センターマイク

待居 折

ある一組の二人

「ありがとうございましたー」


 何の感情も持たず、条件反射で挨拶を口から垂れ流しながら、レジに金をしまう。

 客の背中が外の暗闇に消え、無機質に自動ドアが閉まると、コンビニの店内はまた僕一人になった。


「…よし」


 いそいそと事務所に戻ると、休憩用の狭いテーブルに置いたノートパソコンと向き合う。少し視線をずらせばデスクの店内カメラも見えるし、客が来た時に鳴るチャイムの音は最大音量に設定し直した。

 これならうっかり居眠りしてしまった場合でも、客さえ来れば嫌でも起きる形になる。時刻は日付を跨いだばかり。いかにここが都心の外れでも、多分一時間に一人、二人は客が来るだろう。


 そうまでして起きてなきゃいけない理由は、画面の中にあった。来月半ばに開催されるお笑いコンテストの為のネタを書き上げなければならない。しかも残念ながら、なるべく早くだ。書くぞと決めてから既にひと月、ほとんど何も進んでいないのだから。

 学生時代から使っている古いノートパソコンの画面には、書きかけのネタが羅列されている。



 子供の頃さ、夢ってあった?

 ・あったよ!人を何だと思ってんだよ、いい加減にしろよ!

 なんでそこまで怒ってんのかまるで分かんないんだけどさ、やっぱり小さい頃ってカッコいいヒーローとかに憧れなかった?

 ・バカ!こんな大勢の人前で「カッコいい」なんて言うなよ、捕まるぞ!

 …あれかな、どこかの文明だとまずい言葉なのかな…まぁいいや、僕ヒーローになって悪者倒すのとか夢だったんだよ。ちょっとヒーローやるからさ、悪者やってよ

 ・それ、時給いくら?

 え?

 ・だから、いくら貰えるんだって聞いてんだよ

 いや…賃金は発生しないよ?漫才での設定だもの。今ちょっとやってみようかって話だからさ…

 ・ばかやろう!

 え、なに?なんで僕いきなり怒られてんの?

 ・お前の夢に対する情熱はそんなものなのか?!ヒーローになりたいんじゃないのか?!お前さえ…お前さえ本気なら、俺はいつだって、どこまでだって付き合ってやる!どこまでだって悪役を演じてやる!

 ・分かった、分かったからちょっと一旦落ち着こ?そもそもさ、どこまでも悪役演じたら、それもう本物の悪だからね?

 ・かかってこい!

 こんなにも話聞かない事ってある?あと、凄く前向きにやってもらっといてこんな事言うのもなんだけど、お給料、発生しないよ?

 ・そうだった…

 膝から崩れるのって人生でここじゃないと思うなぁ…



 たったこれだけ。ここまでを書くのにおよそ三週間も浪費している。しかも、どう贔屓目に見ても全く面白いと思えない。


 芸人は才能と運。いつもお世話になっている先輩が、酔っ払う度口にする言葉だ。

 ほんの少しでも才能がなければ、自分の考える「面白い」をアウトプット出来ない。更に、その「面白い」が運よく時代に合っているかどうかで、世間からの評価自体が全く変わってくる。


「俺は運をつかみ損ねたんだ…お前らはそうなるなよ」


 これも先輩が泥酔した時の口癖だった。

 数年前のお笑いブームの頃、芸風を変えてまで流れに乗っていた他の芸人たちには目もくれず、先輩は才能を信じてストイックに自分のスタイルを貫き通した。

 結果、たまにテレビで見る芸人を指して「アイツ、本当にバカなヤツでさぁ」と目を細めて昔話を始める先輩は、バイトを四つ掛け持ちしながら、月に一度のライブに出演料を払って参加し、全てを賭けている。

 僕にはそれが良い事なのか間違いなのか分からない。


「…ふぁぁー…」


 自分でも大きいなと思えるほどの欠伸が出た。そのお陰で、意識が少し飛んでいたのが分かる。パソコンの画面は全く変わり映えしないまま、時計によれば三十分は寝てしまっていたようだった。結局、また何も進んでいない。


