エピローグ:サレ妻は終わりなき旅路を行く




 それで? どうしたかって?


 別にどうもしやしないわよ。ただ、元のさやに収まっただけなんだから。

 強いて言うなら、異世界では一月くらい暮らしていたはずなのに日本ではたった一日しか経過していなかったってことぐらいかしらね。

 お陰で二人とも仕事をクビにならず済んだわ。


 でも、いくら元の生活に戻れたって、収入が増えたわけじゃないんだろうって?

 それでは結局、悪口の飛び交う毎日に逆戻りだろうって?


 お集まりのレディース&ジェントルマン。

 どうか、ご心配なく。


 私も異世界での生活を経て心身共に成長したのですからね。

 なんたって、魔王に選ばれた数少ない女性なんだもの、この徳子さんは。


 陛下に認めてもらったこの頭脳を活かせば、毎月の生活費ぐらい……どうにかなるでしょ、たぶん。異世界を救うことに比べたら我が家の家計を救うことなんてまるっきり大した問題じゃないもの。


 まず目をつけたのは食費。

 忙しいからといってお惣菜や冷凍食品を使うことは止めにした。

 スーパーに行けば大抵野菜の見切り品があるから、前もってメニューを決めるのではなく、安売りの食材を見てからメニューを決めるようにしてみたの。

 料理にはあんまり自信がなかったけど、ネットで調べれば幾らでも簡単そうなレシピが見つかるので、やってやれないことはない。毎日新しいことに挑戦し続けていると、今度は次第にそれが楽しくなってきた。

 ワンパターンでない夕食は、夫婦のメリハリとなって何だか良い感じ。自炊すればおかずの量もお惣菜よりずっと沢山作れるもの。

 量と質、共に充分で吉光も満足してくれたみたいね。

 それに、ファンタズムで干し柿を作って気付いたのだけど、日本の伝統である保存食の知識を活かせば食卓のレパートリーは更なる広がりを見せてくれそうなんだ。

 ドライフルーツや、ジャム、漬物なんかも頑張ってチャレンジするつもり。

 旦那が喜んでくれると、大変でもやりがいがある。

 こんな当たり前のことすら忘れていたんだな……私達は。


 そして、異世界の冒険で変わったのは何も私だけじゃなかった。

 吉光も知らない間にすっかりたくましくなっていた。


 向こうじゃ農家や猟師が当たり前の文明レベルなので、旅の合間にアルバイトで手伝っている内にすっかり詳しくなったらしい。今ではDIYも慣れたもので、簡単な家具ぐらいならすぐに作れてしまう。人というのは変われば変わるものだ。なんなら会社を辞めて山奥で自給自足の生活をしてみないか……と、あの吉光が、そこまで言うようになったんだから信じられない。

 本当にお見逸れしました。惚れ直しました。

 でも、会社は辞めないでね、マジで。


 そう、ファンタズムでの経験は無駄じゃなかったみたい。

 素晴らしい冒険は私達に生きる自信と勇気を与えてくれた。

 チャレンジして道を切り拓く、心の芯と気概を教えてくれた。


 豊かな心があれば、前のような貧しい生活には戻らない。残念でした!

 私のお腹に宿りつつある新しい命も、この分ならきっと育てていける。陛下に比べればちょっと頼りないけど。我が家の主さまも満更ではないのだから。



 全ては順調。だからもう何も言うことはない。

 でも、どうしても、一つだけ拭えぬ気がかりな点が。


 ―― 願わくば、生まれてくる赤ん坊に角など生えていませんように。


 幾らあの晩、泥酔していたとはいえ心配し過ぎ。

 陛下は無責任な男じゃない。

 日数から計算しても大丈夫、大丈夫のはずなんだけど…?

 でも、もしも、万が一そんな事になったらあの女神はどれだけ勝ち誇るのか。


 お腹に抱えた秘密がもたらす罪の意識は恐ろしく苦い。

 いったい何度女神の高笑いを聞いて真夜中に布団から跳ね起きたことか。

 小心者は悪夢を振り払えない、どうしても。

 きっとそれは一生私たち家族に影を落とす。

 

 ファンタズムの思い出は夢であって、夢にあらず。

 異世界とはもう一つの現実。それは確かにあったこと。

 刻まれた刻印は生涯ついて回るのだ。

 私はサレ妻で、吉光はシタ夫。

 どこまで行ってもそれは変わらないだろう。


 でも、私達はそれでも前を向いて幸福を目指すのだ。

 これは他の誰でもない、私達の冒険なのだから。

 大切なのは、冒険の過程。そして今の家庭。

 いつだって、一番楽しくて、綺麗なのはカテイなのだから。


 そうでしょう? きっとそう!

 そうあれかし。

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サレ妻、異世界へ行く 一矢射的 @taitan2345

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