人面野菜
区隅 憲(クズミケン)
人面野菜
「へい、そこの兄ちゃん。人面野菜はいらんかね?」
大学の帰り道、Sがふらりと商店街を歩いていると、八百屋が声を掛けてきた。
「人面野菜?」
Sはその聞き慣れぬキーワードに、思わず足を止めて店主に尋ねる。
「ああそうさ、人面野菜。その名の通り、人間の顔にそっくりな野菜だよ。ほら、これが人面野菜さ」
店主が店頭に並べてあった茶色の奇妙な物体を持ち上げる。するとその野菜らしきものは、店主の顔にそっくりだった。
「ふ~ん。あんたの顔そっくりだね」
Sはその瓜二つの顔と顔を交互に見比べる。見れば見るほど、その不思議な物体に興味を
「もしかしてあんた、この野菜を加工したのかい? 中々上手いもんだよ」
「いやいや、俺はこの野菜を何もいじくってなんかいないよ。この人面野菜はね、種から育てるとその育ての親の顔と似てくるんだよ。ほら、俺の顔とこの野菜はそっくりだろ? 俺も最初は眉唾だったけど、実際育ててみるとホントに双子みたいになっちまったんだ。ああほら、これが種だよ」
すると店主はゴトリと人面野菜を置き、隣にあった密閉チャックのビニール袋を一枚取り上げる。中には楕円形の黒い種が敷き詰められており、これといった特徴はない。
「ふ~ん、普通の種にしか見えないけど」
「いやいや、それが普通じゃないんだよ。俺もこの種育てたらこんなものができちまったんだ。全く世の不思議なもんだよ。どうだい、兄ちゃん。騙されたと思ってひとつ買ってみないかい?」
店主はそこで種袋に貼られた値札を指差す。大学生のSから見てもそれほど高い値段でもない。だいだいどこにでもある野菜の2倍くらいの値段だった。
「いいよ、わかった。じゃあおっさん、それひとつ買わせてもらうよ」
「へい、毎度ありぃ! ほれ、これが『人面野菜』の種だ。大事に育てな。きっと面白いもん見れるからさ」
威勢の良い店主の声とともに、商品の売買が成立する。Sは合わせて野菜を育てるための道具も購入し、好奇心旺盛にアパートへと帰っていったのだった。
******
Sは家に帰ると、早速植木鉢に培養土を盛り、そして1粒だけ種を植えた。コップ一杯分の水を注ぎ、これを毎日朝と夜に2回繰り返すことにする。それほど手間のかかる作業ではない。商品を購入した後、店主から『人面野菜』を育てる方法を教えてもらっていたのだ。
Sは欠かさず人面野菜の育成を続け、1週間ほど経つと、みるみるうちに野菜は大きくなった。見た目は球根そっくりであり、人の頭と同じサイズがある。何となくSの顔の輪郭と形が似ているような気がするが、まだ表面はツルツルとして『人面』とは言えない。Sはその後も期待と疑念を半々にしながら人面野菜の生育を続ける。
そして更に1週間が経つと、ついにSの期待した通りになった。人面野菜の表面には
だが、その画像をまじまじと見ていると、だんだんとSは落ち込んだ気持ちになった。
(うわあ、やっぱ俺の顔、ブサイクだなぁ)
人面野菜を通して、改めて自分の顔を認識すると、Sはコンプレックスが刺激される。ふだんは自分の容姿のことなど気にしないSだったが、いざ客観的に自分の顔を見ると、てんで顔立ちが整っていない事実が突きつけられたのだ。
Sは自分とそっくりな人面野菜を見て、だんだんと不快になってくる。特に気に入らないのが、人面野菜の頭上からざっくばらんに生えた、髪のような根っこの群れだった。Sの髪型もボサボサであり、ロクに散髪もしていない。床屋にいったのはいつ以来だろう?
