魔導具争奪戦(8/9)

 二人は先に返した。

 人狼とシェイプシフターと魔導士が三人一緒にいると、分かる存在には分かってしまう。注意を惹く前に分散するのがよい。

 私は夜になるとスーツから神父服に着替えてリビアが棲む高層マンションを訪ねた。

 誰何も無く中に通された。その分、マンションの周りはリビア配下の吸血鬼により隙間なく監視されているということだ。

 女王の間の豪華で大きな扉を開くと、リビアが居た。いつもの大きなソファの上だが、寝そべってはいない。その目が私を真っ向から見つめる。

「ダーク。首尾は? まさかダメだったなんて言わないでしょうね」

 言葉の裏に今まで聞いたことのない真摯さと欲望がある。そこまで大事なネックレスなのだと分かった。

 少し意地悪をしてやろうとも思ったがリビアが余りにも真剣なのでやめておいた。私は懐から布で包んだネックレスを取り出すとリビアに渡した。

「ああ」リビアの口から甘いため息が漏れた。

 ネックレスを愛おしそうに撫でると、それを自分の首に巻いた。

 色とりどりの宝石がキラキラと光をまき散らす。

「壊れてはいないわね」リビアの表情が優しくなった。「ダーク。有難う」

「どういたしまして」

 私は答えた。何、大したことじゃない。一匹のボス吸血鬼に喧嘩を売ってきただけだ。

「モーリスは?」

 して欲しくない質問だ。

「もうすぐ死ぬだろう」

 嘘ではない。彼の寿命はあとわずか。

「首が欲しかったのに」リビアは残念そうに言った。

「生首は神父が運んで良いもののリストには入っていない」

「あら? ダークは気にしなかったわよ」

 リビアへの答え代わりに、私は自分が着ている神父服を強調した。やはりこれが私の立場を示すトレードマークというもの。

 リビアはソファに座りなおすと、通話機のスイッチを入れた。

「監視室。これから人払いをするから、この部屋の監視を切って」

「しかしマダム」通話機から抗議の声が漏れた。

「いいから。私が呼び出すまで中からどんな音が聞こえても誰も来てはダメよ。見た者はこの私が直々に殺します」


 おや、おや、リビア。穏やかではないな。何をするつもりだ?


「あなた方もよ。部屋から出て行きなさい」

 部屋の中のボディガードたちも追い出す。

 最期に残ったのがリビアと私だけになると、リビアは立ち上がった。その手が動き、胸元のネックレスを撫でる。

「ダーク。この魔導具がなにか分かる?」

「いいや。アーダラクは精神に作用する魔導具ではないかと推測していたが」

「アーダラク。あの狂える魔導士? さすがね。これは祖母から譲られたものだけど、副作用がひどいからあたしの代では使わなかったの。その頃には『血の盟約』派閥もこれに頼る必要はないぐらいに大きくなったし」

「副作用?」

「使った分だけ歳を取るの」

 ああ。私は納得がいった。


 基本的に吸血鬼は血を飲む限りは年を取らない。きっとこの魔導具の副作用は吸血鬼の生理を無視して加齢を引き起こすのだ。魔法の働きは奥深い。特に古代の魔法は。

 そういえばシャンドリア長老がリビアの祖母をあの婆めと呼んでいたな。あれはそのものズバリだったのか。

 リビアの祖母は魔導具を使いすぎて実に珍しい吸血老婆になったのだ。


 リビアが両手の先をネックレスに触れる。宝石の輝きが一層強くなる。虹色の靄がそこから広がった。

 嫌な予感がした。いったいリビアは何をしようとしている?

「でもこの仕事の前には魔導具がどんな働きをするか知らないと言ったじゃないか」私は指摘した。

「馬鹿ね。ダーク。女性は嘘をつくものなのよ」

 リビアは嬉しそうに笑った。魅力に溢れた笑顔。その持ち主を愛さずにはいられない。そんな笑顔。

「この魔導具は女吸血鬼専用なの。その力は持ち主の魅了魔法を増大する。何者も抗えないほどに。どんな魔法もこれを防ぐことはできない。ねえ、だからダーク。今日こそは再びあたしのものになってもらうわよ」

