第6話



 魔王城を望む小高い丘の上、そこに世界の運命を握る二人の男女が立っていました。一人は日本からやってきた徳子の旦那、吉光。そしてもう一人は魔王を倒すべく旅を続けてきた女勇者ルシアナでした。


 吉光はあたかも海賊のようないでたちで、ノースリーブの緑シャツと白いズボン、背には曲刀を担ぎ、腰には道具袋、頭には赤のバンダナを身につけていました。顎に目立つ無精ひげと、赤銅色の肌、筋骨隆々の引き締まった肉体が長く険しい旅を乗り越えてきた来歴を示していました。


 女勇者は吉光とは対照的に道中の埃など感じさせないアカ抜けた雰囲気でした。

 日本で言うならチューブトップとデニムのホットパンツ、そして黄色いストッキングを身につけていました。武器は手に持つ三又の槍で、数多の魔物を葬り去ってきた業物わざものでした。

 健康的な小麦色の肌と、燃えるような赤い髪、いつもニコニコの端麗な笑顔、そして吉光を引き付けて止まない豊満な胸が目立つ女性なのでした。

 されどルシアナ一番の特徴といえばその奇抜な髪型なのでした。

 それは「夜会巻やかいまき」と称される髪型を大幅にボリューム増量したもので、長い後ろ髪を巻貝のようにセットアップした珍妙な後頭部をしていました。

 ソフトクリーム、トグロ巻き、ヤドカリ、そんな陰口ですら気を使われている方で……ハッキリ言えば「巻いた排泄物」を意味するお下品な単語が彼女の忌み名なのでした。


 勿論、世界を救うだけの実力を持ったルシアナです。

 正面切ってそんな暴言を吐く者など居やしませんが。


 そんな問題を頭部に抱えた勇者ルシアナは、吉光と向き合い、遂に終わろうとしている冒険の旅を感慨深く思い出している途中なのでした。



「ここまで長かったね、ヨシミツ」

「ああ、そうだな。もう少しだ。あと少しで俺達の苦労も報われるんだ」

「うん! 魔王を倒し、平和な世界を取り戻そう!」

「俺たちなら絶対やれる。王国騎士団が魔王軍を引き付けている今、城は手薄のはずだ。少数精鋭で乗り込んで、魔王の度肝を抜いてやろうぜ」

「うふふ。しかも、この丘にはね……」



 ルシアナが近くの尖った岩に手をかけて先端をいじくると、丘が二つに割けてその奥に入り口が出現したではありませんか。あまりにも大がかりな仕掛け、吉光は我が目を疑うばかりです。



「じゃーん、抜け穴があるのです。魔王城の中枢まで通じているよ」

「はぁ? なっ、なんでこんな物が」

「そりゃ非常用の脱出経路でしょ。どこの城にもあるものよ? このぐらい」

「いやさ、ルシアナはなんでそれを知っているんだ?」

「んー、言ってなかったかな? 魔王軍には密通者がいるの。必ずしも全員が人間を滅ぼそうとしているワケじゃないのよ」

「そ、そうか」

「もー、ヨシミツはいつも心配性なんだから! 罠だったら、アタシが全部けちらしてやるから安心しなさい!」

「その図太さ、頼りにしてるぜ……」

「さっ、行こう行こう。さっさと終わらせたいの、アタシ」



 長い冒険の終わりにしてはどうも軽いノリでした。

 吉光は首を傾げながらもルシアナの後に続いて地下に降りるのでした。


 本当はもっと二人きりで話したいことが沢山あって、魔王を倒した後にルシアナはどうするのか、詳しく聞いてみたかったのですけれど。決戦の前にそんな話をしても死亡フラグにしかならないでしょう。


 地下通路を抜けると、そこは中庭でした。

 すぐ傍には柿の木があり『異界より訪れし、二人の聖女の功績こうせきを称えて』などと書かれた記念碑が建てられていました。その意味を考える暇もなく、ルシアナはズンズン先へ突き進むのでした。

