第7話



 徳子が閃光で焼き付いた瞳を開くと、そこは足下一面に雲海が広がった天国のごとき空間でした。ここを訪れるのは初めてではありません、異世界ファンタズムへ飛ばされる直前、徳子も一度は目にした光景でした。


 視線を感じて振り返ると、そこにはメイド姿のシャドウ・マスターが立っていました。徳子はフンと鼻を鳴らして口を開きました。



「そうだった。まだ貴方にお別れしていなかったわね、シャドウ・マスター」

「シャドウ・マスター? その名前、ルシアナが飼っていた伝書鳩と同じだ」



 背後でたたずんでいた吉光が、ボソリと呟きました。

 その一言で、ようやく全てのヒントが一本の線へと繋がりました。

 引っかかっていた疑問が氷解していく心地よさを味わいながら、徳子はアルカイックスマイルを湛えたSMを睨みつけるのでした。



「ああ、そういうこと? だからか。だから勇者と吉光が魔王城に来るタイミングを熟知していたんだ。シャドウ・マスターってもしかして沢山いるの?」

「その通りですよ、トクコ殿。SMは世界中のどこにでも居ます。しかしながら、それを統べる魂は一つなのです。では貴方を試す最後のナゾナゾといきましょうか。もうご存知ですよね。私はいったい誰なのでしょう? 正体を答えられますか?」



 徳子はこれまでにもらったヒントを丁寧に思い返していきました。


 元々シャドウ・マスターとは聖域に住む自我なきスライムの名称。

 それにある時から、重要な役目が与えられた……どんな役目かは不明だけれど……それ以降は、今のように容姿を自由に変えて、ペチャクチャお喋りをする謎めいた生き物となったらしい。

 そして、明らかにSMは吉光と徳子が再会するよう裏で仕組んでいた。


 魔王に断りも入れず、そんな事を好き勝手にやれる存在とは?

 それはピースがほとんどハマったジグソーパズルのような謎解き。

 そこから導き出される答えなんて、もう一つしかありませんでした。



「貴方は女神イシュタム、そうでしょう?」



 徳子が答えると、メイドの姿が、熱された蝋人形よろしくドロドロと溶けて崩れ落ちました。そして足元にたまった泥の塊は改めて姿を作り直し、蝶の仮面をつけた女神となって二人の前に立ち上がるのでした。



「正解。パーフェクトですよ、ミセス・バーゲンセール。貴方は完璧です。女神である私は、現世に直接ちょっかいを出すことは出来ません。でも、こうしてスライムをしろとすれば話は別なのです。あの生き物にとりいて色々と悪だくみするのが、イシュタム唯一の楽しみなのです」

「悪い女神ね、コソコソ人の運命を弄ぶなんて」

「最初に言ったでしょう? 私は神である以前に一人の女。他人の不幸は蜜の味なんですよ? トクコ殿も人間なら判るでしょう」



 ―― コイツ、私が元の暮らしを捨てて魔王の妃を選んだとしても、それはそれで構わないと思っていたな? なんて、とんでもない奴! その場合、旦那はどうなっていたんだよ、えーっ!?


 人を玩具としか思っていない女神と、その掌で踊らされていた徳子。

 魔王を紹介してくれて感謝、ほんの少しでもそう思っていた己を徳子は深く恥じるのでした。


 吉光が真っ青な顔で全身を震わせると、徳子に耳打ちしました。



「おい、女神って奴は怖いな」

「バカね、あんな奴。怖がることないのよ。他人の不幸しか楽しみがないって事は、自分が幸せではないと告白しているようなモノじゃない」



 徳子はワザと聞こえるように大声で言うのでした。


 女神は一瞬、醜く眉をひそめました。

 垣間見えた素顔は鬼のように凄まじい形相でした。

 ですが、それは一秒にも満たぬ短い間のこと。

 すぐにまたイシュタムは、女神の品格を保つ笑顔を取り戻しました。



「……やはり貴方は有能ですね。その賢さに免じて私の箱庭異世界から無事に解放して差し上げましょう」

「最後に一つだけ良いかしら?」

「なんでしょう」

「容姿なんて幾らでも変えられる。そんなことに命をかけるなんて馬鹿馬鹿しい。貴方はそう人を侮辱したけれど」

「ええ、それで?」

「女はいつだってより美しくなろうと努力するものよ。そして本当の美しさは、男性との思い出の数だけ増していくの」

「興味深いお話ですね」

「貴方がどれだけ綺麗な巨乳に化けようとも ――付き合いの長い旦那が、本当に美しいと感じるのは女房の方なのよ。だって、かけがえのない思い出で二人は結ばれているのだから」

「おやおやおや、言いますね。浮気で瓦解しかけた夫婦の発言とは思えません」

「別に……ただ、そうであって欲しいと思っただけよ。どうしても、言わずにいられなかっただけ」

「そうあれかし……ですね。私も世界が美しくあるよう願っていますよ。ではさようなら、可愛いらしい『サレ妻』さん」

「サレ妻、言うなって!」



 寂しそうに笑うと、女神はパチリと指を鳴らしました。

 光の柱が周囲を包み、今度こそ徳子と吉光は日本の自宅へと帰還するのでした。


 開けっ放しの壊れた冷蔵庫が、彼等を出迎えてくれた唯一の物でした。

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