第101話 猫の使者

 ここはある中央領主の邸宅。

 中央五家の一角、バング家当主のバスラ=バングの屋敷である。

 

 深夜といってよい時刻になっている。バング家の筆頭家令のデムスンは、ひとり屋敷内を見回りながら自室に下がろうとしていた。


 燭台の火を落として暗くなったホールの階段を上る途中、デムスンは一匹の猫の姿に目をとめた。

 怪しげに光る眼で最上段からこちらを見下ろしている。


 一瞬戸惑ったが、高窓から差し込む月明りを頼りに猫を脅かさないよう静かに階段を上るデムスン。

 二階の床より視線が高くなったとき、デムスンは猫が一頭だけでないと気が付いた。


「むむ……」


 思わず呻き声を漏らす。


 そこに十頭の猫が整然と並んでいた。


「これはいかなる次第であるか?」


 最後の数段を残して立ち止まったデムスン。

 等間隔に三頭ずつ三列に並んだ猫の一団。

 その先頭でひとりポツンと座る猫が相変わらずこちらをまっすぐ見つめている。


 外から入り込んだ野良猫ではないようだ。明らかに躾けられている。そしてどの猫も一般の猫よりもちょっと大きい気がする。


 戸惑いを隠せずその様子を観察していると、二頭の猫が後方から進み出てきた。


「むむむ?」


 二頭は何かを咥えていた。

 筒状のそれをぽとりと床に落とす。

 デムスンの足元に。


 しゃがんで手に取ると、二頭の猫は元の場所に戻って座りなおした。


「これは……皮紙の巻物? 何かの手紙か? いや……古式の領主宛て公示書!?」


 デムスンが検めた巻物は、古来より茫洋大陸の領主間で使用されてきた公文書様式だった。主に契約書や通達書類に使用されている。その中でも極めて重要な文書を示す真っ赤な巻紐で閉じられ、さらに結び目が蝋付けされていた。これは最も厳重な管理を要求する封緘印だ。


「辺境領主の連名での通達? どういうことだ? この猫たちはいったい……?」


 困惑を隠せないでいたデムスンは、それでもなんとか階段を昇りきってから両手の巻物と足元の猫の一団を交互に見た。デムスンから少し離れて並びなおした猫たちの先頭では相変わらず最初の猫がじっと見つめている。


「……とにもかくにも、まずはこれをバスラ様にお渡ししなくてはなるまい。お前さんたちはこれを届けに来たというわけだね?」


 にゃっ!


 そうだ、と言うかのように先頭の猫が応えた。期せずして返ってきた肯定の鳴き声を耳にして、デムスンは少し薄気味悪くなった。 


「まさか……な。とにかく急いでバスラ様にお渡ししよう」


 自分の気持ちを落ち着けるように一人つぶやいたデムスンは、二本の巻物を持って領主の寝室へと向かった。


 それには次のように記されていた。


******


 『辺境領主連合国フェリダム 建国宣言』


 茫洋大陸辺境領主連合による全会一致の宣言


 すべての人間は平等であり、生命、自由、および幸福の追求を含む権利を保持している。これらの権利を現実のものとして確保するためにだけ領主は正当な権力を行使し得る。


 しかしながら茫洋大陸中央領主らは、これらの人間の権利を無視し、徒に武器を取って他の領土を侵略し、罪なき領主と領民たちを害してきた。領主としてふさわしくない残忍さと背信行為の数々で領土を奪い、死と荒廃を辺境地域に今もなお齎している。


 従って我々茫洋大陸辺境領主一同は、善良な領主および領民の名において、そしてその権威において、 以下のことを厳粛に宣言し公示する。


 すなわち――タラワ山南方に広がる通称「グリスラー大平原」以北に配する全ての領主とその領民は、自由な独立した連合国家『辺境領主連合国フェリダム』を建国する。

  また、そうあるべき当然の権利を有し、戦争を始め、講和を締結し、同盟を結び、通商を確立し、その他独立国家が当然の権利として実施できるすべての行為を実施する完全な権限を有する――と。