 まるで行き先を知っているかのように迷いのない足取りでした。


 幾つもの回廊を越えて、辿り着いたのはドラゴンが彫り込まれた大扉でした。

 深呼吸をしてから勇者ルシアナがそれを押し開けると、果てすら見えない謁見の間が視界いっぱいに広がっていました。

 床に置かれた一対の水晶球が紫の光を放ち、光源が照らす玉座に腰かけるは、黒き鎧に身を包んだ赤眼銀髪の男でした。妖艶な白い肌と額から伸びた二本の角が、魔族の一員である事を誇示していました。

 高貴にして尊大な絶対強者 ――すなわち魔王デミルゴ、その人でした。

 余裕しゃくしゃくといった風に頬杖をつく魔王は、二人の侵入者を睨むと嘲笑うかのように言いました。



「ようこそ諸君。誉れ高き英雄どのをこうして我が城に迎えられるとは、心より嬉しく思うよ。いったい どれだけこの日を待ちわびたことか。今日ばかりは高慢ちきな運命の女神イシュタムに感謝せねばなるまい」

「お黙りなさい、魔王。貴方のせいでどれだけ多くの血が流れ、人々が傷ついてきたことか。そんな争いの日々を終わらせる為に、アタシはここへやって来たのよ」



 そこで訪れる不自然な間。なぜそこで会話が途切れたのか、吉光がいぶかしんでいると唐突に魔王が吹き出したではありませんか。

 これは、いったいどうしたことでしょう?



「ふっ、ふふふふ、はーっはっは! まったく茶番だな! いい加減にしたらどうだ、勇者ルシアナとやら。そんな変装で私の目を誤魔化せると思っていたのか」

「あー、やっぱりお見通しだったか。まぁ、そうだと思ったけど」


「へ? え? なんだぁ?」



 戸惑う吉光の眼前でとんでもない異変が生じつつありました。

 彼の両目に見えていたのはルシアナの後頭部。

 そこでは真っ赤なトグロ巻きがゆっくりと解けつつありました。後ろ髪が垂れ下がると、夜会巻きの中からそびえ立つ長い角が姿を現すのでした。


 ピンと伸びた一本の角、それは間違いなく魔族の証。


 呆然とする吉光の前で、ルシアナは魔王にひざまずくのでした。



「ただいま、陛下。長い間留守にしちゃってゴメンね」

「勇者ゴッコとは、あまりにも趣味が悪いな、ルシファーナ。随分と自由を満喫していたと見える」


「……おい」



 信じられない、いや信じたくない一心で吉光は勇者の肩を掴んで揺すぶりました。



「おい、これはいったいどういう事なんだ! ルシアナ!」

「……ゴメンね。アタシの本名はルシファーナ、魔王の第一夫人なんだ。これまでの事は全部お芝居だったの」

「バカな! なんでそんな真似を!」

「伝説の勇者が現れて魔王を倒してくれるかもしれない。そんな淡い期待を木っ端みじんに打ち砕く為よ。そんな期待があるから、この戦争はいつまでも終わらないんだもの。諦めの悪い人間ども」

「なん……だって」

「貴方は荷物持ちにしてカモフラージュ。こちらの世界に詳しくない異世界びとは、アタシにはとっても好都合だったってワケ。この後、アタシが正体を明かせば、人間たちは絶望して戦う気力を失うでしょう。その先は陛下がうまくまとめてくれる。どう? 第一夫人のサポートとして完璧だと思わない?」

「酷い、そんなの酷すぎるだろうが!」

「なによ、酷いのはどっちさ!?」



 そこまで申し訳なさそうな顔をしていたルシアナ、もといルシファーナ。

 吉光に責められた途端、せきを切ったように彼女は怒り出すのでした。



「アタシの髪型をウンチ呼ばわりしやがって! そんな連中の為に誰が旦那を裏切ると思うの!? 女心も判らぬ連中なんか、どうなったって知らないよーだ!」

「いや、俺はそこまで言ってないし……」


「真に気の毒ではあるが、そこの御仁ごじん……」



 遂に見かねた魔王が口を挟みました。



「大人しく引いてはくれまいか? 我妻の護衛をしてくれた事には感謝しよう。望むだけの褒美がソナタの物だ。どうか、妻の提案を受け入れて欲しい。本音を言えば、無駄な犠牲を減らせるこの状況は望ましいからな。交渉はスムーズに進むだろう」

