おやつ探偵犬雪丸 1

西野ゆう

お饅頭の巻

「夏休み一点負けて長くなり」

 中学二年生の夏休み。国語の宿題をひとつ済ませてため息。ソフトボールの試合、本当に悔しかった。私はずっとベンチだったけれど。

 だからといって、いつまでも悔しさを引きずってなんていられない。貴重な夏休みを宿題に追われたくない私は、スタートダッシュ型。日記以外はほとんど七月中に終わらせるのだ。

「ちぃちゃん、お饅頭食べる?」

 一階のリビングから聞こえる母の声。ナイスタイミング。ちょうど頭が甘いものを欲しがっていたところ。頭といっても脳。頭脳を使うためには糖分が必要なのよね。理科の先生が言っていた。

「食べる! すぐ食べる!」

 私は部屋のエアコンを切ってリビングに駆け下りた。

 もう部屋を出た瞬間から、ふくれたお饅頭の酵母の香りが鼻から頭に抜けていた。良い匂い。小さな時から大好きな匂い。おばあちゃんを思い出す匂い。夏休みにいつも食べる手作りのお饅頭。

 夏休みにいつも?

 そういえば、私はなぜこのお饅頭を毎年夏休みに食べているのだろう? これはもしかしたら、最難関の「自由研究」に使えるのではないだろうか。しかも、母にいくつか質問すれば即解決だ!

「ねえ、お母さん。このお饅頭、どうして毎年夏に食べるの?」

 蒸籠せいろから出したお饅頭が熱かったのか、母は自分の耳たぶをつまみながら首を傾げた。

「どうしてって……さあ?」

「え? 知らないの?」

「おばあちゃんから簡単な作り方は教わったけど、それ以外は知らないもの」

 おばあちゃん。お父さんのお母さん。この家から一キロちょっと離れた所に独りで住んでいて、私が小学生の低学年の頃は、お母さんが迎えに来るまで、祖母の家にいた。夏休みだってそうだった。

 でも、その祖母も、三か月前に亡くなった。「まだ若いのに」ってみんなが言っていた。

 私は改めてお饅頭を観察した。

 形はまん丸。お父さんのげんこつくらいの大きさ。色は白いけど真っ白じゃない。少し黄色がかっている。そして、最大の特徴が葉っぱ。大きな一枚の葉っぱの上にお饅頭は乗っている。

「お母さん、この葉っぱは何の葉っぱ?」

「それ、前も教えなかったっけ?」

「知らない。覚えてない」

 そういえば教えてもらった気もする。今回は自由研究もかかっているから、しっかり忘れないようにメモしておこう。

 ボールペンを持った私を見て、母は少し笑顔になった。

「さんきらい」

「さんきらい?」

「そう。えっとね、こう書くの」

 母は私の手からボールペンを取って、ノートの端に「山帰来」と書いた。

「他にも何か呼び方があったんだけど、何だったかなあ。忘れちゃった」

「ふうん、それは後で調べてみるよ、ネットで」

 私はそう言いながら山帰来の葉をお饅頭からはがして、ふたつに割った。まだ温かいというより熱い餡子あんこから湯気が出ている。その湯気を息でふうふうと吹き飛ばし、ひと口頬張る。

「ああ、おいしい! おいしい、けど」

「やっぱりおばあちゃんのとは違う?」

 母の言葉に、ちらりと表情を盗み見た。悲しそうではない。祖母の味と同じにはできないという諦めが見える。

「うん。生地はほとんど同じだけど、やっぱり餡子の味が全然違う」

「そうよねえ。材料も分量も作り方も同じなのに。おばあちゃんと一緒に作った時は、同じようにできたのよねえ」

 私も混ざって三人で作ったこともある。葉っぱに乗ったお饅頭。最後に祖母と作ったのはいつだっただろう。それよりなにより、最後に祖母とちゃんと話したのはいつだっただろう。中学生になってからは、部活が忙しかったり、友達関係でも色々あったりで、あまり話した記憶がない。父とでさえ会話は減った。