最初はSも好奇心でこの人面野菜を買ったのだが、自分のブサイクな髪型まで再現されてしまったことが、無性にムカムカしてきた。そして改めてこの野菜が気味悪く思えてくる。
(ちぇっ、本当に俺の顔そっくりになったけど、いざ自分とおんなじ顔が2つあるって、気持ち悪いや。何もここまでブサイクにならなくても......何か根っこがうじゃうじゃしてるのも気持ち悪いし、どうせなら髪だけでも切っちまおう)
Sはそう思い立つと、机の引き出しからハサミを取り出す。そして器用に道具を操り、人面野菜の根っこを綺麗さっぱり取り除いてしまった。その根っこは野菜というだけあって食べられそうな見た目をしているが、Sは食欲をあまり
*******
明日の朝となり、Sは起床した。適当に朝食を作り、手短に出かける用意をする。その時にはすっかり人面野菜への興味も失せており、水やりをするのも忘れてしまった。
そのままSは通っている美術大学に赴き、眠たげに美術室に入室した。今日の授業は座学であり、いつも通り居眠りして過ごそうとSは決め込んで席につく。
だが、その途端にいつもと周りの様子が違うことに気づいた。クラスの女子大生たちが自分のほうをチラチラと見て、クスクスと笑っているのである。
Sは不審に思い女子大生たちのほうを振り返ったが、彼女たちは慌ててSから目を反らしその場から離れていったのだ。
(何だっていうんだい? 俺のブサイクな顔なんて、今更笑い者にすることないだろ)
Sは内心怒りたかったが、ロクに女性と話したこともないSは、取り立てて抗議しにいくこともできない。結局Sは大人しく、いつもやっているように机に突っ伏して居眠りすることにした。だが、そんなSの頭上から素っ頓狂な声が響いた。
「なんだぁ? その頭? S、お前急にどうしちまったんだよ?」
その大声に頭を上げると、それは友人のKだった。
「頭? 俺の頭がどうかしたのか?」
「どうしたも何も、お前頭ツルツルじゃねぇか! 髪の毛が一本も生えてねぇぞ。まるで坊さんみたいだぜ? どうしてお前髪の毛全部剃っちまったんだよ?」
Kがまじまじと視線を向けてくるのを見て、Sは慌てて自分の頭上を触る。するといつものボサボサした髪がいつの間にか全部なくなってしまっており、すべすべとした肌がそこにあったのだ。
「お前、もしかして髪の毛洗うのすら面倒になって全部切っちまったのか? お前のことだから、ファッションでやってるわけじゃねぇだろうけどよ。流石にそれは似合ってなさすぎるぞ?」
Kはからかい半分にSに忠告する。Sは突然自分の髪がなくなった謎の現象に戸惑い、原因を考え始める。Sは無精者であり、普段から滅多に床屋にもいかない。もちろん散髪した覚えもないし、今朝も鏡など見ていなかったのでこの変事に気づくこともなかった。
しばらくSは推理を続け、ある結論に思い当たる。
(もしかしてあの人面野菜の髪の毛みたいな根っこを切ったから、俺の髪もなくなっちまったんじゃないか?)
八百屋の店主の話では、人面野菜は育てた親の顔とそっくりになると言っていた。だが今の現象を鑑みれば、逆に育ての親のほうも人面野菜の顔とそっくりになるのではないか? つまり容姿を逆輸入したということである。
(何ともまあ、変なことが起こっちまったもんだなぁ......)
Sは人面野菜の不思議な現象に気づき、何とも言えない微妙な気分になる。感傷に浸りながらも、なおも自分の禿頭について騒ぎ立てるKに適当な相槌を打って話を切り上げる。その日の大学生活は行く場所行く場所でじろじろと自分の頭を見られ、とても不快な思いをした。だがSはその日の夜を迎えると、ある計画を思いついたのだった。
******
Sの髪の毛が再び生えてくるのには2ヶ月ほどかかった。その間も大学の連中にはじろじろと頭を見られ、ひそひそと笑われたりもした。
(今に見てろよぉ......)
髪が生え揃ったばかりのSは、自宅のアパートで人面野菜を机に置く。そしてカンナやヤスリといった石膏の道具を机に並べた。Sは椅子に静かに座り、改めて今から自分がやろうとしていることを再確認する。
(よし、やるぞっ!)
