第6話

「真の黒幕、ですか。なかなかにいい響きですね」

 西城綾香は吸っていた煙草を地面に落とし、足で踏みつけた。先ほどスタジオで見た大人の包容力は微塵もなく、親友を思い懐かしむ表情も浮かんではいなかった。ただただ無がその変わらぬ顔に張り付いている。

「ええ。おかしいと思ったんです。なぜ週刊誌の記者は彼女が両利きであることを知っていたのか? 彼女はライブや握手会の時は右利き、プライベートの時は左利きなんです。そして彼女は徹底的にプラベートをひた隠しにしていた。SNSにも自分の普段の生活がわかるものは上げておらず、その徹底ぶりはプロデューサーですら知らなかったほどです。でもあなたは彼女が両利きであることを知っていた数少ない人物だ」

「だから私が記者に嘘の情報を流した、と? 彼女がプライベートをひた隠しにして左手も使っているというのを知っているのは私だけだと?」

「ええ。彼女がプロデューサーと裏社会の人間との金銭のやり取りを見たのが去年の9月の終わりごろ。そして最初の彼女を貶める内容を書いた週刊誌が発売されたのが去年の10月です。どうです? 偶然に見えますか?」

 西城綾香は口角を上げて首を傾ける。笑っているように見えるが、ロボットのように無表情だ。

「まあ、見えないでしょうねえ。それで、その目的は?」

「彼女の自殺の原因を作るためです。週刊誌の記者が彼女をしつこく追いまわし根も葉もない噂を立てたから彼女は自殺したというね」

「あなたは彼女からその受け渡しの現場を見たと相談されたのではないですか? そして、それをプロデューサーに教えた。彼女はあの取引を目撃しているとね。あなたならそれが可能なのです。プロデューサーとにあるあなたならね。そして今回の事件を起こすように仕向けた」

 西城綾香は黙ったままだった。ただ彼女が消えた紫苑の花園を無表情で眺めている。

「僕にはあなたたちを逮捕する権限はない。唯一逮捕する権限を持つ警察も動けない。なぜこんなことをしたのか、教えてはくれませんか?」

 目の前の女はそれを聞いた瞬間、下を向いて吹き出した。空気の抜ける音は一瞬で笑い声に変わり、その甲高い嗤いは花園中に響き渡った。


「なるほど。彼女があなたに心を許すのもわかる気がするわ。捻くれているようで、とても真っすぐだもの。いいわ、教えてあげる」

 瞬間、目の前の女の雰囲気が変質した。その様を簡単に言葉で表すことができないが、禍々しいと言われればそうであるし神々しいと言われればそうである気もした。




「すべては1位になるためよ」


「私はずっと彼女の後ろだったの。あの、人を引き付けるカリスマ性、あれにはどんなに努力しても勝てなかった」


「それで気づいたの。もうこんな努力しても無駄だって。だったコロシちゃえばいいんだって」


「それが私の目的。ただ、世界中の人にはを見てほしかったの」


「誰かに見てほしいってそんなにいけない欲求かな」


「目的のために手段を選ばないってそんなにいけないことなのかな?」


「そのために彼女を裏切り続けることだって、悪いことだったのかな?」


「悪いことなのかな、悪いことなのかな、悪いことなのかな……」西城綾香は壊れた人形のように何回も同じことを繰り返し、繰り返し、繰り返し言葉にした。これは呪いだ。これ以上聞いたらもう戻れなくなる呪いだ。なのに、彼は耳をふさぐことをしなかった。西条綾香がこちらに近づいてくるのをただ見ることしかできなかった。


 西城綾香はゆっくりと彼のほうに歩いてくる。紫苑をぐちゃぐちゃ踏むつぶしながら彼のほうへ進んでいく。西城綾香を見てはいけない。頭ではわかっているはずなのに目が離せない。頭からこの女の存在を追い出したいはずなのに、彼の中でどんどん西城綾香という存在が大きくなっていく。

「ああ、そうか」とここで彼は頭の片隅で理解する。西条綾香は彼女の忘れ形見を拾い上げたのだ。櫻井マキという人間が最期の最後で捨てたそのカリスマ性を。今の目の前に立つ女は西城綾香という偶像、櫻井マキという偶像が混然一体となった状態なのだ。





「彼女は貴方に紫苑の花言葉を聞いたわよね? なら私も同じことをしようかしら。月桂樹の花言葉って知ってる?」




「栄光、勝利……そして裏切りよ」





 西城綾香はそのまま彼の横を通り過ぎ、公園の出口へと向かっていく。道行く人が無意識に西城綾香という人間を目で追っている。彼らの表情には、どんな感情が浮かんでいるのだろうか。化物を見るような恐れか、それとも神を見るような恍惚か。ここからでは一人一人の顔がよく見えない。



「お前はなぜ、彼女の写真を消さなかったんだ?」

 彼は離れていく背中に向けて叫ぶように問う。これが西条綾香という濁流に呑まれた彼ができる、最後の抵抗だった。


 振り返った西条綾香は、彼を一瞥したあと、紫音の花を目的なくただいたずらについばんでいる烏に、その黒銅のような空洞の瞳を向けた。

 

「私たちは所詮誰かが夢見る亡霊にすぎません。その仮面の下には、普通の人間同様、愛憎にまみれた血肉が詰まっているのですから」



 彼はこの時、西条綾香だけでなく、老若男女問わない多数の人間がこう答えるのを聞いたような気がした。










《了》




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

亡霊、月桂樹と共に舞う 山田湖 @20040330

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