交通違反の自転車を放り投げ続けるマッチョ

kayako

大変危険ですので、交差点内では自転車は降りて通行して下さい


 その筋肉マスク男は突如、駅前のスクランブル交差点に現れた。

 下半身はパンツ一丁、鍛え抜かれ黒光りする筋肉が俺の上着だとばかりに、筋骨隆々な上半身を直射日光の下に晒している。

 巨木を思わせる脚は堂々とコンクリを踏みしめ、一切揺るがない。

 頭には金色に輝くマスク。しかも猛牛の如き黒い角が生えている。

 照りつける太陽にも一切動じることなく、彼は堂々と、スクランブル交差点のど真ん中で腕組みしつつ立ちはだかっていた。

 身長自体も恐らく2mを超えている為か、まるで巨大ロボットを思わせる彼の威容。それを遠巻きにしながら、恐る恐る通り過ぎる人々と車。

 目の前に交番があるものの、警官は他人事のように動かない。


 ただ、普通に交差点を渡る歩行者や車に対しては、彼は何もしなかった。

 その場に堂々と立ちながら、ひたすら沈黙を守りつつ、交差点を見守っている――



 だが、マスクの奥の目が、ギラリと鋭く光る瞬間があった。

 それは、歩行者用信号が青に変化した時。



 歩行者が歩き出すと同時に、待ってましたとばかりに、当然の如く一斉に走り出す自転車の群れ。

 男が動くのは、その時だ。



「貴様らぁあああぁ!

 この看板がぁああぁあぁあ!!

 見えんのかぁああぁああぁあああぁああぁあぁああぁああああ!!!」



 地を揺るがすかの如き大絶叫と共に。

 男の両腕が、交差点を走り出そうとしていた自転車をとっつかまえ、勢いよく天空へと放り投げた。

 それも1台2台という数ではない。交差点を走り出していた自転車、10台近くをその剛腕で次々と掴み、天高く放り投げたのである。



 男が指し示していた看板には、真っ赤なゴシック体の太文字でこう書かれていた。



『大変危険ですので、スクランブル交差点内では自転車は

 降 り て 通行してください』



 要はこのルールを破ってしまった為に、これらの自転車は男の手によって空中に投げ上げられたというわけだ。

 投げられた自転車は、そのまま地面に激突――

 とはならず、謎の巨大ぷにぷにゼリーが道路上に出現、クッションとなって衝突を和らげる。従って、自転車も人間も誰も傷つかない。

 ちなみに落下場所は、自転車の進行方向か否かは全くのランダムである。確かなのは、決して他の歩行者や車、周辺住民の害にならない場所へ、彼は自転車を放り投げているということだけだった。



 そんなこんなで。

 スクランブル交差点を自転車で『走って』通行しようとすると、このマッチョは絶叫しながらその自転車を、人間ごと放り投げる。

 そんな自転車がどれだけいようとも、次々とちぎっては投げ、ちぎっては投げ。

 躍起になった自転車がどれだけ彼の横をこっそり駆け抜けようとしても、彼は必ず発見してはさらに遠くへ投げ飛ばす。

 しかも何故か怪我はしない。仮に自転車に乗っていたのが子供を乗せた母親であれば、どういうわけか子供はいつの間にかマッチョの腕に抱かれ、母親だけがぷにぷにゼリーに落下する。さらにその子が熱を出していた場合などは、まず母親を最寄りの病院付近にまで投げ、さらに超高速猛ダッシュで子供を母親のもとへ届けるファインプレーまでやってのけた。

