世界は七日で終わるらしいが、その前に君を土に埋めたい

佐古間

世界は七日で終わるらしいが、その前に君を土に埋めたい

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 不躾なニュースキャスターの言葉に、目の前に座る彼の体がびくりとはねた。本当に小さな動きだ、それですぐさまテレビを消した。

 トーストにバターを塗りたくっていた彼は、バターナイフを思わず取り落として、それから何でもなさを装うように「そろそろなんだね」と笑った。歪な笑みには気づかないふりをして、「そうだね」と頷く。

 惑星ウィルス、とやらにこの星が罹患したのは実に十年ほど前の事だ。その少し前、落ちてきた隕石に付着していたウィルスが、どうやら地中深くに潜り込み、マントルや外核をものともせず「星の心臓」までたどり着いた。ウィルスは「星の心臓」をゆっくりと弱めていって、心臓の持つ自己回復力を根こそぎ奪い始めた。

 世界星体研究機関が「世界の終わり」を算出したのは、ウィルス罹患のおよそ三年後の事だった。「星の心臓」の観測は世界星体研究機関が担っていたが、七年前、まだ寿命のあるエネルギーコアの一つが突然死滅したことにより、ウィルス罹患が分かったのだ。あっという間に計算された「世界の終わり」は瞬く間に知れ渡り、以降、世界中がどこか浮ついた雰囲気にある。

 とはいえ、生活自体が大きく変わることはない。「終末キャンペーン」とやらで様々な企業・団体・施設が終末商法に乗り出したが、そのくらい。それまで行けなかった場所に行けるようになったり、あらゆるサービスや商品が少し安くなっていたり。どうせすべてなくなるのだから、と散財する人もいれば、本当に「終わり」が来るのかどうか疑念を抱き、生活を変えない人も多くいた。

「あと一週間、世界休日だから仕事もないし、なんでもやりたい放題だけど、どこか行きたいところとか、やりたいこと、ある?」

 それでも、やっぱり「あと七日」というのは特別らしい。世界星体研究機関の働きかけで、世界的に残りの七日間は「世界休日」に設定されている。最低限のライフライン以外、あらゆる国のあらゆる企業が業務を停止して、自由に生きようという期間だ。テレビ番組もすべて録画収録されたと聞いた。なので、先ほどのニュースキャスターの言葉も、実のところ今この瞬間の言葉ではなく、数日前なり数週間前なりに撮られたものだった。

 問えば、彼はやはり歪な笑みを浮かべたまま、「ええと、」と口ごもる。行きたいところがあるのか、それとも、行かなければならないところがあるのか。どちらかを知っていたが、指摘はせずに言葉を待つ。

「あのさ、やっぱり、その、本当に終わると思う?」

 返された言葉は「行きたい場所」でも「やりたい事」でもなくて、閉口した。じっと瞳を見つめていると、慌てた様子で彼は首を振った。

「変な意味じゃなくて。その、例えば、そう、例えばの話で」

 慌てた様子の彼に、黙ったまま続きを促す。

 先ほど取り落としたままのバターナイフがテーブルの上に転がったままだ。皿に置かれたトーストは、食べられる気配がないままどんどん冷めていくようだった。彼はトーストには目もくれず、もごもごと口を動かす。

「例えば、先祖返りの星の子がいたとしたら。それで、そいつが今から心臓のコアになりに行ったら、世界の終わりってやつ、止まると思う?」

 聞いておきながら、答えなどわかりきっているようだ。その、縋るような声調子が気に入らなくて、ため息を吐く。もう一度、びくりと彼の肩が震えた。

「……わかんないな」

 正しいところなどわかりやしない。仮に先祖返りがいたとして、それがどれほど強いエネルギーを生むというのか。

「星の子が今更どれだけ現れたって、ウィルス治療ができない以上、先延ばしにしかならないんじゃない」

 ただ言えることは、果たしてその星の子は本当に犠牲になる必要があるのかどうか、ということだった。彼の肩があからさまに落ちていく。そう、だよね、と、返された声は沈んでいた。

