SS04 逃亡から10年後
岡山に移り住み、うどん職人の修行を始めてから丸10年が経った。
マドカと結婚してから5年で、俺たちは37才で娘のセイカは2才。
セイカが生まれてからマドカの体調が戻るまでしばらくは、店で仕事しながらマドカやセイカのお世話をしつつ、更に引っ越しなどもあって大変だったけど、セイカの天使の寝顔にいつも癒されて、ここまで頑張ってこれた。
因みに引っ越しに関しては、マドカの妊娠を聞きつけた大家さんが「近所に家族向けのマンションが空いちょるけど、どうじゃろ?」と大家さん所有の他の物件を勧めてくれたので、出産前にマドカと内覧させて貰い、出産後に引っ越すことにしていた。
新しいマンションは2LDKで今のアパートやお店と同じ町内にあり、お店から徒歩で5分もかからず、俺たち家族にとっては好都合の物件で、引っ越しはちょっとづつ自分たちで進めた。
また、仕事に関しては、マドカは出産後4カ月で復帰して、生まれたばかりのセイカの面倒に関しては、仕事中はユーコさんや女将さんが協力して見てくれた。
具体的には、成田庵の2階の大将たちの自宅が、営業中は託児所の様な状態になっていた。
朝、俺がいつも通り出勤して開店準備をしてる間に、マドカも遅れてセイカを連れてお店の二階に行き、女将さんにセイカを預けてからお店で開店準備を手伝う。 その後はユーコさんがお昼前に来て女将さんと交代して、女将さんはお昼のピークの営業に参加する。その間マドカは手が空くと抜け出して2階に行ってはセイカにお乳を上げる。 マドカが仕事が休みの日は、マドカとユーコさんが逆になり、マドカが2階でセイカとユーコさんの息子のカケルの面倒を見ている。
こんな感じで、沢山女将さんたちに助けて貰らえ、俺もマドカも子育てしながらもお店の仕事に精を出すことが出来た。
そして最近では、セイカも少しづつ言葉を喋れるようになり、俺やマドカだけでなく、女将さんやユーコさんに大将のことも、家族だと思っている様で、みんなにとても可愛がられてスクスクと成長していた。
俺はマドカと二人、そんなセイカの成長に喜びを感じながら、充実した日々を送っていた。
◇
今なら順風満帆とも言える岡山での生活が丁度10年経過した7月。
定休日の前日、閉店後片付けの作業をしていたら、大将に「マサキ、ちょっと相談したいことあるけ、明日マドカちゃんたち連れてお店に来てくれんか」と言われた。
何となくシリアスな雰囲気だったので、真面目な話があるんだろうなと思い「じゃあ午前中にお邪魔します。10時くらいなら大丈夫っすか?」と答えて、大将の話を聞くことになった。
夜、帰宅後にそのことをマドカに話して、大将から真面目な話ってなんだろーね?と二人で軽く話し合ったりもしたが、見当は付かなかった。
翌朝、マドカとセイカを連れてお店に行くと、既に大将と女将さんが待っていて、客席のテーブル席で向かい合って座った。
大将は、女将さんが煎れてくれたお茶を一口飲むと話し始めた。
「休みの日にスマンのう。 ほんで話いうんわな、今後のことを相談しよー思ってな」
「今後のことっすか?」
「おう。 マサキ、ここで修行始めて何年になる?」
「丁度10年経ちました」
「ウチに来た時が27じゃったけん、今37か?」
「はい、俺もマドカも37になりました」
畏まってこんな話をするっていうことは、暖簾分けとかそういう話なのかな?
