死神

福山慶

死神

 福井県坂井市三国町安島に位置する東尋坊は自殺の名所として有名だ。

 東尋坊とは、輝石安山岩の柱状節理でできた、約一キロメートルの崖である。このような崖は世界に三箇所しかなく、豪快に絶壁が広がる姿は絶景なのだが、負のイメージが拭いきれていない。


 そんな東尋坊がある坂井市には、まことしやかに噂されている都市伝説がある。

 暁の薄明に、東尋坊で飛び降りを図った中年の男がいたそうな。その男は、さあ、飛び降りてみせる、と意気込んでいたそうだがU字型の崖を見下ろすと、深淵に呑み込まれるような錯覚に陥って、恐怖から動くことができなくなった。そんなときだ。男は背後から視線を感じ取った。男はのちにこのときのことを、金縛りに遭ったような気分だったと話している。

 視線を感じて数分が経った頃。男にとっては無限と感じられた時間が、唐突に終わった。視線を感じなくなったのだ。男は安心しきって、死にに来たということも忘れて家に帰ろうと振り向いた。

 すると、そこにいたのだ。骸骨で黒のローブを纏い、大きな鎌を持っている、およそ此の世の者とは思えない浮遊者が。

 それ以来、坂井市で浮遊者の目撃例が多数語られ、その現場では必ず誰かが自殺を図っていたとされている。そうして人々は自殺者の前に死神が現れると噂するようになったのだ。


 深夜零時を回った頃合い。海を包むように月光が淡く照らしている。そんな東尋坊から海を見下ろすと、終わりが見えない寂れた気配がした。あの男が感じた恐怖は孤独かもしれない、と少年は思う。


「有名になってきたね、死神クン」


 キシシ、と学ランを着込んでいる中学生っぽい少年に向かって甲高い下卑た笑いを溢すのは黒のローブを纏っている男だ。男、と判断したのは声である。何分なにぶんその男は骸骨なので性別を推し量るには声しかない。


「噂されてるのはお前だろ」


 そう言って少年は、骸骨男のいるすぐ横をちらっと見る。

 地に足が着いていない浮遊者。手には骸骨男ほどの大きさがある鎌。体全体を覆う黒いローブ。その隙間から覗く、地獄の使者のような骸骨が月光で照らされる。まさに、巷で噂されている死神だ。


「いやいや、実際の死神は君だろう? 僕はそう、言うなれば道具さ。死神クンが大罪人を断罪するために用いる道具」

「大罪人、ねぇ」

「そうさ、自殺をする奴なんてのはみんな大罪人。奴らはな、自分勝手なんだよ。どれだけ人に迷惑を掛けているのか理解していない」

「それはお前が人間じゃないからだろ。死にたいなんて気持ちをお前は理解できないから」

「ああそうさ、理解できない。実際、死にたくてもみんな生きてるだろ? 死を選ぶ奴はその気持ちに負けた極悪人さ」

「やはり俺とお前は一生分かり合えないな」

「おうおう、君も大人になったね」


 少年は辟易して骸骨男との対話を打ち切った。出会った頃からそうだ。こいつは人の感情を慮らない。俺が大っ嫌いなタイプだな、と少年は心の内で愚痴る。

 ただ、噂話に関して少しだけ気になることが少年にはあった。骸骨男と話すのは癪だが、聞いてみることにする。


「お前の姿を人は見れるのか」

「霊感が強いんじゃないかな」

「適当だな」

「まあ、真面目な話、死に際の人間は僕のいる世界と近くなるからね」

「へえ、だったら俺のことも見えていいはずだけど」

「面白いことを言うね。僕は生きてるけど君は死んでるじゃん。君のことを生者が見るなんて不可能に決まってるだろう」

「なるほどな。つまり、今あの子はお前のことを見ることはできても俺を見ることはできないのか」


 そう言って少年は崖縁にいる少女を指差した。

 黒いブレザーを着て、青いネクタイを着けた女子高生と思しき少女はただ一点、月光を反射している深い深い海を眺めている。暗闇に溶け込んでいる少女の長い黒髪が少年の目を引いた。


