55,路地裏/血臭漂う空き家・夜
扉は閉まり、窓も無く、光の届かない空き家。砂色の外套を纏う男が、一人の若い男の首を掴み、その身を壁へと押し付けていた。
「今度は何の用だ、『ギルド』の密偵。また性懲りも無く俺の首に大金でも懸けるつもりか」
そう問う男の背後には、息絶えた別の男の、血に塗れた亡骸が横たわっている。
首を絞められ、呻き声しか上げる事の出来ない若い男──「ギルド」の密偵を不快そうに睨み、男は再び口を開いた。
「干渉しなければ、こちらから『ギルド』を害する事は無い。前も再三そう言った筈だが、何だ。『ギルド』は俺を焼却炉だとでも思っているのか? 馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てるように言った男は、黒い右腕の手首の辺りから飛び出している、身幅の広い刃を密偵の目元へと向ける。
「これからお前を人質として扱う。抵抗すれば片割れと同じように殺す。……そうだな。まず、その舌は要らん。人質に声は必要無い」
真っ赤な顔で今にも失神しそうな密偵の唇へ切先を当てた男だったが、何かを察知したのか、突如として彼は周囲を見回し、扉の方へと顔を向けながら刃を下げた。
「……新手か」
漸く首から手を放された密偵が、その場へと崩れ落ちる。必死の様相で咳き込む彼を、男は冷淡に見下ろした。
壁板の隙間から細く射し込む月明かりが、彼の淡青色の瞳を照らしている。
シュダルト南西部/路地裏・夜
「『能力』持ち狩り」の姿を求め、ラルフとハクアは路地裏の道を北へと駆けていく。周辺に目ぼしい手掛かりは無いが、それでも彼等が足を止める事は無かった。
霊力放出、身体強化、「能力」。どのような形であれ、己の霊力を外部へ放出している人間は、同じく霊力を放出している他対象の存在を、相互に干渉し合う霊力の性質により感知する事が可能である。とは言え精度はそれ程高くなく、放出されている霊力の方向や出力が大雑把に分かる、といった程度のものである。
────が。理由こそいざ知らず、今宵のラルフは冴えていた。
「……ここだ」
とある錆だらけの小屋の前で、ラルフが急に立ち止まる。
「わわ!?」
「…………」
唐突な余り自らの背へ危うく追突しかけたハクアを受け止め、ラルフは徐に小屋へと向かい始めた。
一歩離れた場所で立ち止まってから、ラルフは眼前の扉をゆっくりと開け放つ。そして待ち伏せの有無を確認しつつ、その中へと踏み入っていった。
躊躇いを見せないラルフの後を追い、ハクアもまた無言で戸口を
「…………あ」
暗がりの中。ハクアの目に、一人の男が映る。
戸口の直ぐ脇へ
地面へ力無く垂れた手を取って脈を測りつつ、ハクアは男の顔へ耳を近付ける。
「どうだ」
「ダメ、みたい。でも、まだ体温が残ってる」
「……そうか」
「……あれ? ねえラルフ」
立ち上がったハクアが、怪訝そうに辺りを警戒しているラルフの方を向いた。
「今気付いたんだけど。この人の服装、さっきの密偵さんと同じじゃない?」
ハクアが再度男へ視線を戻した、その瞬間。
「──────ッ!!」
突然に目を剥いたラルフが、ハクアを戸外へ力の限り突き飛ばす。
「へっ?」
背後の
眩い光に溢れた小屋が、轟音と共に炎を噴いて爆散した。
「……ッ!? ラ、ラルフ!!」
爆風を腕で遮ったのも束の間、ハクアはすぐに身体を起こし、人肌を焼く程の熱と充満する黒煙、その中へと飛び入っていく。
辛うじて原型を留めていた戸口の枠を手前へ引き倒し、ハクアは目を凝らした。が、彼女の視界には消し炭の山のみがぼんやりと映り、爆発に巻き込まれた筈のラルフの影は無い。
間も無く、はたと何かに勘付いて咄嗟に振り返った先──開いた扉の陰となっていた場所──で、ハクアは煌々と輝く光を目にした。
やや橙色をしたその光は黒い砲身、もとい、一人の男の右腕から発されている。
砂色の外套、淡青色の瞳、艶の無い灰色の髪。怯える密偵を片腕で捕らえているその男は、無機質な瞳でハクアを見つめていた。
がしゃ、と、男がハクアへ照準を合わせると同時に、砲口へ光が収束していく。
古びていたとは言え、小屋一棟を難無く灰燼に帰する熱線。
それをもう一度放つだけの猶予を男に与える程、ハクアの判断は
即座に身構えた彼女は、煙を晴らす勢いで男との距離を詰める。
「!?」
地面の一蹴りで男の懐へ
「……ッ!!」
ハクアの体当たりを真正面から受ける事となった男は小屋の外へと弾き出され、体勢を立て直せずに彼女諸共、地面の上をごろごろと転がっていく。