「止めろ! リビア。それをやるんじゃない!」私は叫んだ。

 しまった。リビアに説明をする暇がない。私の中の魔法の罠について。

「いやよ。ダーク」リビアが魔法のネックレスの最後のロックを解いた。

 ネックレスの光が膨れ上がり、私を飲み込んだ。


 ダークの時代、魔導士アーダラクと長い間議論したことがある。精神作用系の中でどの魔法が一番危険なのかを。出た結論は魅了の魔法だった。

 魅了それ自体は弱い魔法でいくつかの強化魔法を組み合わせないと実用にはならない。かろうじて、吸血鬼だけが性的魅力を加えることでそれを実用の範囲にまで引き上げている。

 魅了の厄介な点は、一度それにかかると自ら魅了され続けようとすることだ。例えるならば酒に酔った人間が酔いを醒ますのを嫌がるのと同じだ。

 だから屈強な者が一度魅了にかかると、魅了の解除に全力で抵抗するために、実質的に解除する方法が無くなってしまう。

 魔王が魅了されると自分の軍団を自分で壊滅させかねない。それだけは困る。

 だから相談の末に、アーダラクは私の中にある魔法を組み込んだ。無意識領域の奥深く。信頼している人間にしか絶対に触らせない場所にだ。

 反転する感情。アーダラクはそう名付けていた。

 このカウンター魔法は、魅了の力が働き無意識領域の奥にまで届いたとき、魅了が作り出す感情を反転させる。

 愛情から、憎悪へと。より強い愛情はより強い憎悪となる。相手を殺すまで決して止まらない憎悪に変えてしまう。

 今がそれだ。


 甘い誘惑が鼻孔を満たし、反転して沸き上がった真っ赤な怒りが視界を染めた。目の前にいる憎悪の対象を俺は睨んだ。それは美しい女性でただちにこの世から抹殺するべき対象でもあった。この女をバラバラに引き裂きたい。それだけが望みだ。

 喉の奥からごぼりと何かが這い上がって来た。それは俺の顎を大きく開くと外に出てきた。

 怒りの咆哮だった。

 悲鳴にも似た咆哮が周囲を満たし、部屋の壁をビリビリと揺らす。音は高音から低音へと滑り落ち、代わりに床が大きく揺れた感じがした。

「ダーク! あなた!」女が叫んだ。

 とても耳障りだ。

 消し去るべき声だ。

 ゾアントロピー。獣化現象。

 体中の筋肉が膨れ上がり、伸びきった服が耐えきれずに弾ける。鋼より硬い剛毛が全身に生える。爪が硬化しこれも鋼鉄を越える硬さとなる。

 尻尾が長く伸びるのを感じる。人狼の尻尾はそれ自体が鋭利な刃の植わった武器だ。

 俺の殺気を感じて、リビアも変じた。戦わねば死ぬと直感したのだ。吸血鬼の戦闘スタイルへの変貌。牙が伸び、目が赤く光る。爪が伸び鋭い刃になる。筋肉はうねる鋼鉄のロープとなる。耳全体が大きくなり、その先が尖る。


 俺は再び咆哮した。リビアも吠え返した。

 先に動いたのは俺だ。戦車の装甲鉄板ですら引き裂ける爪で切りつける。リビアも己の爪でそれをはじき返す。

 派手な火花が散った。左右から目にも止まらぬ速度で繰り出される俺の爪を、同じくリビアの爪が迎え撃つ。

 空中が無数の火花で埋まった。まるで工事現場のような騒音が轟く。これが爪と爪のぶつかり合いで生じているとは誰が思おう。

 俺は本気モードに入った。目まぐるしく位置を変え、相手の防御の隙を突く。間に挟まったテーブルが細かい木の欠片になって飛び散る。驚いたことに女吸血鬼は俺の速度についてきた。お互いに後ろを取り合い、宙を飛び、壁と言わず天井と言わず蹴り続けて飛び続けた。ここにはすでに重力はない。俺たちが戦っている場所に元の形を保っているものはない。

