第111話 少年、お風呂で目覚める
「ん……?
あれ……? ここ、どこだ……?
ルウ……」
黒の靄の中へと投げ込まれ、一瞬意識をなくしたと思ったら――
ヒロはいつの間にか、温かい浴槽の中に寝かされていた。
「わ、わぁ!?」
浴槽とはいえ、張られている湯は黒紫色。しかも何故か粘り気をもち、泥のように身体にひっついてくる。水面にいくつも浮かんでいるのは、血のように紅い薔薇の花びら。
さらに言えば、いつの間にやらヒロは素っ裸に剥かれていた。風呂なのだから当然だが。
「う……
あったかいけど、なんか、気持ち悪い」
その状態で頭から浴槽に漬けられていたのか、髪からぼたぼたと黒い水滴が落ちてくるのも不快だった。
しかし、何故か傷はほぼ全て治っている。
左腕などはあれだけ痛めつけられたはずなのに、二の腕は何事もなかったかのようにつるんと綺麗なものだった。
安堵より先に疑惑が、ヒロの中に浮かんでくる。
「何だ、これ。
もしかして――」
慎重に頭を回し、周囲の景色をうかがってみる。
磨き抜かれた黒い床。よく見ると正方形の大理石のタイルがいくつもいくつも整然と並べられ、床から浴槽、天井までもを覆い尽くしている。
天井にいくつか取り付けられているのは、蝙蝠を模したランプ。明るいがどこか冷たく青白い光を放っている。
グラナート家の魔物風呂と大きさは同じくらいだが、あちらには血の池と溶岩風呂があるのに対し、こちらはそこまでおどろおどろしいブツはないように思える。
しかし――
何故か、血の池にも溶岩にも感じなかった悪寒がする。
やはりここは――
「魔妃の居場所……なのかな」
口に出してみて、ヒロは思わず震えあがった。
敵の本拠地で全裸にさせられているようなものじゃないか。
だが、震えてばかりなどいられない。
ここに魔妃が――レーナ・カスティロスがいるのならば、自分のやることは決まっている。
まずは母・ユイカの死の真相を問いただすこと。
そして、レズンを――
ヒロがそこまで考えた時、不意に天井から声が響いた。
《うふふ~……
ユイカ。やっぱり貴女そっくりの、可愛い子。
怪我もちゃあんと治ったみたいで、良かったわ。こんな綺麗な肌に傷がついたらたいへんだもの~》
状況に比してあまりにも呑気な、女の声。
しかしそれは間違いなく、あのレーナ・カスティロスの声だった。
「貴女は――!」
ヒロは思わずざっと湯から上がる。
同時に身体を流れ落ちていく、黒い液体。
その効果のおかげかもう既に身体はどこも痛くなかったが、心に満ちるものは得体の知れない恐怖。
どこからか、無数の視線に全身を眺められているような――
――しかし。
《貴方の為に、とぉ~っても可愛い服を用意したの。すぐそこのドレッシングルームにあるわ♪
だから、早く上がってきてくださらない?》
とりあえず今のところ、相手はこちらに危害を加えるつもりはなさそうだ。
ルウも会長もじいちゃんたちもいない今、何とか自分で判断するしかない――
**
ドレッシングルーム――いわゆる脱衣所に入って着替えてもなお、その声はヒロの上から聞こえてきた。
《そのお洋服、どうかしら~? 貴方の瞳の色に合わせてみたの。
そう……ユイカの時と同じにね♪》
「母さんの時と……?」
洗面台の横に置かれていたひとそろいの服。それはエメラルド色を基調としたかなり上品なスーツだった。
襟元の大きくふわふわなリボンが印象的な白いブラウスに、上着はモスグリーンのダブルボタンジャケット。しかもジャケットにはご丁寧に大きめのセーラー襟がついて可愛らしくまとめられている上、裾はまるで燕尾服のように長く靡いている。ズボンも同系色で、足首まできっちりアイロンがかかっているらしい――
磨き抜かれた栗色の革靴や、やたら清潔な下着まで含めてどれもこれも、ヒロの身体には恐ろしくぴったりだった。
《うふふ……やっぱり、本当によく似合うわ……
そりゃそうね、あの時ユイカが着ていたドレスと似たようなデザインにしたんだもの》
「母さんの?」
注意深くジャケットに腕を通しながら、ヒロはその言葉に首を傾げた。
服自体には奇妙な魔力は何も感じない。だからそのまま着替えても問題はないはずだ。
そもそもさっきまで着ていたはずの制服はいつの間にか勝手に脱がされ、行方が分からなくなってしまっている。あのボロボロ状態からして、もう一度着ろと言われても難しいが。
他に着るものがない以上、用意されたものを着るしかない。まさか裸でレーナと会話するわけにもいくまい。
――俺の着てた制服がなくなった事実だけでも、ルウは発狂するだろうけど。
ついそう思ってしまい、ヒロは自分でちょっと笑ってしまった。
ブラウスの襟元の白いリボンは頭と同じくらい大きく、ふわふわと頬を撫でてくるのがくすぐったい。
ジャケットを着て正面の鏡を見てみると、細い腰回りの線がやたらと強調されるスーツなのがよく分かった。燕尾服にも似たフォルムからして、まるでスクレットみたいな執事にさせられたような気もする。
それはヒロにとって決して、気持ちのいいことではなかった。
――もしかして、母さんも?
頭をよぎる疑問。
そんなヒロの心を見透かしたかのように、響く声。
《懐かしいわね~
ユイカも貴方と同じように、メイド風のドレスを着てくれたの♪
とっても可愛かった。今の貴方と同じくらい!
うふっ……その細い腰といい、形が最高のお尻といい、やっぱり親子って似るのねぇ》
未だにレーナはその姿を現さないが、それでもヒロは天井から壁から鏡から、至る所に彼女の目を感じていた。
レズンのあの視線を散々浴びてきた自分にはもう分かる。これは間違いなく――
「……でも、やらなきゃ。
レズンの為にも、ルウの為にも……」
それでもヒロは改めて胸元のリボンを締め直し、心を決めた。
「母さんの為にも」
そんなヒロの決意を嘲笑うかのように響く、笑い声。
《さぁ、早くこっちにいらっしゃい。
廊下に出れば、すぐに私のところへワープ出来るから!
私、早く貴方に会いたくてたまらないの……》
**
着替えを終えて一歩外に出たヒロ。
しかし部屋の外をほんの少し確認しようとしたその瞬間、またもや眩暈に襲われてしまった。
ここに連れてこられた時とほぼ同じ嫌な感覚を味わわされながら、ヒロは一瞬だけ耐え忍び足を踏ん張り、数秒こらえて何とか目を開く。
そこは――
バスルームとはうってかわって、天井がやたらと高いダンスホールにも似た空間だった。
床は殆どが巨大な円形のプールの如く水が張られ、水底からは無数の植物が森のように生い茂って空間中を埋め尽くしている。
それはヒロに一瞬、あの孤島や水晶の森を思い出させた。他には誰もいない空間で、レズンと二人きりになってしまった場所を――
ヒロの立っている場所から先には、部屋の中央に向かって水面を横切るように細い通路が伸びている。
そしてさらにその先には、人間が使うにしてはやたら幅広く高く、豪勢な階段があった。
まるで、魔王の玉座に通じるかのような――
その上から、あの声が響いてくる。
今度は術を通したものではなく、直接。
「ようやく来てくれましたわね……
私はレーナ・カスティロス。魔妃ヴィミラニエの末裔にして、レズンの母です」
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