「やばい、急がなきゃ…」


 自分の独り言に、焦りばかりが募っていく。


 少なくともこの一週間以内にはひな形を完成させて、コンテストまでに何度かあるライブで、試しながら良い形にしていく必要がある。

 たとえネタがこの画面の中で完成したとしても、実際に客前でやってみない事には、そしてウケない事には、本当の意味で完成したとは言えない。

 まぁ…ウケなければ完成しない、とまで言ってしまうと、自分達のネタで完成しているものはひとつもない事になってしまうのだけど。


 自動ドアのチャイムが鳴り響く。防犯カメラの映像に目をやりながら、客の動向をぼんやりと眺める。中年と思しき男性が、店内の棚を物色しながらぐるぐると廻っている。

 足が止まらなくなる、回り過ぎてバターになる、どんどん人が増える…カメラの向こうのシチュエーションを元に、ネタになりそうな妄想をいくつか浮かべてみるけれど、まとわりつく眠気も手伝って、どれが面白いのかつまらないのかが、既に全く分からない。


「スランプ…なのかな」


 口にしてみて、思わず笑った。

 スランプなんてものは、何かをきちんと成しえる人が言う資格のある言葉だ。小さな事務所に入っただけの、肩書きだけの芸人が何を偉そうに。

 それでも、ネタ作りを急がなきゃならないのは確かだった。何せ、相方はとにかく物覚えが悪い。




「じゃああたし行くけど…お昼作ってあるから、あっためて食べてね?」


 …何作ったんだろ。カレーじゃないと良いな。結局言えてないままだけど、いっつもちょっと辛いんだよ。


「今日、バイト何時からなの?ちゃんと行くんだよ?」


 あぁ、まだ言ってなかったっけ。店長ともめて辞めてきたんだ、昨日。


 色々伝えたい事はあったけど、ベッドから俺が這い出た時には、彼女が仕事に行ってから二時間も経っていた。カーテンの隙間から差す日差しが、外が無駄に良い天気だと教えてくれている。


 冷蔵庫から麦茶を出すと、テーブルのカップに注いで飲み干す。梅雨もまだだってのに、都会は暑くなるのが本当に早くてうんざりする。

 ソファーに寝転がって、特に目的もなく携帯を取り出すと、メッセージの通知が目に入った。


『ネタ合わせいつにする?』


 急にイライラが沸騰して、俺は携帯をぶん投げた。ベッドの枕目がけて投げるところに情けなさを感じるけど、実際問題、携帯が壊れても修理する金すらないのが現状だ。苛立っても、そこはあくまで冷静に。

 そうだな、落ち着こう。

 そう思い立ってもう一杯、冷えた麦茶を飲む。クールダウンしていく自分を感じるのと同時に、今度は言いようのないもやもやが俺を襲った。一体、俺は何を苛立ってんだ。別にあいつは悪くないのに。



 始まりは高校二年の文化祭だった。


 俺らのクラスは何をやるかが全く決まらず、期限ギリギリになって、展示を見て回った生徒がひと息つく為の「休憩室」になった。出し物でもなんでもなく、ただ椅子を並べておくだけのお粗末極まりない着地。クラスの生徒は、ほとんどがよその展示や体育館のライブを見に行っていて、閑散としてた。

 文化祭自体がだるくて仕方なかった俺は、椅子を五つ横に並べて昼寝をしていた。見回りに来た担任に、溜め息交じりにお小言を言われた気もするけど、良く覚えていない。とにかく天気だけは良くて、気持ちいい風が窓から吹いてて、本当にうとうとしたのは間違いない。


「展示、見に行かないの?」


 急に声をかけられて飛び起きた。ふた月前に引っ越してきたあいつだった。…そういや、ガタイが良くて素行はあんまり良くない俺に、それまでろくに話した事もないのに声をかけてきたのは、今でも感心してる。


「行かねぇよ。つまんねぇし」


 適当にあしらうつもりでぶっきらぼうに返すと、黙るかと思ってたあいつは急にクスクス笑いだした。薄気味悪すぎて呆気にとられてた俺に、あいつは笑いをこらえながら言ったんだ。