「……それで、行きたいところはある?」

 改めて、問い直す。彼は緩く首を振ると、今度は歪ではない、けれども情けない笑みを浮かべて、「特には」と端的に返した。やりたいこともないよ、と。

 それで、漸くトーストを手に取った。バターナイフは転がったまま。冷えたトーストは、あまり美味しくなさそうだった。



 星の子、と呼ばれる存在がいる。

 もともとこの星は生き物で、脳はなく人類と交流するような知能はないが、遺伝子を持っている。生命誕生の折、星は自らの遺伝子を使って生物を生み出した。ゆえに、この星に住まう全ての生き物には、星の遺伝子が宿っている。

 星は遺伝子を与えて生命を生み出したが、それはある種自給自足の一つだったらしい。というのも、星の心臓を正常に稼働させるために、強い星の遺伝子を持つ生物をエネルギー源としたためだ。人類が進化する以前はもっと本能的な働きかけで、強い遺伝子を持つ生物は自ら星の心臓を探しあて、星に取り込まれていったと聞く。人類が進化し知能を得るようになってからは、遺伝子の発現に偏りが出るようになり、いつからかほぼ百パーセントの確率で人類にのみ現れるようになった。といっても、全ての人が強い遺伝子を持つわけではなく、生まれつき強い遺伝子を持つ者が、「星の子」として生贄になってきた。星の心臓の近くには、過去、生贄となり心臓のためのエネルギーコアになった人々が、黒い結晶体となって転がっているという。

 ざくざくと土を掘りながら、やっぱり彼はばかだなあ、とぼんやりと考えた。その彼は、朝食後、人と待ち合わせをしているからと言って出かけてしまった。随分深刻な顔をしていたので、きっとその身に浮かんだ痣の話をしに行くのだろう。

 隠したがっているようなので、特に指摘することもなかったけれど。彼の心臓付近に、色濃い痣が浮かんだことを知っている。偶然目撃したものだが、少なくとも以前はそんな場所に痣など浮かんでいなかった。

 うっ血した色ではなく。痣と呼んだらいいのか、まるでくっきりと掘られた刺青と言われたほうが納得できたかもしれない。教科書でしか見たことがないが、その痣の色も、形も、大きさも、「星の子」が持つと言われる「星のしるし」と同じだということを知っていた。強い、星の遺伝子を持つ、証である。

 ついこの間までなかったものが、何かのきっかけで突然発現してしまった。ああ先祖返りか、と、目撃した瞬間そのように思って、そんな馬鹿な、と笑い飛ばしたくなった。

 七年前、一番新しいエネルギーコアが死滅してから。残っていたコアも次々と死滅して、一年かけてすべてなくなった。以降、新しい「星の子」は見つかっておらず、そのため「世界の終わり」が現実味を増してしまった。

 そんな折、先祖返りの「星の子」が見つかったらどうなるか。

 少しでも延命を求める声は未だに根強い。敬虔な星教信者は、終末キャンペーンで解放された「星の心臓」見学コースで、よくその身を心臓に捧げていると聞く。自らの命が少しでも心臓の治療に役立てば、という信仰心だそうだが、薄い遺伝子では治療どころか延命にすら足りず、ただ無為に命を投げ捨てているだけだということを彼らは信じようとしない。

 それで、彼が、「星の子」が見つかってしまったなら。

 がつん、と、握りしめていたシャベルが岩にあたって体が跳ねた。思いの外集中していたらしい、腰を上げて頭上を見上げる。我ながらよく掘ったものだと思うが、これだけ掘ればそう簡単には抜け出せないだろうし、外の騒ぎなど気にせず、安らかに眠れるだろう。

 彼のしるしに気づいた三か月前。

 全財産を使って海の見える丘にある、花畑を買い取った。見事なポピー畑である。せめて綺麗な景色のところが良いだろう、とその場所を選んだが、後々調べたところ彼の誕生花だったので、ちょうど良いと気に入っている。

