54,ギルド/集会所兼酒場・夜


「緊急通達、緊急通達! 『ギルド』マスターはおられますか!?」


 「ギルド」へ入るや否や大きく声を張り上げ、つかつかと受付へ直行する一人の女──サシェの姿が、唾を飛ばし大笑していた男達の視線を釘付けにする。小柄な彼女へ声を掛けようとする人間は意外にも無く、寧ろその通り道を空けるように、足を机の下へ引っ込めるなどしていた。


「帝国陸軍、治安維持部隊から派遣された者です。『ギルド』マスターをお呼び下さい」

「えっ、あの、その──……」

「承知致しました。ただ、理由をマスターへお伝えしなければなりませんので、簡単にでも結構ですから、要件を仰って下さいますか」


 困惑する受付嬢の背後より現れた別の受付嬢の言葉を受け、サシェは表情一つ変えないまま、手にしていた封書を顔の横へと掲げた。


「治安維持部隊隊長、ウェン・ブレイバーと対『能力』保持者部隊隊長、メイラ・エンティルグの連名で『ギルド』への協力要請が発出されています。何卒、早急なご対応を」




 シュダルト南西部/烽火燻る路地裏・夜




「中にも入ってみたけど、それっぽいのは居なさそうね。隣は普通に人、住んでるし」

「こっちの周りにも居ないみたい」

「ったく。手間の掛かる連中だわ、ホント」


 立ち並ぶ家屋とその周辺をハクアやラルフと共に手早く捜索するも、「『能力』持ち狩り」はおろか連絡の途絶えた密偵の姿すら見当たらず、シンは不機嫌そうにぼやいた。


「んー、そろそろもう二手に別れた方が良いかしら。……ま、良っか。次行きましょ」

「うん!」

「…………」


 シンの後へ続くようにハクアとラルフが駆け出そうとする直前、彼等の後方へ何者かが屋根から降って現れる。


「良し、合流完了。順調か?」


 そう言って建物の陰から出てきたのは、レギンだった。


「全然ダメ。てか今日おかしいわよ。どの家も皆、鎧戸まで閉めてる。まあその分、空き家との区別が付きやすいから良いんだけど」

「……やっぱりそうか。思った以上にマズい状況だぞ、これ」

「どういう事?」


 声を低めたレギンの言葉に、シンが眉を釣り上げる。


「『ギルド』からここまでの間、お前等探すの面倒臭かったから屋根を飛び移って来たんだけどさ。その時、宙に浮かんでる人間が一人、遠目に見えたんだよ」

「何それ。寝不足?」

「違うって。あー、言い方が悪かったな。……だ。当然、リゼルとは別の」

「!!」


 シンの双眸が見開かれた。


「……マズいなんてモンじゃないわよ、それ」

「だろ? 即時撤退も止む無しだぜ、マジで」


 二人のやり取りを今一つ理解出来ていない様子のハクアが、ふとラルフを見遣る。どういう訳か、彼は月の座する方向を振り仰いでいた。


「…………」

「どうしたの、ラルフ?」


 ハクアがラルフに声を掛けた、その時。

 どう、と、低い砲音が響き渡る。


「ッ!? リゼル達の方か!!」

「気にしてる場合じゃないわよ。……この先から、来る」

「分かるか?」

「ええ。……よりにもよって、あの女アレグリアおんな気配におい。分からないワケ無いでしょ」


 続け様に発砲音が鳴る中、シンは迫り来る気配の方──方角にして、およそ北東──を眺め、心底不快そうに舌打ちをした。そして浅い息をつき、三人の方へと向き直る。


「良い、聞いて。今からここへ帝国軍の連中が来るわ。足止めはアタシがやる。アンタ達は脇道の陰にでも隠れてなさい」

「……そんな、ダメだよ、シン。だって、そんな事したら──……!」


 動揺の表情を浮かべるハクアへ、シンはへらへらと笑った。


「んな心配しなくたって大丈夫よ、そう簡単にくたばりやしないわ。ラルフ、ハクアを連れてって」

「……了解」

「──────あ。待って、お願い、」


 ハクアのか細い嘆願を他所に、ラルフは彼女を軽々と抱き上げ、一度通り過ぎた路地へと駆け出す。今にも泣き出しそうな表情のまま遠ざかっていくハクアへ、シンは笑顔で拳を前へ突き出した。