「ワシがこのお店を開いたんが40過ぎで、メイコの実家で修行を始めてから20年は過ぎとったかのー。40代言うたら働き盛りとか言うけんど、中々大変じゃったで」
「ええ、分かります。客商売ですもんね」
「おぅ。朝から晩まで働き詰めだしの。 コイツもユーコも食わせるために稼がなおえんし(稼がないといけないし)。ユーコはユーコで高校受験控えとる時期じゃったしの」
なんか話が見える様な見えない様な、回りくどさを感じ始めていると、女将さんが口を挟んだ。
「おとーさん、話が逸れてマサキくんが困っとるが」
「ああ、すまん。 相談ちゅーのはな、マサキ、お前この店継がんか?」
「へ?」
「え?」
マドカも思ってた話と違ったのか、二人の間抜けな声が重なった。
「ワシもメイコももうすぐ60じゃからのう。お店のこれからの事を考えたら、お前しかおらんじゃろ?」
「ちょっと待って下さい。大将も女将さんも引退するつもりなんすか?」
「ちゃうちゃう、引退じゃのーて、お店の経営をマサキとマドカちゃんに任せて、ワシらはオーナーとしてのんびり気楽にお店のお手伝いでもしよ―思おてな。隠居じゃ、隠居」
「二人とも、将来は独立して自分のお店構えるつもりじゃったんじゃろ? 独立じゃのーて跡継ぎとしてこのお店でやってくんはどねーなん?(どうかな?)」
大将も女将さんも、成田庵を俺たち二人に任せると言ってくれてる。
それは、二人の下で十年修行をしてきた身としては、とても光栄な話だった。
ただ、自分たちのお店を持つことは、俺だけじゃなくてマドカの夢でもあるので、俺一人で決められる話じゃない。
「言ってみりゃ会社の社長みてーなもんじゃ。 責任が重くなるやろーが、マサキならだいじょーぶじゃろ。 それにオーナーはワシのままじゃから、何か困ったことがあれば助けるし、営業中のセイカちゃんの面倒も今まで通りじゃ」
「ユーコさんは何て言ってるんですか?」
「ユーコは、マサキくんが継いでくれたら安心じゃって言うとるよ」
「そうっすか・・・でも俺、職人としての腕はまだまだじゃないすか?」
いきなりの話だったからついビビって弱音を吐くと、隣でセイカを抱っこしていたマドカが「んんっ」と喉を鳴らして肘でグイグイ押して来た。
え?なに?と思ってってマドカの方を向くと「もっと自信持ってよ。10年も修行してきたんでしょ?」と叱責された。
「そーじゃ、マドカちゃんの言うとーりじゃ。 うどん職人としてならとっくの昔に一人前じゃ。もうワシから教える事はねーんじゃから、もっと自信持てぇ」
「マジっすか?」
「マジマジ」
「まぁ、今すぐココで決めろっていう話じゃねーからよぅ。二人でよう相談してな」
その日は大将のリクエストで、俺一人で厨房に入って麺を打ち、茹でただけの麺を用意して5人で何もかけずに食べた。
俺の打ったうどんを食べた大将と女将さんは「マサキの打ったうどんは、誰がなんと言おうと成田庵のうどん。跡継ぎはマサキ以外考えられん」と言ってくれた。
因みに、既に乳離れしているセイカもうどんが大好きなのだが、スーパーなどで買って来た麺だとすぐ分るらしく一度口に入れても吐き出してしまい、お店で打った麺だと目の色変えてモグモグ食べ続ける。
食事の後、「二人でじっくり相談して決められい」と言って、大将と女将さんは2階の自宅へ引き上げた。
マドカが食器を片づけてくれると言うのでセイカを預かって抱っこしながら、マドカと相談する前に自分の気持ちを整理した。
ぶっちゃけると、これまでは独立して自分のお店を持つとかはもっと先の話だっていう感覚で居たし、独立するにしても具体的なビジョンとか計画を持っていた訳じゃない。 ただ何となく「うどん職人になったからには、いつか自分のお店持たないとな」と思ってた感じだった。
それに、大将や女将さんの下で雇用人として働くのは、らくちんだったと言うのもあり、「この俺が2代目?大丈夫なのか?」という不安があった。 ファミレスの店長の時はそんなプレッシャーとか不安は無かったが、成田庵のカンバンは俺にとっては重い物だったからだと思う。
そんなことを考えていると、セイカが「ぱぁーぱ」と言いながら俺の頭をペチペチ叩いて、とても機嫌が良さそうだ。