 出前などの生モノや割れモノを運んでいた場合は、何故か荷物だけが無事に男の手に渡り、人間と自転車だけが投げ飛ばされる。

 そして、ぷにぷにゼリーでもがいている人間に、男は無言で子供や荷物を渡すのだ。



 朝も昼も、深夜に至るまで、彼は交差点に立ち続け、歩行者や車、そしてルール通り歩いて通行しようとする自転車たちの安全を守り続けていた。

 明らかに法に触れる行為ではあったが、警察は何もしなかった。

 付近には交番もあったが、警官たちは何も口を出さず、ただ彼の行為を見守り続けていたのである。



 当然、中には男に文句をつけ、喧嘩を売ろうとする人間も一人や二人ではなかった。

 しかしそのような輩こそ、警察に取り締まられた。

 交差点では自転車は降りろと書いてあるのに、そのまま突っ切って走る方が悪いのである。

 それらの自転車のせいで、交差点ではこれまで毎日のように酷い事故が発生していたのだが――

 このマッチョが出現してからは、自転車の無理な走行による事故は殆どなくなった。走ろうとすれば投げられるのだから当然である。



 こうして、世界に平和が訪れた――

 と、思われていたが。






 ある日の早朝。まだ日が昇って間もない頃。

 当たり前のように交差点のど真ん中に立つマッチョ。

 その眼前に現れたのは――



 信号待ちの道路を埋め尽くすように、アリの如く集まってきた自転車。

 2、3台などという数ではない。交差点の両側全て合わせて、100は下らないだろう。

 それらの自転車を駆る人間たち。全員、猛獣の眼をしている。

 怒りと嘲りでギラギラ光りながら、ただマッチョを睨みつけている眼。



「てめぇ、うぜぇんだよ」

「俺たちこれまでみんな、ここをチョー快適に駆け抜けてたんだぜ?」

「今更余計な真似、すんじゃねぇっての」

「あんたのせいで遅刻しちゃったじゃない! どうしてくれんのよ!」



 罵詈雑言がマッチョに降り注ぐ。

 しかし彼は腕組みをしたまま、大きくため息をついた。


「考えてみろ。

 ルールを破り、交差点を自転車で駆け抜けることで、果たしてどれだけの時間短縮になるか。

 ほんの数秒の差で遅刻したというのならば、そもそも、ギリギリの時間に出発した貴様らが悪いだろう」



 静かに諭すようなマッチョの言葉。

 しかし、それに臆するような連中ではなかった。

 この説得に応じるようなアタマを持っているなら、初めからこうして集まったりはしない。

 それ以前に、交差点を無理矢理自転車で走って渡ろうともしないだろう。


「んだとテメェ!!」


 マッチョの言葉が、彼らに火をつけてしまったのか。

 そいつらが一斉に、マッチョめがけて走り出した。勿論、自転車に乗りながら。

 信号が赤だったにもかかわらず、である。



 襲いかかってくる自転車たちを、いつもの如くちぎっては投げ、ちぎっては投げ続けるマッチョ。

 しかしどれほど投げられても、自転車たちは決して止まらない。

 何度ぷにぷにゼリーに叩きつけられようが雄々しく復活しては、再び自転車を駆り、マッチョに突進していく。倒れても倒れても起き上がり、巨人に立ち向かっていく勇者の如く。