「いきなさい!」


 曲がり角の向こうへ姿が消えるまで、シンは二人を見送り────それから当然のように彼女の横へ立つレギンへ、じろりと視線を送る。


「何やってんのよ。アンタも隠れなさい」

「いや、俺は残る。今決めた」

「顔割れしたら、もう二度と表に出られないのよ。ロクな事にならないわ」

「そうか? 良いモン見れたし、俺は割と満足だけど」


 ぱちぱちと目をしばたいてから数秒、顔を真っ赤にしたシンが、レギンの脇腹をげしげしと強く小突いた。


てっ、てっ」

「この状況でやる事が冷やかしとかアンタ、ホンット信じらんない!」

「痛い、マジで痛いって。……別に、冷やかしじゃねえさ。向こうに何人居るか分かんねえ状況で一人、ってのは、いくらあんたでも流石にマズいだろ。それに元はと言えば、俺も帝国あっち側みたいなモンだからな。とっくに覚悟は出来てる」


 にっと笑うレギンを前に、シンは呆れたような笑みを零す。


「あっそ。後悔しても知らないわよ」


 襲撃者の来たる方へ体を向け、シンは目元を除いた頭全体をマフラーで覆い、レギンは腰に差した二振りの剣のうち、一本をゆっくりと引き抜いた。


「久々だな、こうやって並ぶの。ハクアが初めて拠点うちに来た時以来か」

「そうね。今度こそ本気出しなさいよ」


 気配が、足音を伴って接近する。


「そっちこそ。……来るぞ」


 瞬間。両名は腰を低めて構え、角から現れた人影へ一気に距離を詰めた。


「ッ!?」


 二人の待ち伏せにいち早く反応し、即座に抜刀した影の一つ──メイラが、レギンの一撃を受け止める。


「やはり待ち伏せていたか! シグ──……!」

「アンタはこっちへいらっしゃい!」

「かふッ!?」


 メイラが隣の影──シグネへ指示を出す前に、シンはシグネを腹部から担ぎ上げ、すぐさま住居の屋上へ跳躍し離脱していった。


「……ッ!!」


 接敵からほんの数秒で戦力を削がれ、メイラはシンの後ろ姿を恨めしげに見る。


「大佐!」

「さっきの人影を追え! 一般民なら保護しろ!」

「了解!」


 メイラの後方、この場における対峙を唯一免れていた影が、彼女とレギンの横を駆け去っていった。


 ぎりぎり、と、火花散る刃の削り合い。


「これまた、とんでもねえ美人さんだな。参ったね」

「…………」


 暫しの間睨み合ってから、両者は間合いを取るべく互いの剣を弾いた。




 シュダルト南西部/路地裏上空・夜




 依然としてシグネを肩へ担いだまま、シンは住居の屋根を転々と飛び移っていく。


「……くっ、このっ、降ろせ!」

「もうちょっと待ちなさい」


 両脚と腰部を抱え込まれ、下半身の身動きが取れないシグネは、せめてもの抵抗としてシンの背を幾度となく殴り付けていた。が、一方のシンは身体強化のお蔭か、お構い無しといった様子である。


