第34話 続く日々
騒動が一段落してからも、しばらくは忙しかった。
雪村や里中が中心となり、この混乱を収めるために奮闘していた。
見捨てられた首都の人間達を《赤目の鬼もどき》から守り、街の回復に尽力したのは《
お偉いさんがいなくなり、国が機能しなくなったため、《役人》は国から独立した機関になることを宣言した。
首輪を外し、人に従うのではなく共存する道を探すのだと、雪村は言っていた。
シゲンの方についた《贄人》たちも、もちろんいたのだが。
しかしシゲンは《贄人》たちを集めておいて、特に何もすることなく境界の向こうへ逃げてしまった。
置いていかれた彼らは肩透かしを食らったような状態だ。
雪村は彼らの選択に対して何も言わず、望む者は《役人》として受け入れた。
人手はいくらあっても足りないし、それに彼らの気持ちもわかるからだろう。
シゲンのお陰で、多くの人間が黒鬼の血に感染していた。
女子供は血を吸われただけで、実は感染していないのだけれど、その情報は明かさないことになった。
――もしかしたら自分達も、いつかは鬼になってしまうかもしれない。
自分たちも、鬼や《贄人》と紙一重の存在だ。
助けられたことと、その心理から、人は雪村たち《役人》や《贄人》を受け入れやすくなっている。
ならそれを利用しない手はないと、ずるがしこい里中が言ったからだ。
それに上の人間にも、まともな奴は多少いた。
多くのお偉いさんが首都を捨てて逃げる中、残って人々のために動いていた人間も確かにいたのだ。
黒鬼の血に感染しながらも、それでも逃げなかったそいつが、次の国の頭になった。
◆◇◆
「本当、驚くほど平和になったな。人間っていうのはよくも悪くも忘れっぽい生き物だ」
呆れたような、馬鹿にしたような調子でアオが吐き捨てる。
「まぁいいじゃありませんか。人と《贄人》がこうして手を取り合って、歩みだすことができたんですから。前よりは格段に住みやすくなったでしょう?」
ふふっと楽しげに、里中(さとなか)が笑った。
あれから一年が経って。
街はすっかり元の調子を取り戻していた。
しかし人と《贄人》の関わり方は大きく変わって。
《贄人》が堂々と生活していける世界が、そこにはあった。
「お前とシゲンの目的は、最初からコレだったんだろう」
「何のことです?」
アオの問いかけに、よくわからないというように里中が首を傾げる。
今日の私はアオのところに遊びに来ていた。
革張りの長椅子に座りながら、お気に入りのゲームをして、アオとアイスを食べていたのだけれど。
里中がいきなりやってきて、何やらアオとの間に険悪な雰囲気が漂っていた。
「平和ボケをしていたこの国は鬼の存在を忘れかけていた。記憶喪失のトワがやってきて、コウとくっついて。わかりやすい敵が出てきて人間がピンチになり、オレたちが力を合わせてそれを倒す。そしてオレたちが人に受け入れられる。どこかで見てきたような話だな」
皮肉たっぷりにそう言いながら、アオが側に座る私の口元を拭う。
口の周りについたアイスが垂れるところだったらしい。
ちらりと里中を見れば、面白そうに笑っていた。
「シゲンとお前の目的は、トワが住みやすい世界を作ることだった。《役人》や《贄人》が必要とされ、人に虐げられない世界。それでいて、オレたちがあの場でシゲンの案に乗れば、それはそれで計画を進めるつもりでいた」
アオが断言すれば、かなわないですねと里中が肩をすくめた。
「なんで気付いたんです?」
「おかしな所が多すぎるだろ。オレたちに自分の所に来いといいながら、どうしてシゲンはトワを記憶喪失にしてコウに預けたんだ? ずっと見つからなかった境界を固定するための刀が、どうして今頃現れた? シゲンが引くのもあっけなさすぎるし、オレの陣営と《役人》が手を結ぶよう提案してきたのもお前だっただろ」
問いかける里中に、全体的にしかけてくるものが温すぎるんだとアオは告げた。
「もっと他にも手段はあった。黒鬼の血に感染した者を、全て《紅目の鬼もどき》に変えれば、もっと人間に絶望を与えられただろ。シゲンがやってたのは《退鬼士(たいきし)》が住みやすい世界のための、害虫排除でしかない」
言われてみれば、確かにアオの言う通りだ。
「つまりシゲンは、トワのための悪役だ。そしてお前はそれを上手く演出するために力を貸していた。どうしてシゲンがトワに対してそこまでするんだ。里中、お前何か知ってるな?」
話せと、アオが命令する。
里中は弱りましたねと言いながら、曖昧な笑みを浮かべていたけれど、観念したように息を一つ吐いた。
「トワは……シゲンの愛した人の、忘れ形見なんです。それでいて、その人は私と同族の赤鬼の《贄人》でした」
「何?」
思いがけない里中の答えに、アオも私も目を見開く。