「あの子、自殺するんだろ? それならお前の姿が見えるんじゃないか?」

「そうかもね」

「じゃあさ、あの子の前に行けよ。もしかしたら自殺を思い直すかも。あの男みたいに」

「しょうがないなあ」


 そう言って骸骨男はプラプラと少女の目の前に行くと、鎌を主張したり骸骨姿をひけらかしたりした。少女は意に介さず、海を見つめる一方だ。いや、気づいていないと言ったほうが正しい。


「うん、見えてないね」

「そうか」


 少年は僅かに気落ちしたが、それを悟られないように泰然と答える。

 そんな会話をしている刹那だ。少女がその身を海岸へと放り投げた。

 水しぶきが上がる鈍い音が、静寂な闇夜をつんざく。少年はすぐさま崖縁まで走り出した。海岸を見下ろすが、暗くて何も見えない。

 少女の目の前にいた骸骨男が少年に、冷静に状況を伝えた。


「即死だね。もう魂が抜けている」

「そうか」

「え、え、何これ」


 後ろから透き通った少女の声がする。

 少年が振り向くとそこには、つい今しがた飛び降りた女子高生が立っていた。困惑を顔いっぱいで表現している少女は骸骨男を見て、ヒィッと声を上げる。


「この大罪人が。貴様は地獄送りだ」


 甲高い声だったのが嘘のように、骸骨男はドスの利いた声を出した。少女は少年に涙目で目配せをし、助けを求める。


「君は死んだ。ただ、自殺はその人の魂を怨念として現し世に残す。だから、君の魂を地獄に追い遣らないといけない」

「じ、地獄?」

「ああ、自殺は罪とされてるから。遺憾だけど」


 少年がそう言うと、骸骨男が崖の真正面に浮かび、大鎌を天に振りかざす。そのまま月を斬り裂くように、勢いよく振り下ろした。


「これが地獄への道だ。ほら、早くそいつを断罪しろ」


 骸骨男が鎌を振り下ろしたところは、空間が裂けて赤黒く別の次元へと繋がっていた。中の様子は見れないが、終わりのない苦痛がひしひしと感じられる。


「それじゃ君を地獄へと送る」

「うん、いいよ。この世界で生きてる方が苦痛だから」


 骸骨男はそれを聞いて歯軋りした。少年はすっと瞼を閉じ、手を翳す。

 すると、裂けた空間が大きく開いて、勢いよく少女を吸い込むと、何事もなかったように消え去った。


「お疲れ様。いやぁムカつく女だったな。何がこの世界で生きてる方が苦痛だ。巫山戯ふざけんな」

「あの子、そう言ったときに涙を流していた」

「あーん? だからなんだよ。自殺したことを悔いたのか?」

「それは分からない」


 ただ、少年はあのとき少女が何を思ったのか、どうして自殺したのか、それが気になった。もしかしたら少女は救われたのかもしれない。


「おいおい、君が何を考えてるか知らないが自殺は罪だぜ。たくさんの人に迷惑を掛けて、悲しませる。命を軽く見るなよ」

「それは分かってる。でもな、死にたいって気持ちは誰にだってあって、それを蔑むのは違うんじゃないか。俺はそう思うんだよ」


 もちろん、俺も自殺は嫌いだ、と少年は付け足した。

 夜風が骸骨男の黒いローブをなびかせて、岩肌に打ち付ける波の音が今この場に人はいないのだと主張する。

 果たして自殺は罪なのか。少年は死神となってからずっと考えている。自殺は悪なんかじゃない、そう信じてきた。けれど、骸骨男の言っていることも間違いではないと、いつからか思ってしまったのだ。そう思ってしまったら、なんだか自殺した人に、自殺をしようか考えている人に、申し訳が立たない。

 ただ一つ確かなのは、少年は自殺をする人がいなくなってほしいと、心の底からそう思っているということだけである。


「あ、そういえば君が自殺する人を庇って死んだ日から今日で五年だね。命日じゃん。ま、これからも自殺者を罰していこうぜ」


 骸骨男は甲高い声に戻って、キシシと気味悪く笑った。

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