魔導具争奪戦(9/9)

 その木の葉は俺の目の前でふわりと踊った。

 葉脈が光で出来た不思議な木の葉。マドウフ・ベイルがカタログの栞に使ったものだ。

 破れた俺の神父服のポケットから飛び出した木の葉が目の前で旋回する。止めようもなく振り下ろした俺のナイフはそれに触れた。

 小さな破裂音と共に木の葉が弾けて、小さな光が広がり、すぐに消えた。

 お日さまの匂い。熱い南国の風。ライムの香り。煌めく光の渦。

 それは俺の心の中を駆け抜け、あらゆるものを満たし、洗い流した。


 心の中の怒りの炎が一瞬で消滅した。私、ファーマソン神父は自分を縛っていた憎悪の鎖から解放され、体の制御を取り戻した。


 原初の光に触れて真っ白なリビアの肌が一瞬焼け、すぐに再生を開始した。

「ダーク。お願いもう止めて」

 リビアが泣きながら繰り返す。

 私はナイフを捨てた。

「ダークじゃない。ファーマソンだ。間違えるな。リビア」

 彼女の目に浮かんだ安堵を見て、自分が危ないところまで来ていたことにようやく気付いた。アーダラクの魔術はいつもやりすぎる。


 ドアが外から叩かれている。

 リビアの配下たちが心配して扉を叩いているのだ。リビアの絶対の命令が出ているので勝手にドアを開けることはできない。

 部屋の中はひどい有様だ。あらゆる家具が巻き込まれて壊れている。壁にも大きな傷跡が刻まれている。なぜか中央のソファだけが無傷で生き延びている。

 体を再生したリビアが首から魔法のネックレスを外す。コウモリになっている間、それはいったいどこにあったのだろう。吸血鬼の権能にはまだまだ謎が多い。

「それを二度と私に使うな。次は止められない」

 私が注意するとリビアは頷いた。そのままソファの中に組み込まれている金庫の中にネックレスを納めると、扉の外で喚いている部下たちに説明をするために部屋から出て行った。


 今のはリビアが悪い。私は謝らないぞ。

 それでもまたリビアと顔を合わせるのが何だかバツが悪かった。カーテンを引きちぎるとそれを両側に広げて私は八十一階の窓の外へと飛び出した。


 その日の夜にはSNSに怪奇ムササビ男のピンボケ写真が掲載されているのを見て、私はウンザリした。なんと小うるさい時代なんだ。



 一人で旅客機に乗り、一週間ぶりにロンドンの対策局に帰って来た。さすがにもうあの大騒ぎも終わっているだろう。


 自分のオフィスにたどり着くと中は本で埋まっていた。

 どれもアメリカンコミックだ。スパイダーマンから始まって最近発売のニュー・スーパーマン。新連載のバイルトマンまである。それらが天井近くまで積みあがっている。

 何本も生やした手に段ボール箱を持ったアラバムが駆け込んでくる。

「あああ、我が神父。すみません。アーダラクからコミックを借りたのですが、トラック何台分も届いたのです。置くところが無くて神父が出張中だったので一時ここに」

 私は本の山の上に座り込んだ。何だかどっと疲れが出た。

「そうか。できるだけ早く片付けてくれ」

 続いて魔導士のアーダラクが飛び込んできた。

「我が君。お帰りと聞いて飛んで来ました。どうか、究極の二についてお聞きしたいのですが」

 ああ。そうだったな。

 私は荷物の中からスケッチブックを取り出した。飛行機の中で暇つぶしにあの古代魔導具に関して思い出せる限りを描いておいたのだ。いくらアーダラクでもこの絵だけであれを再現はできないだろう。

 絵を受け取ったアーダラクの目が丸く見開かれた。その視線は私の尻に向けられている。

「まさか。我が君、その下に敷いているのは!

 1962年刊行のマーベルコミックですよ。稀覯本なんです。それを尻に敷くとは!

 ああああ、なんてことだ。もう二度と手に入らない本なんですよ。どいてください。今すぐ!」


「あの、マスター」

 騒ぎの最中にアンディがフードを被った女性の手を引きながら部屋に入ってきた。

 匂いで分かる。その女性はエマだ。

 エマの手は綺麗だ。魔法の毛は時間切れで全部抜け落ちたらしい。

「その」アンディは意を決するとエマのフードを剥がした。

 頭の上に毛の一本もないエマが、目の隅を真っ赤に腫らした顔でそこに立っていた。頭だけじゃない。眉毛もまつ毛さえも無い。

 アンディが説明した。

「あの。どうしてもエマが毛むくじゃらに堪えられないというので、魔法薬学で脱毛剤を作ったんです。でも何か手違いがあったようで」

「たった一滴なんです。一滴だけ手に垂らしたんです」エマが泣きながら言う。

 それ以上は続けずにわあっと泣きだした。


 マグダラ尼僧が怖い顔でエマの背後に現れた。手にボロ切れを持っている。

「ファーマソン神父。これはいったい何です。

 確かに綺麗に洗濯してあります。アイロンもかかっているし、洗濯ノリも効いています。

 で、神父服の腰の部分以外はいったいどこにあるんです?

 もちろん、納得の行く言い訳を聞かせて貰えるのでしょうね!?」

 彼女が一歩前に出ると、私の横のコミックの山ががさりと動いた。

 皆が見つめる中でコミックを振り落としながら牛ほどもある大きな犬が顔を現した。もちろんそれは犬ではない。頭が三つあるような犬はこの世にはいない。

 一声大きく吠えると、止める間もなくその地獄の番犬は腰を抜かしているマグダラ尼僧の横を駆け抜けると廊下に飛び出した。

「魔獣だ。まさか今までここに隠れていたのか!」アーダラクが叫んだ。

「これ以上の被害を出す前に捕まえろ!」私も叫んだ。

 全員でドタドタと後を追った。

 前方で地獄の番犬は向きを変えると対策局の共同オフィスに飛び込んだ。

 内部で大理石のテーブルに地獄の番犬が突っ込む音がした。それに続いて周囲に無数の小さなガラスの駒が落ちる音がした。

 一瞬の静寂。

 アナンシ司教の怒り狂う叫びが轟いた。その圧力に耐えきれずに共同オフィスの窓ガラスが一瞬ですべて砕け散る。


 私はその場で回れ右をすると、一目散に逃げだした。

 今度の出張は一か月はかかるだろう。

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バチカン特殊事例対策局事件ファイル:剣の夜、微笑みの月 のいげる @noigel

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