「なんだって……」

「魔王の名にかけ約束しよう。決して悪いようにはしない、君にとっても、全人類にとっても……私が嘘つきな、つまらぬ暴君ではないと信じて欲しい。共に旅をしたルシファーナの為にも」

「ふっ、ふざけんな! 俺が何をしに此処へ来たと思っているんだ! 俺は一人でも戦うぞ! ルシアナが魔族だというのなら、お前ら二人を倒して俺が勇者になってみせる!」

「無茶を言う。それではお前が死ぬだけだ」

「ヨシミツ、それはちょっと……空気を読んで欲しいかな」



 二人が止めるのも聞かず、吉光は曲刀を抜き放つと叫びました。



「うっせぇ!! 俺にはもう帰る場所なんて在りはしないんだ! 最愛の妻も捨てた。俺の帰りを待つ人なんて誰も居ない! だからこの場で死のうが何も問題はあるものか。華々しく死んでやらぁ!」



 その瞬間、背後の開け放たれた大扉から一人の女性が駆け込んできました。

 吉光が振り返ると、そこに居るはずもない人物が確かに居て、幻ではない証拠に強烈な平手打ちを叩きつけてくるのでした。

 右頬に走る痛みと共に、吉光にとって懐かしい罵声が広間に轟きました。



「潮時をわきまえんか! このアホンダラー!」





 ――――


 もうすぐ旦那の吉光が魔王城にやってくるらしい。

 しかも女勇者の仲間として。


 シャドウ・マスターからそう聞かされた徳子は、半信半疑で「謁見の間」の隣室に控えていました。


 それが真実だとして、何故それをSMが知っているのでしょう?


 疑問は尽きませんが「今は話している時間がないので」の一点張りで、SMは何も説明してくれません。首を傾げながらも待機していると、本当に見知った間抜け面がやって来たではありませんか。

 懐かしいやら腹立たしいやらでヤキモキしていると、ソフトクリームみたいな頭をしたヘンテコな女と謁見の間に入っていくようです。あれが女勇者なのでしょうか。


 大扉の外から魔王と勇者の対決を覗き込めば、両者は真相究明の最中でした。

 肝心な場面で、徳子はすっかり蚊帳の外なのでした。


 全ては狂言であり、失踪した魔王の第一夫人が勇者に化けていたこと。

 吉光のバカは計画に利用されていただけだということ。

 あとは吉光が諦めれば丸く治まるのに、アイツときたら意地を張って駄々をこね、この場で死ぬ気だということ。


 そんな裏話が徳子の隠れた物陰にも伝わってきました。



「うっせぇ!! 俺にはもう帰る場所なんて在りはしないんだ! 最愛の妻も捨てた。俺の帰りを待つ人なんて誰も居ない!」


 ―― あらら~、なかなか言うじゃないの。


 しょーもない浮気男ではありますが、こうなると徳子の胸にも少なからず憐憫れんびんの情が湧いてきます。

 気の毒過ぎて、ザマァと嘲笑う気にすらなれません。


 ―― 冒険が失敗に終わったからって、何も死ぬことはないと思うんだけどなぁ。


 盗み聞きをする徳子の脳裏を過ぎったのは、吉光と出会った日の思い出でした。


 あれは大学に入って二年目の夏、食堂でサークルの勧誘を受けた徳子は、さして興味もないくせに友達欲しさから部室まで足を運んでみたのです。バイトに明け暮れて仲間を作る暇もない単調な日々には飽き飽きしていたのです。

 テーブルトークRPG研究会という、冷静に考えるとかなり胡散臭い集まりでございます。いったい何をやるサークルなのか? テーブルトークRPGとは?

