第33話 トワの望みと、シュカの望み
作戦決行の当日。
私とコウが向かった場所は、ただの荒地だった。
何もない。
草一つさえ、生えてなかった。
ただ、ここからは懐かしさと同時に、怨念のようなものを感じた。
そこにいるだけで背筋が泡立つような、悲しみと怨嗟。
けどこの気配は……知っているものだ。
「アオの気配がする……どうしてだ?」
「それはここが、アオがセイランさんを食って鬼になった場所だからだ。俺たちが仲間と一緒に過ごしてきた場所でもある」
口にすれば、苦い顔でコウが答える。
だから懐かしいと思ったのかと、納得した。
今日ここにシゲンが来るはずだと、コウは言っていた。
――あいつの命日にいつもの場所で待っている。
そうシゲンは言っていたけれど、そのあいつというのは先生の事だったらしい。
コウが手に持っていた花束を、墓石の所に置く。
一瞬にして花は枯れた。
ここにはアオの深い悲しみが根付いている。
アオだけじゃない、たくさんの悲しみが連鎖して――この場所の気を歪めているのが目に見えた。
「なぁ、お前本当は……シゲンと行きたかったりするんじゃないのか」
コウがふいにそんなことを問いかけてくる。
驚いてそちらを見れば、コウは苦しそうな顔をしていた。
「お前は人も《贄人》も恨んでた。裏切られて、殺したいほど憎んでた。ならシゲンの方が、お前の願いを叶えてくれるんじゃないか?」
いきなり何を言い出すんだろうと思う。
私と向き合ったコウは、そっと頬を撫でてきた。
その手が降りて、首筋を軽くなぞる。
「俺は変わってしまうお前を受け入れられなかった。好きだからこそ元のお前に戻って欲しくて、それが叶わないのなら……お前がこれ以上変わる前に殺そうと思った。でもそれは結局、俺だけの都合だったんだ」
肩にコウが顔をうずめてくる。
見ないで欲しいというように。
「お前が絶望して悲しんでるなら、俺はそれに寄り添うべきだった。全てを敵にまわしたって、お前の側から離れちゃいけなかった。独りにするんじゃなかった」
まるでそれは、傷を抉ってさらすような痛みを伴う声だった。
「お前を自分の手で殺して後、自分も死のうって何度も考えたんだ。でも、何度だって蘇るってお前が言ってたから……自分で殺したくせに、また会える日を望んで今まで生きてきたんだ。馬鹿みたいだろ?」
ずっと、ずっと後悔してきた。
自嘲を交えて、コウは告げる。
「好きだった。愛してた。でも、最初が最初だったし、救ってくれたお前に酷いことをしてきた自覚もあったから言えなかった。それに、お前が男だと思い込んでたから尚更、伝えられなかった」
コウの腕に力がこもる。
今まで隠してきた想いを、ぶつけられるかのようだった。
「女だと気づいて後も、躊躇(ためら)って踏み込めなくて。それでも、好きでしかたなかった。ずっと、お前を手に入れたくて……こういうことをしたいと願ってたんだ」
そういって、コウが口付けを仕掛けてくる。
言葉だけで伝えられない分を補うように。
「あ……コウ……」
「俺は卑怯だ……お前が忘れてるのをいいことに、酷いことしてる。なのに、止められない。また離れるのは……ん、嫌だ」
吐息が漏れる。
言葉の合間に、コウは私の口の中を蹂躙してくる。
コウは口付けが好きで、何度もする間にどうしたらいいのかわかるようになっていた。
自分から舌を絡めれば、コウの大きな手が髪に差し込まれ地肌をくすぐる。
唇が離れて行く。その間を淫らに糸が引いていた。
コウはまた私の肩に頭をうずめ、抱きしめてくる。
「シゲンが提案してきたとき、お前がまたあの時のトワに戻ってしまうんじゃないかって怖かった。だから無理やりあの場で話を終わらせた。でも、心からそれをお前が望むなら……俺は……」
コウの声が掠れて、揺れる。
大きな体から、不安と恐れが伝わってくる。
自分の意思を捻じ曲げても、コウは私の選択に従おうとしてくれている。
それは、コウの過去の後悔からくるものだ。
トワの側に最後までいられなかったことを、コウは悔やんでいる。
「コウ、今の私はトワじゃない」
体を離すようにコウの胸を押し返す。
「過去の私がどんなことを考えていたか、私は知らない。過去があって私がいるのは確かだが、今ここにいる私はトワじゃなくてシュカだ」