Sは鼻息を荒くして意気込む。そして計画を実行した。
Sが人面野菜の謎に気づき計画したこと、それは人面野菜を整形することだった。Sは自分の顔に対して長年コンプレックスが募っており、そのために今までロクに身だしなみにも気を使ってこなかった。そして今まで彼女ができたこともなかったのである。女性関係については半ば諦めかけていたのだ。
だが今のSの心境は違う。この人面野菜をイケメンにすれば、自分もイケメンになれるかもしれないのだ。一念発起、Sは自分の人生を変えようとした。Sは早速カンナを取り、人面野菜に先端を当てる。エラの張った顔を削ぎ落とし、だだっぴろい鼻を細く加工する。
Sはこの野菜の加工作業に絶対の自信を持っていた。何故ならSは美大で石膏芸術を専攻し、その成績もA+と評されるほど優秀だったからである。コンプレックスの裏返しというべきか、Sは美術に関しては並々ならぬこだわりを抱いていたのだ。Sは細心の注意を払い野菜の実を削り取り、最高傑作を生み出そうとゾーンに入る。
2時間の作業の末、ついにSの芸術は完成した。人面野菜の鼻はピンと高く、目はぱっちりと開き、上品で小さな口元がそっと添えられている。顔の輪郭はスラリと面長に伸びており、迫力とかっこよさを兼ね備えている。もはや文句の付け所がない。人面野菜はすっかり二人といない美男子に様変わりしたのである。
Sは自分でも惚れ惚れしてしまうほど、人面野菜の出来栄えに満足した。それはSの最高傑作とも言える作品である。その後Sは興奮気味に美術道具を片付けると、ワクワクしながら就寝したのだった。
******
明日の朝となり、普段は見向きもしない鏡を見ると、予想通りSは人面野菜と同じ顔になっていた。今までのギャグのような顔は嘘のように面影が消え、トップアイドルを目指せるほどの美貌に変貌していたのである。
(やったぜ! これで俺の人生も薔薇色だ!)
Sは朝っぱらから手を叩いて騒ぎ立て、自らの将来の展望を歓喜する。そして普段はやりもしない短い髪のセットもして、外へ出かけるための服装にも気を使う。やがて時間をかけた身支度を終えると、Sは晴れやかな気持ちで大学へと向かった。
そして美術室のクラスに入室すると、期待してた通り女子大生たちがざわめき始める。女子大生たちは恍惚としてSの顔に目を奪われており、中には顔を赤らめるものさえいた。Sは得意げになって、堂々とした居住まいで席に着く。
「お、お前! もしかしてSか? ど、どうしたんだよその顔!」
Sの前方で素っ頓狂な声が響く。見上げると、それは目を丸くした友人のKだった。
「お、お前、全然別人みたいだぞ! めちゃくちゃイケメンになってるじゃねえか! もしかしてお前、整形でもしたのか?」
半ば失礼とも取れるKの発言に、Sは晴れやかな顔で答える。
「ああ、うん。まあね!」
Sは曖昧に答えを返しながらも、やはり嬉しさを隠し切ることができずにいた。声音色まで爽やかになったSに、クラスメイトの女子大生たちの誰もが注目をする。そしてその様変わりしたSの美貌は、このクラスの授業を担当している女教授でさえ魅了してしまった。女教授はSの整った顔立ちを何度もちらちらと見遣り、しどろもどろになって授業を進めたのである。そんな普段は堅物な女教授の反応を見て、Sはとてもいい気分に浸れた。
(へっへっ、見たか女ども! これが生まれ変わった俺の姿だ!)