「お父さんは? 何か知らないかな?」

「前に聞いたことあるけど、何も知らない、聞いたことないって言って役に立たないんだから」

 母はそう言って少し舌を出して見せた。

 父は真面目だし優しい。仕事も頑張っているみたい。ただ、家ではアレだ。ゴロゴロ。飼い犬のゆきまると同等かそれ以下、なんて母は言う。

「そうだ。雪丸に聞いてみよっと」

 私は冗談でもなくそう言って、ソファーの上で丸くなっていた雪丸の背中を撫でた。

 雪丸は推定七歳くらい。祖母がお寺の前に捨てられていたのを拾ってきた。真っ白な柴犬みたいだけど、ほかの犬種の血も混ざっているらしい。確かに同じクラスのこが飼っている柴犬と比べたら少し大きい。

「雪丸」っていう名前は、聖徳太子の愛犬の名前からとったらしいけど、聖徳太子が犬を飼っていたなんて、信じられない。しかもその雪丸は、お経を唱えられたっていうから、もうそれは犬じゃないよ。

 それでも、我が家の、祖母が拾ってきた雪丸も、お経は読めないにしたって十分賢い。

「雪丸、お散歩行こうか?」

 私がそういうと、目をつむっていたはずの雪丸はすっくと立ちあがり、ソファーから飛び降りて、雪丸のケージの横に置いてあったリードをくわえて戻ってきた。しっぽなんか思い切り振っちゃって。

「お母さん、おばあちゃんちまで散歩行ってくる」

 私は雪丸の散歩用トートの中に、ボールペンとメモ帳も詰め込んで、祖母の家を目指した。

 サワサワと、せみ時雨しぐれ。風もあって竹林が鳴っている。きゅうっ、きゅうっと、アシカかアザラシの鳴き声みたい。

 雪丸は巻いた尻尾を躍らせながら、私の数歩先を行く。

「雪丸もおばあちゃんのお饅頭が食べたいでしょ?」

「ワン!」

 すかさず返事。そして舌を出してハアハア言っている。

「ん。でも、雪丸って、餡子は食べちゃダメだからって、皮しか食べてなかったような」

 名探偵犬、雪丸。だけど、役に立つのかちょっと不安になってきた。ポイントは餡子なのだ。それでも「おばあちゃんのお饅頭」という言葉は理解したみたいで、足取りが早くなっている。食べられると思わせちゃったのなら、少し申し訳ないな。

 そんなことを考えながら歩くと、祖母の家はあっという間。今では父の趣味の釣り道具を置いておく、倉庫みたいな使い方をしている。私の家と違って、お隣さんとの距離もあるから、バーベキューもする。小さな畑もあるし、手入れはしてあるのだ。

「さて、何を調べたらいいんだろ?」

 来てみたものの、祖母が残した物は、ひと通り整理はされている。それこそお饅頭の作り方を書いたノートなんて、とっくに母の手に渡っていた。ノートには書ききれなかった何か。その何かを雪丸に見つけてもらわねば、私の自由研究も進まない。

「いい、雪丸。おばあちゃんのお饅頭の秘密を見つけるんだよ? わかってる?」

「ワン!」

 凄いなあ。ちゃんとわかっているっていう返事の仕方だよ。これはもしかしたら、本当に聖徳太子の犬だったら、お経を唱えられても不思議じゃないかも。うん、やっぱりそれはないか。たまにテレビで見る「喋る犬」くらいのものだろうな。

 そんなことを考えながら、家の敷地に入った私はリードを離した。

 すると、雪丸は一目散。

「ワン! ワン!」

 畑仕事用の道具なんかを置いている、勝手口横の棚の下で吠えている。うそだ。もう見つけたのかな? いくらなんでも早すぎる。それでも祖母がよく使っていた場所だ。私は期待に胸を膨らませて雪丸の所まで走った。