 RPGとはロールプレイングゲームの略。

 つまりは参加メンバーが戦士や魔法使いといった役割を演じ、仲間と一緒に冒険の成功を目指す遊戯。言うならば細かいルールが定められた冒険ゴッコなのです。


 そこで徳子は魔法使いとなって冒険に参加しましたが、まったく慣れてないものですから仲間の足を引っ張ってばかり。途中でキャラクターが死んでしまったり、冒険そのものが失敗に終わったり、そんなことがしょっちゅうだったのです。


 ―― 何なのコレ。良い年して冒険ゴッコとか馬鹿じゃないの。こんなもの何にも面白くないわ。


 そう腐る徳子をいつも励ましてくれたのが、部員である吉光でした。


『良いんだよ、たとえ冒険が失敗に終わったって。テーブルトークRPGで一番大切なのは別に結果じゃないからさ』


 今となっては懐かしい思い出でした。

 徳子は決心すると、大股で謁見の間に踏み込むのでした。



「えっ? 徳子? どうしてここに?」



 突如として現れた女房の姿に動揺を隠し切れない吉光。

 そんな旦那へ再会の挨拶がわりにお見舞いしたのは、スナップの効いた強烈な平手打ちでした。



「潮時をわきまえんか! このアホンダラー!」



 突然の乱入者に、謁見の間は静まり返ってしまいました。

 魔王と勇者が対峙する決戦の地で、今イニシアティブを握っているのはなんと一般人の徳子でした。徳子は大きく息を吸い込むと、旦那の胸倉をつかんでまくし立てました。



「冒険で一番大切なのは結果じゃなくて過程。偉そうにそう語ったでしょうが、大学時代に。それも忘れちゃった?」

「あ、ああ。いや、覚えているよ、もちろん」

「ならもう良いでしょう? 楽しく冒険したんでしょう? 後を濁すんじゃないわよ。どうせ帰るんだから!」

「帰るってお前……」

「どこにも行くアテがない廃品を回収しに来てやったのよ。感謝しなさい」



 がっくりとうな垂れた旦那を後ろに隠して、徳子は魔王と第一夫人に向き直り一礼しました。



「そういうことですので。コイツはウチが引き取りますからご安心を」

「トクコ殿……そうか、決心したのだな」

「はい陛下、短い間でしたがありがとうございました。女神イシュタムのする事には必ず意味がある。私にそう教えてくれたのは貴方ですから。何をさせたくて この世界に私が招かれたのか、お二方の話を聞いている間にようやく理解できたのです」


「ええ! ヨシミツ君の奥さん? えーと、なんかすいません」

「いいえ、こちらこそ。往生際の悪い男でご迷惑をおかけしました。最後に元の鞘に戻るのなら、それで全部メデタシメデタシ。そういう事にしておきましょうよ」

「うーん……まぁ、そうだね。何があったかは聞かなくて良いや。お互い様だもん」



 第一夫人のルシファーナは、魔王と徳子のポーカーフェイスを交互に見比べてから全てを不問とする事を決意したようです。


 こうして成すべきことが全て済んだからでしょうか。徳子と吉光の足下に輝く魔法陣が出現すると、光の粒子がそこから立ち昇ったのです。


 徳子はお世話になった魔王に深々と頭を下げました。



「では、お暇させて頂きます。異世界のバカンス、とっても楽しかった。どうか皆さんで素敵な未来を築き上げて下さいね」

「トクコ殿も、干し柿の件、心より感謝申し上げる。名残惜しいが、さらばだ!」

「……ごめんなさい、陛下。出来る事なら、私は ――!」



 次の瞬間、光の柱が魔法陣から生じ徳子たちの姿は消えていたのです。

 女の勘で何かを察したのでしょう。

 ルシファーナは無言で魔王の尻をツネること、ツネること。



「お前なぁ、怒れる立場じゃないだろうが、まったく」

「別にいいですよーだ。陛下もアタシがヨシミツ君とどんな旅をしていたのか、気にしていれば良いんだわ」



 かつては勇者と魔王であったものが、今は一組の夫婦。

 こうして皆の夢を叶える「浮気ファンタジー」は幕を閉じたのです。



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