Sは内心見返ししてやったと思ったのだった。
やがて授業が終わると、Sは未だに驚きを隠せないでいるKと別れを告げる。次の授業はそれぞれ違う科目を選択しており、別々の教室に移動することになっていたのだ。その後Sは意気揚々と廊下を渡り歩く。女子大生たちは誰もがSに振り返り、この間とはまるで意味合いの違うひそひそ話をしたのだった。
「ねえ、君。S君、だよね......?」
そんな熱ばった視線を受け続ける中、ふいに背後から声がかかる。振り返ると、それは先程のクラスで一番美人だと言われているYだった。
Yはとてもおしゃれな女の子であり、今のSと似たように男子学生たちの誰もが振り向くほどの美貌を持つ。だが同時に男の取っ替え引っ替えが早いという噂もあり、フラれてしまった男たちはみんな口をそろえてわがままな女だと評していた。
「S君......で良いんだよね? めちゃくちゃかっこよくなってるじゃん! 急にどうしちゃったの?」
「うん、まあ。ちょっと裏技を使ってね!」
過去にはロクに女子とも会話をしてこなかったSが、爽やかにYに答える。性格は良くないという噂のYであっても、やはりクラス一の美人から声をかけられたというのは気持ちがいいものだった。
「裏技? へえ、気になるぅ! ねえ、その話ちょっと私にも聞かせてよ!」
Yはそういうと途端にSの隣に立って歩きだす。Sも嬉しさがこみ上げてきて、Yと肩を並べて歩調を合わせる。そして二人はどんどんと会話を弾ませた。その美男美女のコンビに振り返らない者はいない。
「ええ~っ! 教えてよぉ。めっちゃ気になっちゃうじゃん! 裏技って一体何のことなのぉ?」
「ああ~、ちょっとこれは門外不出ってやつでね。人には教えられないんだ」
「ええ~ケチぃ~!」
むくれた顔をしながらも、YはSのことに興味津々だった。普段やってる趣味のこととか、大学で受けている授業のこととか、色々なことを話し合う。Sは専ら自分が得意な石膏細工についてYに語る。SもYのことに夢中になっていた。
「ねえ、S君。アドレス交換しない? 私、S君のことすごく気になっちゃった。ね、いいでしょ?」
次の授業の教室に着くと、Yは連絡先の交換を甘えた声でねだる。すっかり気分をよくしていたSは2つ返事でYのお願いを聞き入れたのだった。
******
その後、SはYと付き合うようになった。二人はデートを何度も重ね、やがて帰り際になると、キスを交わすほどの仲になった。そして今日は9回目のデートの日、二人は遊園地でますます親睦を深めあった。そして夕方の別れ際二人はキスをしあうと、Yは熱の籠もった目つきで、Sにねだったのだった。
「......ねえ、S君。私S君の家に行ってみたいなぁ」
「俺の家? ああでも、来てもつまらないと思うよ? 俺のアパートって何もないところだし」
「もう鈍いなS君っ! そういうところだぞっ! 私が家に行きたいって言ったらそういう意味じゃない!」
Yは顔を赤くしてむくれっ面をする。Sはしばらくその顔を見遣った後、漸くその意味を理解した。その途端になってSもドキドキし始めた。何しろSにとってこれが始めての経験だったのだから。Sはどんどんと妄想が膨れ上がり、目の前の女性に対する欲望も大きくなっていく。
「......ああうん。いいよ!」
Sは気取った態度でYに快諾の返事をする。Yは「やったー!」と叫び、Sと腕を組んでSのアパートへ向かったのだった。
そして二人はSのアパートに到着し、Sは玄関の鍵を開ける。Sは緊張しながらも、何とか平静を装いながらYを部屋に案内する。
「ちょっと散らかってるけど......」
Sは自分の部屋の惨状に気づき、慌てて散らばった物をタンスの中に押しやる。そして今更ながら後悔した。こんなズボラな部屋を見てYに嫌われないだろうか?と。 けれどYは、そんな気まずそうな顔をするSに笑って手を振ったのだ。
「あっ、ううん! 大丈夫大丈夫! 私そういうの気にしないから。男の子ってみんなこんな感じだし」