やがて、男はハクアに跨がられる形で仰向けに押さえ付けられた。煩わしさと敵意の混じった視線で自身を睨む男を他所に、ハクアは腰を抜かす密偵へ顔を向ける。
「『ギルド』の人! ここから南に二軒進んだ場所で、あなたの仲間が待ってる!」
「……えっ、えっ」
「行って!! 早くここから離れて!!」
ハクアの迫真の語気と表情に決心がついたのか、密偵は這いずるようにして小屋の焼け跡から脱し、南へと逃げ去っていった。遠ざかる足音を耳にしながら、ハクアは眼下の男に顔を戻す。
「『『能力』持ち狩り』さん、だよね?」
「知らないな。勝手に付けられた通り名に興味は無い」
「『ギルド』の人達が、君の事をそう呼んでるの」
「……成程。『ギルド』の手先の新手、か」
浅く息をついた男──「『能力』持ち狩り」──は、瞳の色に伍する程の冷笑を浮かべた。
「差し詰め、俺を殺しに来たんだろうが……フッ。随分と悠長な真似をするんだな。余裕のつもりか?」
「ッ!!」
瞬きの間の出来事。男は身体強化と同時に身を縮め、ハクアの腹部へ蹴りを見舞う。
「ァ、あ────……ッ」
咄嗟の身体強化が間に合わなかった──生身で受けるには、余りに重過ぎる一撃。
痛みに悶える事も、泣き叫ぶ事も出来ずに
「
立ち上がった男は、右腕に備わった黒い砲口をハクアへと向けた。無慈悲にも一点へ集中していく死の光を、ハクアは乱れた髪の間から見上げる。
「これ以上付き纏われても鬱陶しい。この際だ、跡形も無く焼き払ってやる。恨むなら、初手で俺を殺さなかった、お前自身の詰めの甘さを恨め」
冷ややかな夜叉が如き視線を湛え、血も涙も無いまま、男は白く輝く熱線をハクアへ向けて発射した。
路地裏/敵勢勢力鎮圧戦線Ⅲ・夜
「精々己の死に恐怖するが良い。大罪人、シン・スケルスッ!!」
目にも留まらぬ速さでシンへと伸びる、四本の黒い腕。それぞれが彼女の頭部、胸部、腹部、脚部を狙っており、直撃すれば命は無く、掠めるだけでも重傷は免れられない。
目前に迫る、暗黒の掌。
しかしほんの一秒にも満たない差ではあるが、それらの速度にばらつきがある事を夜闇の中で見切ったシンは、身体強化と同時に構えた。
────自身へ最初に届くのは、脚部を狙う腕。
それさえ分かってしまえば全てを回避するなど、シンにとって容易い事であった。
短く息を吸ったシンは、瞬間、やや斜めに跳び上がり、地を抉る軌道を描いた腕を避ける。そして上体を仰け反らせて頭と腹を狙う腕をやり過ごし、胸を貫く筈だった腕を下方に見ながら両膝を胸へ引き付け、流れるように手をついて着地した。
「ッ!? 全部避けた!?」
四本の腕全てが空振りに終わって驚くシグネを睨みながら、シンは自らの
「……やるわね」
シンから数歩離れた場所には、つい先程まで彼女の一部だった、深い青緑色の髪の束が落ちていた。
「おのれ!!」
どろり、と溶け落ちた四本の腕を取り込むと同時に、シグネは新たな二本の腕を先程の倍近い速度で繰り出すも、シンは臆する事無く腕の合間を駆け抜けていく。
「ッ、この!!」
腕の生成がシンの速さに追い付かず、シグネは懐まで詰めてきた彼女へ殴り掛かった。しかしその拳をシンは片手で容易く掴み、逆にシグネの
「ガハ────ッ!?」
自己強化系の「能力」から来る高い身体強化率と、シン自身が持つ並外れた身体能力、技能。それらの掛け合わさった衝撃が深々と
「ぐっ!?」
腹に次いで脇腹を蹴られ、最低限の防御こそ出来たものの山なりに吹き飛んでいったシグネは、真面な受け身も取れないまま、路傍に積まれた木箱や木樽の列へ背中から突っ込む。身体中へ走る鈍痛に身を
「? 何処に──……ッ!?」
辺りを見回そうとした直後、上から降り掛かる影に気付いたシグネが空を仰ぐ。そこには自らの頭上まで脚を振り上げ、落下してくるシンの姿があった。
シグネの頭を狙って重力と共に振り下ろされた踵は、シグネの背後に敷かれた瓦礫を完膚無きまで粉砕する。
結果、頭部への直撃は避けたシグネだったが、結い上げた栗色の髪と服の襟をシンに強く踏み付けられ、身動き出来ない状況にあった。
「……ッ、それで勝ったつもりか!」
シンに見下ろされたシグネが背中から黒い何かを湧き上がらせた、その時。彼女の耳元で、しゅう、と微かな音が鳴った。
木材か落ち葉か、植物に由来する繊維の焦げる臭い。目を移した先のシンが、にやりと笑ったように見える。