片付けを終えたマドカが新しいお茶を煎れて戻って来たので、マドカの意見を聞くことにした。
「マドカはどう思う?」
「ココを継ぐ話?」
「うん」
「有難いお話だよね。何より、マサくんの腕を認めてくれてるってことだし」
「そうなんだよなぁ。うどん打つの好きだしこのお店も好きだったから、俺としては楽しく働いてただけなんだけどな。 だからなのか、急に認めてもらえたり跡継ぎの話聞くと、なんかな」
「不安なの?」
「不安なのかなぁ・・・不安もあるけど、いきなりすぎて覚悟が出来てない?」
「でも、今までお店持つのを目標に修行続けてたんじゃないの?」
「うーん・・・」
「昔だってファミレスで店長してたんだし、それと同じでしょ? 2代目だからってオーナーは大将のままなんだから、雇われた店長みたいなものじゃん」
「それはちょっと違うと思うぞ。ファミレスなんてお店がそこら中にあって、店長だって何十人何百人も居て、俺の代わりだっていくらでも居たじゃん。 成田庵は、俺が2代目になったら俺の代わりは3代目が育つまで居ないからね。 それにカンバンの重みも全然違うでしょ? お店作った大将や女将さん達の顔にドロ塗る様なことは絶対出来ないし」
「それはそうなんだけど、うーん」
「いや、継ぎたくないって言ってる訳じゃないよ? 独立するにしても跡継ぐにしても、もうちょい先だと思ってたからさ」
「じゃあいつならその覚悟出来るの? 時間経てば覚悟出来るの?」
「そう言われちゃうと、答えられないんだけどさ・・・」
「マサくんって、結婚式の日に失踪したり、私と再会した次の日には結婚するって言ってくれたり、もっと直情的だと思うんだけど、今回はどうしちゃったの?なんかマサくんらしくないよ?」
「そりゃそうだよ、結婚して嫁さんと娘が居るんだもん、若い時みたいに無鉄砲なこと出来んよ。 それに大将たちに期待されてんだって思うとプレッシャーになるし。正直言って、大将も女将さんも道楽で俺拾ってくれたと思ってこれまで好きにさせて貰ってたから、跡継ぎとして期待されてるなんてマジで思って無かったからね?」
セイカをあやしながら本音を話していると、マドカの強い視線を感じ、ふとセイカからマドカへ視線を変えた。
マドカは冷めた目で俺を見つめていて、目が合うと背筋がゾクリとした。
「ど、どした?」
「さっきから聞いてて、すっごく情けないんだけど」
「えぇ・・・」
「大将と女将さんが認めてくれたんだよ?自分たちがここまで苦労して作り上げて来た成田庵のカンバンを任せるって言ってくれてるんだよ?覚悟が無いとか自信無いとか言ってお二人の想いに応えられないマサくん、見たくないよ」
「いや、分かってるんだけど・・・・」
マドカは、俺の不甲斐なさに怒ってるんだろうな。
「それによく考えてよ? お店の跡継ぐことは私たちから求めて言い出す様な話じゃないから、今回大将たちから言って貰えるまで1度も話題に出したこと無かったけど、独立して自分たちでお店をイチから作るのよりも絶対に条件は良いからね?それちゃんと分かってる?」
「それくらいは分かってるよ。 店建てて設備揃える必要無いし、新店だと新規のお客さんの開拓から始めないといけないけど、ココは固定客が沢山居るし、従業員だってイチから募集して教育する必要も無いし、お店の知名度だって岡山じゃ人気店って言われるくらいだし」
「そうだよ。流石に元ファミレス店長だからそれくらいは分かってるよね。 今まで独立するときの為に貯めてた貯金だって、別の事に回せる様になるだろうし、私たちにとってメリットしか無いんだよ? それにね、私もセイカも成田庵のうどんが大好きなんだよ? マサくんが跡継がなかったらいつかは途絶えちゃうんだよ? 大好きな成田庵のうどんをこれからも食べたいしお客さんにも食べてもらいたいっていう想いと、マサくんと私のお店を持ちたいっていう夢が同時に叶えられるなんて、凄いことだと思うよ?」
「別に跡継ぎたく無いって言ってる訳じゃないからね? 急すぎてビビってるだけだから」
「じゃあ、お店継ぐ話は、受けるつもりなんだよね?」
「あぁ、もちろん。 っていうか、何でそんなにムキになってんの?超怖いんだけど」