Yは今までの男関係を匂わすような発言をする。だが女性経験の全くなかったSにとっては、かえってその慣れた感じがありがたかった。Yはまるで自分の部屋のように部屋の片付けを手伝い、やがて二人はテーブルに腰を落ち着かせる。
「ねえ~Sくぅん。そろそろ『裏技』について教えてよぉ」
酒が進み、場が温まったところでYがSにねだるように尋ねる。
「ええいやぁ、それって門外不出だしぃ」
「ええ~、教えて教えてぇ。私、S君の秘密が知りたいなぁ......」
YはべっとりとSにひっつき、甘い香りを放ちながらSに
「ったく、しょうがねぇなぁ。いっとくけどこれ、誰にも秘密だからな」
すっかり酔いが回ってきたSは、とうとう自分の秘密について打ち明けることを決めた。Sは椅子から立ち上がり、いそいそとタンスへと移動する。本当は誰にも見られたくなかったから、こっそりここで育成していたのだ。Yもワクワクとした様子で、タンスの方へ首を伸ばした。
「へへっ。絶対びっくりすると思うぜ。何しろこれは俺の最高傑作だからな!」
Sはタンスから植木鉢を取り出し、自信満々にテーブルへと運ぶ。そして大事そうに持ちながら、ゴトリとそれを置いたのだった。
「じゃ~ん! 人面野菜~!」
Sはアニメキャラクターのようなおどけた口調で、人面野菜の正面をYに振り向かせる。それと同時に、自らの顔も人面野菜の隣に並べた。Sは無邪気な顔でYに笑いかける。だがYはそれを見た瞬間、一瞬で表情を曇らせたのだった。
「......なにコレ?」
Yは眉根を
「人面野菜だよ! ほら、俺の顔とそっくりだろ? 商店街をブラついてた時たまたまこの野菜の種を買ってさぁ。何でも『この野菜は育てた親と顔が似る』って話だぜ!」
Sは子供のようにはしゃぎ人面野菜について説明する。Yのリアクションをニコニコしながら待った。だがYはただ一言、その野菜に向かって冷淡に言ったのだった。
「......キモい」
Yの一言に急に部屋に冷ややかな空気が流れる。Sは「えっ?」と驚き顔をして、Yを戸惑いの視線で見つめる。その端正な顔を見遣ると、Yの酔いはすっかり冷めきってしまっている様子だった。
「あのさぁ、S君。こんな人の顔した野菜?育ててるなんて悪趣味だよ。S君と同じ顔してるとかさぁ、どういう感性したらこんなもの作れるの?」
Yのあまりの様変わりした態度に、Sは困惑してしまう。どうしてこんなに素晴らしい芸術作品をYは理解できていないのだろうか? やがてその疑問はだんだんと悔しさとなり、Sは懸命にYに語り始める。
「いやいや! こいつのおかげで俺はイケメンになれたんだぜ! この人面野菜を上手く彫刻してさぁ。これ仕上げるのにめちゃくちゃ苦労したんだよ! この野菜をイケメンにしたから、俺もイケメンになれたんだ! そういう
Sは熱くいかにこの野菜がすごいものかを説き伏せようとする。だがYの心には全く響かず、むしろどんどんと気分を萎えさせていった。
「......あのさぁS君。別れよう?」
Yは突然重大な事柄を切り出す。そのあまりに唐突すぎる絶縁の宣告に、Sは言葉を失ってしまう。そのぽかんと口を半開きにしたSに、Yは構わず言いたいことを言い続ける。
「私さぁ、そういうオカルトじみた話嫌いなの。何ていうかさぁ、あっちの世界にイっちゃってるみたいな感じで。S君せっかくかっこいい顔してるのに台無しだよ。そういう根暗な趣味、止めた方がいいよ」
言い終わるとYは立ち上がり、さっさとSのベッドの中に潜り込んでしまった。Sに完全に背中を向け、振り返る素振りも全く見せない。そして面倒くさそうにYは付け加えた。
「今日はもう終電逃しちゃったからベッド借りるけど、襲ってこないでよね? もし何かしたら警察呼ぶから。S君は床で寝てね」
そのあまりにも身勝手すぎるYの行動に、Sは開いた口が塞がらない。Sは人面野菜を手に持ったまま、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。やがてYはすうすうとふてぶてしい寝息を立てて眠ってしまう。Sは突然彼女にフラれたことに理解が追いつかず、思わず叩き起こして抗議したい気持ちになった。だが結局Sには意気地がなくて、Yに言われた通り床で寝ることしかできなかった。