シンがその場から飛び退いて、間も無く。
シグネの頭の横できらりと閃いた術符が、弾けるようにして爆発した。
「爆炎も光も無し、か。フフ、気が利くじゃない」
木霊する爆鳴と立ち込める煙の中、リゼルの作成した術符の威力を目の当たりにしたシンは、満足そうに笑みを浮かべている。
それから数秒も経たないうち、彼女は次なる攻撃の為に疾走を始めるのだった。
路地裏/敵勢勢力鎮圧戦線Ⅰ・夜
メイラとレギン、数歩分の距離を空けた二人は、刃を下ろして相対する。
双方共、相手の顔をよく見ないうちに、メイラが話を切り出した。
「私は帝国軍の者だ。この近辺には治安維持部隊による外出禁止令が発出されている、直ちに屋内へ避難しろ。避難出来る家が無いなら、シュダルト警備隊の詰所を案内する」
「お心遣いどうも。だがここで、はい分かりました、って言う訳には行かなくてな。『ギルド』から頼まれてここに居るんだ。協力要請、だっけ?」
「そうか。ならこの付近は危険だ、離れる事を強く勧める。今、この近辺には強力かつ凶悪な『能力』保持者が潜伏している。後の対処は我々、帝国軍に任せてもらいたい。私の名前はメイラ・エンティルグ。この名を出せば『ギルド』も納得するだろう」
「ヒュウ、超
風に吹かれる草葉のような態度で口笛を吹いたレギンの口元から、ふと笑みが消える。
「この近くに『能力』保持者が居る事は、あんたに言われる前から知ってる。それが『『能力』持ち狩り』って呼ばれてて、最近、人を焼き殺して回ってる事も知ってる。帝国軍に新しく『能力』保持者の部隊が出来た事も、その狙いが何なのかも知ってる。
本当は気付いてんだろ? そうでなきゃこんな、抜き身の剣持って会話なんかしねえ。ま、それは俺にも言える事なんだが」
「…………」
浅く息をついたメイラが、腰に下げた鞘へ剣を収めた。
「曲がりなりにも探りを入れたつもりだったんだがな。そう言うのであればこちらも隠すまい。率直に訊こう。お前達の目的は何だ。『ギルド』とはどういう関係でいる?」
「……!」
短い言葉で的確に真理を突いてきたメイラに、レギンは平静を装いながらも舌を巻く。
「どういう関係も何も、この状況なら俺達を『ギルド』の手先、って考えるのが普通じゃねえか?」
「お前には関係の無い事だ。こちらの問いにだけ答えろ」
頭を掻いたレギンが、問答無用ってか、と溜息をついた。
「んー、まあここで喋っても良いんだが──……いや、やっぱやめた。そういう約束だからな」
「往来で言い難いなら、こちらで相応の場所を用意するが」
「断る。それで捕縛なんてされちゃ敵わねえからな」
「そうか。……残念だ」
月が白く照らす、濃紺の大気。
静寂を伴ったそれは、レギンとメイラの間へゆっくりと満ちていく。
二人の間に、ふわりと風が吹いた。
────刹那。砂塵のみをその場に残し、メイラの姿が消える。
「ッ!?」
辛くもメイラの残像を視界の端に捉えたレギンは、既に自身の背後で振り抜かれていた彼女の剣を間一髪で弾いた。
互いの刃が離れる寸毫の間、先に動いたメイラが剣を返す。それを受けたレギンは彼女の斬撃を下方へと受け流すも、見越していたかのようにメイラはレギンの剣を真上へ跳ね上げ、すっと剣を引いて構えた。
「っと!」
素早く身を捻って腿を狙う突きを躱したレギンは続け様にメイラの側方へ、横に刃を振る。彼の剣を防いだ弾みで一歩、メイラが後退した隙を見逃さず、レギンは間合いを詰めるように一歩前へ踏み出し、片手から両手に持ち替えた剣をメイラの頭上目掛けて振り下ろした。
「…………ッ」
いくら剣に秀でると言えど、体格でメイラはレギンに劣る。彼の体重の乗った一撃を真っ向から受け止めて顔を顰めたメイラは、姿勢を低くして後ろへと飛び退いた。
受け止めるものが無くなって切先が地面を叩く前に構え直し、追撃を試みたレギンの刃と、即時に立て直して攻勢へ出たメイラの刃が激突する。
一度、二度と打ち合ってから、両者は鍔迫り合いという形で拮抗した。
「丁度良いや。時間稼ぎ、付き合ってもらうぞ」
「…………」
レギンの言葉に、メイラが眉根を寄せる。
月は、まだ昇ったばかりだ。
Dear My 縹 @hanada_write_K
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Dear Myの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます