後編

 放課後の教室と、蜜柑色の空。

 今日は二月十四日ではないけれど。一日遅れになってしまったけれど。

 でも、そこには確かに翔琉の姿があった。


「笹木野さん、風邪はもう大丈夫?」

「うん、大丈夫。ごめんね、今日も待っててもらっちゃって。……部活、大丈夫だった?」

「それは遅れて行くって言ってあるから」


 何でもないように言い放ち、翔琉は親指を突き立ててみせる。

 夕陽に照らされたその笑顔はあまりにも眩しくて、思わず逸らしそうになってしまった。でも、蜜柑は逃げずに視線を合わせる。

 私なんか……とは、もう思わない。

 昨日彼女と誓って、少しだけ前を向けるようになったから。


「翔琉くん。これ、遅くなっちゃったけど……受け取ってください!」


 だから、何の躊躇いもなくチョコレートを渡すことができた。

 手作りじゃなくなってしまったのは残念だけど、どうしても翔琉にチョコレートを渡したいと思ったから雨の中買ってきたのだ。

 この胸の高鳴りは、緊張よりも渡せて嬉しい気持ちの方が強い。

 そう断言できてしまう自分がここにはいた。


「ありがとう、嬉しいよ」


 くしゃっと笑いながら、翔琉はチョコレートを受け取る。

 本当に嬉しいと思ってくれているのか、パッケージをまじまじと見つめていた。


「これ、蜜柑色だな」

「え?」

「このチョコのパッケージのことだよ。何か小学生の頃、夕陽のことを蜜柑色だなって言ったような覚えがあって」


 橙色のパッケージを夕陽にかざしながら、翔琉は「なっ?」とドヤ顔を浮かべる。

 その瞬間、蜜柑に胸に温かな光が灯ったような気がした。


(翔琉くん、覚えていてくれたんだ)


 嬉しくて仕方がなくて、蜜柑はついつい顔を綻ばせる。

 同時に、鼓動も徐々に速まっていった。

 本当だったら、今日はチョコレートを渡すだけで満足するつもりだったのに。もう一歩だけ前に進めないかな? なんて思ってしまう。


「あ、あの! 最後に、聞きたいことが……」


 蜜柑と違って、翔琉には部活がある。

 急がなきゃという気持ちが緊張へと変わり、蜜柑はほとんど勢いで言い放ってしまった。


「翔琉くんは、その……好きな人はいますか……?」


 ――と。


(ばっ、馬鹿か私は……っ!)


 蜜柑は心の中で絶叫する。

 こんなの、告白しているのと何も変わらないではないか。

 蜜柑には莉子という強敵がいて、今日の昼休みに「チョコは渡したけど告白はまだだから」と莉子に言われたところだ。

 だからまだ、決着を付けるのは早いと思っていたはずなのに。


 ここで莉子の名前を出されてしまったら、結局のところ自分の恋は終わってしまう。


「へっ? あ、あぁ……それは…………」


 翔琉が意表を突かれたように視線を彷徨わせる。

 思った以上に翔琉は動揺していた。

 きょろきょろと挙動不審になったと思ったら、あらぬ方向を見つめ始める。


(教卓……?)


 翔琉の視線は、何故かいつも担任の先生が座っている教卓でピタリと止まった……ような気がした。

 蜜柑達のクラス担任は二十代前半の女性教師だ。

 美人さんで、優しくて、だけど時には厳しくて……。蜜柑にとっても安心できる先生だった。


「あー……。ま、まぁ、そういう話はちょっと……な」


 翔琉はやがて蜜柑を見つめ、苦笑を浮かべる。

 その頬は、心なしか赤く染まっているように見えた。


「そ、そっか。ごめんね、変なこと聞いちゃって」


 ――おかしい。


 心の奥がざわざわする。

 翔琉は笑顔が素敵な人だ。

 だけど、今まで照れた姿を見たことは一度もない。


 好きな人はいますかと聞かれて、不自然に教卓を見つめた結果、初めて見せた表情――それが、戸惑いながら顔を赤くさせる翔琉の姿だった。


「いや、大丈夫だよ。あぁっと、チョコ、ありがとな。大事に食べるから……それじゃ!」


 そのまま、翔琉は足早に教室を去っていく。

 蜜柑は一瞬だけ唖然としてから、慌てて手を振ることしかできなかった。


「…………まさか、ね」


 気のせいかも知れない。

 ただの考えすぎかも知れない。

 だけど、もし……翔琉の好きな人が先生なのだとしたら。


「大変なことになったよ、莉子」


 誰もいなくなった教室で、蜜柑はぼそりと呟く。


 ――私達の恋した人は、想像以上に手強い人みたいだよ。


 ライバルに語りかけながら、蜜柑は窓の外に視線を向ける。

 蜜柑色の空。

 昨日、自分に勇気をくれた女の子と一緒に見た空。

 そして今は……。


 その空の色が、いつも以上に赤く燃え上がっているように見えていた。



                                     了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蜜柑色の空、君と交わした約束。 傘木咲華 @kasakki_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説