「シゲンが言ってたこと、覚えてます? 恋人が鬼の花嫁に選ばれて、村から捧げられたって。わたしもその村の出身だったんです」
里中の場合、妹が鬼の花嫁にと望まれた。
けれど里中は妹の幸せを思い、自分が女装して身代わりになったのだという。
「わたし結構うまくやったんですよ? 男でしたけど、それなりに血を気に入られて生き延びることができましたし」
そんな中、里中の主人である鬼の一族を取り仕切る鬼が、花嫁を人の世界から攫ってきた。
それがシゲンの恋人で、私の母らしい。
「彼女は鬼によって孕まされ、トワを生みました。その後シゲンが鬼となって彼女を助けに来ましたが、彼女は逃げずにトワを託したんです。たぶんトワが女だったんで、ここにいたら大変だと気付いていたんでしょう」
私が女の鬼であったことを、里中も父親である鬼も気付いてなかったのだと言う。
生んだ母親が、それを必死に隠していたんだろうと里中は口にした。
「結局トワを逃がした事がばれて、彼女は鬼に殺されてしまいましたけどね。シゲンはその鬼を殺して、トワをその場から連れ去って行きました」
そして何年もの時が経ち。
里中の主である鬼が、新たな花嫁を求めて人の世に降り立った。
鬼は先生に見つかって退治され、里中は先生の元で暮らすことになったのだと言う。
「《退鬼士》として過ごすようになって、セイランがあなたを連れてきた時は驚きました。あなたは母親によく似ていましたから。その後あなたに会いにくるシゲンに会って、ようやくあの時の子なんだとわかったんですけどね」
「シゲンは……私の父親のようなものだったということか?」
そうですよと、里中は言う。
「どんな育て方をしたのか……見た目は今とそう変わらないのに言葉は喋れないし、箸の使い方すらあなたは知りませんでしたけどね。これじゃいけないと、セイランに預けたみたいですよ?」
「なるほどな」
里中の言葉に、アオが納得した様子を見せる。
私に箸の使い方やそのほか色々なものを教えてくれたのは、アオだったらしいからその時の事を思い出しているのかもしれない。
「とにかく、私もシゲンもあなたの幸せを願っていたってことです。こんなやり方しかできませんでしたけどね」
ふっと里中が優しい顔をしてくる。
やっぱりシゲンはただの悪い奴なんかじゃなかった。
それを知ることができて、胸のつかえが一つ取れたような気分になる。
「育児を投げ出しておいて、今更父親面ってわけか」
「……アオ厳しいですね。まるでうちの子は渡さないっていうアレみたいです」
話にならないなと鼻で笑ったアオに、里中が呟く。
ギロリとアオに睨まれて、こほんと咳払いした。
「それで、何でオレじゃなくてシゲンの奴はコウなんかに預けたんだ?」
「あっ、もしかしてそれが一番聞きたかったことですか? やっぱりトワがコウを選んだこと、平気なフリして相当根に持ってたんですね。アオはシスコンですものねって……いきなり術を放たないでください! 腕が解けるところでしたよ!」
アオの問いにニヤニヤ笑いしながら答えた里中に、アオが青白い炎の固まりを放つ。
里中の腕があった部分の背もたれに、丸い穴があいていた。
「わたしもそこまでは知らないんですよ。知らない間にトワを起こして、シゲンがコウのところに預けてたんです。本当はわたしの元で預かるつもりだったのに」
憮然とした様子で里中が言う。
そうならなくてよかったと、心の底から思ったが口には出さなかった。
「そう言えば、里中が私に媚薬を盛って襲おうとしたのも何か意味があるのか?」
「それはただ単に求婚です。わたし、昔からトワが好きだったので、記憶のないうちに手篭めにするつもりでいたんですよ。ただその媚薬のせいで、トワがコウに美味しくいただかれてしまって……あんなに手が早いなんて思ってませんでした」
もうちょっとわたしの付け入る隙があると思ったんですけどね、なんて後悔したように里中は口にする。
もしかしてあの行動にも私が思いつかない理由があり、里中の事を勘違いしているのかもしれない。
そんな気持ちから出た質問だったが、思っていたまんまだったらしい。
さらりと爽やかに手篭めなんて言葉を使ってくる里中には、全く悪びれた様子がない――やっぱり危険人物だ。
「へぇ、元はと言えばお前のせいか、里中」
ゆらりとアオの纏う鬼の気配が強くなる。
横を見れば、長椅子の上に立ったアオは鬼化していた。
すでに暴れてもいいよう、部屋の中に結界が張り巡らされている。
「ちょ、アオ。何で刀を構えてるんですか! しかもその術、危険度Aランクの……わたしの方は未遂だったんですし、落ち着いてください!」
「うるさい」
目の前で、アオが里中を攻撃しはじめる。
全く止める気は起きなかった。
◆◇◆
「コウ、朝食の用意ができたぞ!」
作り終えてからベッドにコウを起こしにいけば、まだ寝ていた。