「……この辺で良いわね。じゃ、降ろすわよ」

「は? 急に何────……ッ!!?」


 突如として眼下の小径へ落下し始めたシンが、シグネを地面へ勢い良く投げた。


「クソッ、この程度で!」


 唐突に宙へ放り出されたシグネは、腰の辺りから二本ほど展開した黒いで地面を掴み減速、体勢を立て直してから穏やかに着地する。


「やっぱり。アンタで正解だったみたいね」


 降り立ってからそう呟くシンを、シグネは忌々しげに睨んだ。


「何者だ! ……いや、聞いても意味がありませんね。あの場に居たという事は、お前も帝国へ仇なす逆賊。名前を聞いてやる義理なんてありま、せ──……」


 月明かりの下。自らの顔面を覆っていたマフラーを、シンは指を掛けて引っ張る。


「確かに、わざわざ聞く事でもないかもね」


 するすると解けていくマフラーから垣間見える彼女の素顔を、シグネは固まったように凝視した。


「初めまして。


 解けきったマフラーを傍らへ投げ捨てたシンが、不敵に笑う。ぽかんと口を開けて彼女を見つめていたシグネは、やがて歪な笑みを口元へ浮かべた。


「ふ、ふふふふ。お師匠様の言った通り、賊って本当に愚かなんですね。溝鼠ドブネズミみたく日陰をこそこそ、一生逃げ回ってれば良いのに、むざむざ表へ出てきて顔まで晒すんですから。

 ……ああ、私は幸運です。これでやっと、お師匠様のお役に立てる」


 シグネの足元から再度、が展開される。


「この力は、お師匠様と同じ力。お前がお師匠様から無様に敗走したあの時と同じように、いや、今ここで絶対にころす。精々己の死に恐怖するが良い。大罪人、シン・スケルスッ!!」


 妄執と独善を孕んだ狂気の叫びと共に、シグネは背後の腕を射出した。




 シュダルト南西部/行き違いの細径・夜




「……居ない」


 メイラの指示の下、戦線を一人離れた影は、とある路地──ハクアとラルフがそこへ入って、まだ数分と経たない──へ踏み入って間も無く、追跡の足を緩める。急激に速度を落とした弾みで外套のフードが脱げ、露わとなった影の正体はジェンだった。


「何処行った……!?」


 そのまま立ち止まる暇も無く、ジェンは再度走り始める。

 ────が、その実。自身の目の届く範囲に人の姿が無い事を、彼は内心で安堵していた。


『大佐、誰かが二区画くらい先の道を反対方向に走ってます!』

『後回しだ。まずは『敵勢勢力』の片割れに集中しろ!』


 「敵勢勢力」と衝突する直前、メイラと交わした会話が、ジェンの脳裏を過ぎる。


 遮蔽物を隔てた擦れ違い様、ジェンが暗闇の向こうに見たとは、黒い布地をはためかせて駆ける、一人の人間だった。

 明瞭でない視界の中、彼にその人間が誰であるかまでの判断は付いていない。恐らく外套、またはそれに準ずるものを羽織った何者か、という認識が関の山である。


 しかし。黒く、裾の長い衣。その人間のさして珍しくもない特徴は、ジェンにとって無視出来ない程に大きなものだった。


 ────あの人影って、「敵勢勢力」って、もしかしてラルフあいつがそうなのか?

 最悪の予感が、膨れ上がった現実味を帯びて、ジェンへ大きく伸し掛かる。


「ッ、何考えてんだ。分かってて大佐に言い出した事だろ。弱気になってる場合かよ……!」


 唇を噛みながら、ジェンは脇道へ気を配りつつ、路地を駆け抜けていく。


 その音を少し離れた場所、積み上がった木箱の陰へ息を潜めているラルフが、ハクアを覆い隠すように抱き込みながら聞いていた。

 ラルフに口元を手で塞がれ、じっと身を小さくしているハクアは、木箱の外の様子を窺う彼を心配そうに見る。


「出るぞ」

「……うん」


 ハクアの口から手を放し、低く、小さく言ったラルフは、周囲を見回してから立ち上がった。歩き出す彼の後を、ハクアは浮かない表情で付いていく。

 それから。後一歩で建物の影を抜ける、という場所でラルフはハクアを手で静止させ、先程ジェンの通っていった道の状況を入念に確認してから、彼女の方へと体を向けた。


「……今、レギンとシンは帝国軍の部隊とやり合っている。リゼルとユーリアも恐らく、あの二人と同じ状況だろう。それでも、俺達のやるべき事は変わらない。目的の達成が第一優先だ」

「そうだね。皆が時間稼ぎしてくれてるうちに、早く終わらせなきゃ」

「…………」


 胸の前で両の拳を握り、意気込んで見せたハクアを少しばかり見つめた後、ラルフは前へと直る。


「……行くぞ」

「うん!」


 ラルフの言葉を合図に、二人は月光の下へと躍り出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る