「ごめん…その椅子一個ずつ抜いてって、最終的に君が浮いたら面白いなと思って」


 な…にを言ってんだ?面食らった。思わず起き上がると反論した。


「浮くわけねぇだろ、俺マジシャンじゃねぇからな」

「あのさ、マジシャンって自分で浮いたりしなくない?浮くのって普通はアシスタントでしょ?」


 しまった、そりゃそうだ…恥ずかしさと同時に、そのどうでもいい屁理屈をねじ伏せたくなった。


「じゃあ絶対に浮かねぇよ。なぜなら俺は誰のアシスタントでもねぇからな!」

「それは分かんないよ?アシスタントじゃなくても、タネだけ仕込まれてる可能性だってあるでしょ?」


 …こいつ、何言ってんだ…?笑わそうとしてんのか?そう感じた俺は、意地でも笑わないと決めた。


「なんだよその手品テロ…タネ仕込んでマジシャンどこに行ったんだよ?」

「どこって…今だったら体育館でライブでも観てんじゃない?」

「そりゃ確かに一番集客あるだろうけども!」


 わっ、と大きな音がして俺は我に返った。

 何人か残ってたクラスメイトが、全員俺達のやり取りを見ていて、そして声を上げて笑ってた。びっくりしてあいつを見ると、絵に描いたようなしたり顔だった。

 こいつは最初から、俺を使ってクラスのみんなを笑わせるつもりだったんだ、ってそこで初めて気付いた。そして、人を笑わせる事って、自分にとってはこんなに気持ちが良いんだって事にも。


 取り立てて何かに興味があるでもない、好きなモノや趣味があるわけでもない。

 ただなんとなく生きてきた俺に、「こっちに行け」って、あの日、しっかり矢印が刻まれたんだ。



 あいつは専門学校に通う名目で、俺は家出同然で飛び出して、二人でこっちに移り住んだ。小さいけど事務所にも所属出来た。ライブにも定期的に出させてもらってる。

 でも、それだけだ。仕事は月に多くて三つ。笑えてくるぐらい全然増えないし、なにより、どのネタもウケてる手応えがまるでない。


「もう五年だろ?いつまでも時間があるわけじゃないんだからさ、きりの良いところで…って考えるのも悪くないんじゃないかな」


 居酒屋の店長は、きっと心配して言ってくれてた。でも、そんな事は言われなくても分かってるし、誰よりも俺自身、毎日考えてる。

 痛いところを突かれた恥ずかしさと、改めて突きつけられたしんどさと…優しささえお節介に感じて、「俺の人生です、口出ししないで下さい」って吐き捨てて辞めてしまった。凄く良くしてもらってたのに…後悔しても、もう遅い。


「…これじゃダメだよな…」


 下を向くと、俺の足を取ろうとする負の要素はゴロゴロ転がってる。少しでもこの息苦しさから抜け出したくて、…独りでいたくなくて、俺は携帯を手に取るとあいつに返信した。


『今日ならいつでも』




 駅前広場の端の端、潰れた和菓子屋の前が二人のネタ合わせの場所になっている。


「子供の頃さ、夢ってあった?」

「あったよ!人を何だと思ってんだよ、いい加減にしろよ!」

「なんでそこまで怒ってんのかまるで分かんないんだけどさ、やっぱり小さい頃ってカッコいいヒーローとかに憧れなかった?」

「バカ!こんな大勢の人前で『カッコいい』なんて言うなよ、捕まるぞ!」


 テンポは悪くない。しっかり覚えてきてくれたみたいだ。まずはひと安心。


「…あれかな、どこかの文明だとまずい言葉なのかな…まぁいいや、僕ヒーローになって悪者倒すのとか夢だったんだよ。ちょっとヒーローやるからさ、悪者やってよ」

「それ、時給いくら?」

「え?」

「だから、いくら貰えるんだって聞いてんだよ」

「いや…賃金は発生しないよ?漫才での設定だもの。今ちょっとやってみようかって話だからさ…」

「ばかやろう!」

「え、なに?なんで僕いきなり怒られてんの?」

「お前の夢に対する情熱はそんなものなのか?!ヒーローになりたいんじゃないのか?!お前さえ…お前さえ本気なら、」


 …待った。これ、ネタだからな?何こみ上げてきてんだ俺は。


「…本気なら、なに?」

「俺は…いつだって、どこまでだって付き合ってやるよ!だから泣くな!」

「そういうそっちも、なんで泣いてるのか分かんないよ…?」


 何ひとつとしてうまくいってない。

 互いに口に出さなくても、顔を見れば分かっていた。毎日、自分に落胆して、現実にうんざりして、押しつぶされそうになるほど追い詰められて。

 それでも。


「いやいや、お前の鼻水やべーからな?その鼻、蛇口なのかよ」


 泣きながら笑うお前と。


「そっちだって泣きすぎじゃない?それだと三分後ぐらいに干からびるよ?」


 笑いながら泣く君と。


 恥ずかしくて誰にも言えないけれど、あの日の教室みたいに、二人で誰かを笑わせる事に、今もずっと恋し続けている。

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センターマイク 待居 折 @mazzan

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