 それが何人何十人と束になりながら、マッチョに突撃していくのだ。



 数分後。

 そこは最早交差点ではなく、戦場と化していた。

 交差点に入ろうとした車は当然進行を妨害され、あまりのことに迂回も出来ない。何事かと驚いた運転手たちは皆、外に出てしまっていた。

 警官たちも慌てて動いたが、自転車どもの勢いはちょっと笛を鳴らした程度で止まるはずもない。

 彼らを止めるべく数台パトカーが出動したが、そんなものは当然、自転車を駆る者たちの目には入ろうはずもない。



 彼らのアタマにあるものは、ただただマッチョへの殺意だけ。

 俺たちの快適さを奪った。

 風を切って道路を駆け抜ける、当たり前に享受していたその快楽を奪った。

 みんなやってることなのに、何故私たちだけ止められるの。不公平じゃない。

 ――ただ、それだけの、理由で。



 それでもマッチョは怯まない。

 何十度、何百度も自転車を放り投げ、襲い来る自転車に皮膚も筋肉も傷つけられながらも、それでも血と汗を飛沫の如く飛び散らせ、ただ一人自転車を投げ続けた。

 天にこだまする絶叫。

 早朝であるにもかかわらず、周辺住民の殆どが騒動に飛び起き、固唾をのんで自宅の窓からこの光景を見守っていた。



 ――そして数十分後。

 さすがのマッチョも、体力にかげりが見え始めた。

 一点集中で襲いかかってくる雲霞の如き自転車どもを一人で叩き潰しているのだから、当然である。

 交差点の周囲にはぷにぷにゼリーが最早山と積まれ、自転車はそこへ落下してはすぐさまマッチョへ再突撃していく。

 こんな事態になっても自転車に衝突防止策を用意する慈愛の精神が仇となったか。

 それでもマッチョは決して手を緩めず、また、ぷにぷにゼリーを出し渋ろうともしなかった。

 ぜいぜいと呼吸を続けながら、自転車を投げ続けていると――




 マッチョに、思わぬ援軍が現れた。

 それは、警官や車の運転手。

 そして、いたたまれず飛び出してきた周辺住民の皆さん。

 彼ら彼女らは一斉にマッチョを守るようにその周りを取り囲むと、口々に自転車どもを罵り始めた。


「いい加減にしろてめぇら!

 毎度毎度チョロチョロと、好き勝手に車道に飛び出しやがって!」

「この前だっていきなり後ろから轢いてきたよね?! スマホ弄りながら運転すんじゃないよ!」

「みんな大迷惑してんのよ! あんたたちの暴走には!!」



 その手には金属バットやらのこぎりやら火炎瓶、バールのようなもの、果ては日本刀やら猟銃まで構えられている。

 いつの間にか武装した警官隊までが現れ、催涙弾を自転車めがけて投げつけ始めていた。


 この状況に、さすがの蠅ども……いや、自転車どもも狼狽えた。


「お、お前ら、よせって……

 ちょ、ちょっとした冗談じゃねぇかよ」

「そうよ、そもそも交差点を走っちゃいけないって、そんなルールの方がおかしいじゃない」

「誰も守ってないルールなんて、ルールじゃねぇだろうがよ……」


 しかし車&歩行者部隊はそれでも譲らない。

 ガンとしてマッチョを守ったまま、銃を、刃を、武器を、自転車に向けたまま退こうとしない。

 そして一直線に横並びとなった警官隊が、最前列へと規則正しく踏み出し――



「交差点において!

 自転車で走行することは歩行者の危険に繋がり!

 同時に、通行中の車との衝突事故の危険も増大する!!

 こんな当たり前のことがっ! 貴様らはっ!!