そう言って、冗談ぽくセイカに「今日のママ、怖いねー」と同意を求めると、セイカは「むふぅ」と鼻息を荒くして俺のオデコをペチペチ叩いた。セイカにまで怒られた。
「ほら、セイカも分かってるのよ。 パパがへっぴり腰で情けないって怒ってるのよ」
「むむ」
昔は真面目で清楚で優しかったマドカだが、会社勤めを経て岡山に来て、そしてセイカを産んでからは逞しくなったというか、肝っ玉が据わっているというか、こんな風にケツ叩く様に叱責されることが多くなった。
思うに、結婚して仕事もして子供も産んで、嫁として、そして母としての強さが備わったんだろうな。 それに、女将さんの下でずっと働いてるから女将さんのような商売人としての逞しさも身に付きつつあるのだろう。
俺自身にはそういう部分が足りない自覚あるから、丁度良いのかもしれないな。
翌朝、いつもは6時に出勤するマドカも俺と一緒に5時前にお店に来て、大将に二人で「跡継ぎの件、受けさせて下さい」と頭を下げた。
大将は「おお!そうか!」とニカっと笑いながら俺の肩を何度もバンバン叩いた。
2代目になったからといって、大将と女将さんはまだまだ現役のままで隠居するのはもうしばらく先の話なので、直ぐに何かが変わる訳じゃない。 店主が替るとかいちいちお客さんに発表する訳じゃないし、精々パートやアルバイトのみんなに「2代目継ぐことになりました。今後ともよろしくお願いします」って挨拶したくらいで、表向きは今までと変わっては居ない。
しかし、不思議と心構えは変わって来るもので、責任感は常に感じる様になるし、今まで人任せだったこととかも積極的に関わる様になり、自分の意見も大将や女将さんに言う様になりはじめた。 それはマドカも同じ様で、俺以上に積極的に色々な意見を出していた。
女将さんはそんな俺たちを見て「ええ子たちがウチに来てくれたわ。10年面倒見た甲斐があったわぁ」と顔を綻ばせていた。
◇
成田庵の2代目になることを決めた翌週。
仕事を終えて帰宅してから直ぐにセイカをお風呂に入れて、ついでに自分も一緒に湯舟に浸かって疲れを癒す。
さっぱりしてから風呂を出て、セイカの体を拭いて、着替えをマドカにお願いして俺も自分の服着てから、食卓に座りマドカと一緒に夕食を食べた。
俺の帰宅がいつも遅いからセイカだけ先に食べさせて、マドカは毎晩俺の帰りを待ってくれている。 マドカが岡山に来て一緒に暮らす様になってから、ずっとそうしてくれている。
2代目になることを決意してからのココ数日、そんなマドカとの結婚生活を思い返すことが多くなっていた。
「やっぱ、俺が2代目として認められたのって、俺だけの力じゃなくて、マドカも居たからだろうなぁ」
「なんでそう思うの?」
「俺一人で10年修行しても、大将たち「跡継ぎはマサキしか居ない」とか言わんでしょ」
「そんなこと無いよ」
「いやぁ、しっかり者のマドカが居たからだろうな。今度女将さんに聞いてみよっと」
「お願いだから止めて。 女将さんだってそんなこと聞かれて「違うよ」って言える訳ないじゃん。ウソでも「そうだよ」って気を使わせちゃうじゃん」
「あれれ?俺にはへっぴり腰ってぶーぶー文句言ってたくせに、自分のことだと弱気じゃない?花蓮様らしくないなぁ」
冗談で『花蓮様』と揶揄ったら、マドカの目つきが変った。
「へー、今日のマサくん、意地悪なんだね。 明日は定休日だし、今夜はじっくりお話聞かせてもらおうかな。久しぶりにマサくんの可愛い鳴き声、聞きたいしねー?」
しまった。
花蓮様のスイッチを入れてしまった。
「お、お手柔らかに」
「どうしよっかなぁ?」うふふふ
後日談、お終い。
______________
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
書きたかった後日談のエピソードを全部書くことが出来ましたので、これにて全て完結とします。
また、次回作でもよろしくお願いします。
彼女の秘密を知った僕は、逃亡を謀った。 バネ屋 @baneya0513
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