 茫洋大陸辺境領主連合を代表して署名


 議長:アイゼル領主ランベット=アイゼル


 独立宣言署名人

  レイオク領主リンメイラ=レイオク

  ハーキム領主レンスヘル=ハーキム

  ベンドマイン領主ロマトン=ベンドマイン

  ……

  ……

  ……


******


 『領地回復(返還)要求』


 領主ミュル=ミミカスを首魁とし、領主ムサル=ワッセ、領主スクピディ=デミオグ、領主バスラ=バングおよび領主スクルータ=グレトルトが共謀して引き起こした蛮行「ハーキム領主レンスヘル=ハーキムの殺害未遂と領地強奪」に関して、辺境領主連合国フェリダムの名において以下の通り要求する。


 現ミミカス領に吸収されている旧ハーキム領の土地返還と現状回復。

 侵略開始時点から現在に至るまでに逸失した利益の補償。

 下記五領主の身柄拘束および血縁縁者の私財凍結。

  対象:

  グレトルト領主スクルータ=グレトルト

  ミミカス領主ミュル=ミミカス

  ワッセ領主ムサル=ワッセ

  デミオグ領主スクピディ=デミオグ

  バング領主バスラ=バング

 

 辺境領主連合国フェリダム・連合議会

 議長:アイゼル領主ランベット=アイゼル

 議員:レイオク領主リンメイラ=レイオク

    ハーキム領主レンスヘル=ハーキム

    ベンドマイン領主ロマトン=ベンドマイン

 


******



 この夜、同じような猫の一団による奇妙な家屋侵入事件が中央領主の下で次々と起きた。


 そして翌朝には、グレトルト領主スクルータ=グレトルトの呼びかけでとりあえず集まった五人の中央領主が事態について情報交換と対応を検討を開始。


 が、実のある結論が出ないまま悪戯に時間だけが過ぎていく。


 かなり前から辺境地域の動静がわからなくなっており、検討に必要な情報が不足していたからだ。

 辺境の猫たちが難なくやり遂げている完全な情報封鎖そのものについても、手掛かり一つ手に入らないのだからお手上げだったろう。


 それに加えてもう一つ、マサミツたちもまだ知らない理由があった。


 中央領主たちは、数日前に別大陸にあるウェイオン王国から凶獣の力を背景にした強制外交を受けたのだ。


 このウェイオンの外交官こそ、ベンドマインを陥落しようとして失敗した総領事だった。彼は外洋で待機していたもう一隻の軍艦に乗って南海洋へ迂回してから上陸。彼らの主戦力となる凶獣部隊を引き連れて中央領主と接触したのだ。


 辺境への対応が決まらないまま数日が経った。


 このころになると中央領主の中でも遠隔地を治める者たちが、いち早く功を立てて取り入ろうと、頼んでもいない援軍を寄越し始める。日に日に兵が集結していくうちに、なし崩し的に開戦の機運が高まり中央の盟主スクルータ=グレトルトは急いで何らかの手を打つ必要があった。


 そんな中、スクルータは再訪したウェイオン王国外交官からある申し出を受けた。


 茫洋大陸の中央領主と辺境国家との争いに手を貸すというものだ。もちろん中央領主への加勢である。


 辺境を打ち負かしたあとウェイオン王国に彼の地を譲る条件で。


 スクルータはこの話に乗った。辺境の意図が全く読めない以上、ウェイオンの凶獣部隊の力を借りて圧倒するしか手がなかったのだ。

 それがどんな結果を招くか考えもしないで目の前の餌に飛びつく猫と同じ思考だった。

 海ちゃんが聞いていたらフーッと怒りそうである。



 兎にも角にも。

 こうして二つの勢力は交戦状態となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無敵猫 海ちゃん 出海マーチ @muku-ann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