 それは刃の旋風。死の大鎌。

 壁には大きく引き裂かれた痕が残り、その背後の装甲鉄板がむき出しになる。それもすでにズタズタだ。

 女吸血鬼が配下を呼ばなかったのは正解だ。この戦いの中に誰が飛び込んできても次の瞬間には挽肉に変わってしまうだろう。


 古い古い血。歳月を経て、成長し、磨かれた古い血。俺よりも古い血だ。この吸血鬼の名前は何と言ったか。思い出せない。

 だが強い。

 俺は自分の中の魔力を引き出そうとした。誰かが俺の中に埋め込んだ魔力の壺に手を伸ばす。これを開けば今の十倍にも俺は強くなることを俺は知っている。

 その時、女吸血鬼が叫んだ。超音波が俺の鼓膜を叩き、頭蓋骨を揺らす。強烈な頭痛が俺の意識を乱す。

 くそっ。魔力の壺を開くための精神集中ができない。

 女吸血鬼もそれ以上の攻撃はできない。人間ならこれを聞かされ続ければ脳が破壊されるが、人狼はそこに至る前に治ってしまう。

 どちらも決め手に欠ける。俺たちはお互いの爪を迎撃し続けた。

 ついにこの衝突に耐えられずに俺の爪が砕け飛んだ。同時に女吸血鬼の爪も崩れ落ちる。

 俺の爪は砕けた手ごとすぐに再生した。女吸血鬼の手も一瞬黒い霧に変わると再び元の姿に戻る。崩れた手の細胞を小さなコウモリに変えて、また集結させたのだ。

 これでは終わりがない。再生型種族間の戦いは無限地獄となる。だがそれでも飛び散った血だけは回収できない。どちらも大量の血を失えば無限の生命力も最後には尽きて死ぬ。


 俺は攻撃の方針を変えた。

 女吸血鬼の爪が皮膚を切り裂くのは無視して、拳をその腹に叩き込む。

 女吸血鬼の体が吹き飛ぶと、内臓をまき散らしながら壁に激突する。そのまま突進すると壁に貼りついたままの女吸血鬼を殴り続けた。見る見るうちにその体がただの肉片に変わったが、最後にその体が弾けて細片になると無数のコウモリに変身して宙を満たした。

 高位吸血鬼、それも最上級の吸血鬼である真祖にだけできる技。

 羽虫ほども小さくなったコウモリの霧が俺を襲った。鼻や口から潜りこんでくる。思わず吸い込んでしまった。

 次の瞬間、胸が焼けた。肺の中に入った虫コウモリたちが俺の肺を内側から蝕んでいると気付いた。肺が無くなればいかな人狼といえども呼吸ができない。酸素が取れなければやがて身動きができなくなる。

 俺は床を転がった。それでもどうにもならない。敵は俺の体の中に居るのだ。

 残りのコウモリが部屋の反対側に集まり、元の体の再構築にかかっている。

 このままでは死ぬ。そう思ったとき、俺の中の何かが対処法を述べた。昔誰かが俺の中に埋め込んだ魔術だ。体内奥深くに埋め込まれた魔力核を開放し、体内温度を上げる。摂氏六百度。生体発火には十分な温度だ。

 肺の中の虫コウモリたちがたちまちに焼け死んだ。同時に俺の肺も焼けたが、すぐに再生を始める。

 息をすると口から煤が噴き出した。

 こんな物騒な魔法、いったいどんな狂人が埋め込んだんだ?


 女吸血鬼が再構築を終えて立ち上がる。心なしか体の大きさが少しだけ小さくなっている。

「ダーク。止めて」

 ダーク? 何のことだ?

 この女吸血鬼が新たな手を考え付くまでに殺さねば。ただそう考えた。

 吸血鬼を殺すにはどうすればいい?

 そう考えたとき、俺の手は勝手に動き、腰からナイフを引き抜いた。

 銀の嫌な臭いのするナイフと特殊鋼のナイフだ。

 それの使い方は俺の手が知っていた。ナイフの柄を押すと聖水が刃に沿って流れ落ちる。

 直観的に分かった。これで相手の心臓をえぐれば死ぬと。

 女吸血鬼が部屋の隅に走った。壁に飾ってある何かの棒に飛びつく。魔導具の一種か。俺は衝動に任せて突進した。

 咄嗟に投げつけた銀のナイフが女吸血鬼の前に伸ばした手を壁に縫い付けた。魔導具らしき棒のすぐ手前にだ。聖水がついているために、手をコウモリに変身させることができない。

 血しぶきをまき散らしながらナイフから手を引きはがしたときにはもう俺はその体に激突していた。

 相手の残りの手を叩いて砕くと、一度のローキックで彼女の両足を折った。

 コウモリに変わる時間は与えない。その体を掴んで床に叩きつけるとその上に馬乗りになった。

 聖水を垂らしたナイフを振り上げてその胸の上に狙いをつける。ナイフから噴き出した聖水はわずかだが、彼女が心臓をコウモリに変えるのを邪魔するには十分だ。

「ダーク。止めて。お願い。殺さないで!」

 女吸血鬼の悲鳴をどこか遠くに聞きながら、俺はナイフを振り下ろした。

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