第112話 少年、対峙する



 魔妃の末裔。そして、レズンの母。

 声の主――レーナ・カスティロスが、ゆっくりその姿を現した。

 ヒロの遥か頭上の玉座で、ゆらりと黒いカーテンのようなものが揺れる。

 やがて現れたものは、漆黒のドレスに包まれたほっそりした肢体。青白い素肌。

 まさに魔界の妃の如く、たっぷりとしたレースで大仰に飾られたドレス。裾の間からのぞく脚。少々露出の高い胸元からこぼれる乳房。

 しかし――

 わざとらしく見せつけられる太もももふくらはぎも胸元も、今やかなり肉感が失われている。ヒロの目からはその姿は、いい大人が痩せぎすの骨ばった身体をわざわざ下品に見せているように思えた。

 平たく言うならば、若い娘の身体に合わせて作られた衣装を、無理矢理中年女性が着ているような――

 そんな違和感を覚える。


 顔も化粧で美しく整えられているものの、目の下のクマは隠せていない。唇は深紅のルージュで彩られているが、少しガサガサしているのがヒロにも分かる。

 足首あたりまで伸びきっているストレートの黒髪にも艶がなく、どこか不潔な感じさえした。


 ――これが、レズンの母親。

 俺の母さんの真相を知る人。

 そして――


「……レ……レーナ……さん。

 俺は貴女に、聞きたいことがひとつ。

 それと、お願いがひとつ、あります」


 無意識に胸元のリボンを握りしめながら、ヒロは敢然と頭を上げた。

 余裕の笑みを浮かべながら、面白そうに彼を見つめるレーナ。しかしその眼は決して笑ってはいなかった。


「教えてください――俺の母さんのこと。

 母さんに何があったのかを。

 そして――」


 ひとつ深呼吸をしながら、ヒロは声を振り絞った。

 無理かも知れない。何も届かないかも知れない。

 それでも――これが、俺が出来る精一杯だから。



「レズンを、解放してください。

 レズンはもう、貴女の人形じゃない!」



 そんなヒロの言葉に、一瞬ぽかんと呆けた表情を見せるレーナ。

 しかしすぐに、手を唇にあててくっくと笑い出す。


「あらぁ?

 お願い事なんて、とっても可愛らしいこと♪ だけど……

 ちょっと、意味が分からないわね?

 私、レズンちゃんを束縛なんて、した覚えはありませんよ?」


 そうだろうな。

 子供を束縛している自覚のある親の方が、多分珍しいだろう。それぐらいは俺にも分かってきた。

 カスティロス伯爵だってそうだ。あの人も結局、レズンへの暴力を正当化してばかりだったし……

 母さんを想っているようで、自分が可愛いだけの人だった。


 レーナの答えは、そんなヒロの予想を寸分たりとも裏切ることなく。


「私はレズンちゃんをいつも想って、常にあの子のことを考え、あの子の為に行動しているだけです。

 束縛だなんて、とんでもない。私はいつだって、あの子の好きにさせているつもりよ?