 その、ポピー畑で一番海がきれいに見える場所を、この三か月掘り続けていた。終わりまであと七日、というところで、漸く完成しそうな穴は、大人が二人くらい十分に横たわれる広さで、簡単には抜け出せない深さがあった。

 三か月前。実際彼の胸にしるしが現れたのが三か月前かは知らないが、同じくらいの時期から挙動不審になったので、きっとそのくらいだろうと思う。彼が何に思い詰めて、どうしようとしていて、誰とコンタクトをとっているのか、知っている。

 なのでせっせと穴を掘っていた。彼のために。ばかな彼のために。

「もういいかな……」

 汗を拭うと、軍手についた土が顔にべったり付着した。帰る前にシャワーを浴びないと、考えながら梯子を上る。思いつめた彼は、この花畑の事も、穴の事も、当然知らない。自分の事ばかりなのだ、あるいは、彼自身の事ではなくて、違う誰かを思っているのかもしれないが。

「本当に、ばかなやつだ」

 今はいない彼を思ってため息を吐く。いっそ正直に話してしまえば、ばかなことをと笑い飛ばしてやったのに。



 明日から二泊三日で旅行に行く、と彼が言い出したのは、その日の夕方のことだった。旅行に行く、というのに表情は暗く、まったく楽しそうではない。彼が好きなロールキャベツを煮込みながら、「どこに行くの?」と首を傾げた。すぐ近くで玉ねぎをスライスしていた彼は、ぼんやりとした様子で隣の地区の名前を告げた。首都に近いこの地区よりも外に外れる隣の地区は、自然豊かな田舎である。絶景スポット、的な観光名所はあるものの、特に人気があるわけでもなく、のんびり過ごすにはちょうど良いが、娯楽は何もない場所だった。

「何しに行くの?」

 ぼんやりしていることを知っていたが。知らぬふりで重ねて問うた。視線は向けずに鍋の中。ラベルを外した小瓶を鍋の中に振りかける。一瞬、甘い香りが漂って、すぐに消えた。

「んー……」

 彼は答えず、玉ねぎのスライスを放り投げた。目が痛いと慌ただしく洗面所まで走っていく。玉ねぎは殆ど切り終えられていて、あとは水にさらして、他の具材と和えればサラダになるだろう。

(まあ、いいけど)

 良いのだけど、と、口の中で繰り返す。ことことと煮込んだロールキャベツは良い塩梅のようだった。火を止めて、投げ出された玉ねぎに向き直る。誤魔化すのも下手くそなのだ、痛くもない目を洗うふりをして、気を引き締めるのに顔でも洗っているのだろう。

 思いの外スライスに時間がかかっていたので、少し水にさらしたくらいでは、きっと辛味は抜けないに違いなかった。ざあざあと水を流す、音を聞きながら。吐き出したくなった言葉を飲み込んだ。



 彼がロールキャベツに箸を通す。ぷすりとキャベツの葉が沈み、肉団子が割れていく。ほろほろと崩れる肉団子を眺めながら、ふわりと香る少し甘い匂いに目を細めた。なんか今日はちょっと違う味付けだね? と、ようやく視線がこちらを向いた。したり顔に笑みで返して、珍しい調味料を見つけたから、と穏やかに返事をする。食べてみて、と促して、彼の箸がキャベツと団子をまとめて掬った。

 一口。

 口に入れて、咀嚼をして、美味しい、と、彼がほとりと溢すように笑った。そのまま。そのままの表情で、ぐらりと彼の体が傾いた。強い音と同時に椅子が倒れる。投げ出された彼の体は、ぴくりとも動かない。