きっぱりと言葉にして、真っ直ぐコウを見つめる。
「難しいことは私にはわからない。でも、私が心から望むのは、コウとこれから先もこうやって過ごすことだ」
ぎゅっとコウの手を握って、伝える。
怯える必要も、怖がる必要もない。
私はコウの側にいるんだと、わからせるために。
「コウは今の私が好きなんじゃないのか? コウにとって大切なのは、シュカじゃなくてトワなのか?」
「……俺が好きなのは、今目の前にいるシュカだ」
少し怒った口調で言えば、コウが小さく、でもはっきりと口にする。
「ならもう過去に囚われるな。トワではなく、私を想え。私はコウが好きだしずっと側にいたい。できればまたあの家に戻って、くだらないことをして毎日笑いながら生きていきたい。コウは違うのか」
強制するような言い方。
でもきっと、コウも同じ気持ちだと信じているから口にすることができた。
「違わない……俺も、シュカが好きだ。一緒にそんな風に、生きていきたい」
くしゃりとコウの顔が崩れる。
深く奥に隠された、コウの望み。
それを望むことが許されてないと、心のどこかでコウは思ってたんじゃないかと思う。
それを無理やり暴き出して、自分と同じだということを確認して。
情けないコウの表情に――愛おしさが溢れてきた。
「コウ泣くな。情けないぞ」
少し笑いながら、その口に唇を重ねる。
想いを確認しあうように、しばらく私たちはそうしていた。
◆◇◆
「コウとトワの二人か。ここに来たということは、おれの元に来る決意が決まったということか?」
しばらく待っていれば、シゲンが現れた。
黒く長く伸びた髪。その頭には黒い鬼の角。
夕方の紅に染まった景色の中、金と紅の瞳をもったシゲンは、まるでこの世界から浮いているように見えた。
「いや。あんたを倒すことにした」
コウが刀を突きつけ、私も腰の刀を構える。
それが答えだと示すように。
「……馬鹿なやつらだ」
そう言うと、シゲンの気配が膨れ上がる。
襲い掛かろうにも隙がない。
強いと肌で感じる。
最初に動いたのはシゲンだった。
動いたということすら認識できなくて、目の前でシゲンが消えたと思った時には後ろにその気配が移動していた。
「しゃがめ!」
反射的にコウの声に従う。
シゲンの一振りが、遅れて浮いた私の髪の一房を切り取って行った。
「目で見るな。感じて動け!」
怒鳴りながら、コウがシゲンに対して刀を振るう。
シゲンはそれを容易くかわしたり、いなしたりしていた。
その背後をとるように切りかかれば、刀を握ってないシゲンの手のひらがこちらに向けられていて。
そこから放たれた閃光によって目がくらんだ隙に、切りつけられる。
「ぐぁっ!」
「シュカ!」
余所見をしたコウに、シゲンが刀を振るう。
それをコウはぎりぎりのところで上体を逸らして避けた。
「私は大丈夫だ、コウ」
痛みによって目が覚めたかのような気持ちがした。
咄嗟に体を庇った腕に、大きな切り傷。
血を舐めれば、トクトクと波打つような己の鼓動が聞こえた気がした。
――シゲンは強い。
コウよりも、私よりも。
あいてにもされてない絶望的な状況だった。
夕刻に境界の固定が始まり、沈む頃には終わる。
その間足止めすることができれば、私とコウは役割を果たせる。
でも、本当にそれが可能なんだろうか。
赤鬼である私とコウが、シゲンの足止めをする。
その間に、境界を固定するために神刀(じんとう)を持ち、アオと雪村、それとカズマが準備をする。
そういう手はずになっていた。
真っ赤な夕日があたりを染めている。
その中でコウの赤い髪が揺れる。
戦うコウの姿は凛々しくて、何よりも魅力的だと思った。
その真剣な表情に、ぞくぞくとする。
「くっ!」
刀を交し合うコウが競り負けている。
それを援護するように、シゲンの方へ踏み込み、刀を横になぎ払う。
背中を襲う私の刀をしゃがんで避け、方向転換したシゲンが私の懐に飛び込んでくる。
とっさに空いた手で脇差しを抜き、シゲンの一撃を防いだ。
シゲンの動きは早く、思いがけない攻撃をしかけてくる。
型に囚われない動きは、確実に殺めるための剣だ。
次はどんな手を繰り出そう。
相手はどう来る?