******
朝目覚めると、洗面所から音が聞こえた。ジャアジャアと流れ続ける水の音だ。どうやらYが先に起きて、朝の支度を整えているようだ。Sはそれを認識すると、すぐにYの元へと向かう。
Yは鏡の前で化粧をしていた。目にはたっぷりとアイメイクを塗りたくっており、どんどんとメイクが仕上がっていく。夢中になって鏡を見ているYの隣に立ち、Sは声をかけた。
「なあ、Y......」
その呼びかけにも、Yは振り返らない。完全に眼中からSの存在など消えている。それでもSは懸命に語りかけた。
「昨日のことなんだけど、あれ本気なのか? マジで俺たち別れるの?」
「......うん、そうだけど。邪魔しないでくれる?」
Yは自分の化粧ばかりに目が行き振り返られない。相変わらずSのことを蔑ろにし続けている。Sはその態度にがっくりと落胆し、結局気まずい空気をどうすることもできなかった。
「なあ、俺。アレに水やらなきゃいけないんだよ。そこどいてくれる?」
「......捨てたよ、アレ」
「えっ?」
予想外の言葉にSは頭を停止させてしまう。そして慌ててYに問いただした。
「捨てたってどうして捨てたんだよ!」
Sは怒りが爆発して一步詰め寄る。だがYは全く意に介さず長い化粧を続けながら喋った。
「だってあんなキモい野菜があったら、S君イタい人になっちゃうじゃん。せっかくイケメンなんだからさぁ、もったいなすぎるよ? ああいう気持ち悪い趣味はさっさと止めたほうがS君のためだよ」
事もなげに言ってのけるYにSは顔を真っ青にする。
「おい、どこに捨てたんだよ! アレは俺の最高傑作なんだぞ!」
「このアパートのゴミ捨て場。曜日合ってるかどうか知らないけど」
そしてSは跳ね飛ばされたように走り出した。玄関で靴の踵を踏みながら扉を飛び出す。
足を
ゴミ捨て場はカラスの群れで溢れていた。朝捨てられたばかりのゴミ袋を取り囲んでついばんでる。Sはゴミ捨て場に乱入するように入り込み、乱暴に腕を振り回した。
「どけっ! カラスども! 邪魔だっ!」
Sの苛立ちの籠もった攻撃にカラスたちは一斉に空を飛ぶ。荒らされたゴミ袋は穴だらけになり、そこかしこにゴミが散乱している。そしてSは信じられない光景を目の当たりにした。
Sが作り上げた最高傑作、それは無惨な姿になっていた。右目の部分は抉られ、唇があった場所はすっかり剥がれ落ちている。鼻があった場所は鼻筋がなくなっており、代わりに歪で大きな穴が1つ空いている。頭の前頭部が大きく欠損しており、前方の髪の毛が半分ほどなくなっていた。
(何だ......これ)
Sは自分の最高傑作だったものを見下ろし、愕然とした。もはや修繕できる余地がなく、手の施しようがない。頭の中がぐにゃぐにゃとして思考がまとまらなくなる。そして今更になって気づいた。そういえば右半分の視界が妙に暗い。歯には何だか隙間風がどんどんと当たっている。そして鼻の穴からは大量に空気が抜けていく感じがする。そして頭の前頭部は――
「Sくぅん......」
突然、背後で呼びかける声がした。その声は何度も聞いているからわかる。それはYのものだった。Yはどこかぎこちない声音色で話を切り出す。
「......ごめんね、S君。私たち、やっぱりヨリを戻そ」
YはSの背に向かって甘えた声で呼びかけてくる。その声でねだれば、いつもSは何でも言うことを聞いてくれたのだった。だがその時のSは違った。SはYの言葉など聞き届けておらず、全くYのことなど愛おしくない。そしてどこか押さえようのない嗜虐心を募らせていた。
「......なあ、Y。俺の顔ってどう思う?」
「えっ? すごくかっこいいよ。今まで付き合った人の中で、S君は一番だよ」
「そっかぁ、なら......」
SはそこでYにゆっくりと振り返った。
「お前の顔も、俺と同じにしてやるよ」
人面野菜 区隅 憲(クズミケン) @kuzumiken
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