しかたないなと毛布をはがそうとすれば、手首をつかまれて引き寄せられ、口付けを受ける。
「ん……むぅ!」
「ふ、おはよう……もう、朝か」
挨拶代わりに口付けして、尻を揉んでくるのでその頭に頭突きをお見舞いしてやる。
コウときたら相変わらず色ボケだ。
私とコウは元の家に戻って生活していた。
《役人》はやめて、元の探偵業をコウと二人でやっている。
まぁ探偵と言っても今は、人と《贄人》の間で起こる問題を解決する仲介屋というか、何でも屋のような依頼が多いのだけれど。
雪村たち《役人》は、新しい国の元で人と《贄人》が共存できるように毎日頑張っている。
シゲンが起こした事件で、鬼や《贄人》の存在が明らかとなり、今は堂々と生活していけるようになっていた。
あんな事があったのにすでに都は機能を取り戻していて。
新たな関係性に戸惑いながら、人と《贄人》は共に歩いていこうとしている。
その事が嬉しい。
コウが起きてきて、身支度を整えだす。
今日は朝から依頼が一つ入っていた。
それにしてもコウの部屋は汚いな……事務所兼自宅は、相変わらず雑然としている。
何でも脱ぎ散らかしてしかたないなと思いながら、ベッドの下に落ちた服を拾おうとして、奥に何かがあるのに気付く。
「コウ、なんでこんな本をまた買ってるんだ!」
「げっ……俺の宝物!」
コウときたら呆れたもので、相変わらずえっちな本を隠し持っている。
前に捨てたはずなのに、性懲りがない。
「本当コウはしかたないな。今日が資源ゴミの日でよかった」
縄で手際よく本を縛る。
コウが残念そうな顔をしているが、そんなことは関係なかった。
「なんでコウはこんな本が好きなんだ。私がいるのに、どうして買う必要がある」
「妬いてるのか?」
叱ってるのに何故かニヤニヤと嬉しそうにするコウのスネを、思いっきり蹴ってやる。
「いやだって、これとそれは別というか! シュカは縛ってくれないし!」
「私に……縛られたいのか? 変態だと思っていたが、本当に変態だなコウは。いつからそんな変態だったんだ」
「俺がこんな風になったのは、元はと言えばトワのせいだろ!」
主張するコウにドン引きして口にすれば、何故か過去の私に飛び火する。
「何で私が関係あるんだ」
「昔俺がお前の命を狙ってた時、失敗するとトワが俺を縄で縛ってたんだ。お仕置きだって言ってな。それがこう、いつしか癖になってて……まるで抱きしめられてるみたいだな……と」
恥ずかしそうにコウが言う。
何を言ってるのか少々理解に苦しむが、コウの変態部分を開発してしまったのは……どうやら過去の私だったようだ。
「えっちな本を買わないなら、本の代わりにコウを縛ってやっても……いい」
「本当か!」
「そんなことで喜ぶな。本当コウは変態だ」
譲歩してやれば、コウは食いついてくる。
全くしかたない変態だ。
でも、これが好きだと思うんだから……私も大概だった。
朝ごはんを一緒に食べる。
コウももう鬼に近づいているから、食べる必要はないけれど。
こうして朝食を一緒にとることは楽しい。
「なぁ、まだ足りない。少しだけお前を食べていいか?」
朝食を食べ終わって、コウが甘えるように私の首筋を撫でる。
「ん……少しだけ、だからな」
首を傾ければ、コウの唇が落ちてきて……ぷつりとその牙が私の皮膚を貫く。
「ふ……あっ……」
ぞくぞくとした快感が体を包む。
ぎゅっとコウの頭を抱きかかえれば、答えるように舌が噛み跡を優しくなぞった。
「ほら、俺のも」
嬉しそうにコウが今度は自分の首筋を差し出す。
そこに牙をうずめれば、熱い血が舌の上で弾ける。
コウはもう、《贄人》じゃなくて私と同じ赤鬼だ。
だからこの行為に生産性はない。
二人の間でただ血が巡るだけ。
増えた血の分だけ、吸われて、また吸ってを繰り返す。
コウを自分の内側に感じて、気持ちがいい。
……幸せだと、そんなことを思う。
「なぁ、コウ」
「……なんだシュカ」
呼びかければ、行為に夢中になっていたコウが私を見つめてくる。
「コウと一緒にいられて、私は幸せだ」
「……俺もだ」
言えばコウが目を丸くして、それから幸せそうに笑ってくれた。
そろそろ仕事にいかなきゃと思ったけれど、ここまで煽っといて冗談だろとコウによってベッドに引き込まれた。
そんなことしてるから、探偵業の方はいまいちうまくいかないんだと思ったけど、甘く蕩かされてどうでもよくなっていく。
まぁ、明日から頑張ればいいか。
これから先は長いし――コウが側にいればそれで十分だ。
口付けを交わしながら、そんなことを思った。
拾われ赤鬼の恋愛事情 空乃智春(そらのともはる) @mearuka5
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