油断すれば、殺される。
そんな状況に、頭の中が研ぎ澄まされていく。
命の駆け引きはどうしてこうも刺激的なんだろう――久々の感覚だ。
《紅目の鬼もどき》は数ばかりで手ごたえがなかった。
ためらいのないシゲンの技は、少しでもかすれば致命的。
そこから崩され、有利な方へと持っていかれてしまう。
鬼の再生力は高いし、血は十分に摂取してきた。
今の私の中にはコウの血が流れ、コウの中には私の血がある。
巡っている血は互いの思考をあわせるかのような攻撃を可能にする。
腕を持っていかれようが再生する。
痛みさえも、戦いを燃え上がらせる材料にしかならない。
私の体が戦い方を思い出していく。
急速な勢いで、人や《贄人》を恐怖に陥れていた時の私に戻りつつある。
加えてコウの持つ刀は特殊で、この刀に切られると鬼はその部分を再生できない。
コウとの二対一で負ける気はしなかった。
血が熱い。
気付けば私は笑っていた。
コウと私で攻撃の流れを作る。
まるで二人で一人であるような感覚。
私がどうして欲しいかコウは理解しているし、私もまた理解している。
相手と繋がっている感覚。
強い獲物を追い詰めていく、高揚感。
シゲンの顔に焦りが見え始め、それもまた私たちを煽る。
私がシゲンの注意をひきつけ、コウがその特別な刀でシゲンの力を削いでいく。
「くっ……」
シゲンの顔が歪む。
その隙を見逃さず、シゲンの刀をその手から払い落とす。
――これで終いだ。
喉元に、刀をコウと私の二人で付きつけた。
「覚悟はいいか、シゲン」
「どうせ人間は裏切るぞ。守ってどうする?」
問えば、逆に問いかけられる。
「人間に守る価値があるかと言われたら、私にはわからない。記憶を取り戻してからあまり人と関わってない。知り合ったのは《贄人》や鬼ばかりだ。人が私達を虐げてきたことは聞いた」
「なら」
正直な気持ちを言葉にする。
口を開きかけたシゲンにその先を言わせず、さらに言葉を紡ぐ。
「でも、私はまだ人を知らない。だからこれから知っていきたいんだ。私やアオやコウが信頼していた先生は、人を守りたかったんだろう? 過去の私も人を守ろうとしていた。守ろうとしていたものに価値があるのかどうか、これから見て行きたいんだ」
「……それがお前の答えか」
吐き出せば、ふっとシゲンが笑みを漏らす。
嘲るようなものじゃなく、お前らしいなというようなそんな優しい笑みに思わず毒気が抜かれた。
戦いの中熱くなっていた頭が、急速に冷静さを取り戻していく。
シゲンは悪い奴ではない。
そう思う。
正当な理由があって、こんなことをしている。
なら話し合えばわかるはずだ。
「シゲン、あなたが人を恨む気持ちはよくわかるんだ。でもこんなのは間違ってる」
「何が間違いなのかは、自分自身で決めることだ」
説得を試みれば、シゲンの周りの空間が揺らぐ。
薄い膜がシゲンを包んで、私達との間を阻んだ。
これは……境界だ。
触れればそこに、境界が出現していて。
シゲンの姿は見えるのに、鏡の向こう側にいるかのようだった。
『悪いな、殺されてやるわけにはいかないんだ。またいつか会おう』
そう言ってシゲンの姿が、境界の向こう側に揺らいで消える。
「シゲンが自分から境界の向こうへ逃げた!」
『ちっ、作戦とは違うがしかたない! 結界を固定しろ!』
コウが慌てて連絡を取れば、電話の向こうから雪村の声がした。
瞬間空が歪む。
広範囲に虹色の光が揺らめく。
それらは波のようにゆらゆらとゆれて、段々と収まっていく。
コウも私も空を見上げ、その様子をずっと見つめていた。
やがてピンと糸を張ったような音が耳元に聞こえ、元の空が戻ってくる。
結界が固定されたのだと感覚でわかった。
茜色だった空は、闇が混じり赤のような青のような、不思議な色をしている。
「終わったのか……?」
ふいに体から力が抜ける。地面に座り込めば、今まで追いやっていた痛みや疲労が体に戻ってくるようだった。
「お疲れ。よくがんばったな、シュカ」
コウが優しい目をして、頭を撫でてくれる。
それからぎゅっと私を抱きしめた。
「……コウ?」
「さっき、シゲンに啖呵(たんか)を切ったシュカは格好よかった。やっぱり俺はシュカが好きだって、実感した」
名前を呼べば、コウがゆっくりと言葉を紡ぐ。
少しコウの体は震えていた。
あんなに説得したのに、まだコウは私がシゲンの元に行ってしまうかもしれないと不安だったのかもしれない。
守ってきた人や《贄人》を殺し始めた私を、コウは受け入れられなかった。
私を止めるために、自らトドメを刺した。
それはきっと、コウの心に大きな傷を残していたんだろう。
大きな図体をしてるくせに、コウはどうにも寂しがりだ。
「なぁ、コウ。これが終わったら、私たちの家に帰ろう? 私はこれからもコウと一緒にいたい」
「ああ、もちろんだ」
言えばコウが優しい口付けをくれて。
幸せだと、そんなことを思った。
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