸惑ったりしないんだろうか」


 その時、瑠依様の先ほどの様子の理由が少しわかった気がした。生きていた頃の感覚を徐々に失って、それでも十年もの間働き続けている瑠依様。その願いは何なのだろう。


「ひょっとして、チート超絶美形な石油王の子って、めちゃくちゃハードル高い?」


 それを実現するのにかかる時間はいかほどか。あとで確認する必要があるな、と今更ながらに思ったが、そもそも今は仕事中だ。余計なことを考えず、そちらに集中すべきだろう。


 自分は気を取り直して家の中を探索する。ターゲットがどこにいるのかわからないので、一部屋一部屋順番に部屋を覗いていく。そうして二階の一番奥の部屋に入った瞬間。


「な!?」


 自分は言葉を失った。


 その部屋はどう見ても異常だった。部屋の壁という壁にびっしりと貼られている写真。それはどれも同じ人物を被写体としているようだったが、目線がこちらを向いているものは一つもない。


「んふふふふふふ。今日もかわいい……」


 狂気じみた様子で、食い入るようにパソコンのモニターを見つめているターゲット。モニターに映し出されているのは写真の被写体と同一人物。しかし、やはり目線がこちらを向くことはない。


「これ、今見ている映像も含めて、全部隠し撮り?」


 それを自覚した瞬間、ゾゾゾッと背筋に悪寒が走るのを感じた。まさか幽霊の自分の方が恐怖に陥れられるとは。


「これは凄いな」


「ギャー!」


 自分は思わず叫び声をあげた。ただでさえ恐怖に見がすくんでいたところに、耳元から急に声が聞こえたからだ。


「あーもう、うるさいぞ」


「るるるるる瑠依様!?」


「他に誰がいる?」


 その瞬間、感情が爆発するのを感じた。


「ななななな何なんすか! 何なんすかこの部屋! こいつガチでやばいやつじゃないですか! 漫画とかでよく見るキモストーカーだけど三次元だと全く笑えない! 怖っ! キモっ!」


 半狂乱で叫ぶ自分に、瑠依様は憐憫の表情を浮かべる。


「まあ驚いただろうが、割とよくある案件だ」


「げぇ⁉」


「僕も詳しいことは知らないが、我々の仕事は縁切り神社から来ているという説が濃厚でな。だからこういう案件はちょくちょく入る」


「なんと……」


 それが本当なら、確かにストーカーがターゲットになる確率は高そうだ。最初のターゲットは自分自身で縁切り神社に行ったのかもしれないが、こいつの場合は被害者が必死の思いで訴えたのかもしれない。


「とにかく、見てわかる通りターゲットは恋心がこじれすぎて危険な状態だ。さっさと解放してやれ」


 その言葉を聞いて、改めてこの仕事の重要性を理解した。


「んふふふふふふふふ」


 ターゲットは何も知らずにパソコンのモニターにニヤけた顔を晒している。こんなところからは一秒でも早く離脱したい。そんな思いで自分はターゲットに銃口を向けた。


「悪いけど、その恋心消させてもらいます」


 そう言って、引き金を引こうとした瞬間。


「おい、それは私の獲物だぞ」


「「!?」」


 それは瑠依様のものでも、ターゲットのものでも、ましてや自分のものでもなかった。鈴を転がすような美しい声なのに、肝が凍てつくようなどこまでも冷たい声だった。

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