 あの子は父親に散々暴力をふるわれた、とってもかわいそうな子なの。だから私がしっかり守ってあげなくちゃ……

 そんなの、母親として当然のことじゃなくて?」


 レーナの言葉はどこまでも正しいように聞こえる。

 それは恐らく、レズンへの愛を彼女自身も微塵も疑っていないからだろう。自分はただひたすら、息子を守る為にそうしているだけだと――

 しかしその結果生み出されたものがレズンの、ヒロに対する歪んだ欲求であり、暴行であり。

 さらにそれはヒロの周囲の人物――サクヤに会長、スクレットにソフィに祖父、学校の生徒たちや先生まで、直接的にも間接的にも傷つけ。

 そして、一時的にとはいえルウを狂わせた。触手族として厳罰を喰らうレベルまで。


 父親が息子に暴力をふるい、それを守る為に母親は狂ったのか。

 それとも元々愛のない家庭が、母親をそうさせたのか。

 今のヒロには想像するしかないが――

 家族の歪みが最悪の形で現れ、周囲に酷い被害をまき散らしている。それだけは確かだ。


「俺はレズンの気持ちを聞いて――

 初めて、あいつの心を知ることが出来た。

 どうしてあいつが俺を傷つけていたか。どうしてあいつが、俺を傷つけずにいられなかったのかを。

 父親に暴力をふるわれていたことも、貴女がしつこくあいつを縛り付けているのも、初めて知った。

 そして貴女はレズンを自分の手足のように使って、多くの人を傷つけた。

 それだけは、絶対に許せない!」



 そんなヒロの必死の言葉にも、レーナはただ笑いながら見つめるばかり。

 わざとらしく人差し指を頬にあてながら、唇をすぼめて首を傾げてみせる。若い女性なら可愛くも見えるだろうが、彼女のその仕草は正直、ヒロから見ても異様な感じがした。


「う~ん……貴方の言ってること、私にはあんまりよく分からないわぁ~

 でもそういえば、あの時ユイカも、同じようなことを言っていた……ような~?」

「!?」


 そんな彼女の言葉に、ヒロは思わず顔を上げた。

 やはり、この人は母さんを……

 母さんがどうなったかを、知っている?


「ふふ。そうそう、思い出したわ!

 ユイカもちょうどあの時、貴方と同じようにここに来てたのよ。

 そして同じように、可愛いお洋服を着てくれて。

 同じように、レズンちゃんのことをちょっとお話したんだったわね。

 う~ん、懐かしいわ~♪」


 いかにも楽しげに、満面の笑みを見せるレーナ。



「レズンちゃんのことについては聞けないけど~

 ユイカのことについて知りたいなら、教えてあげる♪」



 その瞬間――

 部屋中を満たしていた木々が、一気にざわめいた。

 ヒロの周りを取り囲む水面がボコボコと泡立ち、空気までが震え出す。

 思わず足元から震えを感じ、咄嗟に身構えたヒロ。しかし――



「ユイカも、いい感じにつかまってくれたの♪

 ちょうどこんな風にね~」

「……えっ?」



 その言葉と共に、背中に走る戦慄。

 同時にどこからともなく、ひゅるひゅると空気を切り裂きながら天井から伸びてきた黒い蔓。

 そのうち2本があっという間にヒロの両手首を拘束し、ギリギリと締めつけながら一気に天井へと引き上げていく。


「う……あぁっ!?」


 咄嗟に蔓を引きちぎろうとしたヒロだが、針金の如く固く手首に巻きつけられた蔓はどうやっても剥がれそうにない。

 そのまま蔓は生き物の如くヒロの手首から二の腕までをがっちりと縛り上げ、少しずつその身体を空中へと引き上げていく。

 踏ん張ろうとした足も床から離され、不安定に揺れるしかない爪先。

 容赦なく腕に食い込んでいく蔓の痛み。

 蔓の先端は器用にヒロの上着の間まで入り込み、その中を探り始めていた。

 白い薄手のブラウスの上から、強引にヒロの身体を撫でまわす蔓。それはまるで、レーナの意思そのもののように。


 ――学校で、あの小島で、レズンに散々痛めつけられた記憶がぶり返す。

 苦痛と共に酷い恥辱をたっぷり味わわされた、忌まわしい出来事の数々を。


 ――でも。

 俺はもう、負けない。

 この人にだけは、絶対、負けない。


 恥辱と不快感に震えながらも、ヒロはそれでも顔を上げる。

 しかしレーナは、そんな彼の姿さえもくすくす嗤っていた。


「うふふ……本当に可愛い。どこまでもユイカそっくり。

 やっぱり、あの時と同じようにしたくなっちゃった……!」



 その言葉と同時に――

 レーナの玉座の下。ちょうど彼女のドレスのすぐ下のあたりの階段が、中央から縦にばっくりと開いていく。

 その中から現れたものは



「な……!?」



 あまりの事態に、思わず絶句するヒロ。

 彼の眼前に出現したものは、8本の脚を持つ巨大な虫型モンスター――

 ありていに言えば、黒蜘蛛だった。

 ただし勿論ただの蜘蛛ではなく、その図体はヒロの身長のおよそ2~3倍はあるように見える。

 横並びに8つ揃った目は紅に染まり、口にあたる部分からは無数の鋭い牙がのぞき、白く濁った涎のような粘液がぼとぼとと落ちていた。

 ヒロに向かって突き出される、鎌にも似た前脚。その表面は棘にしか見えない黒い毛でびっしりと覆われている。

 朗らかに声をあげて笑うレーナ。


「うふふ……

 私の可愛いペット、アラーニャちゃん。ずっと前に私が作ったんだけど、とってもお気に入りの娘なの♪

 素直に私の言うことを何でも聞いてくれるし、やっぱりモンスターは自分の魔力で生み出すに限るわね~。

 ユイカの時も、大活躍してくれたわ!」




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触手令嬢は、セーラー服美男子をめちゃめちゃにしたくてたまらない! kayako @kayako001

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