 何故っ、分からーん!?!?」



 警官隊全員の怒号と共に。

 自転車どもは全員一斉に、これまでの誰よりも天高く、放り投げられた。







 交差点に残されたのは、血と汗でどろどろになってしまったマッチョ。

 全ての自転車がぷにぷにゼリーに落下する、ぷにんぷにんというのどかな音を聞きながら――

 遂にマッチョは力尽き、交差点のど真ん中にどうと倒れ伏してしまった。



 しかしもう、復活する自転車はいない。

 全員体力が尽き、ゼリーの上でぶっ倒れてしまったのだ。



 慌てて彼の周囲を取り囲む警官と運転手と住民たち。

 マッチョを懸命に介抱しながら、口々にその行動を称賛していた。


「ホント、よくやってくれたよ。

 うちのお父さん、あいつらに後ろから転ばされて歩けなくなっちゃってねぇ」

「自転車ってぶつかっただけでも、歩行者には大事故だよな」

「俺の友達も、突然飛び出してきた自転車に車ぶつけて、エライ目に……」

「同じ自転車乗りとしても恥ずかしい。

 我こそ道の王者とばかりに我が物顔で道路を暴走するあいつらに、どれほど迷惑していたことか……

 ルールを遵守していると逆に何故か貶され、笑われたもんだよ」

「とにかく――ありがとう」


 涙に濡れる人々の顔を見渡しながら――

 マッチョは、ふと呟いた。



「……礼を言われるほどのことではない。

 私はただ、復讐したかっただけの男だよ」

「復讐?」

「私の妻と娘は、この交差点で……自転車に追突された。

 3年前の出来事だ」



 住民たちは顔を見合わせる。

 この交差点は、いつそんな事故が起こっても不思議ではない場所だった。

 マッチョが現れる前までは。



「じゃ、じゃああんたは……奥さんと娘さんの為に?」


 そんな住民の疑問には直接答えず。

 マッチョは静かに呟き続けた。


「歩行者も車も、みんなルールを守っているのに――

 自転車だけがフリーダムで、他の利用者を蹂躙するなど、あっていいはずがない。

 奴らは……車に対しては弱者を装いつつ、歩行者に対しては強者を気取る卑怯者だ」


 人々は涙を流しながら、マッチョの言葉に耳を傾けていた。


「勿論……そうじゃない自転車乗りも少なからず存在することは分かっている。

 だが……

 手信号を使う自転車が、どれだけいる?

 いやその前に、手信号の意味を知っている人間が、どれだけいる?

 下手をすれば車とそう変わらぬ危険性を備え、かつ、歩行者とそこまで変わらぬ脆弱性を持ちながら、歩道も車道も構わず好き勝手に蹂躙する……

 そんな魑魅魍魎どもが、道路を跳梁跋扈しているのだ。

 こんな世界は……間違っている。

 私は、そう思った……まで……」



 そこまで呟いた後――

 ボロ布のようになったマスクの奥で、マッチョはゆっくりと、その瞼を閉じた。

 傷つけられた血まみれの肉体が風に吹かれ、住民たちの叫びが、交差点にこだました。




 *****




 数日後。

 その交差点にはなんと、再びあのマッチョが姿を現していた。

 勿論交差点のど真ん中で腕組みしつつ、いつも通り元気よく、ルール違反の自転車どもを投げ飛ばしている。

 以前と少し違うのは、その脇を守る警官がいるということだろうか。


 警官は少々怖気づきつつも尋ねた。


「ず、随分復活が早かったですね。

 あの時はてっきり……」

「ハハハ、心配をかけたようで申し訳ない!

 嫁や子供にも、無茶をするなと散々叱られたよ」

「え?

 で、でも確か、3年前に貴方の奥さんとお子さんは……」


 マッチョは黄金マスクの奥から白い歯を見せ、ガハハと笑った。


「あぁ。嫁と娘が3年前、この交差点で怪我をさせられたのは確かだ。

 しかし、我が一族驚異の生命力で、今は二人とも奇跡的に復活しているぞ!」

「あ、そ、そうなんですか。そりゃあ良かった!

 自分はてっきり……」

「だがな。その時は本当に大変だったんだぞ?

 心底思ったよ。自転車事故を侮ってはならんとね」

「本当ですね。

 自分もこれ以上暴走自転車が増えないよう、しっかり見張らせていただきます」


 ビシッと敬礼してみせる警官。

 そんな彼の背中を勢いよくバァンと叩きながら、マッチョは高らかに笑い続けた。


「そんなに肩肘張らずとも大丈夫!

 隣の交差点でも、私の妻子がちゃーんと仕事をしてくれているからな!」

「へ?」


 警官がふと、マッチョの指さした先を見ると。

 少し先の交差点に、マッチョそっくりのマッチョと、それよりはまだ身体は小さめのマッチョが二人、交差点のど真ん中に仁王立ちし。

 二人とも、マッチョそっくりの黄金マスクを着用しつつ。



「好き勝手に突っ走ってんじゃないよぉー!!」

「ちゃんと看板に書いてあるでしょぉー!?

 交差点では! 自転車はぁ! 降りて! 通行しろってぇえええ!!!」



 そして当然――母娘仲良く、自転車を大空高くぶん投げていた。



 Fin


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