「あっ、なあんだ。シロじゃん」

 シロはご近所さんの飼っている猫。三毛猫なのにシロ。というか、どんな猫を飼ってもそこのおばさんは「シロ」って名前を付けるんだ。

 そのシロが、走ってきた私にちょっとだけ顔を向けると、その場を去っていった。

「ワン!」

 シロがいなくなっても、雪丸は同じ場所で吠えた。でも、もう棚の上には何もない。誰もいない。

「どうしたの、雪丸。シロと遊びたかった?」

「クーン、クーン。ワン!」

 そうじゃない、ここだよ! 私にはそう聞こえたのだけれど、何度よく見ても、棚の上には何もない。雪丸はもどかしそうに喉を鳴らしている。

「おなかでも空いたかな?」

 ずっと何か言いたげな雪丸の頭をなでる。嬉しそうにしっぽを大きく振る雪丸。ああ、かわいい。首元のちょっとたるんだお肉を、両手でわしゃわしゃとかき混ぜるように掻いてあげると、もうノックアウト。あっというまにおなかを見せてゴロン。

 私が雪丸の横にしゃがんで撫でていると、また雪丸が思い出したかのように棚を見て「ワン!」と吠えた。私もその位置から棚を見上げる。

「あっ!」

 立っていては見えない。それは棚の上ではなく、棚の板の下に挟まれていたノート。私はそのノートを手に取った。

「これだよ! これがお饅頭の秘密だよ!」

 そう思って疑わなかったけど、開いてみると、その予想は全然違った。

「日記?」

 ページを開いてみると、日付も含めて三行ほどで書かれた短い日記がびっしりと書かれてあった。少し明るい場所に移動して、ページをめくる。お饅頭について書かれている所がないか探したが、それらしい物はなかった。

 その代わり、たまに出てくるキリスト教の祈りの言葉。祖母がクリスチャンだっただなんて知らなかった。確かに、長崎のどこかの島の出身だって聞いたことはあった。

 そして、一ページに何度も出てくる【ちーちゃん】の文字。

 ちーちゃんがあまり来なくなった。ちーちゃんが中学生になった。ちーちゃんが夕飯を作りにきてくれた。ちーちゃんが泣いて帰ってきた。ちーちゃんが私の絵を描いてくれた。

 自然と涙が溢れて来た。祖母は普段から口数が少なく、「ご飯食べなさい」「お風呂行きなさい」「遅いからもう帰りなさい」そんな会話しか思い出せない。こんなにも祖母から愛されていたのだと、この時始めて私は気づいた。

「おばあちゃん」

 目を閉じて浮かんできたのは、家の仕事をしている祖母の丸い背中。小学校から帰って、祖母の背中に「ただいま」とだけ声をかけて自分の部屋に入る。「手を洗いなよ」という祖母の言葉を背中で受ける。

 過去の映像を瞼に映していると、ふとある光景を思い出した。

 湯気が立ち上る何かをせっせとかき混ぜている姿。その光景と共に、甘い餡子の匂いも思い出した。お饅頭の餡を練っている姿だ。私は眼を見開いて辺りを探した。きっとここにあるはずだと。


 次の土曜日。私は朝から両親と三人で、炊き上がった小豆を小屋で見つけた古い桐の桶に移していた。

「この香りだ」

 私が言うと、母も大きく頷いた。

「材料や作り方じゃなかったんだね」

 小豆を木のへらで混ぜながら、砂糖を加えてゆく。粒を崩し過ぎないようにゆっくりと、祖母への愛情を込めながら。

 程よく混ざった餡をへらで少しすくい、手に取って口へと運ぶ。桶の香りが何とも言えずさわやかだ。

「できた」

 ひと口頬張っただけで、私も、両親も、自然と笑顔になっていた。

「ふくれ饅頭っていうんだって」

 父も祖母がクリスチャンだったとは知らなかったらしく、私の説明に耳を傾けて涙を流していた。こんな父を見るのは、お葬式の時以来だ。

 ふくれ饅頭は、祖母の故郷に伝わる潜伏キリシタンの伝統料理らしい。キリスト教にとってパンは特別な意味を持つらしく、禁教時代はパンの代わりにお饅頭をお供えしていたようだ。その名残が今まで続いている。私まで続いてきた。

 涙が零れないように私が顔を上に向けると、「よう作ったね」と祖母の声が聴こえた。褒美をねだる雪丸の鳴き声とともに。

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