 まだ、眠っているだけだと言い聞かす。

 まだ。



 ポピー畑は満天の星に見守られ、少し冷たい風がさわさわと心地よかった。

 この日のために用意した大きな棺は、きっちり大人が二人分、余裕を持って寝れるサイズだ。急に明日行くなどと言ったので、車のトランクの中に入れっぱなしにしていたそれを慌てて組み立てる羽目になった。最も、棺の組み立て自体は簡単で、中に寝心地が良くなるよう柔らかいクッションを敷き詰める方が大変だった。

 自分より体格のよい彼を背負って穴まで向かうのはどうにも難しそうだったので、台車に乗せて穴まで運ぶ。事前に深く、広く、掘っておいてよかったとしみじみ思った。突発的に動いたならば、やりたくてもきっとできず、明日、出発する彼の背中を見送るしかなかっただろう。もう二度と会えないだろうと気づきもしないで。

 惜しむらくは、この穴をきっちり土で塞げないことだった。

 自分もここに入るのだから、土を入れ込む人員がいない。誰かを雇う気にもなれなかったし、いくら終末間近だからといって、人間二人を生き埋めにしたい人はいないだろう。それでも、穴の中から覗く星空は存外美しく、これはこれで良いかもしれないと思った。

 台車の上から、穴の中への移動だけは自力で行わなければならず。背負ってがっちりロープで固定して、慎重に梯子で降りた。重労働だったが、三ヶ月間穴を掘り続けたおかげかそこまで不安定になることもなく、底につく。組んだ棺の中に彼をそっと横たえた。

 こうして見れば何かの絵画のワンシーンのようだ。それで、そうだポピーを入れよう、と思い立つ。どうせ穴の周りにはポピーだらけで、そのポピーは全て自分のものだった。

 せめてラジオか、携帯端末くらいは持ってくればよかったかな、と考える。何も持たずにやってきたのは、きっと彼と共に旅行へ行く予定の誰かが、そこから自分たちの居所を探すだろうと思ったからだ。聞こえるのはさわさわと通る風の音、揺れるポピーの葉が擦れる音。

 なるべく元気な、可憐で綺麗な花を探した。数本では足りない。隙間なく敷き詰めて、棺の中までポピー畑にしてやろうと思い立つ。一本、二本、三本、見つけながら手折っていく。もうそろそろだと思えば、胸の奥がどきどきと強く脈打ち、熱く、今にも弾けてしまいそうだった。それで、

(君を犠牲にするものか)

 いつかの折、唐突に浮かんだ光景を思い出す。世界が終わる七日前。旅行に行くのだと彼が告げて、それきり帰ってこなかったこと。先祖返りの星の子が、新たなエネルギーコアとなったため星の寿命が少しばかり伸びたこと。俄に世界が色めき立って、もっともっとと延命を望んだ、その、数日後。

 予定された七日後よりももっと早くに、世界が終わってしまうこと。

(犠牲になどするものか)

 予知なのか、未来視なのか、はたまた、世界が終わったその後で、自分だけが巻き戻されてきたのかも。なぜ自分だけがそのような光景を思い出し、それを回避する機会を与えられたのか。知るよしもないし知りたくもない。正解などはどうでもよかった。

 ただ、言えることは。

 七日より先に世界が終わろうが、少しでも延命されようが。結局世界は「終わる」のだ。終わるのならば、その身を捧げた彼の命は、いったい何の意味があるのだろう。果たしてどれほどの価値があるのだろう。

(逃げるでもなく、受け入れたこの星の人々の、)

 終わりを迎えるばかりの人々のために。どれほどの意義があるのだろう。

 気がつけば両手いっぱいにポピーの花を抱えていた。空がゆっくり白み出して、そろりそろりと朝を告げようとしている。

 穴に戻って花を埋めよう。それでそろそろ彼が一時目覚めるだろうから、ばかだなあと笑ってやって、共に毒を仰ぐのだ。

 足取りは軽く、穴の中を覗き込む。けれどどうしてか、不思議と心臓はどくどくと重いままで。

 久方ぶりに彼の名前を呼んだ。穴の中、彼は呆けた様子で声を上げた。

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